八崩賢 極致のシーア 作:蟲の月
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
「…………?」
舌足らずの無垢な声に意識を揺さぶられ、目を覚ます。
気が付いたら、木漏れ日が舞い込む森の中で空を見上げるようにして倒れていた。
ゆっくりと身体を起こそうとするも、そのちょっとした動作に鈍い痛みと鋭い痛みを感じて思わず声が漏れてしまう。
そうして身体に痛みが走った数瞬後に、今度は気怠さが身体中を支配した。
身体を動かす度に痛みが走る。身体中から血が抜けたんじゃないかと思うくらい力が入らない。
しばらくここで休息を取った方がいいか。ぼんやりと回らない頭でフリーレンはそう考えた。
「…………」
気を失う直前の事を何一つ思い出せない。
何一つ思い出せないが、それでも魔族を殺していたのだろうという事だけは何となく分かった。
最近は魔族を殺す以外の事をしてこなかったから。
私は、私は魔族を殺した後……何をしていたんだっけ。
「ねえ、だいじょうぶ?」
再び声が掛けられる。
重たい瞼を無理矢理開けて、痛む身体に鞭打って声が聞こえてきた方に顔を向けた。
そこに居たのは、小さな人間の子供だった。
決して綺麗とは言えない衣服に身を包み、色々な山菜が詰められた木箱を抱えている子供が、じっと私の様子を心配そうに伺っていた。
大方、ここに山菜を採りに入った際、ボロボロで倒れていた私を見つけてずっと声を掛け続けていたのだろう。
度重なる戦闘の疲労によって言葉を返すのも億劫だった私は、その子供の心配を瞼を閉じて黙る事で無視した。
こうしていれば、そのうち飽きてどこかに行くだろう。
「ねえ」
肌を撫でる穏やかな風が心地良い。木漏れ日から伝わってくる温もりに身を任せ眠る。
久方ぶりの休息は、フリーレンの荒んだ心を緩やかにほぐしていった。
どれだけ憎悪に身体を突き動かされようとも、どれだけ戦いに明け暮れていたとしても、心の安らぎは穏やかな時間の中でしか得られないのだ。
フリーレンが動くのも億劫になる程の疲労を溜めている事は、むしろ良かった事なのかもしれない。
身体が僅かでも動くなら、フリーレンは魔族を殺す為に這ってでも行動するだろうから。
満身創痍の状態になって、意識も朦朧としてようやくフリーレンは休む事を選ぶのだ。
しかしそれは休息と言うより、気絶と言った方が正しいのかもしれない。
身体中に刻まれたありとあらゆる傷がジクジクと痛みを訴えるが、フリーレンはもはや気にも留めていなかった。それを気にするだけの余力もなかった。
そのままぼーっと風に揺られる草花を眺めていると、ふと、身体をまさぐられる感覚が走った。
横を見てみると、さっきの人間の子供が私の擦り切れた皮膚に何かを塗り込んでいたのだ。
擦り傷が徐々に熱感を持ってくる。
ヒリヒリと沁みるような感覚がやってくる。
「……痛い」
「おくすり、ぬったげる!」
どうやらその子供は、フリーレンの傷だらけの身体を見て、自分なりに手当てしようと画策しているようだった。
幼い子供らしい拙い手付きで、フリーレンの傷口にすり潰した山菜を擦り付けている。
これはフリーレンの預かり知らぬ事だが、この子供の親がやっていた薬草を使った治療を、この子供なりに見様見真似で再現しているだけに過ぎない。
当然、そこに治療の効果など現れる筈もない。
それでも、フリーレンを治したいと願う気持ちは本物だ。
見る者が見れば健気だとも思えてしまう行動だろう。
しかし、その治療とすら呼べないただ"傷口にすり潰した山菜を擦り付ける"だけの行為を受けている当の本人からすれば、それはただ苦痛を増長するだけの物でしかなかった。
「はあ」
フリーレンは相手をするのも面倒だと言わんばかりに溜息を吐いて、その子供の手を気怠げに振り払う。
小さな手からこぼれた山菜が、虚しい音を立てて地面を転がった。
子供は目を大きく見開いて唖然としていたが、それを気に留める事もなくフリーレンは立ち上がろうとする。
このままここに居たんじゃいつまで経っても休めそうにないし、遠くまで出歩ける筈のない人間の子供がここに居るという事は、近くに人里が存在するという事でもあるのだ。
それは今のフリーレンにとって少々都合が悪い。
人類の全てがそうであるという訳ではないが、こういった閉鎖的な環境で暮らしている人類は総じて仲間意識が高い。
それは仲間同士で助け合うといった良い意味での見方も出来るが、逆を言えば仲間ではない者に対しては攻撃的になるのだ。
閉鎖された環境で過ごす人類は特にそれが顕著だ。
もし近くにある人里がそういった排外的な類の物だった場合、フリーレンは『人里に災いを齎す他所者』として有無を言わさず殺されたりするかもしれない。
実際、かつての同胞からそういった薄暗い話を聞かされていた事もあってか、フリーレンは人里に降りる事にあまり前向きではなかった。
「…………っ」
この場から離れようと足に力を込め立ち上がった瞬間、フリーレンの身体に鋭い痛みが走った。
胴体に信じられないくらいの違和感を感じ、そして走ったあまりの激痛に一瞬だけ息が止まる。
視界がぼやけ、脳みそは打撃によって揺らされた時の様に何も考える事が出来ない。
そのまま平衡感覚を失い頭から地面に倒れようとした時、突然柔らかい何かに抱き止められた。
怪訝に思ったフリーレンがその正体を確かめようと首を傾けるが、立ちくらみによる目眩と極度の疲労によって瞼が重く垂れ下がってくる。
徐々に落ちて行く意識の中、朦朧とするフリーレンが最後に捉えたのは慌てふためく幼い子供の姿だった。
◆
夢を見ていた。
かつての故郷の地。暖かな陽の下で、同胞達に囲まれながら静かに暮らすかつての自分を。
その輪の中心にいるのは私だ。
相変わらずの仏頂面で、何が楽しいのか分からないと言わんばかりの無表情を貫いている。
しかし、その佇まいから伝わってくる雰囲気は間違いなく喜楽の物だ。
何も知らずに呑気に遊んでいる私。
この世の理を何も理解出来ていない馬鹿な私。
それでも、この頃の私は間違いなく幸せだった。
無知とは罪であるが、だからこそ無垢でいられる。
知ってしまったらもう元には戻れない。
知りすぎる罠があるとも理解した。
ああ、見ろ。
平穏とは何よりもかけがえのない物なのに、その価値を知らないでただ消費しているだけの間抜けがいる。
そして終わりの見えない復讐の道に、右も左も分からないまま突っ込んでいく大間抜けの姿だ。
何の刺激のない日常でも、何の娯楽のない生活でも、安穏の日々がずっと続いてくれればそれで良かったのだ。
戦いとは無縁で、外の世界の事を何も知らない私だったからこそ、その道を選べたのだ。
今はもう、全てが遅い。
ふと、強烈な香りが鼻腔をくすぐった。
とてもクラクラする臭い。
横を見ると、驚くほど不味い酒が入った酒瓶を両手に持ち、切り株に腰掛けてぼーっと宙を見続けているミリアルデが静かに佇んでいた。
傷も汚れも何もなく、里に居た時と何も変わらない。
どこか儚さすら感じるミリアルデの佇まいは、本当に記憶の中の彼女そのものだった。
彼女は私の視線に気が付いたのか、顔をこちらに向けると手に持っていた酒瓶をそのまま流れるように差し出してきた。
私も、拒む事なくそれを受け取る。
暖かな陽の降り注ぐ里の中。
同胞と共に酒を仰ぐ。
不味い酒だと皆が笑う。
ミリアルデも優しく微笑んでいた。
『……フリーレン』
鈴を転がしたような彼女の声が、私の名前を呼んだ。
その花が咲いたような微笑みが、本当に美しかった。
その笑顔を。未来を。
奪ったやつがいる。
◆
望郷の念を抱きながら、ふと目を覚ました。
生暖かい物が目尻からツーっと溢れ、止まらなかった。
涙で満たされる目にまず飛び込んできたのは、見知らぬ天井だった。
ここが何処なのか思考を巡らせる前に、先程見た夢の内容がフリーレンの衰弱した心を襲う。
「……ミリアルデ」
目が覚めると、途端に恐ろしくなるのはどうしてだろう。
微睡みの中に幸福を感じるのはどうしてだろう。
今認識している世界が、本物だと理解したくないからだ。
幸せな虚構の世界に浸っていたいと思うからだ。
しかし、先程見た夢には全く心当たりがない。
私は、あんな経験をしていない。
あれは、私がこう在って欲しいと望んだ光景なのだ。
どこまで行っても、魔族に里を滅ぼされなかったらと想像した『もしも』の世界でしかないのだ。
あれが自らの作り出した偽物の光景だと理解していても、フリーレンはそれを振り払う事が出来なかった。
フリーレンの心は、未だあの夢に囚われたままだ。
「…………」
何だか、この先の人生を歩んでいくのが酷く億劫になってしまった。
いっそあそこで死ねたのなら、こんな辛く苦しい思いをする事もなかっただろうに。
もう何度思ったか分からない苦悩を無理矢理鎮めてくれるのは、その度に頭に過ぎるミリアルデの最後の言葉だった。
ーー貴方が一番若いからよ。
ーーえぇ、それじゃあねフリーレン。生きていれば、きっとまた出会えるわ。
私が死ぬのは、私を守る為に残ってくれたミリアルデの意に反する事だ。魔族を根絶やしにするその日まで、私が死ぬ事は許されないのだ。
溢れる涙を拭い、横たわっていたベッドから出ようと身体を起こした時、部屋の外からドタドタと拙い足音が近付いてくるのに気が付いた。
「あ、起きてる!」
「……お前。私にすり潰した山菜を塗りたくった子供だな」
乱暴に開け放たれたドアから飛び出してきたのは、私が気を失う前に出会ったあの子供だった。
どうやら私は気を失った後、この子供の住む家に運ばれていたらしい……が、それはそれで疑問が残る。
この子供の体格では、小柄とはいえ気を失っている私を一人だけで運ぶなんて出来やしないだろう。
では誰が私を運んだのか。それを考えるより早く、ドアの向こうから一人の男が入ってきた。
「おや、目が覚めましたか。山の中に傷だらけで倒れていたので何事かと思いましたよ」
「…………」
「体調の方は大丈夫ですか?」
一目見ただけで貧しいと分かる見なりの男だった。
顔中に刻まれた薄い皺。白色混じりの黒髪と、碌に洗濯されていないであろう薄汚れた衣服を身に纏ったその男は、起き上がったフリーレンを見るなり心配の言葉を投げかけてきた。
その言葉を受けて、フリーレンは言葉に詰まる。
目の前の男には悪意や邪念なんて物は一つもなかった。
この男が、ただの善意で私を助けたという事を理解したのだ。それはこの辺りに住む人間が排外的な連中だと決めつけていたフリーレンにとっては、とても予想外の出来事だった。
「……大丈夫」
どう返せば良いんだろう。
長い逡巡の後、フリーレンがようやく絞り出せた返答は、たったそれだけの物だった。
しかしそんなそっけない返答を受けたにも関わらず、目の前の男はただ優しく微笑んでいるだけで、特に気分を害したような様子もない。
その向けられる微笑が何だか居心地悪かった。
「もし何か欲しい物があれば遠慮なく言って下さい。ああ、後で包帯も巻き直しますから、その時に傷の具合も見ましょう」
「……いや、大丈夫。私はもう行くよ」
フリーレンはそう言って無理矢理会話を断ち切り、部屋から出ようと立ち上がろうとする。
この男と子供には助けられたし、その恩もある。しかし、人との関わり方が分からない私にはその恩をどうやって返したら良いか分からなかった。
だからこそ、こんなぶっきらぼうな言い方しか出来ない。
足に力を入れ、ベッドから立ち上がった瞬間、胴体に鋭い痛みが走った。あまりに鋭く、芯まで響く痛み。
胸の奥から込み上げてくる吐き気に耐え切れず、思わずえずいてしまう。そして吐き出された物を見て、固まった。
ドス黒い血の塊が、べちゃりと床に落ちたのだ。
「急いで傷の具合を見ましょう。横になって下さい」
「大丈夫だから」
「はやく」
その男は、有無を言わさずフリーレンをベッドに寝かせると、何処からか古びたボロボロの本を取り出し、何かを呟き始める。
すると、突然フリーレンの身体を包み込むように暖色系の淡い光が現れた。
突然の事に内心驚くフリーレン。しかしその感情は表には決して出ない。それはフリーレンが鉄面皮だという事もあるが、あまりの疲労にリアクションを起こす体力もなかったという事が大きい。
暖かな光はフリーレンのボロボロの身体を徐々に癒していくと、役目を終えたかのように虚空へ溶けていった。
「これは……女神様の魔法?」
「僧侶だった父から受け継いだ魔法の一部です。最も、私は傷を治すので精一杯ですがね」
そう笑いながら、男は答えた。
誰かに純粋な笑みを向けられるなんていつ振りの事だろう。この男の能天気でどこか間抜けな顔を眺めながら、フリーレンはそう思った。
それに、身体がとても軽くなっている。
魔法を掛けられる前と比べて、体調がすこぶる良い。
これなら、魔族を殺す為に今すぐにでも動けそうだ。
先程までと比べてクリアになった頭をフル回転させ、これからどうしようか思考を巡らせていると、ふと男に声をかけられた。
「貴方の身体に付けられたその傷……ただの魔物や獣に襲われたという訳でもないでしょう。あそこで倒れる前、一体何をしていたんですか?」
「別に、関係ないでしょ」
「関係ありますよ、あそこは私達の住む里からあまりにも近すぎる。もし、凶悪な罪人や強大な魔族がこの辺りを彷徨いていると言うのなら、私達は近くの里に助けを求めなければならない」
「……ここじゃない所で魔族を狩ってたんだよ。でも、この傷はその時付けられた物じゃない。もっと前に、別の魔族に付けられた傷だ」
「しかしその傷、未だに治っていないでしょう。私の魔法でも完治させるには時間が掛かるくらいの大怪我の筈です」
その男は、内側にも外側にもとんでもない損傷が刻まれている筈のフリーレンの胴体部を見ながらそう告げた。
この怪我は、あの時。あの場所で。
私を散々痛めつけたあの魔族に、思いっきり殴られた時に出来た怪我だった。
咄嗟に魔力を込めて防いだが、それでも全てを防ぎ切れた訳ではない。防御を貫いてきた衝撃がフリーレンの内臓を蹂躙し、千切れるほどに揺らさたのを覚えている。
燃え盛る里から懸命に逃げ出した後も、魔力を通しての治癒を何度も試みたが結局完治には至らなかった。
「むしろ、その状態でよく今まで動けましたね。既に死んでいてもおかしくない程の大怪我ですよ」
「…………」
「しばらくここで身体を労った方が良いでしょう。里の者達には話を通しておきますから、ゆっくり休んでください」
「……いや、私は今日中にはここを出るよ」
「正気ですか? その身体の傷は貴方の思っているより深い傷なんです。本当に今度こそ死にますよ」
「それでも、やらなきゃならない事が残ってる」
「そんなに身を削ってまで、一体何をしたいんですか?」
「私は、魔族を殺さなきゃならない」
「…………」
「魔族を根絶やしにする」
沈黙が辺りを支配した。
何かを言わなければならないが、しかし安易に口を開く事は躊躇われるという張り詰めた空気感だった。
騒ぐ事しか知らなそうな子供ですらも、固く口を閉ざしている。
そんな沈黙が部屋を支配し幾分が経った頃、男が静かに口を開きこう告げた。
「憎悪と狂気では、心を癒す事は出来ませんよ」
フリーレンは、そんなの至極当然の事だろうと思った。
当たり前の事を当たり前のように語るこの男に、一瞬だけドス黒い感情を抱いてしまう。
憎悪と狂気の中で正しく在れる奴なんて存在しない。
しかし、それでも。
それを心の支えにしなければ、前に進めないのだから仕方ないだろう。
あの
正しい事や綺麗事しか喋らない人間は中立に立っているようで、実は違う。そいつらは結局見ていないだけなんだ。
あの惨状を。
あの地獄を。
もしあの光景を目の当たりにしていると言うのなら、魔族に故郷をめちゃくちゃに荒らされた私にそんな事は言えない筈だ。
「随分と知ったように語るんだね。魔族に故郷を滅ぼされた訳でもないだろうに」
「健やかに生きよ。と聖典には書いてあります。復讐に生きる事が健やかに生きる事とは、私にはとても思えません」
「たった数分話した程度で、私の何が分かるの?」
「…………」
「魔族に目の前で同胞を殺される気持ちが分かる? 故郷を滅ぼされた時、私がどんな想いで逃げ出したか分かる? 例え泥水を啜ってでも、生に醜くしがみついてでも魔族を殺し尽くしてやろうって思ったんだよ。私は、魔族を殺す為なら何だってする」
「それでも、復讐に生きる事が健全だとは思えません」
ほら、出た。
ずっと同じ事を繰り返し言い続けている。
復讐に生きる事を許さず、泣き寝入りでいろと言うのだ。
結局、どこまで行ってもこいつらはそうなんだ。
自らが思う正しさを掲げて、その正しさの道から逸れてしまった者を異端だと罵り迫害する。
私が知っている人間は、そういうものばかりだった。
「はあ……もういいよ。私は行く」
「復讐に生きた人間の行き着く先は破滅です。もし、貴方が自らの在り方に少しでも疑問を持っていると言うのなら、最後に私の頼みを聞いていただけませんか」
正直、面倒臭かった。
話を無視して、すぐに立ち去るのが良かったのかもしれない。
ただこの男とどれだけ反りが合わなくとも、この男に命を救われた事だけは事実なのだ。
借りっぱなしというのは性に合わないし、後々これを理由に面倒事を吹っ掛けられても困る。
恩返し……と言う訳でもないが、その頼みを聞く事で貸し借りをチャラに出来るなら、聞くだけ聞いてみてもいいかと思った。
「……なに? 面倒だからさっさと言いなよ」
「この里の用心棒を少しの間だけ頼みたいのです。先日、何処からか飛んできた魔法の流れ弾によって里の戦士が一人死にました。この規模の里では一人死人が出ただけでも人が回らなくなる。近くの里から戦士が派遣されるまでの間だけ、この里を守って欲しいのです」
ああ、やはり面倒事だった。
里の戦士が死んだ事も、この里の事情もフリーレンにとっては全て瑣末な事に過ぎない。
それに用心棒を任されるという事は、最低でも数日間はこの里に拘束されるという事なのだ。
身体の傷を癒す為の期間だと考えれば都合は良いが、反りの合わない連中と数日間共に過ごすと考えるだけでかなり疲れてしまう。
まあ、でも。
命を助けられた借りを、たった数日里に常駐するだけでチャラに出来るのはむしろありがたいとも考えられるか。
「……いいよ。その頼みを受けるよ」
「ありがとうございます。ついでと言ってはなんですが、この里の子供に外のお話を聞かせてあげて欲しいのです。この里は娯楽が少なく楽しめる物が何もないもので」
「はあ……まあそのくらいなら」
「やったー! おねえちゃん遊んでー!」
今まで物言わぬ置物と化していた子供が、その男の言葉を聞いて満面の笑みを浮かべた。
そして次の瞬間、フリーレンの手を取って慌ただしく部屋から飛び出して行く。
子供らしく遠慮のない突発的な行動だったが、そこに邪気はない。あるのは純粋な好奇心と好意だけ。
フリーレンも、早速自らに課された役目を果たそうと渋々子供の後ろに着いて行く。
その顔からは、怪我や疲労による苦悶の色はとっくに消えていた。
◆
「ねえ、おねえちゃん」
「何?」
「おねえちゃんは何処から来たの?」
「……ここから遠く離れたとこだよ」
「なんでそんなに耳が長いの?」
「エルフだからね」
「魔物ってなに?」
「言葉の通じない猛獣だよ」
「じゃあ、あれは?」
「はあ……」
疲れる。
何で私がこんな子守りをしなきゃいけないんだ。
ここは人里の外。魔物や獣の闊歩する大自然の腹の中。
フリーレンは忙しなく動き続ける子供を連れ立ち、山菜を取りに山へと入っていた。
あの時簡単に子供の世話を引き受けなければと今になって後悔するが、それはもう後の祭りだ。
最初は、あの男にこの里の外の話を聞かせてあげてくれと言われたからそうしていたのだが、次第に外の話だけでは満足出来なくなったようで、私の事を根掘り葉掘り聞くようになってきた。
この子供は、さっきからずっとこんな調子であれは何だ、これは何だとうるさく騒ぎ続けている。
同族の間柄ならともかく、見ず知らずの幼い子供の扱い方など私が知っている筈もない。
正直なところ、もう参って来ていた。
「つかれたの?」
「……いや」
誰かにペースを乱されるなんていつ振りの事だろうか。
いや、そもそも。他の誰かと会話をする事自体久しくしてこなかった気がする。
この子供とのやり取りに何処か奇妙な懐かしさを抱いていると、またもや子供が元気に声をかけてきた。
「どうしてあんなボロボロだったの?」
「さあ」
「じゃあ、どうしてあんな所に倒れてたの?」
「さあ」
「もー! 真面目に答えてよ!」
「あぁもう。大人しくしてないとあの男に言いつけるよ」
「あはは! おねえちゃん怒った!」
「何がそんなに楽しいんだ……」
誰かに振り回される経験など本当に久しかった。
何色にも染まっていない無垢な眼差しを向けられるのも、邪気のない会話も何もかもが久しく感じられた。
暖かく心地よい風が肌を撫でる。
草木の揺れる耳触りの良い音を聞きながら、目を瞑る。
「おねえちゃん、寝てないで遊んでー!」
「寝てない……寝てないから揺らすな」
「暇だから構って!」
「なら頼まれた山菜でも取ってなよ」
「やだー!」
「はあ」
ずっと隣で喋り続けている子供を静かにさせる為、フリーレンは適当に笹舟を作って子供に向かって放り投げた。
うるさい子供を黙らせるにはおもちゃを与えればいい。
笹舟でも与えておけば、勝手に遊んでくれるだろう。
これで少しは静かになる筈だ。
私が子供の頃は、笹舟を川に流してずっと遊んでいたものだ。
些細な事から過去の自分を振り返っていると、ふと子供に服を摘まれた。
「何これ?」
「笹舟」
「こんな変なのじゃなくてちゃんとしたおもちゃがいい」
「あのね。笹舟は立派な遊び道具だよ」
「こんなのおばあちゃんくらいしかやらないよ」
「…………」
「ちゃんとしたおもちゃ作ってー!」
「それでいいでしょ」
「ちゃんとしたおもちゃが良い! 里の道具屋さんで売ってるから買ってきて!」
「何で私が……」
子供の遠慮のない言動に振り回され、翻弄される。
少し前までの自分からは想像も出来なかった事だった。
魔族に里を滅ぼされ、同胞を皆殺しにされ、挙げ句の果てに仲間を置き去りに逃げて来てしまった。
魔族を殺しても癒える事のない傷を刻まれてしまった。
なのに、自分は今こうして人の輪の中で生きている。
それが何となく不思議だった。
「買ってきてー!」
「分かった……分かったから」
再び、子供が騒ぐ。
いつもなら不快なだけの騒ぎ声。
私の心を酷く不安定にさせる無垢な声。
しかし、それでも温かみだけは感じていた。
人類の心にしか備わっていない、人類だけの想い。
その温かさは薬にもなるし、毒にもなり得る。
例え修羅の道へ堕ちるしかなくとも、人は人と人との繋がりでしか得られない物があるのだ。
改めて、隣で騒いでいる子供に目をやった。
初めて出会った時の不快感は少しずつ薄れ、いつの間にか微笑ましい物を見るような気持ちへと変化しつつあった。
その気持ちの変化に、少しだけ戸惑ってしまう。
魔族に強い恨み辛みを持つ私に、今更こんな純粋な子供の面倒を見切れるのか。もう一度上手く笑えるのだろうか。
ーー貴方が一番若いからよ。
彼女の姿を思い出す。
傷付き死に行くだけだった私を守る為、満身創痍ながらもたった一人で魔族に立ち向かった彼女の後ろ姿を。
仲間を見殺しにしてしまった私だけど、この子供の世話は何となく頼まれてやってもいいかと思えた。
フリーレン前奏久しぶりに読み返したんですけど良いですね、アウラの話が何度読んでもめちゃくちゃ面白い! 当然、前奏2も15巻も買います! あとはやく二期来い!