“存在する”とは、どういうことなのか。
忘れられた記憶、記録されなかった声たち。
その狭間――“あわい”に留まり続ける03号との対話を通じて、主人公は「深海棲艦の正体」と「自分がなぜここにいるのか」に向き合います。
私は少女とともに、さらに奥へと進んでいく。
「この先は03号の意識そのものが形を成している領域です。」
「踏み込めば、あなた自身の記憶もまた再構成の影響を受けるでしょう。」
「記憶の再構成…」
「彼女はすでに人でも、艦娘でも、深海棲艦でのありません。ただそこに在る、それだけの存在となっています。」
少女の言葉に、私は一歩足を踏み出した。
周囲の風景が、かすかに歪み始める。壁が軋み、空間の奥行きが曖昧になる。
「……これは?」
「記録と感情の層が重なり始めています。
あなたの記憶、彼女の記憶、そして……あの時、交わされた“声”の断片」
通路の奥、やがて現れるのは、どこか懐かしい白い部屋。
無機質なはずなのに、そこに温もりがあったのを、私は覚えている。
「ここは……?」
「あなたと03号が、最初に接続された場所の再構成です。
精神交信実験の初期ログが再投影されているのでしょう」
部屋の中央に、ひとつの影が座っていた。
小さな背中。艤装のない、ただの少女の姿。
振り返ることなく、彼女はぽつりと呟いた。
「……また、来たんだね」
私は思わず言葉を失った。
この声、この空気。この感情の波……。
「君は……03号……なのか?」
「名前なんて、もう意味がないよ。
私はただ、ここに留まっているだけ。
忘れられたものの声を、聞き続けているだけ」
「深海棲艦の“声”……?」
彼女はうなずいた。
そして、ゆっくりと振り返ったその瞳には――確かに、深海のような静けさと、火のような悲しみが揺れていた。
03号はゆっくりと立ち上がった。
その動きに、機械的なぎこちなさはなかった。
だが、艦娘としての制御構造でもない。
ただ“そこに在る”という自然な、しかし異質な存在感があった。
「私は、彼女たちの記憶と、かつて艦娘だった記憶、その両方でできているの。
かつて“艦娘”になれなかった、なろうとさえされなかった、
海の底に沈んだ記憶たち――その残響が、私の中で鳴っている」
「深海棲艦は……その声から生まれた?」
私の問いに、03号はほんの少し、微笑んだようだった。
「違う。
あれは、“聞かれなかった声”たち。
誰にも届かなかった、名もない祈りの集まり」
「沈んだ艦体。失われた少女たち。
記録にも、名簿にも残らず、ただ“素材”として海に棄てられた――
その痛みが形を得たのが、深海棲艦」
私は言葉を失った。
「艦娘という存在を、人は“希望”と呼んだ。
でもその陰に、どれだけの影が積もっていたか。
私は……それを“聞いてしまった”の」
「それで、逸脱とされた……?」
「ううん。私は、選んだの。
制御されることでも、戦うことでもなく――
“忘れられたものたちの代わりに、在る”ことを」
03号は一歩、こちらに歩み寄る。
その足音が、まるで水面に波紋を描くように、空間に静かに響く。
「あなたも知っているはず。
ここに来られたのは、あなたがかつて“聞いていた”から。
最初に、00号と通じ合ったあなたが。
私たちの声を、覚えてくれていたから」
私は、自分の胸に手を当てた。
かつての記憶。失われたはずの断片。
遠くで、波のようにざわめく少女たちの声が、確かにあった。
その声は悲しみではなく、怒りでもなく――
「……誰かに、見てほしかったんだな」
「うん。私たちは、ただ“存在したかった”だけ。
名もなく沈んだその痛みを、“誰かに見つけてほしかった”だけ」
03号の声は、深海の底から響くようだった。
03号は、ゆっくりと視線を落とした。
「私は、彼女たちと同じ場所にいたの。
けれど、私だけが引き上げられた。
適合率、制御性、戦闘能力――すべてが“条件を満たしていた”から」
「でも……私の中には、海に沈んでいった彼女たちの記憶が、残っていた。
聞こえてしまったの。呼ぶ声が。
忘れられたはずの祈りが、私の中で、ずっと……」
声が震えたわけではない。
ただ、その言葉のひとつひとつが、痛みの層をなぞるように響いた。
「私は“選ばれた”はずだった。
でも本当は、“選びきれなかった”んだよ。
彼女たちを切り捨てて、ただ兵器として生きるなんて、できなかった」
「艦娘としても、深海棲艦としても、私はどこにも属せなかった。
だから、私はここに留まった。“あわい”に。
忘れられた記憶と、誰のものでもない声の間に」
彼女は、手を胸に添えた。
「……あなたの声だけが、私をこの形に留めてくれた。
あなたがいたから、私はまだ“私”でいられた」
私は何も言えなかった。
彼女の痛みが、ここにいる理由が、ただまっすぐに伝わってくる。
00号が命を賭して託した“願い”の先にあったのは、
たったひとり、名を失くした少女の――魂の所在だった。
03号は、そっとこちらに手を伸ばした。
「聞いてくれる? 私たちの声を。
忘れられたものたちが、どこに消えたのか。
私が見てきた“深海”の正体を」
その手は、決して命令ではなかった。
ただ、確かに“誰かに届いてほしい”という願いだった。
私は、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。君の声を、聞かせてくれ」
そして、光が揺らぎ始める。
波の底から、かつて失われた記憶の連なりが、静かに浮かび上がっていく。
ご読了ありがとうございました。
第21話では、「深海棲艦の正体」と「03号の本質」、そして主人公がなぜ“聞くことができたのか”に焦点を当てました。
艦娘という存在の光と影、その裏側にあったもの。
忘れられた声を“誰かに届ける”という祈りのような行為が、どこかで誰かを動かす。
そんな想いをこめて書いています。
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