【完結】担当に適度な距離感置いてるつもりのお前と距離感測る物差しを歪めてくるタイプの担当 作:半ドロメダ
「アタシさ。──トレーナーのことが好き」
ミスターシービーの持つマグカップの中で、コーヒーが規則的に円を描くように揺れている。
さらっと放り込まれた爆弾に全身の筋肉と関節、ついでに脳の動きを一時的に停止させたトレーナーは、再起動までにきっかり一秒の時間を要した。
それは
彼女は今、複雑な思考を介さず口を動かしている。独り言で言葉を選ぶ人間はいない。当然のことだ。
「アタシは楽しくレースができればそれでよかった。でも、勝つ度にトレーナーの評価が上がっていくのも嬉しかった。恩返しできてる気がして」
口にして、ミスターシービーは自分でも意外に思った。『恩返し』なんて単語が出てくるとは。自分はそんなに義理堅いタイプだっただろうか。
トレーナーとしては恩を売っていたつもりはないだろう。だからこれは、彼女が勝手に背負った恩だ。トレーナーが勝手に敗北を背負ったのと同じように。
「でも、エースに勝てなくて、ルドルフに勝てなくて、勝っても負けても楽しかったレースが──わからなくなった。……うん、言葉にしてみてしっくり来た。今、アタシはレースがわからない」
そして今、勝手に背負った荷物の予想外の重さに押しつぶされようとしている。
気付かなければ何ともなかった。
気付いてしまえば後戻りはできない。
最後と定めた宝塚記念まで、おおよそ一月の時間がある。
その間、今しがたミスターシービーが晒した精神の迷宮に出口は見つかるだろうか。
無理というのがトレーナーの見立てだった。
「それは時間が解決してくれる、かもしれない。誰かが考えてもみなかったアイデアをくれる、かもしれない。でもたぶん、そう都合良く解決したりはしないよ。だから──そうだな」
言いかけて、口をつぐむ。ミスターシービーは視線で続きを促した。
トレーナーは一つ、大きく深呼吸した。天井を見上げて深く息を吸い込み、短く吐き出す。迷いや躊躇いもまとめて吐き出したように見えた。
「どうせなら全部背負ってほしい。ようやく腹が決まった。何もかも、シービーに託すから」
「……ここからまだプレッシャーかけるんだ?」
半目になって耳を絞るミスターシービーの頭を撫でて、トレーナーは笑った。信頼の証だと。
「同じだけこっちも背負うさ。君の全部を任されることにする。なるべく踏ん張るけど……潰れる時は二人揃って潰れよう」
敗北だけでなく勝利も背負う。屈辱も栄誉も、隔てなく受け取る。
その器が無いことを自覚していようと。身の程知らずと後ろ指を指されようと。
トレーナーは明確に一歩、担当に踏み込むことを決めた。
「──っふふ、なにそれ」
頭を撫でる手を耳でぴたぴた叩いて、ミスターシービーも笑った。
あーあ、と体の力を抜き、丸まった姿勢のまま隣のトレーナーにもたれかかる。少女は半ば自棄になって全体重をパートナーに預けた。背負うと言うなら遠慮することはあるまいとばかりに。
「アタシ、レースを嫌いになりたくない。もやもやしたまま終わるのはイヤだ。──だからキミが全部なんとかして。アタシのトレーナーでしょ」
「了解。じゃあシービーにもお願い。全部何とかする。どうかレースを楽しんでほしい。君が背負ってくれるなら、君と同じ景色を見られる。一番最初の夢の続きを、君と一緒に見たい」
勝てとは言わないんだ、と嘯くミスターシービーに、トレーナーは冗談めかして──全くの本気で──断言した。
「そこは任された。何とかするって言ったでしょ?」
◇
観客席は、ターフに面した最前列に関係者席が設けられている。
控室で担当を見送り、自らも部屋を後にしたシンボリルドルフのトレーナーは、その一角に見知った二人を見つけ、歩み寄った。
「お疲れ様です。今日はご一緒でしたか、先輩方」
「おう、お疲れさん」
「お疲れ様」
本日を限りに引退する二人のスター選手。ミスターシービー、カツラギエース。そのトレーナー達だった。
「……二人とも仕上がってますねぇ」
これはレース場で出会ったトレーナー達の会話でよく聞かれる常套句だ。最近の天気や気温の話のようなもの。
しかし、今回の彼の発言は心の底からの感嘆であった。
ミスターシービーも、カツラギエースも、シンボリルドルフを打倒し得る能力を備えている。事実、ジャパンカップで彼女は敗けた。
しかしその敗北で彼女は化けた。もはや壁として『皇帝』の前に立ち塞がる者はいないかに思われた。
それがどうだ。
手を庇代わりにターフを見渡せば、一目でそれとわかる別次元の存在感。
カツラギエース。
あれが本当に全盛期を過ぎたウマ娘の姿だというのか。立ち姿だけで周囲のライバルを圧するあの様が。
腕を組んで佇む姿は、周囲を焼き尽くさんばかりの熱を纏っていた一年前とは打って変わって静かなもの。ならばかつて備えていた牙は摩耗してしまったのかといえば、否。
鋭利に研ぎ澄まされたのだ。
この場にあって知らない者はいない。昨年の宝塚記念の覇者が誰だったのか。
『二度目』を予感させる雰囲気は観客にもきっと伝わっている。三番人気は決して判官贔屓ではない。
ミスターシービー。
近頃の不調は明らかだった。たとえ復調したとて、以前のままなら勝てる。そして公開情報と偵察の結果で知る限り、天皇賞の時からさして数値に変化は無い。勝利は盤石かに思われた。
しかし、そこに立っているのは『不調にあえぐかつての天才』などではなく、確かに『ターフの偉大なる演出家』であった。
彼女はいつだって最後方から──常識の外から全てを捲ってくる。観客ならばその姿に無邪気に夢を見ていれば良い。
しかし敵として相対するならば。
シンボリルドルフとそのトレーナーにとって、超える壁は高ければ高いほどありがたい。
踏み越えればそれだけ高みへ近付くということに他ならないのだから。
「そういう
「担当が優秀だと仕事が楽で助かります」
「……ホントに楽? 『それ本当にトレーナーの仕事?』みたいな案件シンボリの家の方から投げられてるとこたまに見るんだけど」
「『それ本当にトレーナーの仕事?』はお互い様では? こないだ担当に付き合ってガチ山登りしたって聞きましたけど」
大舞台を前にしても、交わされる言葉は気安い。
立場上同僚ではあるがライバルでもある。年齢差もあるが、それでも気の置けない関係だ。
「率直にお聞きしますけど。今日のお二人のところの作戦はどんな具合ですか?」
シンボリルドルフのトレーナーは特に図太さが凄い。一番の年下でキャリアも浅いが、怖いものを知らない。そんな彼を先達二人は大層可愛がっている。
ライバルではなく、後輩を相手にする姿勢でカツラギエースのトレーナーが口を開いた。
トレーナー達の仕事は既に終わっている。事ここに至って隠すことは何も無かった。
「先行して中央のアタマを抑える。最後はシンボリルドルフとミスターシービーの仕掛け次第だな」
「今回は逃げないんですね」
「逃げ切れないと踏んだ。最終直線で必ず捕まる。少なくともシンボリルドルフに先着するなら、絶対にどこかで駆け引きが要る」
「こっちとしては2000で中段から仕掛けるなら──」
隣で侃侃諤諤始まった二人をよそに、ミスターシービーのトレーナーは、柵にもたれてターフを撫でる風を静かに浴びていた。
「で、
「ん? うーんとねぇ……」
ベテランの見識を存分に吸収したルーキーは、まだまだ貪欲に糧を欲した。要求する相手も常識的には新米の域を出ないが、必ず自分の身になると確信しての行動だった。
しかし、当の求められた側はなんだか困り顔。
数瞬の逡巡の後に放たれた言葉に、男は耳を疑った。
「何も無い。シービーならなんとかするさ」
後輩があまりにも短い言葉の意味を咀嚼しようと黙り込むのを見て、ミスターシービーのトレーナーは己の不親切を悟り、続けた。
「カツラギエースとシンボリルドルフ。この二人を同時に何とかできるような策は思いつかなかった。──だから鍛えた。徹底的に」
ミスターシービーは、彼女のトレーナーから見て、既に伸び代はなかった。
──本当に?
何もかも背負うことを決め、何もかも預けることを覚悟した結果、たどり着いた境地には素朴な疑問があった。
この少女は自分が測り切れるほどの浅い底しか持ち合わせていないのか。答えなどわかる筈もない。
だから信じた。自分が見切った程度の天井などぶち破ってくれることを。それは一種の思考停止と言えた。あるいは信仰か。
密度を増したトレーニングは一般的には異常と言え、見る者が見れば芸術的と評しただろう。
およそ一月の時間を経た頃、果たしてミスターシービーに進化はなかった。
それでもトレーナーは心の底から信じきっている。恐らく最後になるであろう時間の中で、少しずつ澱みを払って輝きを増していった担当のことを。
「まさか忘れちゃいないだろうけど。シンボリルドルフっていうウマ娘が出てくるまでは、『最強』って言葉はミスターシービーのためにあったんだよ?」
「……お前、変わったね」
サブトレーナー時代からよく知る男の言葉に、ミスターシービーのトレーナーは破顔した。
「確かに、担当への信頼のしかたは変わったかもしれません。ほんの少しだけ。──あぁ、始まっちゃうな」
スターターが赤旗を振ると、耳慣れたファンファーレが流れ出す。手拍子と歓声が空気を揺らした。
すんなりとゲートインが終わると、幾許もない内にゲートが開く。
ガシャン、と重々しい金属音とほぼ同時に絶好のスタートを見せつけるカツラギエース。
それに劣らないスタートを決めたシンボリルドルフは中央集団に付かず離れず、状況を分析し始めている。
探すまでもなく最後尾。長い黒鹿毛を風に躍らせ、ミスターシービーはそこにいた。
中天をとうに過ぎてなお、日没の気配すら感じさせない六月の太陽がゴール板を照らしている。
◇
「あ、そうだ。トレーナー」
「どうしたの」
「ウチの両親が、改めてトレーナーに挨拶したいって」
「あー……そういえば直接会ってお話しさせてもらったのも結構前だっけ」
「来る?」
「うん、お邪魔させてもらおうかな。いつ頃なら大丈夫そう?」
「今日。ちょうど実家帰るから一緒に行こ」
「いや、あのね? ご両親にも都合ってものがあるだろうし、こっちにも準備ってものが──」
「お、連絡返ってきた。おっけーだって」
「…………寄り道して手土産買ってくから。はーーぁ、クリーニングに出してたスーツあったっけ……」
「──ふふっ」
「なに?」
「義実家に挨拶に行く時みたいだね?」
「……やっぱり行くのやめようかなぁ……」
〈了〉
シンボリルドルフ:人の上に立つべく生まれ、人の上に立つべく生きる『皇帝』。
そのあまりにも圧倒的な戦績から、たった二度の敗北を永く語られることになる。後にトレセン学園生徒会長に就任し、長期政権を敷く。
シンボリ冠名のウマ娘をトレーナーに会わせることに謎の抵抗を覚えている。
シンボリルドルフのトレーナー:とても有望なトレーナー。
シンボリルドルフ曰く「彼を担当としたのが人生最大の転換点」。
謎の名家S家の働きかけで徐々にトレセン理事会から降りてくる仕事が増え、いつの間にか履歴書には難関資格と肩書がズラリ。箔付け完了。
カツラギエース:平凡な生まれだが、内に秘めた才能と熱意は非凡だった。
現役時代を通して強敵に恵まれ続け、その能力の割には苦戦が多い。人からは時期が悪かったと言われるが、本人は笑って否定している。
現役引退後はトレーナー職に興味を持ち、勉強に力を入れている。専らクラブルームに入り浸って自習しており、トレーナーを便利に使っている。
カツラギエースのトレーナー:非常に有能なトレーナー。
本来であればチームを率いる立場にあるが、規則の抜け穴を突いたり言葉の恣意的な解釈を駆使してカツラギエース一人に自らの能力を全ツッパした。偉い人からは事後にしっかり怒られた。
なぜか資格試験やら受験やらの過去問を大量に持っている。趣味とのこと。
ミスターシービー:分かり易く華のあるレーススタイルと確かな実力・実績で絶大な人気を誇るウマ娘。
一方で、専門家達の間では引退前の戦績を理由に評価が若干低い。敗戦が続き、結局シンボリルドルフには一度しか勝てなかった。
思うままに動いた結果、いつの間にか外堀が埋まっているタイプ。気づけばすぐそこでニコニコしている。
あなた:極めて優秀なトレーナー。
作戦の立案やライバルの情報分析も人並み以上にこなせるが、特筆すべきはウマ娘の本質を見極めて能力を引き出す『眼』の良さ。担当の輝きに目が眩んでいる世間一般では良くも悪くもビギナーズラック扱いされる実績であり、その異常性が知れ渡るまでには数年の時間を要する。
ナデポの使い手。担当に限ればニコポも発動する。栄養学を修めているためその気になればメシポも可能。十五年くらい前の最強オリ主みたいなスペックしてんなお前な。
ミスターシービーのせいで担当への距離感がバグった。ミスターシービーは狙ってそれをやった訳なので、本当の意味で被害を受けるのは後任の担当達。類稀な観察眼から繰り出されるクリティカルな踏み込みは思春期の少女の何かを壊すかもしれない。
〈了〉:なんかかっこいい。この一字を書きたくてこの作品を書いたと言っても過言ではない。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。感想、評価、お気に入り登録など、全てが励みになっております。
いただいた感想は全てニヤニヤしながら目を通していますが、筆不精ゆえ返信が著しく滞っています。平にご容赦ください。なんとかしたいと思ってはいます。思っては。
ウマ娘には新時代の扉から入った新参ですので、設定の間違いやキャラの解釈違いなどがあるでしょうが、ニワカのする事と、どうぞ笑ってやってください。
それと作劇の都合上割を食ったウマ娘とか馬には申し訳なく思っています。影も形もないスーパーカーとか、描写外で恐らく着外に落ちたであろう本来の宝塚の勝者とか、後書きでルドルフに負けたことにされた馬とか。
言い訳と謝罪ばかりの後書きになってしまいました。もし、また何かを書く機会がありましたら、その時はご笑読いただければ幸いです。
改めて、拙いばかりの乱文ではありましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました。
前担当ちゃん:あなたの前担当。あなたの実績がビギナーズラック扱いされる原因その1。
当時独立直後のド新人だったあなたと組んで、それはもう濃密なトゥインクル・シリーズを駆け抜けた。
同期のトウショウボーイ、グリーングラスと並んで『TTG世代』と呼ばれる一時代を築く。レースのレの字も関係ない一般家庭出身で、ナメられないようにキャラを作っていたら『貴公子』とか呼ばれるようになって本人は困惑。二度目の有マは今でも語り種で、トウショウボーイと演じたデッドヒートは戯れにも死闘にも見えたという。
現役中に大きな怪我をすることもなく、元気いっぱいで引退した。その後トレセン学園大学部に進学。URAへの就職を目指している。
二人三脚で闘い抜く中で自然とあなたに好意を抱いたが、いろいろあって(とは本人の弁。正確には何も無かったため)普通に送り出された。
レースに絶対は無いらしいのでまだまだチャンスはある。たぶん。