やがて“艦娘”という存在の根源と向き合うことになる。
忘れられた記憶。沈んだ願い。語られなかった声。
そして、自らの過去さえも、誰かによって封印されていたことに――
境界の海へと、今、すべてが沈み始める。
地下通路の奥へと進んだ私は、やがて奇妙な構造物の前に立っていた。
腐食した金属のアーチと、朽ちた制御盤。だがその中心にあるドーム状の部屋だけは、時間の流れから切り離されたかのように、静かに、確かに“保たれて”いた。
私は制御盤に触れ、起動シーケンスを試みる。
微かな音。古いシステムが、わずかな命を取り戻す。
やがて中央の円環スクリーンが点灯し、モノクロの光に満たされた空間に“記録された誰か”の姿が浮かび上がった。
それは、03号だった。
だが今までの映像とは異なる。これは、単なる監視記録ではない。
彼女の“内面の記録”――魂魄の深層に刻まれた、記憶の残滓。
音声はなかった。だが、感情が伝わってくる。言葉の代わりに、感覚が流れ込んでくる。
私は思わず手を伸ばす。
画面が揺れ、視界が“沈む”ように切り替わる。
そこは、海だった。
現実の海ではない。光のない、重い水に満たされた、深層の“記憶の海”。
その中に、少女が立っていた。
03号――いや、彼女の記憶が形成した“残像”。
彼女は一人ではなかった。暗い海の奥から、何かが浮かび上がってくる。
それは、人の形をしている。だが、目がない。輪郭があいまいで、声もない。
それが深海棲艦だった。
──違う。
正確には、“深海棲艦”と呼ばれる、艦の記憶の亡霊。
失われた艦。沈んだ歴史。名も知られず、誰にも祈られなかった存在たちの、憎しみと渇望。
彼女は、その声を受け取ったのだ。
「……あなたたちを、忘れたくなかった」
03号の想念が、私に伝わってくる。
艦娘は、そうした記憶から“再構成”される存在。
だが、すべての記憶が“救われた”わけではなかった。
拒絶されたもの。認識されなかったもの。戦争の影に埋もれたもの。
それが深海棲艦として、もう一つの“形”を得た。
つまり──艦娘と深海棲艦は、同源。
その矛盾の間に立つ者が、03号だった。
艦娘でありながら、深海棲艦の声を聞く者。
だからこそ、彼女は“境界に留まった”。
深海棲艦になることを拒み、艦娘としての枠にも留まらなかった存在。
「私を見つけて。私はここにいる。あなたも……」
その言葉の続きが届く前に、視界が震えた。
海が砕けるように崩れ、映像が反転する。
私は制御室に戻っていた。
胸の奥が熱い。何かが、目覚めかけている。
手元の端末に、新たな記録ファイルが浮かび上がる。
【接触記録-00:最終行動記録】
それは、00号が名残町の倉庫群で“消える”直前の記録だった。
傷つき、満身創痍で、敵の影を引きつけながら、彼女はある端末にデータを託していた。
「……これでいい。彼が、彼女を見つける。
そうすれば、きっと未来が……」
の最後の映像に、彼女の背中が映っていた。
立ち去る直前、こちらを振り返る一瞬。
微笑んでいた。
それは、安堵の笑みだった。
私は、しばらく動けなかった。
そして、その記録の最終フレームで、一枚の静止画像が表示された。
それは──過去の写真。
子供の私と、まだ名前のなかった艦娘たち。
その中に、03号も、そして00号もいた。
「……私は……ここにいたんだ」
声が震える。記憶が揺らぐ。
忘れていたのではない。忘れさせられていた。
私は、艦娘たちの“外部交流者”だった。
艦娘の精神調整実験、その補助者。
03号の記憶が、私を覚えていたのだ。
だから呼ばれた。だからここに導かれた。
この記憶の奥底へ。
“あわい”が、私を受け入れつつある。
03号はまだ、この先にいる。
私はその声に応えるように、静かに立ち上がった。
そして、次の扉を開いた。
そこは、もう“現実”ではなかった。
曖昧な輪郭。時間の感覚が曇り、波の音も風も、すべてが“こちら”ではないものに変わっていく。
けれど私は、恐れていなかった。
これは帰還ではない。再会なのだ。
彼女と。そして、かつての自分と。
私は歩き出す。
忘れられた者たちの声が導く、その境界の、さらに向こうへ。
扉の先には、さまざまな機器が並んでいた。
「ここまで来てしまったのですね。」
背後から声が聞こえ、私は振り向いた。
「君は…坂巻さんの…」
「お久しぶりですね、記者様。」
そういう彼女の目は、無機質に私をとらえていた。
「私を、消しにきたのか?」
「いいえ。対話しに来たのです。」
「対話?」
「はい。現在03号の意識が我々に強く介入し、あなたに危害を加えることが不可能となっております。」
「介入?」
「03号の意識は、すべての艦娘に、薄く、ですが確実に遍在しています。あなたがここに来てから、介入が強くなっています。そのため、あなたの処理を一時中断、対話による問題の解決を求めます。」
「問題の解決?」
「はい。あなたに情報を開示することで、情報の拡散を控えさせることが目的です。真実は、表に出るべきでないものです。すべてを知れば、あなたも考えを改めることでしょう。質問を開始してください。」
「君は何者だ? 今まで襲ってきた個体とは、少し…違う気がする。」
少女は一瞬だけ首を傾げた。
「私は上位個体として作成されました。監視・観察任務に特化したタイプです。感情抑制機能の一部制限が、解除されています。」
「解除?」
「ええ。坂巻の監視には、突発的な対応力と柔軟な判断が必要だったのです。ですから、こういった表情も――」
そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。
一瞬のことだった。頬の筋肉の動き、目元の柔らかさ、口角のわずかな上がり方――
人間の、それも訓練された秘書か交渉官のような、“慣れた”笑顔。
だがその後、彼女の顔はすぐにまた無機質な仮面に戻った。
「……どうでしたか? “好ましい対応”でしたか?」
それは、まるで“感情”を模倣するプログラムの動作確認のようだった。
私は、ゆっくりと口を開いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第19話では、03号の「記憶の残滓」、そして00号の最期の想いと共に、
「艦娘と深海棲艦」というこの作品の根幹に触れる真実を描きました。
主人公が辿るのは、ただの過去ではなく、誰かが“消そうとした記憶”です。
そして、そこには必ず、想いを託した誰かがいる。
次回、さらに“あちら側”との境界が揺らぎます。
03号はまだ、語っていません。
境界の物語は、もう少しだけ続きます。
よければ、もう一歩だけ――ご一緒ください。
感想・評価など、お寄せいただけると励みになります。