《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》   作:ケン3ヴァルデン

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精霊たちの呼びかけ

 

 放浪者は、丘の上に立っていた。

 視線の先には赤黒い焔と蒼炎の揺らめきと、崩れた城壁、逃げ惑う人々。そしてその混乱の中でなお、必死に抗う者たちの姿があった。

 

 「……また、繰り返すのか」

 

 その声に、怒りはなかった。

 悲しみも、希望も、憎しみも、なかった。

 

 ただ、問いとして。

 言葉にならない叫びのように、かつての光景と今が重なり、ぽつりと洩れたのだった。

 

 ——そのときだった。

 

 影が揺らぎ、風が止まった。

 

 背後に何かが立っている。

 

 放浪者が振り返るよりも早く、何かが彼の胸を貫いた。

 赤黒い棘のような刃。それは、何の予兆もなく、音すら立てずに突き刺さった。

 

 「……そうか」

 

 言葉は震えていたが、声に恐怖はなかった。

 

 そのまま、魔族は無言で、さらに一突き、また一突きと刃を繰り返す。

 背中から腹を貫く一閃。胸元から喉を突き上げる一撃。

 放浪者の体が揺れ、膝が崩れ、それでも魔族は止めなかった。

 

 刃を引き抜き、再び刺す。

 何の怒りも、何の声もなく。ただ、機械的なまでに無表情に。

 

 血が滲み、衣を染めても、放浪者は呻き一つ漏らさなかった。

 動かなくなった身体を見下ろして、魔族は数秒の沈黙を置いたのち、ふと気配を霧のように消し、闇に溶けるようにして姿を消した。

 

 あとには、崩れ落ちた放浪者の骸と、空気のひび割れるような冷たさだけが残された。

 

 

 矢が風を裂き、魔法が木々を焦がす。

 森の静寂はとうに破られ、代わりに忍び寄る殺意と焦げた土の匂いが満ちていた。

 

 「くっ……!」

 

 ドルンが叫びながら、盾のような斧で飛来する矢を叩き落とす。その背を守るようにドワーフ達が展開し、反撃の機会を窺う。

 

 一方、リンは素早く身を伏せると、眉を寄せた。矢の軌道が、あまりにも正確だった。……狙っている。彼女だけを。

 

 「そういうことなら……」

 

 空気が軋んだ。

 リンの掌に宿った雷は、青でも白でもない。

 かつて、誰よりも先にそれを抱いたとされる紅い稲妻。

 

 「……貫けっ!」

 

 赤く輝く雷が森を裂き、樹上に潜んでいた数名の教徒を灼き落とした。

 短い悲鳴と共に、葉が燃え、煙が立ち昇る。

 

 その刹那、耳障りな声が響いた。

 

 「上位個体、門番だけでなく!」

 

 レドだった。

 人間ともエルフともつかぬ風貌に、異様な薄笑い。そしてその瞳は、まるで捕らえた獲物を見つめる獣のそれ。

 

 「門番、上位個体、どちらも!」

 

 意味を成さぬ単語が唇からこぼれ続ける中、レドの身体が不自然に歪み、跳ねるようにしてリンへと飛びかかってくる。

 

 「ッ、来るな……!」

 

 雷を構え直すリン。

 だが、レドの速度は速い。風を裂き、矢を避けるように動きながら、まっすぐに彼女を――その“雷”を、狙っていた。

 

 「ドルン、援護を!」

 

 リンの声に反応し、ドワーフの斧がうなりを上げる。次の瞬間、雷が再び空を裂き、レドの動きを一瞬止めた。

 

 その隙にリンは後退する。

 

 「奴の狙いは、やっぱり私!」

 

 だが、それを確認する暇はない。

 レドは雷に焼かれながらも、炎の中からなお笑っていた。

 

 

 「――上位個体!」

 

 レドの叫びが脳裏に残響のようにこびりつく。焼かれた皮膚から立ち上る煙をものともせず、彼はなおも這い寄るようにこちらへと歩を進めていた。

 

 その姿を見て、リンの胸奥が冷たくざわつく。「上位個体」に、確かな既視感があった。

 

 (あの光を得てから……)

 

 思考が深淵に沈む。

 ヴィリスの森で、紅い光が自らに宿ったその日から、彼女は夜ごと、同じ夢を見ていた。

 

 夢の中――

 彼女は霧の深い空間に佇んでいた。

 そして、必ずそこに現れる少女がいた。

 

 言葉を発さない。雷の音だけがする。

 ただ、じっと、静かにこちらを見ている。

 その目には怒りも喜びもなかった。ただ、あまりにも深く、見下ろすように――神のように、そこに在った。

 

 リンは初め、彼女を「精霊」だと考えた。

 だが、それはすぐに否定される。

 

 放浪者がかつて言った言葉を、彼女は覚えている。

 

 「雷と語らう者。祈りを拒絶した者。紅雷の神。」

 

 意味の通らぬようで、確かな指針を持った言葉。

 

 あの少女は、確かに“名前”を持っている。

 ただの夢などではない、意志ある何か――この世界の法則にすら背を向けるような存在。

 その存在が、紅い光を彼女に与えたのだ。

 

 「……上位個体。」

 

 リンは呟いた。

 

 「そうか。狙われているのは私じゃない。この力……“あの少女”に由来する何かを、魔族は探している。」

 

 自らが“鍵”であるという感覚。

 自身が“目”であり“手”であると誰かに定められているような違和。

 

 「リン、下がれ!」

 

 ドルンの怒声が耳を打つ。しかし身体が動かない。それは恐怖や硬直ではなく――ただ、意識が深く、沈んでいたからだ。

 

 目の前にレドが迫ってくる。

 その姿が奇怪な影を引きずり、森の静寂を引き裂くように――けれど、その動きが、奇妙な遅さを伴っていた。

 

 (……あれ?)

 

 リンはまばたきをした。

 だが、レドの伸ばした腕が、まるで水中で動くかのように、じわじわとしか迫ってこない。

 

 (まるで、時が……)

 

 止まったかのようだった。

 その瞬間――雷鳴のような衝撃が走る。

 

 森の陰から、否、リンとレドの間の“虚空”から、ひとりの少女が現れた。

 

 それは夢で見たあの少女だった。

 

 白銀の髪は風もないのに揺れ、淡い光を纏いながら、ただ静かに歩いている。

 全ての音が、消えていた。

 風も、鳥も、レドの呻きも、ドルンの声も、何一つ聞こえなかった。

 

 ――雷の音だけが、そこに在った。

 

 少女は口を動かさない。

 ただ、彼女の周囲で、微かな稲光が踊る。

 空気が裂けるような雷の“旋律”が、まるで詩のように流れてくる。

 

 (貴女は……だれ……)

 

 声にならない声。問いにすらなっていない呟きを、リンは口の中で結ぶ。

 

 少女はそれに応えるように、光の粒子を散らす。「名」を持たないその存在は、かつて放浪者が語ったように、「雷と語らう者」「紅雷の神」「祈りを拒絶した者」――

 

 けれど、そのどれでもなく、同時に全てだった。

 

 “呼び寄せる、そう言ったでしょ。”

 

 稲光がそう語る。

 

 “繰り返そうしている彼らを私は止められなかった。でもあなたは違う、1人でだけでなく周りへ手を伸ばせたあなたなら。”

 

 リンの胸の奥で、何かが脈打った。

 

 “魔族に取り憑かれた者を、討たないこと”

 

 リンは眉をひそめる。

 

 (それは、救えるということ?)

 “――攻撃してはならないの”

 

 少女の声音は、まるで遠くで鳴る雷のように脆く、しかし芯のある響きでリンの心に届く。

 

 “精霊よ、あの子達に話しかけて。精霊は……すべてに作用する”

 (すべて……?)

 “土に、風に、命に、そして祈りにすら”

 (でもなぜ……なぜ、精霊に語りかければ魔族に作用するの?)

 

 少女は少しだけ、肩を震わせた。

 問いを無視するわけではなく、それに答えることができない者のように。

 

 “それを知るには……まだ、あなたの雷は幼すぎる”

 

 あまりに突拍子もない話にリンはひとり、眉を顰めそうになる。

 

 (……貴女は、いったい何者?)

 

 思わず漏れた問い。

 その声音に、少女は静かに目を伏せ、風に舞う髪を整える仕草をする。

 

 “最初のエルフ”

 

 答えはあまりにも簡素で、あまりにも重かった。

 

 (最初……? 私たちの始まり……?)

 

 リンの胸に、遺跡の記憶が蘇る。

 かつて訪れた、崩れた部屋。

 中空の人型の筒、まるで命を抜かれた抜け殻たち。セイロスが繋げた可能性の話。

 

 ――あれは。

 

 「貴女は、あの……エルフを生み出す施設と関係があるの……?」

 

 少女は少しだけ視線を外す。

 その横顔は、まるで罪でも思い出すかのように、痛々しいまでに静かだった。

 

“だから私は祈りを……捨てた”

 

 言葉が雷の音と共に、空間に流れ込む。

 リンは戸惑いの中で、少女を見つめ続けた。

 少女の言葉は意味を含んでいた――だが、すべてを語ってはいなかった。

 

 (祈りを……捨てた?)

 

 その言葉の裏には、確かな拒絶と、抗いがある。施設が“祈り”によって作られていたとすれば、彼女はその祈りを拒み、形なき神に背を向けた者――

 

 そう思った瞬間、少女はふいに消えた。

 

 空気が爆ぜ、時間が流れを取り戻す。

 レドの爪が迫り、ドルンの叫びが重なった。

 

 けれど次の瞬間――

 

 「っ!」

 

 リンはレドを蹴り、ドルン達の方へ飛ぶ。

 蹴られたレドの双眸が紅く染まり、黒い影がその身を蝕むように蠢いていた。矢が空を裂き、教徒たちの声が狂気に満ちた叫びを上げるなか――

 

 リンは、そっと瞳を閉じた。

 

 紅雷が彼女の周囲に走る。

 だが、それはもはや敵を焼き尽くすためのものではない。

 呼吸と魔力を合わせ、少女の言葉を反芻しながら、リンは“語りかけた”。

 

 ──精霊よ。この森に宿りし、名もなきものたち。

 ──どうか、その声を、震えを、私に聞かせて。

 

 瞬間、森に雷鳴が凪いだ。

 淡い光が、空から静かに降り注ぐ。

 まるで雪のように、静かに、柔らかく。

 

 それは精霊だった。

 

 これまで目に見えぬ存在であったはずのそれらが、リンの紅雷に導かれ、その姿を顕現させていく。

 

 「……お願い」

 

 リンの言葉に、精霊たちは応じた。

 そのうちのいくつかがレドに向かって流れ込む。黒い影が苦悶のようにのたうち、レドの体を包む闇と激しく衝突する。

 

 その時だった。

 

 リンの脳裏に稲妻が走った。

 

 思考が白く焼き尽くされる。

 それは痛みではなく、「やらなければならない」という確信だった。

 

 「“浄化”」

 

 その一言と共に、彼女の掌から紅雷が精霊と同調して放たれた。それは攻撃ではなく、穢れを焼き尽くす清めの雷。

 

 雷鳴が轟いた。

 そして次の瞬間、静寂が訪れた。

 

 地に伏す魔族の姿。

 まだ息はある――だが、レドの面影は無くなっていた。

 

 リンの胸に、少女の声が重なるように響く。

 

 「……精霊は、万物に作用する」

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