かつて「艦娘」がどこから来たのかを知る者は、誰もいなかった。
ただ戦い、ただ沈み、ただ祈られ――そして忘れられた存在。
けれど、彼女たちには始まりがあった。
人間が踏み込むべきではなかった領域、魂魄と呼ばれる“何か”を弄んだその場所に。
本章、物語はついに「久遠廠」の核心へと至る。
そこに眠るのは、始まりの記録。そして、失われたはずの“誰か”の声。
久遠廠の深部――そこは、まるで世界から切り離されたような場所だった。
崩れかけた通路を抜け、誰も踏み入れていない地下階層をひとり進む。瓦礫の山と化した壁面には、かつての設備や警告文が半ば朽ちて残っている。
明かりはない。非常灯すら死んでいる。私は携行ライトの明かりを頼りに、奥へ、さらに奥へと足を進めた。
02号の言葉が、まだ耳の奥に残っていた。
「ここから先は、私の仕事だ」
「03を……見つけて」
胸が締め付けられる。彼女は、まだ戦っているのか。いや、もう――
足を止めると、湿った空気の中で、自分の呼吸だけがやけに大きく響いた。
やがて、一枚だけ“新しい”ドアが現れた。鉄製、セキュリティロック付き。周囲の崩壊ぶりとは不釣り合いなほど無傷だ。
「……ここだけが、保たれている?」
私は戸惑いながら、02号から預かったバッグを探る。書類、ファイル、記録媒体――そして、小さなIDカードがひとつ。
試す価値はある。
カードを差し込むと、短い電子音とともに、ロックが解除された。
鈍く重い音を立てて扉が開く。
そこは――異質だった。
外の世界と完全に断絶された空間。湿度も温度も、まるで“維持され続けている”かのようだった。
部屋の中央、霧のような冷気に包まれて、ひとつのカプセルが置かれていた。
透明なガラス。その向こうに、少女が眠っていた。
冷却処理。保管カプセル。明らかに、ここは**“封印された保存室”**。
私は歩み寄り、名札を確かめた。
「試作個体 00号」
「識別未定 / 特殊管理下」
胸の奥で何かが警鐘を鳴らす。
何か、決定的なものが、今ここで目を覚まそうとしている。
そして――
カプセルの中の少女が、ゆっくりと瞼を開いた。
「……あなた、“外”から来たのね」
その声は、あまりにも自然で、静かで、どこか懐かしい響きを持っていた。
少女は、静かに身を起こした。
凍結処理を受けていたはずの身体が、まるで自然に目覚めたように動いている。
呼吸。目の動き。視線の合い方――それらは明らかに「正常」だった。
「……名前は?」
私がそう問うと、彼女はわずかに首を傾げた。
「与えられたのは、“00号”。それ以外は……もう、思い出せないわ」
「君も、試作群……なのか?」
「ええ。でも、私は少し“特別”だった。生まれる順番でも、役割でもなく――“構造”そのものが、違っていたの」
構造。
その言葉に、私は手帳を開き、今までに得た記録をめくった。
【00号:適合。行動試験へ移行。人格安定率72%。】
【人格構成特異。移送済】
この“特異”という語が、何を意味するのか。
私は彼女に向き直り、問いをぶつけた。
「……どうして、君だけがここに?」
00号は、少しだけ目を伏せた。
そしてぽつりと、語り始めた。
「私ね……“魂魄転写”じゃなかったの」
「え?」
「私だけは――“魂そのもの”を、生きたまま移された」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「つまり、私の“前の肉体”は、ここで殺されたの。
魂だけを取り出して、別の躯体に入れる。
それが、この体」
それは、試作群の中でも極めて異例な措置――
文字どおり、“本物の人間の魂を”そのまま移植するという方法。
「私の人格安定率が高かったのは、きっとそのせい。記憶も感情も、自我もあった。……だから、私は命令に従えなかった」
彼女の声は、淡々としていたが、その奥にある傷は深い。
「私は問うたの。“なぜ私は艦娘にならなければならないの?”って。
でも、返ってきたのは無言の命令と、薬と、封印だったわ」
「それで……ここに閉じ込められた?」
「ええ。“計画の根幹を揺るがす失敗作”としてね」
私は言葉を失った。
目の前の少女は、言うなれば「人であろうとした艦娘」だった。
だが、それゆえに排除された。
「君は……ずっとここで、一人で……?」
「違うわ。一度だけ、“会った”のよ」
彼女は、遠くを見つめるように呟いた。
「03と。彼女は、転写直後に私の部屋に来た。
まだ言葉も不安定だったけど――私の目を見て、こう言ったの」
>「……わたし、知ってる。あなたも、わたしと同じだ」
「それが、唯一の記憶。
でも、私にはわかる。03は……きっと今も、どこかで生きている」
私は、ごく自然に問いを返していた。
「じゃあ……君は、これからどうする?」
しばらくの沈黙の後、彼女は答えた。
「私も行くわ。この施設の奥には、**“03の行動記録”**が残されているはず。
私たち試作群の“終わり”と、“逸脱”の真相もね」
その目に、覚悟の光が宿っていた。
私は深く頷き、ライトを掲げた。
「じゃあ、行こう。君と03、そして02――
そのすべてを知るために」
私は、00号の案内で廃棄された管理棟の奥へ向かっていた。
彼女の足取りは迷いがなかった。まるで、すべてを覚えているかのように。
「この通路の先。記録室があるはず」
久遠廠の構造は迷路のように入り組んでいたが、00号の記憶は鮮明だった。
彼女は、今もこの場所に“留められた”まま、時を超えて生きていたのだ。
私たちは錆びついた扉の前に辿り着く。
「開けていいか?」
「……ええ。きっと、その中に」
私は扉の取っ手に手をかけた――そのときだった。
「止まって」
00号が囁いたと同時に、耳にかすかな振動が走る。
廊下の奥、視界の端――何かが動いた。
「……また、来たか」
金属音。床を擦るような、無機質な足音。
闇の中から、再びあの“無表情な少女たち”が現れる。
かつての新型艦娘――いや、今やそれはただの監視兵器だった。
「任務再開。記録室侵入者、排除対象」
機械のような声。自我を感じさせないその響きに、私は戦慄する。
「数が多い……」
「大丈夫。ここは、私の記憶にある“封鎖機構”がまだ生きているはず」
00号は壁の非常装置に手を伸ばし、カバーを外すと、内部の手動レバーを一気に引き下ろした。
――ゴウン、と重たい音。
天井が落ち、分厚い防壁が通路を遮断する。
「少しの時間しか稼げない。急ぎましょう」
私たちは記録室に駆け込み、扉を閉じた。
古い防爆扉が重々しく閉まり、外の世界を遮断する。
室内は予想以上に広く、壁一面に記録棚が並んでいた。
その奥に、鍵付きの鉄製キャビネットが一つだけ鎮座している。
「これ……!」
私はキャビネットをこじ開け、内部の書類に手を伸ばす。
最も奥に、一冊だけ異質なバインダーがあった。
《極秘記録:03号個体経過観察》
ページを開いた瞬間、私の喉が鳴る。
【03号:識別初期より自律傾向強。人格形成後、命令に従わず隔離措置】
【02号との接触記録あり。短時間ながら“対話成立”】
【魂魄転写後の初期段階において、“既知情報を保持していた形跡”。転写前の記憶干渉が不完全だった可能性】
【逸脱の危険性高。施設外移送中に所在喪失】
【所在:不明(記録抹消)】
「……やっぱり。03は、最初から“知っていた”んだ」
00号は静かに言った。
「だから、彼女は私を“同じ存在”として認識したのね……。
私たちは、最初から“兵器じゃなかった”。ただ、“そう造られた”だけだった」
ファイルの最後には、暗号化されたログの一部が添えられていた。
その一節だけ、私の目に焼き付いた。
【“我々は神の領域に踏み込んだ。03号は、その代償かもしれない”】
私は深く息を吐いた。
「……この記録、外に持ち出せる?」
「ええ。必要なら私も同行する。
私たちのことを、誰かが“記す”ことに意味があるなら」
私は頷いた。
「行こう。この真実を世に出すために。そして……」
言葉を切る。00号が続きを囁いた。
「そして、03に――もう一度会うために」
読了ありがとうございます。
本章では、これまで断片的に語られてきた「艦娘計画の起源」や「試作群」の詳細、そして“03号”の存在がついに現実味を帯びてきました。
この物語の中で、艦娘という存在は単なる兵器ではなく、「人のかたちを与えられた責任」そのものとして描いています。
特に00号と03号の存在は、「人であろうとしたもの/人であることを知ってしまったもの」として、今後の展開の鍵を握ります。
次回、記録室の扉の向こうに“何”がいるのか。
どうか、最後まで見届けていただけたら幸いです。
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