とある艦娘の願い   作:渋谷千立

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声は聞こえていなかった。けれど、そこには確かに「呼びかけ」があった。

久遠廠で得た記録は、ただの数字や報告ではない。
それは、失われた存在が残した「意志」そのものだった。

03号。

彼女は、まだこの世界のどこかにいる。
いや、もしかすると……この世界の“外側”に、いるのかもしれない。


彼女が見た海

地下施設の探索は続いた。私は壊れかけの端末や収容者の記録を見つけたが、その記録には明らかな齟齬があった。03号が収容されていたはずの期間と、彼女が脱出したとされる時期がかみ合わないのだ。管理側は03号の逃亡を意図的に隠蔽していたのかもしれない。

 

その中の一つの端末は、かすかにまだ通電していた。慎重に操作すると、画面に断片的なログが映し出される。

 

【収容個体:03】

状態:覚醒処置完了(記録時刻 〇月×日)

観察指標:不安定反応・低体温・言語反応異常

命令系統:応答せず(システム外部処理)

 

数行の記録の後、突然黒く塗りつぶされた部分が続く。明らかに誰かが消した記録だった。しかし別のルートにバックアップされたログには、こうあった。

 

【封鎖指令:未実行】

【警告:個体の位置情報取得不能】

【備考:監視映像記録 消失】

 

「脱出は偶然ではない。これは黙認か、あるいは拒絶だったのか」

私は喉を鳴らし、さらに施設の奥へと足を進めた。

 

そこにあったのは使われていた収容室。だが一室だけ異様な静けさが漂い、壁には鋭利なもので削り込まれた言葉が刻まれていた。

 

「ここは偽りの海。

呼ばれたのは、私たちの方だった」

 

思わず後ずさる。誰かに見られているような、冷たい視線を感じた。

「……お前は何を知っていたのだろう」

声は誰にも届かず、ただ自分自身に問いかけるだけだった。

 

その時、背後の棚が軋み、埃まみれの箱の中から一本のカートリッジ型映像デバイスが現れた。

私はそれを手に取り胸に抱く。

ここにはまだ、“彼女”の痕跡が確かに残っている。

そしてそれは、この世界が隠したがる真実を孕んでいた――。

 

 

 

私は手にしたカートリッジ型映像デバイスを慎重に再生した。古びたモニターに映し出された映像は、ざらつきの中にかすかな命を宿していた。

 

画面の中で、03号が静かに座っている。表情はどこか遠くを見つめているようで、時折、目線を動かしながら何かと交信しているかのようだった。言葉は聞き取れないが、その唇の動きや呼吸のリズムから、必死に何かを伝えようとしているのが伝わってきた。

 

周囲には機械音が響き、センサーやモニターの光が淡く点滅している。だが、03号の視線はいつしかモニターの外、こちらに向けられているように感じられた。

 

「…お前は、どこにいる?」

私は思わず声に出した。

 

画面の中の彼女は、小さく首をかしげ、まるで答えるように言葉を紡いだ。

「ここは偽りの海…呼ばれたのは、私たちの方だった」

 

その瞬間、映像は乱れ、画面は静かにブラックアウトした。

しかし、私の胸の中には確かな覚悟と、03号とのつながりが刻まれていた。

 

これは単なる映像ではない。これは叫びであり、訴えだ。

私はこの声を無視できない。

 

03号の真実は、まだ終わっていない。

 

 

 

私は手に入れたカートリッジを手に、専門家のもとを訪ねた。

飯塚蓮――かつて艦娘技術開発に関わり、現在は研究職からも身を引いている人物。

再会した彼は、私の話を黙って聞き、そしてこう言った。

 

「……見せてくれ。その子が残した“声”を」

 

彼の工房には、旧軍時代の通信機器や解析装置が埃をかぶって並んでいた。

埃を払いながら、彼は慎重にカートリッジを読み込み始める。

 

低く唸る駆動音と共に、映像が再生された。

 

映像には、03号と思しき少女の姿が映っていた。

彼女は施設の一角で、なにかに向かって語りかけている。

その声は独り言にすら聞こえるが、語り口は、まるで“応答”を受けているかのようだった。

 

「私は聞こえる。あなたは……まだこちらにいるのでしょう?」

「この身体は、誰のもの? “記憶”は、どこからきたの?」

「私を呼んだのは、あなたたちじゃない……海が、私たちを選んだ」

 

背景には、軍用施設には不釣り合いな巨大な水槽のような構造物が映り込んでいた。

そして、ノイズの隙間に、微かに聞き取れる異音――潮騒とは違う、何かの鼓動のような音。

 

「……これ、“深海棲艦”の共振波と似ているな」

 

飯塚が画面を一時停止し、背景の構造を拡大する。

モニター上に浮かび上がったのは、かつて南方拠点で使用されていた第零接続実験区画と酷似した施設の断面図だった。

 

「ここ、どこだ?」

 

私が問うと、飯塚は一枚の古い地図を広げた。

そこには赤いペンで丸がつけられた地名がある。

 

「観月湾(かんげつわん)」――かつて非公開実験が行われた試験海域。

 

再生が終わる直前、03号がカメラの向こうをじっと見つめた。

その目には、やはり“意志”があった。

何かを見つめ、何かに応えようとする、深い静けさと決意。

 

「……私たちは、呼ばれたの。

偽りの命から、ほんとうの“海”へと」

 

飯塚は映像を止め、私に言った。

 

「彼女は……きっと“あちら”と繋がっていた。

人が立ち入ってはならない境界に触れた者だけが、こうなる」

 

私は頷いた。

そして決めた。

 

次は「観月湾」だ。

 

 

 

私はカートリッジをバッグに収め、飯塚の工房を後にする。

外は、もう夜の帳が下りていた。

けれど、不思議と暗くは感じなかった。

 

私は今、03号の残した「意志」と共に歩いている――

そう確信していた。

 




「私たちは呼ばれた」――その言葉が、何を意味していたのか。

彼女は命じられて目覚めたのではない。
命令に従うのでもなく、何かを拒絶し、あるいは応えるようにして、
ひとり目を覚ました。

次なる地、「観月湾」。
そこには、03号が最後に見た「海」があるのかもしれない。

……そして、彼女が向き合った何かが。

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