《Testament of the Last Warden - 世界が歩み始めた日》 作:ケン3ヴァルデン
転送の余波が消えると同時に、リンは目を細めた。風は焼け焦げた血の匂いを含み、街の空気は死にかけた獣のように荒れていた。
「…この精霊の薄さは」
イゼリアの地とは明らかに異なる。
空も大地も、人々の心までもが、何かに蝕まれているような空虚な感触。
「これが……人の国」
だが、リンの眉がわずかに動いた。
「いや……違う」
彼女はふと、真逆の感触を感じ取った。
濃い。
いや、“濃すぎる”。
――精霊が飽和し、もはや“声”ではなく“形”として響いてくるほどの密度。ただ薄いのではなく、吸われているのだ。
「ドルン、来て!」
走り出したリンの背を見て、ドルンが舌打ちしながらも追う。
「ったく、また急だな……!」
瓦礫を避け、人の悲鳴と破壊の音を縫うように走る二人。やがて辿り着いたのは、崩れた建物の──視界が開けた場所だった。
「……あれは」
そこにいたのは、まさに“戦場の主”と呼ぶべき男だった。
エリオット・カレヴァン
背には王の名残を宿す蒼き炎、剣はすでに技ではなく意志そのもので振るわれていた。
赤黒い魔族と、レドの異形。
二体の災厄を相手にしながら、エリオットは一歩も退かず、むしろ前へ、前へと攻めていた。
「……人間って、ここまで強くなれるの……?」
リンが思わず呟く。
その剣は鋼ではなく、信念の延長だった。
その炎は業火ではなく、誓いそのものだった。
──革命の時とは違う。
──王を討った時とも違う。
これは、守るための戦い。
誰かの背中ではなく、全ての民の未来をその腕に抱いて、彼は戦っていた。
「……なるほどな」
ドルンが呟く。
「こりゃあ、放浪者が放っとけねぇわけだ。ドワーフだって、恩を返さにゃならねぇな」
その言葉に、リンも小さく頷いた。
「精霊達も、あの炎に惹かれて集まってる……あの人は、ただの人間じゃない」
リンの目に、ほんの僅かだが紅い雷が走る。
彼女自身もまた、異なる何かに変わりつつあることを自覚していた。
「ドルン。私たちも、入るよ」
「白髪、お前に言われなくてもな」
そして、二人は戦場へと駆け出す。
エリオットという“核”を中心に、いま、新たな戦局が動き始めようとしていた。
*
ティリアが魔力の流れを精製機に注ぎ込んだ、まさにその瞬間だった。
ズルリ――と、影が揺れた。
「ッ……!」
セイロスの目に、かつてのあの一撃が蘇る。
レドに刺された、あの悪夢のような光景。
だが違った。
背後に現れた魔族は、ティリアに触れる前に
紅い雷に撃ち抜かれていた。
魔族は焼け焦げた呻き声と共に崩れ落ちる。
「遅れたわ」
その声に、ティリアは振り向く。
立っていたのは、リンだった。
「お姉様!」
ティリアの表情が、ほんの一瞬だけ子供のように綻ぶ。
「ドワーフの遺物が動いて、精霊が、それに魔族が、レドも、まだいるの!」
状況を早口に説明するティリア。その背後ではセイロスが肩で息をしながら魔力を練り直していた。
リンは一瞥で戦場全体を見渡し、ティリアの言葉を頭に叩き込む。
「……セイロスは無事、よかった」
安堵の声はほんの一瞬。
次の瞬間、リンの瞳は鋭く細められた。
「……じゃあ、“厄介な男”って誰のことよ?」
魔族が死に際に言った言葉が、脳裏に引っかかる。だが、リンはそれ以上考えるのをやめた。戦場において迷いは命取りだ。
「いい、ティリア。浄化をすればあの混じった魔族は何とか倒せる…でもここは精霊の跡が濃いだけでほとんどあの人へ集まってる」
「っなら!私精霊を呼べます!このドワーフの遺物で!」
「これ…」
ティリアが差し出した黒い箱の遺物に、リンはこれが魔族の言っていた精製機と判断する。
*
蒼炎と赤黒が衝突し、世界は灼け焦げるようだった。
エリオットの剣と蒼き炎が暴れ狂う魔族を押し返すたびに、地が裂け、空が揺らいだ。
人の国の王子にして、革命の象徴――その戦いは“孤高”そのもの。
誰も割って入れないはずだった。
だが、そこへ飛び込んだ男がいた。
地鳴りのような足音とともに、鋼の斧が魔族の横腹を叩き、レドの姿をした魔族が吹き飛ぶ。
「お前がエリオットか」
振り返ったエリオットは、泥と鋼をまとった小柄な戦士の姿を見て、わずかに目を細めた。
「君が“ドルン”か。名前は聞いてる。初対面だったな」
「奇遇だな。こっちも名前だけは知ってた」
ドルンは、あくまで敵から目を離さぬまま、斧を肩に担いだ。
「こっちはお前に聞きたいことがある。“放浪者”を見たことがあるか?」
「……ああ、ある」
その一言に、ドルンは鼻を鳴らす。
「やっぱりな。なら手を貸そう」
「…正直助かるよ」
エリオットは、再び剣を構える。
ドルンもまた斧を構える。
*
あの時の“浄化”は確かに通じた。
レドと魔族が混ざり合った異形は、浄化でなければ倒せない。しかしここ人の国ではヴィリスの森と違い、精霊の力が足りない。
「……数が、足りない……っ!」
リンが膝をつき、額から汗を垂らす。
精霊は応えようとしている。だがこの地の精霊は薄く、数も力も足りないのだ。
そのとき――ティリアの胸元で、ひときわ強い光が放たれた。
「精製機……?」
ティリアが呟く。精霊の源となる、古の遺物《精製機》が脈動していた。
紅く、眩く、静かに――だが、確かな意思をもって。
地に宿る“意志”が、リンの求めに応じて精霊を送り出そうとしている。
だが、それを許すほど敵は甘くない。
残された魔族の2体が、黒い瘴気を纏い、精製機を抱えるティリアへと突進する。
「行かせるかよ……っ!」
セイロスが魔力盾を前に出して立ちはだかる。その横にはセリス。魔法陣を重ね、雷撃と氷の魔法を交互に放ち敵の足を止める。
そしてドワーフ達も盾と斧を構え、小柄ながら揺るがぬ砦となる。
「時間を……時間を稼げ……!」
その戦場の中心、地を割るような音と共に、誰かの叫びが轟く。
「舐めるなァッ!!」
ドルンの一撃が、レドを地に叩き伏せた。
斧ではない。地を這う鎖と杭――ドワーフの秘術で構成された封印の術式が、レドの身体を地面に縫い付ける。
「動くな、混じり物……お前には“終わり”が必要だ」
レドの顔が痙攣し、苦悶と狂気の混ざった嗤いが漏れる。
「救いが……!」
「黙れ。救いってのは、生きる者が掴み取るもんだ」
ドルンの声は、怒りでも悲しみでもない。
それは門番として、終わらせる者の声だった。
精製機から生み出される高純度の精霊たちが、再び紅雷と交わる。その瞬間、戦場の空気が揺れ、浄化の刻が再び近づく――。