誰かに聞いて欲しいとか言いますが、自己満足です。この文も、曲も。
曲を作った。僕なりの音楽を作った。
音楽で飯を食っていきたいだとか一度は憧れたが、そんな才能なんてないことは10年前にはわかりきっていた。
僕は、なにもかもが中途半端だった。
幼少期に習ったピアノ、練習用の電子ピアノは、とうに埃が被っていた。楽譜も、音楽記号や楽典の意味を調べまとめたノートも、色褪せ、破れてしまって読めたもんじゃない。どうせその内の8割は忘れてしまっている。
部活動で使用したトランペットも、5年以上メンテナンスもなにもしていない。押し入れの奥でこれもまた埃を被っている。管は青く錆びて、オイルも切れてスライドできるのかすらもわからない。
それでも、僕は音楽を捨てきれずにいた。
日常の中で音を聞かない日はない。ショート動画でサビの15秒だけ知っている曲、テレビで流れる流行りの曲。コンビニの店内放送。扇風機の稼働音。自分の耳が自然となんかどうかの音を追いかけずにはいられないし、最近の流行りの音楽は、誰でも手軽に作れてしまうものになりすぎて、薄っぺらく、つまらなくなってきてしまった。そんな音楽のある日々に飽き飽きしていた。
ある時、あるバンドマンに出会った。
心臓に響くベースとバスドラムと、耳を刺すギターソロとシンバル。ボーカルの歌声は自分の心の奥のどろどろしたものを言語化され、歌われて、心の奥底を刺されて苦しかった。
苦しかったはずなのに、そんなバンドマンの書く歌詞とメロディーにいつの間にか惹かれていった。
チケットを買い、ライブに足を運んだ。
そこでそのバンドマンは言った。
「あなたのことを想って歌います。あなたがここ、ライブハウスに、僕たちの音楽をまた聞きに来てくれる日まで、あなたへの愛を歌います」
「愛している」をこんなに僕の目を見て訴えてくれる人がいるんだ。それだけで救われてしまった自分がいた。
ライブ後の余韻に浸る。ライブハウスの雰囲気に呑まれていた。目がちかちかして、耳にまだ音が響いていて、心臓の音が、いつも以上に煩くて、生きている心地がした。
生きていてよかった、って思った。
いつかの僕は誰かの救世主になりたかった。
神様などいないのだから、僕が誰かの神になり、僕の言葉で誰かを救おうとした。
それは当時の僕の居場所になっていたSNSだった。
軽々しく「死にたい」と呟き、共感され、当時の苦しさを訴えた呟きがいいねされ、拡散され、誰かの支えになれていたことが嬉しくて仕方がなかった。
神になった気でいた。SNSは、僕にとってのエデンの園だった。
そんな中で僕にとっての楽園は、親にとっては異端で、僕にとって親は蛇に成りすましてイブを誘惑し、楽園を崩壊させたサタンのようだった。
アカウントがなくなり、退屈だった。
学はないが金は欲しいからフリーターを続けて、同じことを繰り返す。
そのうち僕は考えて、悟っていく。幼少期に言われたことを思い出しながら
誰かを救うならまず自分から
誰かを救うことで救われてきた気でいた僕にとって、そういえば出来てなかったなと、思い知らされる。目を逸らしたいが、逸らす勇気なんてなかった。
ゆっくり、自分が消えたくならないような考え方をしていく。認めてあげる。僕の性格上、上手く認められないというのに認めたいから、助けてほしいと仲良くしてくれている友人に伝えてみる。伝え方を工夫する。繰り返す。
あるアニメのキャラクターが言っていた
「うた って伝わる気がするよね」
そうか音楽なら、誰かに聞いてもらえるかもしれない。本心がうまく伝わらなくても、変に解釈されても、
そうか僕も、心の叫びを誰かに聞いて欲しかったんだ。
不器用なままの詩を、歌を、音楽を。
今の時代、楽器もパソコンもなくても、スマートフォンひとつで手軽に曲が作れてしまう時代だ。
アプリを立ち上げ、鼻歌を録音する。
下手だなぁとか苦い顔をしながら液晶の中の鍵盤に落として、主旋律を作る。同時に歌詞も編集していく。
シーケンサーでドラムを追加していく。キックは4つ打ちで、スネアで刻んで、盛り上げたいところにタムを組み合わせてここはライド。
ベースは、あのバンドの曲の進行がしっくりくる。キーだけ調整して、4小節目で全音ずつじゃなく、半音ずつ上げていくと面白いかな。
キーボードで簡単な伴奏を作って、あ、ここにカノン進行入れたらまとまりが出るかもしれない。ここは少し不協和音が生まれたが、これも自分だけの音になるはず。
ギター、はわかんないな、パワーコード入れても面白そうだけど、うん、わかんないもの無理に突っ込んでもなんだし、キーボードの音で余計にがちゃがちゃしてしまうかもしれないな。
これ、落ちサビで転調させて半音上げてもいいかもしれない。いちばん伝えたいことだし、聞いてくれる人にも、印象に残ってくれるかもしれない。
こんだけ作ったんだから、スタジオで収録…までしなくても、さすがにオーディオインターフェースとマイク、小さくても防音室買わなきゃかなぁ。
こうして曲を作っていくうちに楽しくなっている自分がいることにも気づいた。
いつかレコーディングもして、MIXして、音源化。さらにリリックビデオを作って誰かに聞いて欲しいとさえ思えた。
そうして僕が作り上げたものは、誰かを救いたくて、自分が救われたい、そんなエゴイズムの塊を書きなぐった歌詞と、クラシックを齧っていたといえどコードも滅茶苦茶だった。
自分を救いたいが為の音楽、そんなもの聞く人によってはビルの街の中を流れる大きなスクリーンに映し出されたMVのように、夏の夜の虫の羽音のように誰も気にも止めやしない。どころか耳障りに感じてしまうんだろう。
どろどろで汚くても、これでいいんだ。飾っていない、ありのままの僕の心の叫び。
初めて自分自身で形にできた、達成感があった。
冷めきったコーヒーを飲み干した。
いつだか自分を嫌いになってつけた傷跡を撫でた。
猫背で丸まった背中にある違和感をなおすために僕はおもいきり背伸びをした。
煙草と酒で乾燥した肌と、伸ばした背中に走る鈍痛で、僕はいつの間にか大人になっていたんだと感じる。
息を吸い、吐くのを繰り返して20年と少し。世間一般的には大人の部類だろうが、精神面はちっとも昔憧れていた大人にはなれていなかった。
それでも自分の面倒の見方はわかった気でいる。考えすぎないように、一度反省できたら自分を褒めて、あとは比べられようとも流せるように。そうしたら苦しむことも減るだろうから。あとは、過信しすぎないように。自分のことも、他人のことも。
もし出来れば、生きていく上でまたなにか曲を作ってみるのも悪くは無いのかもしれない。
不器用なりに苦しさを形にして藻掻いて、ガキ臭いとか羞恥心で悶えて、自分自身を魔法にかけて。それで学習し、成長して大人になるらしいから。
僕は普通になりたい。大人になりたい。
そのために曲を作る。そのためにまた息をし続ける。あの時の僕を認めるために。死んだ時に後悔のないように、楽しかったって死ねるように。
誰かを愛していたいから、まず、自分を上手く愛せるように。
そうやって自分を魔法にかけていく。
そんなもんだよ、きっと
読んでくださりありがとうございます。
曲を作るのって、本当に難しいです。売れた音楽がいい音楽とは限らないとは思っていますが、楽曲の投稿頻度が高いクリエイターさん方は本当にすごい。正直ミーハーになりたくないからってあんまり聞かないんですが、そんなにその人今も人気なんだ、すごいねとは素直に思います。
対して僕が作れるのはエゴイズム、自己満足。そんな言葉が良く似合う文であり、僕が作ったものもそんな曲です。あらすじの欄にも書いてありますね。
曲の歌詞を、少し改変し本文に落とし込んでいます。
いつか曲が公開できたら、誰かに聞いて欲しいです。
自分を救う音楽で、誰かを救えたなら、そりゃ嬉しいですから。
またいつか