とある艦娘の願い   作:渋谷千立

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観月湾の地下施設に残された記録と、無言の痕跡。
破壊された扉、壊れた機器、だが記録上は「何も起きていない」。

03号は、逃げたのではなかった。
むしろ――呼び戻されたのだ。

境界に立たされた彼女の足跡をたどるうちに、
主人公自身もまた、その“境界”の声に触れていく。

偽りの命の向こうにある、もう一つの「海」。
18話、開幕です。



あわい

観月湾の地下施設。

そこは“廃棄されたはず”の記録が、確かに今も稼働していた。

 

私は、03号が“姿を消した”とされるこの場所に残された記録と痕跡をひとつひとつ検証していた。

 

──だが、妙だった。

 

彼女が脱出したとされる施設には、確かに破壊の跡があった。

割れた警告灯、引き裂かれた扉、破損した観測機器。激しい何かが起きたことを物語っていた。

 

……にもかかわらず。

 

管理記録には、一切の異常が記録されていなかった。

 

廊下の防護扉はログ上では一度も開閉されておらず、監視システムには“異常なし”のフラグが並んでいる。

観測端末も“正常稼働中”と表示されたまま。

 

物理的な破壊と、デジタルの記録が食い違っている。

まるで誰かが、03号の脱出をなかったことにしようと、後から書き換えたような不自然さ。

 

「……違う。これは、脱走じゃない。そう“見せかけられた”だけだ」

 

私は手元の端末で記録の断片を呼び出す。そこには、ある日を境に、03号の記録だけが突然“更新停止”となっていた。

 

それは、彼女が“消えた日”ではない。彼女が“戻った日”なのではないか?

 

その考えが、胸の奥でひどく冷たい実感として広がった。

 

03号は逃げたのではない。

 

──呼ばれて戻ってきた。

 

だからこそ、誰もそれを「脱走」として記録せず、記録そのものを消した。

 

そして、その「呼び声」が、どこから来たのか。

 

私は03号の最後の映像を再生する。

 

暗い液体の中、彼女は何かに耳を澄ましながら、静かに唇を動かしていた。

 

「……呼ばれたの。

偽りの命から、ほんとうの“海”へと……」

 

彼女は、深海棲艦ではない。

 

けれど、艦娘でもなかった。

 

──その境界にいた。

 

そのとき、私の端末が微かに振動した。

 

記録媒体の残骸から復元された通信ログの断片が、別ファイルとして自動抽出されていた。

 

そこには一文だけ、こう記されていた。

 

【通信プロトコルB7-改:成立】

【音響共振帯域にて識別信号確認】

【対話対象:C03──応答中】

 

誰かと通信していた。

いや、“何か”と。

 

私はそのログを保存しながら、静かに問いかける。

 

「……お前は、あちらと繋がっていたのか?」

 

画面の中の03号が、まるで応えるように一瞬だけこちらを見た。

あの視線は、もう人間のものではなかった。

けれど、そこには確かな意志があった。

 

そして私は、唐突な違和感に気づく。

 

この施設全体に、不自然な“静けさ”がある。

 

空調も止まっていた。稼働していたはずの自家発電も、今は完全に沈黙している。

 

映像装置だけが、一時的に通電していたのだ。

まるで、誰かが私にだけ“見せる”ために起動させたかのように。

 

誰だ?

なぜだ?

どこまでが仕組まれ、どこまでが本物なのか。

 

私は通路の奥で、壁に彫られた文字を見つけた。

 

「ここは境界の海。

境界の者たちは、忘れられる」

 

それは、03号の手によるものだったのか。

それとも、もっと前からここに存在していたのか。

 

私にはわからない。

 

けれど私は、ここで“何か”が起きたことだけは確かだと感じていた。

 

そして──その“何か”は、私を待っている。

 

 

 

私は深く息を吐き、手にした端末を見つめた。そこにはまだ、読み込まれていないデータ群があった。

その一つに「観測記録:最終接続」のラベルがついていた。

 

指先でそれを選択すると、画面が暗転し、しばらくして粗い映像が再生された。

 

映像の中で、03号が静かに海面に立っている。

そこは施設の外、観月湾のさらに奥にある洞窟のような場所だった。

彼女の足元には波紋が広がっていた――しかし、海はそこに“実在”しているようには見えなかった。

 

まるで、現実の層が剥がれ、別の“何か”が滲み出ているような、そんな風景。

 

彼女は、誰かと“会話”していた。

いや、正確には――“対話”していた。

相手の姿は映っていない。けれど、その場の空気が、確かに“応答”の存在を示していた。

 

そして、言葉が音声として再生された。

 

「……あなたは、まだ此方にいるの?

偽りの海に囚われたまま……」

 

「私は行ける。向こうへ、還れる。

あなたがそう望んだのなら、連れていく……」

 

その瞬間、映像が一瞬だけ乱れ、ノイズの合間からもうひとつの音が紛れ込んだ。

低く、地の底を揺さぶるような音――それは、深海棲艦の共鳴波に酷似していた。

 

けれど、まったく同じではなかった。

人の声に似た、意思を帯びた「応答」。

 

飯塚が言っていた。

「境界に触れた者は、向こうに呼ばれるようになる」と。

 

これは、03号が“向こう”と繋がった瞬間の記録だったのかもしれない。

 

私はその場に、ぽつんと立ち尽くす。

施設の空気は冷たく、海の匂いすらしなかった。

あるのは、奇妙な“無”の静寂。

 

そこに残された痕跡たち――

記録、映像、03号の視線、そして、彫り込まれた文字。

 

「境界の者たちは、忘れられる」

 

それは警告か、それとも願いか。

03号は、何を望んで“戻ってきた”のか。

 

そして、彼女は今、どこにいるのか。

 

そのとき、私の視界に異変が起きた。

 

廊下の奥、封鎖されたはずの扉が、ひとりでに開いた。

そこから、微かに光が漏れている。

 

私は吸い寄せられるように、歩を進めた。

そこには、さらに深く続く地下通路があった。

 

そして、その入口にだけ、何者かの手で記されたような一文が残されていた。

 

「――ようこそ、“あわい”へ」

 

その言葉が、どこか懐かしく思えた。

 

胸の奥で何かが脈打つ。

記憶の奥底に沈んでいた、あの感覚――

 

私もまた、“呼ばれている”のかもしれない。

 

私は光の向こうへと、歩き出した。

 

次の場所へ。

03号の声が導く、その“境界”のさらに奥へ。

 




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第18話では、03号という存在の立ち位置が大きく揺らぎはじめました。

「艦娘」と「深海棲艦」の境目、あるいはどちらにも属さない“第三の存在”。
そのあり方は、作中世界の倫理や構造を根底から問い直すものになりつつあります。

また、本話を通して「記録」と「現実」の食い違いが強調され、
観察する者・記録する者・そしてそれを読もうとする主人公の視点すら、
あやふやな“認識の揺らぎ”に巻き込まれていきます。

次話では、いよいよその境界の“向こう側”に踏み込む時が来ます。
どうぞ最後まで、お付き合いください。

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