《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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生まれる力たち

 

 フレイが撒いた煙幕は、まるで神話の帳のように世界を断ち切った。

 煙の中で咳き込みながらも、ティリアは足を止めずに走る。セイロスが彼女を支え、後方をドワーフ達が警戒する。

 

 「くそっ、煙幕がなかったらさすがに全滅してたぞ!」

 

 ドワーフの一人が怒鳴るように吐き捨て、さらに警戒を強める。

 

 そのとき――ティリアの身体に、ふと走る感覚があった。温かく、しかし背筋が震えるような凄まじい何か。まるで空気が跳ね、地が震えるような鼓動が、肌を通じて魔力へと変換されていく。

 

 「――あの時の……!」

 

 ティリアが振り返ることなく呟いた。

 

 「精霊が……いた。あの時、私を治した……触れてきた……っ!」

 

 彼女の手に握られていたあの小さな箱から、確かにあの瞬間、何かが生まれたのだ。

 目には映らぬはずの、精霊。それが、確かに“存在”していた。

 

 「……いや、見えたぞ。俺も」

 

 不意にドワーフの一人が口を開いた。

 他の者たちも無言で頷き合う。

 

 「精霊は、エルフしか見えないものじゃ……」

 

 ティリアが驚愕の声を漏らす。

 

 「見えねないはずだ。けどあれは……“重すぎた”。存在が」

 「存在が、重い……?」

 「そうなんだ。質量があるかのように空間が歪んで、気配が地面を叩いてた。あれはもう、ただの精霊じゃない」

 

 セイロスが考え込む様に話す。

 その言葉に、ティリアの脳裏に雷光のごとき直感が走る。

 

 ――あの精霊が“私の中に流れた時”、私の魔力は燃えるように膨れ上がった。

 雷のような速度で奔り、雲を裂くがごとき威力をもたらした。

 

 「……あの精霊の“力”があったから、あの魔族たちを撃てたの」

 

 ティリアは拳を握る。

 

 「違う。撃てたんじゃない。……“撃ち抜いた”んだ。魔族を、だ」

 

 セイロスの声が硬い。

 

 「あれだけの魔力を一度に、しかも正確に――僕たちの誰にもできることじゃない。ティリア、君は今……確かに、魔法使いだ」

 

 その言葉に、ティリアの喉が詰まりかけた。

 

 かつて、森で肩身の狭い思いをし、戦場に出ても剣と弓ばかりで「魔法が使えないエルフ」と陰口を叩かれた過去。

 リンのようになりたいと願いながら、誰にも言えずにいた心の奥底。

 

 その彼女が、今――魔族を滅ぼす“雷”をその手に宿していた。

 

 ドワーフの一人がぽつりと呟いた。

 

 「あの遺物。多分あれが精霊を“生んだ”」

 

 セイロスが目を見開く。

 

 「生む、もしくは“呼ぶ”か“形成する”か……いずれにしても、異常な濃度と純度だ。あんなの、見たことがない。いや、記録にも残ってない……!」

 

 ティリアはふと、まだ手の中にある遺物を見下ろす。

 

 黒色の金属――ではない、鉱石のような質感に、見た目に反して軽い質量。

 だがその中には確かに、“何か”が息づいている。

 

 「……あたし、きっと、あの精霊に選ばれたんだ」

 

 その呟きに、誰も否定する者はいなかった。

 

 

 

 

 混乱の市街を抜け、フレイの導きのもとでようやく評議会の避難拠点に辿り着いたティリアとセイロス、そしてドワーフの戦士たち。その場には防衛線を整える衛兵たち、応急処置を行う魔導師、そして——セリスの姿があった。

 

 しかしその姿は、まさに魔族に組み伏せられんとする刹那。

 

 「セリス!」

 

 ティリアが叫ぶも、その声が届く前に、魔族の腕がセリスの肩を掴み、黒く染まった歪な爪が喉元に迫る。

 

 だが——

 

 「触れるのは……エリオットにしか許さない」

 

 静かな、しかし冷徹な怒気を孕んだ声が響いた。

 

 次の瞬間、セリスの肩に触れた魔族は、魔力の奔流に包まれた。淡い蒼光を纏った炎が魔族の身を蝕み、悲鳴も上げられぬまま、黒い影は焼け焦げた灰となって崩れ落ちた。

 

 「この状況でそんなこと言うか……」

 

 苦笑混じりに呟くフレイに、ティリアも目を伏せて小さく肩を震わせる。ドワーフの戦士たちも武器を下げ、ほんの僅かな安堵を浮かべかけた、その時——

 

 「……やはり、そこにいたか」

 

 背後より、低く澄んだ声が響いた。振り向いたその場に、エルフ——レドが立っていた。その姿は変わらず整い、まるで神官のような気品すら感じさせる。しかしその眼は虚ろに濁り、手には黒い紋章が浮かぶ。

 

 「我が主は……“それ”を求めている。精製機、そして、それを動かす資格を持つエルフ」

 

 レドの視線はまっすぐにティリアを貫いていた。

 

 ティリアの背が凍る。無意識に抱えたドワーフの遺物《精製機》が、熱を帯びたように微かに震えていた。

 

 「狙われている……?」

 

 呆然と呟いたティリアの前に、セリスが立ち塞がる。振り返らずに、ただ言葉を吐いた。

 

 「あなたはエリオットに抱きついたから。私の後ろにいるくらいがちょうどいい」

 

 それが冗談か本音か、判断できない。だが、セリスの肩越しに見たレドの姿に、ティリアは確信した。

 

 この男は、精製機の力を——自分を、確実に奪いに来ている。

 

 灰となった魔族の残骸の上を、レドはゆっくりと歩く。

 焦げ跡に足を踏み入れたにもかかわらず、その衣は汚れず、銀色の髪一本すら乱れていなかった。ただ、その瞳だけが狂気と献身の境界を見失ったように燃えている。

 

 「精製機を扱う者など、居ては困る」

 

 その声に呼応するように、周囲の影が蠢いた。黒い火花を散らし、地の底から這い出るように現れた魔族たちが、ティリアを囲むように展開する。

 

 ——五体。

 そのいずれもが人間の背丈を遥かに超え、歪な骨と肉を纏っていた。

 

 「ぐ……来るぞ!」

 

 セイロスが叫ぶ。ドワーフの戦士たちが前に出て、盾と斧を構える。だが、次の瞬間、魔族たちは爆風のように駆け出した。盾ごと戦士を弾き飛ばし、槍を砕き、腕一本を代償にしてでもティリアへ肉迫してくる。

 

 「ティリア!」

 

 セリスが庇うも、それよりも早く——ティリアの手が、懐から震える《精製機》に伸びていた。

 

 「もう一度……お願い……!」

 

 切実な声と共に、遺物の表面に指を滑らせる。まるで祈りのようなその所作に、わずかに金属音が鳴った。

 

 次の瞬間——

 

 空間が、揺れた。

 高純度の精霊が、再度顕現する。

 

 白金色の光が収束し、ティリアの頭上へ浮かぶ。その姿は見る者により異なるようで、セイロスには淡い蝶のような粒子群として、セリスには巨大な鳥の影として映っていた。ドワーフの戦士たちには、背中に顕現した精霊は見えない。しかし、その存在が放つ「力」は否応なく感じ取れていた。

 

 魔族たちの動きが、一瞬、止まる。

 

 しかし——

 

 「構わない。近づけ」

 

 レドの声が木霊する。その狂信に突き動かされるように、魔族たちはなおも迫る。腕を焦がされ、脚を貫かれながらも、膝を折ることなく——ティリアに手を伸ばす。

 

 「来ないでぇええええっ!!」

 

 ティリアの叫びと共に、精霊が彼女の周囲を取り巻く。雷が弾けた。大気が震え、雷撃が地を走る。魔族の一体が、雷に包まれ断末魔を上げて崩れ落ちる。

 

 しかし、残る四体は止まらない。

 

 「おかしい……あんな雷を受けて……」

 

 セイロスが言葉を呑む。彼は知っていた。これほどの精霊の加護は、常ならざる奇跡であると同時に、それを凌駕してまで動く“魔族”の執念が異常であることも。

 

 レドが微笑む。

 

 「集合体をまともに扱えんほど愚かか」

 

 その言葉に、背筋を凍らせながら、ティリアはそれでも立ち尽くした。

 

 (お姉様みたいに強くなりたいって……思っただけだったのに……!)

 

 それでも、彼女は逃げない。精霊がまだ自分の中にいると信じて——もう一度、雷光を呼び寄せようとする。

 

 

 火花が走った。

 

 剣と剣が交わり、炎と炎が唸りを上げる。

 エリオットの蒼い焔が、魔族の纏う赤黒の獣火に覆いかぶさるようにぶつかり、地を焦がし、空気を焼いた。

 

 「……やはり、似ているな」

 

 エリオットは目の前の“それ”を見据える。

 黒き影に覆われた顔、その奥から漏れる声は人の形を模しているが、あまりに不自然で、偽りめいていた。だが、言葉の端々や剣の運びの節々から、かつて王であった男の癖が滲む。

 

 「父上……いや、お前は違う……!」

 

 振るった剣が、炎を裂く。

 型に囚われぬ刃。その流れに連なるように、エリオットは脚を薙ぎ、体を預けるように回転しながら、魔族の肩口へ膝を叩き込む。吹き飛んだ黒き影は屋根に突き刺さり、怒りと熱を込めて赤黒い焔を立ち上らせる。

 

 燃える屋根の上を踏み砕きながら、魔族が再び立ち上がる。

 赤黒い炎が再度その身を包み、全身の穴という穴から溶岩のように吹き上がった。

 

 (革命のとき……こんなにも身体が軽かっただろうか)

 

 胸の奥が熱い。息は切れているはずなのに、視界は冴え、音すらも鮮明に聞こえる。

 

 盾を捨て、両腕で剣を振り上げ、足を踏み出し、叫ぶように炎を噴いた。

 

 「うおおおおおおおおおっ!!」

 

 蒼い火が爆ぜる。

 

 それはただの剣ではない。炎と共に打ち出す拳、刃を振るった反動で跳び上がり、背後から蹴り落とす。剣術の型を重んじていたかつての自分ではありえない、全身を使った戦闘。血が沸騰しそうなほど、身体の内側が昂っていた。

 死闘の最中、倒すべき魔族が目前にいるというのに、口元がわずかに緩んでいることに、エリオット自身が一瞬たじろぐ。

 

 だが、止まれない。いや——止まりたくない。

 

 「父は死んだ!」

 

 決意と共に、剣を手放した。

 

 蒼い焔が拳と脚に絡みつく。

 体術と剣術の融合——革命の最中、ただ生き残るために戦った過去では得られなかった、研ぎ澄まされた戦闘感覚がそこにあった。

 

 赤黒い焔が襲いかかる。

 蒼い炎がそれを裂く。

 懐に潜れば拳で、遠ければ焔で。

 

 エリオットは、己の内に生まれたこの獣性にしたがって戦った。

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