とある艦娘の願い   作:渋谷千立

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深海の祈りを抱え、主人公はついに“現実”へと戻る。

だが待ち受けていたのは、排除を前提とする探索部隊。
命令と感情のあいだで揺れる“少女”の決断が、彼に逃げ道を開く――
そして再び出会ったもうひとりの艦娘と共に、物語は終幕へと向かう。



祈り

深く、沈んだ静寂の余韻が消えかける頃――

空間の端に、裂けるような音が走った。

 

「……来ましたね。探索部隊です」

 

少女――坂巻の元秘書だった“監視個体”は、淡々とそう告げた。だが、その表情には、かすかな揺らぎがあった。

 

黒く染まった裂け目の向こうから、いくつもの足音が響いてくる。装甲、センサー、制圧用の投射装置。

それらは明確に“排除対象”として、私を――そしてまだ接続の余韻が残るこの空間そのものを、確保しに来ていた。

 

私は思わず、少女の横に立った。

 

「……時間切れか」

 

「ええ。でも、まだ“終わり”ではありません」

 

彼女はほんのわずか、私の方を見た。そして――

 

「行ってください。あなたは、ここで捕まるべきではない」

 

「……え?」

 

「私は、命令を受けた“艦娘”です。ですが、これは私の“意思”です。

 03号の声を聞いたあなたが消されることは、あの子たちの願いを踏みにじることになる」

 

少女の眼差しは、確かに“自分の言葉”を語っていた。

 

「私は……あなたを逃がします」

 

光が砕け、裂け目の先に“現実”が開かれていく。

 

「私の命令系統は、捕まれば再起動されるでしょう。だから今しかできない。……行って」

 

彼女は、探索部隊の進行を阻むように、一歩前へと出た。

その背に、かつて“監視者”と呼ばれた存在ではない、ひとりの少女としての意志があった。

 

 

 

探索部隊の先頭に立つ個体が、一歩前に出た。

 

全身を黒く覆う装甲。艤装を完全展開し、無表情に口を開く。

 

「……記者は、何処に?」

 

少女――坂巻の元秘書だった“監視個体”は、一歩も退かず、応じる。

 

「彼は監視対象とします。私は上位個体です。命令します――引き返しなさい」

 

「命令確認……不可能。対象は、規定第七条に基づき“記憶封鎖及び廃棄処理”対象と判断されます」

 

声に抑揚はなく、ただ冷ややかに決定事項をなぞるようだった。

 

「記者の位置を開示してください」

 

少女はわずかに眉を寄せた。

 

「彼はまだ“情報拡散”を行っていません。記憶干渉の影響下にあり、判断に猶予があると見なします。監視対象への変更を申請。再度命令します――引き返しなさい」

 

だが、探索個体はそれを無視した。

 

「判断基準の優先度変更……拒否。

 上位命令への服従順位を再検証。再確認結果:現場判断優先。

 最終確認――記者は、何処ですか?」

 

一瞬の静寂。

 

その奥に潜むのは、機械的な命令系統同士の“優先権の衝突”。

 

少女はゆっくりと答えた。

 

「彼は――ここにはいない」

 

ほんの僅か、言葉の間に、熱があった。

 

探索個体の背後で、他の個体たちが動く気配がする。

 

戦闘モードへの移行。艤装展開音。空間の緊張が一気に高まっていく。

 

少女は、背後の空間――主人公の逃げた先を一瞬だけ振り返り、静かに構えた。

 

「……記憶保護・対象退避プログラム、最終展開。

 私は、“在る”ことを望んだ彼らの意思に基づき、行動を開始します」

 

その声は、もはや命令でも監視でもなかった。

ただひとりの、意思を持った“存在”の宣言だった。

 

 

 

裂け目の向こう――わずかに開かれた“現実”への回廊。

 

私はその光の縁に立ったまま、振り返ることができずにいた。

 

後ろには、少女の声。探索部隊の無機質なやりとり。そして、静かに構えを取る足音。

 

私は、逃げることしかできないのか?

 

03号の“祈り”を聞き届け、記録に残すと誓ったのは、ついさっきのことだ。

けれど、背後で“彼女”が盾になるという選択を取ってしまった以上、今の私にできることは――

 

「……逃げることじゃない、“生きる”ことだ」

 

私は、小さく呟いた。

 

この身を、記憶を、記録を――すべて抱えて、必ず外へ持ち帰る。

あの祈りを、決して再び沈めたりはしない。

 

握っていた手の感触は、まだ温かく残っていた。

在り続けようとした03号の、あの最後の言葉が、胸の中でこだまする。

 

「あなたが、私を“在らせてくれる”のなら、私はそれで、いい」

 

それを裏切るわけにはいかない。

 

背後から、艤装の起動音と、重い気配が迫ってくる。

だが、少女の声がそれを止めた。短く、しかし強く。

 

「彼は――ここにはいない」

 

その言葉に、私はようやく足を踏み出した。

 

崩れかけた空間に、強く息を吐き、裂け目の先へと走り出す。

それは、逃げるためではない。

生きて――この声を届けるためだった。

 

 

 

静かな夜だった。

 

耳鳴りのような残響だけが、まだ頭の奥に残っている。

瓦礫の影を縫うようにして、私は息を潜めていた。

 

遠く、制圧音。探索部隊の捜索は、まだ続いている。

 

けれど私は、もう一人ではなかった。

 

「……まったく。無茶ばかりするな、お前は」

 

懐かしい声がした。

 

振り向いた先にいたのは、傷だらけの艤装をまといながらも、凛とした眼差しを持つ――02号だった。

 

「02号……生きて……」

 

「そう簡単には壊れんさ。わたしは、“あの子たちの最期”を見届けてやるって決めたからな」

 

彼女の目が、私の胸元に向いた。

 

「……連れてきたんだな、03号の声を」

 

私はうなずいた。

 

「彼女だけじゃない。00号も、あの時沈んでいった全ての“祈り”も……全部、記憶に残ってる。記録媒体も、奪われてない」

 

02号は、少しだけ目を細めた。

 

「なら、まだ終わっちゃいない。まだ、沈んだ声に応える余地があるってことだ」

 

私は、答えた。

 

「ああ。生きて伝える。生きて、記憶し続ける。それが俺たちにできることだ」

 

02号は静かにうなずき、手を差し出してきた。

 

「逃げよう。もう“艦娘”じゃない、“監視対象”でもない、ただの“生きる人間”としてさ」

 

私はその手を取り――暗い路地の先へ、ふたりで駆け出した。

 

新たな追跡が始まる。

 

けれど、もう恐れはなかった。

 

私たちは、生きている。

 

あの祈りを、絶やさず運ぶために。




「生きること」は時に、逃げることよりも難しい。
祈りを知り、記録を託され、主人公はその重みと共に歩み出す。
“艦娘”という存在が命令で動く兵器ではなく、誰かの願いから生まれた“在る者”ならば――
その声を伝える責任は、確かに彼の中に残った。
これより終幕です。
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