八崩賢 極致のシーア 作:蟲の月
「ッ……!?」
己の脳天目掛けて飛来してくる矢を、間一髪で躱す。
当たり前と言えば当たり前だが、彼らは俺を殺すという行為に一切の躊躇いも戸惑いもなかった。
ーーまあ、そりゃそうか。
彼らにとって魔族とは、殺されて当然の虫ケラ以下の存在でしかないのだ。害虫がどれだけ鳴こうとも、絆されることもなければ殺意が鈍ることもない。
現に、俺に向けて殺傷力の高い矢を躊躇なく放っているのが、その証と言えるだろう。
彼らの魔族に対する恐怖が痛いほど伝わってくるのだ。
俺にもその気持ちはよく分かる。
人とは起源の異なる系統樹を持ち、姿形があまりにも人類に似通っている割に、その在り様は生き物や人類としては異質極まりない。
しかしそれは、彼らが奴ら"魔族"を観察する時に、まず人として見ることから入ってしまうから起こる現象なのだ。
もし魔族の姿が最初から異形の怪物だとしたら、そいつに人間の倫理観を求めようだなんて思いもしないだろう。
怪物とは何だ? とある人形師はこう定義した。
ーー1つ、怪物は言葉を喋ってはならない。
ーー2つ、怪物は正体不明でなければならない。
ーー3つ、怪物は不死身でなければならない。
そんな人の理解の及ばぬ領域にいる怪物に、話が通じると思っている人間は居ないだろう。居るとしたらそいつはよっぽどの大馬鹿か、ド変態のどちらかだ。どちらにしろまともじゃない。
怪物ではなく、人の皮を被っているから騙されてしまうのだ。温もりのある人の形をした者に自らを委ねたくなる気持ちも分からなくはない。
そして人の姿をした怪物だと言う前提をした上で見ていても、見た目が人間というある種分かりやすい指標を持ち合わせている分、心のどこかで分かり合えることを期待をしてしまっているのかもしれない。
フリーレンのように、魔族を初めから言葉を武器とするだけの猛獣として見ていれば、奴らの言葉に惑わされることもないのだ。
そして今俺を追いかけてきている人間たちは、初めから魔族の言葉に耳を貸さず一方的に殺すことで、今まで自分たちの身を守り続けていたのだろう。
それが悪いことだとは思わない。
危険な魔物たちが跋扈する悪辣な環境の中で、考えて考えて考え抜いた結果、そういう結論に至ったのだろう。
むしろ、俺はその考えを好ましいものだと思っている。
どんな環境でも適応して逞しく生きていけるのが、人間の強みなのだから。
ヒュンヒュンと甲高い音を立てながら、俺のすぐ傍を何本もの矢が通り過ぎていく。
魔力を全身に回し、元の何十倍にも研ぎ澄まされ引き上げられた動体視力と身体能力を用いて、飛び交う矢の雨霰を躱していく。
へいへいへーい。そんなもんかい人間ども。
今の俺はどんな攻撃すらも軽やかに躱せるほどの身体能力を手にしているのだ。ふふ、まるで雑技団のように!
この俺を本気で殺しにかかるのなら、それこそ魔法かこの矢の弾幕の数十倍は持ってきて欲しいものだ。
彼らの攻撃には強く黒い感情を感じられない。
ーー焦り。
ーー恐怖。
それらの感情を以て俺を排除しようとしているのだ。
俺を恐れている奴なんかに恐怖など感じるはずもないし、俺を殺せるはずもない。
それに、これは良い機会だ。
この機会に、魔力の扱い方とある程度の魔法を試してみるとしよう! 俺の憧れるパワータイプに至るために必要なことだ。
実験台は追っ手の人間五、六人。
サンプルの数は少ないが、我儘は言ってられない。
木を軸に方向転換し、今まで俺を追いかけてきた人間たちの間に飛び込むように突っ込んで行く。
逃げていた魔族が急に向かってきたことに驚いたのか、人間たちの動きが止まる。動揺する気持ちも分かるけど、それは悪手だろう。
一番近くにいた人間の顔面に向かって、思いっきり拳を叩きつける。
殴り方も体の捻りも何も分かっていない素人同然の殴りであるが、それでも魔力を回すことによって身体能力を底上げしているのだ。並の人間では耐え切ることは出来ないだろう。
案の定脳漿をぶち撒けながら吹っ飛んで行くかつて人間だった物体が、さらにもう一人の人間にぶつかり木々を巻き込みながら彼方へと吹き飛んでいった。
その星と化した人間から飛び散った血が、頬に付着する。
ーードクン。
何かが脈打った。
体の芯から熱くなり、呼吸が早くなる。
謎の興奮が止まらない。
今にも踊り出してしまいそうな愉快な気分になる。
ーー何だ、コレは。
己の体に起きた急激な変化に、戸惑いを隠せない。
興奮のせいか、その原因が頬に付着した血液であることに気付くのに、だいぶ時間がかかってしまった。
頬に付いた血を拭い、試しに舐め取ってみる。
……これは。
美味い。
超、美味い!
完成された食事を摂った時の美味さとは違う。それは心の奥底から満足するような、生物として満たされていると感じる美味さだった。
肉体的に満足するのではなく、精神的に満足するモノ。
なるほど、ならばこれは魔族としての本能か。
己の中のどこか冷静だった自分が、そう結論を下した。そしてそれは間違ってはないだろう。
生まれて初めて感じる未知の満足感。
もっと、もっと欲しい! と強く思う。
それが人を殺すことへの欲求に繋がることだと分かっているのに、俺の身体はソレを求めて涎を垂らしているのだ。まるで犬だな、と思った。
俺の中身は人間だと言うのに、人間を殺して生き血を啜り、貪り食いたいと思ってしまうことを止められない。
でも、不思議と悪くない気分だった。
この欲求に身を任せてしまえればどれだけ楽になるだろう? どれだけ気持ち良くなれるだろう?
次に殺す人間の死体をどう愉しもうかと思考を巡らせていると、不意に胸元に鋭い痛みが走った。
ーー斬られた。
痛みが走ってからすぐに、冷や汗が出るほどの熱さが傷口を中心に駆け巡る。体温が上がるとかそういうものじゃなくて、灼熱の炎によって身を焦がされているような地獄の熱さだった。
刀で斬られた経験なんて一回もないけど、ただ斬られただけの痛みじゃないような気がした。
ハッとなって斬りかかってきた人間が構えている刀をよくよく観察して見ると、仄かに淡く光っている。
恐らく、何かしらの魔法によって刀を強化しているのだろう。だから斬られた時に変な感覚に苛まれたのだ。それが純粋な強化によるものなのか、退魔的なものなのかは分からない。
ーーま、まずいまずいまずい!
脳天からバケツの水をぶっかけられたように冷静になる。
今のこの状況。
敵は二人脱落したが、代わりに敵地のど真ん中で手傷を負い大きな隙を晒している。非常にまずい状況だった。
視界の端に仄かな光が輝くのが見えた。
目の前の人間が魔法のかかった刀を振り上げたのだ。
「お、お母さん……」
気が付いたら、俺の口からそんな言葉が漏れていた。
今の今までそんなこと考えてすらいなかったのに、自然と口から衝いて出たのだ。
「…………っ」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、敵の動きが止まった。
それは意識するのも馬鹿馬鹿しくなるほどの僅かな瞬間でしかなかったが、魔力によって身体性能を引き上げた俺にとっては十分すぎるほどの隙だった。
「騙されるなッ! そいつは魔族だ!」
「…………!」
仲間の一人が叫ぶが、遅すぎる。
喉の奥から迫り上がってきた血の塊を相手の顔に向かって噴き付け、視界を潰すと同時に前傾姿勢で走り出す。
前傾姿勢を更に前傾にし、蜘蛛の如き動き方で相手の包囲網から脱すると、体の傷を癒すために魔力を傷口に集中させた。
走り続ける中で、ふと口の中に鉄臭いものが入っているのに気付く。
血だ。
相手の目を潰すために使った己の血。
それをゆっくりと飲み込むも、先ほどのような高揚感は得られなかった。何故か? きっと何かが違うのだ。俺を高めるための"何か"が……。
「…………」
その"何か"なんてとっくの昔に気が付いている。
敢えて考えないようにしていたのは、俺の中の人間が抗っていたからか、それとも最後の一線だからか。
今は正直、どうでも良いと思った。
過去の俺が何者であろうとも今の俺が魔族なことに変わりはないし、今後永劫変わることはない。
これは生存の為の戦いなのだ。
そこに善悪の付け入る隙なんてない。
『古い感情が今を否定するなど、その方がずっと間違っていましてよ』
ふと、脳裏にある言葉の一節が想起された。俺の中の俺でない記憶が蘇る。
これは一体誰の言葉だったか。思い出せない。思い出せないけれど、今の俺の背中を押してくれる力強さをその言葉に貰った。
過去は過去なのだ。俺が人間として在ったのは過去でしかないし、今の俺と地続きで続いている訳じゃない。
その古い過去を顧みるのは良い、懐かしむのも良いだろう。でも囚われるのだけは絶対違う。
そうだ。何もおかしいことなんかじゃない。
俺は、俺は……。
ーー"魔族"。
今ようやく自覚する。俺は"魔族"だ。
生きる為に殺す。
魔法の為に殺す。
自らの為に殺す。
それらの為に、全てを殺す。
自分の為に殺すことは、何も悪いことじゃないのだ。
その為に、その為にも。
俺が魔族として在る為にも、まずは魔法を完成させなければ。
以前も魔法に対するモチベーションや愛着はあったが、今はそれがより深く広くなっている気がする。具体的には、もっともっと魔法の深奥までの理解が及ぶような気がするのだ。
魔力による傷の治療を終え、敢えてスピードを落とし追ってくる人間たちとの距離を自然に縮めていく。
斧、刀、弓矢、槍などの武器を携えた男たちがしつこく俺を追いかけるが、やはり人間の身か。息も絶え絶えで初めの頃よりも勢いが落ちてきていた。
このまま行けば逃げ切れるだろうが、それは魔法の完成と言う仕事が残っている今の俺には少々都合が悪い。
ーー仕方ないな。
もう少しだけ速度を緩めて、相手との距離を縮めなければ。
相手の様子を見ながら適度に距離を調整し、付かず離れずの距離を保ちながら疲労を溜めさせる。魔法を試す段階になって抵抗されても鬱陶しいだけだからだ。
俺史上初の本格的な魔法ということもあって、失敗するような要因は極力作りたくないというのもある。
それをしばらく続けていると、このままでは俺に逃げられると思ったのか、追手のリーダー格の男が息を切らせながら仲間に指示を飛ばしていた。
弓矢で射抜け、と。飛んでくる矢を躱すだけなら簡単に出来るが、もし矢を躱してしまったら今度こそ追うのを諦めてしまうかもしれない。
ーーはあ、死ぬほど嫌だけど矢を受けるかぁ……。
とある日向の分家の天才の気持ちが今ならよく分かる。
矢で貫かれる瞬間を今か今かと待ち続ける恐怖は、とても口で言い表せるものじゃない……もっともネジは避けられないから避けなかったので俺とはだいぶ状況が違うけど! それでも矢で射抜かれるのは共通している。こんな共通点嫌だ。
大男によって引き絞られ緊張を蓄えに蓄えた弦が、何だか死神の鎌に見えてきた……お、落ち着け落ち着け、頭と胸さえ守れば大丈夫だ。
肩越しに様子を伺い、相手が矢を放つ瞬間を見逃すまいと精神を研ぎ澄ます。矢尻がこちらを捉えうろうろと空をなぞっていると、一点に落ち着きその場に留まった。
狙いが付いた。
来る。
ビュンッ! と空を切る音が聞こえた次の瞬間、強い衝撃が身を穿つと同時に肩に鋭い痛みが走った。
痛みを通り越して、ひたすらに熱い。激しい熱としか表現出来ないその感覚は、抉ぐるようにして異物感と共に俺の中に入り込んできた。
ーー痛ってぇぇぇぇぇッッ!!??
あまりの激痛に思わず転ぶ。
砂利を巻き込むようにして倒れた体は、至る所に擦り傷や打撲を負ってしまった。
致命傷ではない。
致命傷ではないが。
死ぬほど痛い!
完全に忘れていたが、相手は刀に魔法をかけて俺を斬り殺そうとしてきた連中なのだ。矢に似たような魔法がかかっていても不思議じゃない。
想像以上の痛みに蹲っている俺のそばに、追手の人間たちが続々と集ってくる。
まるで蟻みたいだと思った。
蟻は獲物をバラして食糧にするために攻撃してくるが、それが通用するのは同じ昆虫の間だけだろう。
格上の生き物には通用しないし、逆に喰われて相手の糧になることだって当然ある。
今回はどうだろうか? 俺には彼等がただの蟻にしか見えない。足を少し動かせば簡単に潰せるように、俺が本気でやれば人間なんて一瞬で殺せるだろう。
魔族と人間の間にはそれほどの力の差がある。
彼等が大人しく引き返していれば、犠牲は二人だけで済んだのに。
いわゆる飛んで火に入る夏の虫ってやつだ。
村に被害を及ぼす魔族を排除しようと躍起になって、返り討ちに遭ってしまったら意味がない。これは犠牲を出してしまった以上後戻りは出来ないってやつなのだろうか? それじゃあどんどんドツボにハマっていくだけだ。
刀を振り上げ、槍の穂先を向け、弓矢を構えてこちらを睨みつける人間たちの姿が目に入った。
それに対応するように魔力を全身に漲らせ、魔法の発動の準備をする。
彼等は恐怖で顔を引き攣りながらも、その震える身体を理性で抑えつけ、一歩一歩ゆっくりと歩みを進めてくる。
ーー何故、彼等はこうも必死になっているんだろう?
ーー何故、彼等はここまで追い詰められて尚逃げないのだろう?
死の恐怖に晒され怯える彼等の姿を見て、ふとそう思った。
怖いなら逃げればいいのに。
嫌なら戦わなければいいのに。
何もかも捨てて、自由に生きればいいのに。
そこまで考えて、ハッとした。
これは人間にとっては生存の為の戦いなのだ。
大切な存在を護る為、そして未だ知り得ぬ未来を生き抜く為に。
かつての俺も共感したであろうその理由の為に、彼等は剣を振るいひたすらに歩き続けるのだ。
何故今までそのことを忘れていたのだろう。
もうその体験は出来なくとも、そう在った経験は持ち合わせているというのに。
その美しさこそが人間なのだ。
もはやその美しさに共感することも出来なくなった俺には、その輝きを取り戻すなんて出来やしない。
なら今の俺に出来るのは、この人間たちが美しく輝ける場を用意することだけだ。そしてそれを心に焼き付けよう。ずっと覚えていよう。
それがかつて人で在った俺が、人間に向けられる最大限の優しさなのだから。
以前よりもずっとずっと扱いやすくなった魔力を手繰り、体内に循環させて魔法の発動の準備をする。
イメージする。
力の極致へと到達し、立ち塞がる全てを破壊する己を。
その拳は森羅万象ありとあらゆるものを打ち砕き、隼すら霞んで見えるほどの健脚を持つ。
どんな神匠に鍛えさせた名刀でも俺の皮膚を破ることは出来ないし、魔法ですら俺の筋肉の一つ一つの細胞に喰らわれて無に返す。
筋繊維の一本一本が鋼鉄のワイヤーで編み込まれ、それを支える骨はまるで魔法のかけられた鉄杭のように大地に根付いて微動だにしない。
もう一度、深くイメージする。
記憶の中で、こちらに背を向け佇んでいる憧れの漢たちを。
ーー地上最強の生物。
ーー怪人を一撃でぶっ飛ばすヒーロー。
ーー伝説の超サイヤ人。
ーー世紀末覇者拳王。
ーー木の葉の碧き猛獣。
ーー十二の試練を突破したギリシャの大英雄。
俺も彼等のように強く在りたいと願う。
俺も彼等のいる高みに至りたいと思う。
以前とは比べ物にならないほど感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。何もかもが鋭敏になり思考がクリアでまとまっている。
振るわれる刀が。
突かれる槍が。
放たれる矢が。
全てがスローモーションに見え、途切れ途切れの壊れたフィルムを見ているようだった。何もかもがあまりに遅い。
これが、魔法……なのか?
魔力を回しながら動いていた時とは明らかに違う感覚だった。
でもこれは、まだまだ魔法としては未完の技術なのだろう。
今はそれで良いと思った。コツを掴んだというだけでも十分な成果なのだから。それに、未完ということは伸び代があるということ。
まだ骨組みの段階なのだ。肉付けはこれからの実験の成果によってやっていけば良い。
魔法の完成図を脳裏に浮かべ、思わずニヤニヤしてしまう。
これから完成されていくこの魔法があまりにも愛おしい。
もし魔法が人の形を成していたのなら、思わず抱きしめてしまいそうになるほどに。
期待を胸に、興奮を拳に。
その想いを力へと変え、目の前の敵に叩きつける。
「
槍の穂先を人差し指と親指で挟み込んでへし折り、そのまま流れるようにして槍の柄をこちら側に引っ張り込み、倒れ込んできた槍使いの人間の無防備な体に強烈な蹴りを叩き込んだ。
上半身と下半身がお別れした仲間を目の当たりにしショックを受けたのか、刀を持ったまま呆然と立ち尽くしている男の脳天に思いっきり拳を叩きつけ、地面の染みにさせる。
「く、来るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
形勢逆転。
一気に二人の仲間を殺されパニックに陥った弓矢を構えている男は、焦りと恐怖のせいで手元を狂わせながらも、俺に向かって一心不乱に矢を放ち続ける。
さっきよりも大分緩くなった矢の弾幕を低姿勢で駆け抜けながら躱しつつ、男の元へと突き進む。
「ひっ…………」
男は後退りし逃げようする。
その判断が早ければ、仲間も死なず犠牲も最小限で済んだかもしれないというのに。
矢の雨を掻い潜り男の元へ到達すると、低姿勢でその勢いのまま男の身体の下へと入り込み、首を下に捻ったあと思いっきり頭を上に振り上げて己の二本の角で相手の身体を串刺しにした。
「ぐっ……うっ! うぅっ……」
俺の角に貫かれた男は、しばらくの間ひっくり返った虫のように無駄な抵抗をしていたが、やがて呻き声も小さくなりそのまま俺の頭の上で力尽きた。
首を捻り、無駄に重い邪魔な男の死体を道端に放り捨てる。
ツーっと、生暖かい血が角を伝って俺の顔へと滴り落ちてきた。
血だ。
俺が殺した、人間の血。
それを見た直後、また言い表しようのない気持ちが俺の心中を支配してくる。
ーー気持ち良い。
ーー心地良い。
ーー満たされている。
ーー喰らいたい。
魔族の強い本能に飲まれ次第に耐えられなくなってきた俺は、そのまま死体の肉を喰い千切ると飢えた野良犬のようにがっつき始める。
血の酸味が癖になる。
パサパサした髪を血で無理矢理流し込む。
人肉のコリコリとした歯応えが堪らない。
煎餅のように噛み砕いて食べる骨のなんて素晴らしいことか。
ーーあぁ、この瞬間が一番生を感じる。
風呂上がりに飲む牛乳のような。
仕事終わりのビールのような。
そんなイベントの後の食事が一番満たされるのだ。
戦い終わって殺した人間の血肉を貪り食うのは、風呂上がりの牛乳と同じようなものなのでしかない。
無我夢中でただひたすらに死体を喰らい続けていくが、ふと疑問が思い浮かんだ。
俺を追ってきた人間たちのことだ。
そういえば彼等は五、六人はいたはず……。
俺が魔力で身体能力を強化して思いっきりぶん殴って塵にした人間と、それに巻き込まれて吹き飛んでいった人間。
そして今しがた星にした刀、槍、弓の使い手の人間の三人。
……五人だ。
もう一人は? 確か斧を持った男もいたはずだ。いつの間にか逃げていたのだろうか?
確かに俺は身体能力を高めるだけで、魔力探知といった索敵の魔法を使用はしていなかった。それでも五感も強化されていたから逃げれば気付くはずなんだけど……。魔法の実験に意識が向いていたから見逃したのかもしれない。
杞憂や考え過ぎで済ますには少し引っ掛かる。
ーーこれで討伐隊とか組まれても面倒だしなあ……。
もし斧の男が逃げているのなら、俺と言う明確な人類の脅威を野放しにはしないだろう。対魔族のスペシャリストなんかを呼ばれてあちこち付け回されても面倒だ。
ーーしょうがない、ぶち殺すか。
斧の男がまず真っ先に向かうとしたら、俺に襲いかかってきた奴らが住んでいた村だろう。
『いたぞ! コイツだ!』
『これ以上村に被害が及ぶ前に殺せ!』
『村にいきなり魔法を放つなんて、やはり魔族は低俗で卑劣で殺すべき存在だ』
『よくも俺の家族を……!』
俺に攻撃を仕掛けてきた連中が、最初に言っていた台詞を思い出す。
その台詞からして、俺がビーム魔法を暴発させた場所の近くに奴らの本拠地たる村があるのだろう。
ーーここからそう離れてはないな。
人間から逃げるために森の中を走り回ってきたが、今の俺なら一時間も掛からずその村に辿り着けるはずだ。
もし見つからなくても、その時は魔力探知の練習も兼ねてゆっくり探し出せばいい。
よし、決まりだ。魔法の練習がてら潰しに行くか! 何かしらの魔導書とかがあるかもしれないし、何より魔法の的になる人間が居るっていうのが良い。
血に濡れた口を死体の服で拭い、身なりを綺麗にすると早速身体に魔法を掛ける。
ーー次はどれくらい魔法の練度を高められるだろう?
ーーその村はどれだけの数の実験台がいるだろう?
これからのことを想像しただけでワクワクを抑えきれない。
食い散らかされた哀れで無惨な死体を捨て置き、魔法の練習場への歩みを進めていくのだった。