執筆中の物語の、世界観を広げたくて書いた習作です。
改行方法などの、見せ方、読ませ方などweb上にて読ませる編集はしておりませんので、ご意見あらば、参考にいたします。
描写や表現力など、元ネタには遥かに及びませんが、この作品を読んで、皆様が藤沢周平氏の作品に触れられる切っ掛けとなるならば、幸いです。
作品に問題がある様ならば、削除します。
ベッロはトリノ市で、唯一神教会に用意された格安の集合住宅に住む、十二歳の少年であった。
父は大工として建築会社に勤めており、母は専業主婦。裕福と迄は言えないが、暮らしに窮する訳でもない、極々一般的な家庭である。不満があるとすれば、十七と十五になる姉兄が居て、二人にはそれぞれに部屋が与えられているのに、ペッロは両親と一緒の部屋である事くらいである。この集合住宅の間取りでは、個室は三つしかない為に当然であるものの、末っ子の悲哀を感じざるを得なかった。友人を呼んで騒ぐ兄に辟易し、つい不満も漏れようというものだ。
「ペッロ。お姉ちゃんのお部屋に来る? お勉強くらいなら、皆で見てあげられるよ」
一緒に居間で食事をしていた姉にそう問い掛けられるも、勘弁して貰いたかった。姉の部屋は化粧品の匂いがキツイし、服なんかも無造作に散らばっている。しかも、今は姉の友人達も泊まりに来ていた。あまり大騒ぎをするではないが、とても気が散るので、まったく勉強には向かない環境であった。
「大丈夫。お父さんとお母さんも居ないから、部屋で大人しく勉強してるよ」
大工の父は梯子から足を滑らせ落ちて、骨折をしていた。病院へと送られたが、母は泊まりでの看病に出ている。その為に、姉兄は友人を呼んでいた。両親などの保護者がいない日など、希少であった。
「寂しくなったら、お姉ちゃんのお部屋に来るんだよ。皆で、可愛がってあげるね」
無邪気な姉であるが、本当に勘弁して欲しかった。十二歳となったペッロは、既に性には目覚め始めている。下の毛も生え始め、いつのまにやら精通も迎えていた。家族という要素を除いて見れば、姉はかなりエロい。流行だという独特な化粧は頂けないが、顔立ちは整っており、何より身体が成熟している。瑞々しく張りのある肢体は健康的で、結構胸も、尻もでかかった。彼女達のファッションは、それらを惜しげもなく晒すものであり、目に毒である。姉一人ならば、まだ耐えられよう。だが、今夜は三人もの姉の友人達が来ている。いずれも綺麗なお姉さん達であり、エロい身体とエロいファッションの持ち主だった。ペッロに耐えられる筈もない。きっと暴発する。
朝から下着を汚し、一人で洗濯する虚しさは、筆舌に尽くしがたい事だった。最初は教えと共に洗濯してくれていた母であるが、あまりに頻繁な為に、近頃は自分で洗いなさいと命じられている。ましてや、明日は母も居ないし、お調子者達がいっぱいである。衆人環視の中で下着洗いなどする事になれば、尊厳が死ぬだろうと、彼は怯えていた。
翌朝、幸いな事にペッロの尊厳は守られた。暴発こそしているが、下着を洗っている間に、誰も起きてこなかった為だ。夜更かしからの寝坊であった。
観測者がいなければ、それは存在しないのと同じであると、ペッロは強く主張する。暴発して下着洗いをした、という世界線はあるが、誰にも観測されていなければ、存在を証明する事が出来ず、従って事象は確定していない。
ならば、暴発もしていないし、下着も洗っていないのだという、この事象における唯一の観測者であるペッロは、理論武装をしていた。干されている己の下着からは目を背け。所詮は十二歳のマセガキ。誠に、浅はかであった。
という訳で、家にいるのも居心地が悪く、所用もあって、遊びに出ていた。この集合住宅には今、同い年どころか、歳の近い子供はいない。姉が一番近かった。一人だけいた年下の子供も、少し前にいなくなってしまっている。ペッロの出掛けた先は、その子の住んでいた部屋だった。そこに、誰もいなくなった訳ではない。一人だけ、残された人が居る。
「おばあちゃん。朝ごはんを持って来たよ。食べて」
それは床に寝たままに、虚空を見詰める老婆。この部屋の住人で、ペッロの妹分であった少女の父親の、その母の祖母。ひいひいおばあちゃん。一般的には高祖母と呼ばれる老婆であった。その為に、とても高齢である。干し柿の様に皺皺に萎んでいて、身体も小さい。百歳を超えているのだとかとも言われているのだが、本当の年齢は、ペッロ達も知らなかった。
なのに、少し前迄はとても元気であって、あの少女と共にペッロは、よく遊んで貰っていた。ペッロも少し前までは主の子と呼ばれる十二歳未満であったし、あの子も主の子であり、外遊びは憚られた。集合住宅の庭や、それぞれの部屋などで遊ぶ事が多く、色々な遊びを知っていて、構ってくれる婆ちゃんが、ペッロは大好きだった。
「おばあちゃん。朝ごはんだよ……。昨日の夜だけど、お姉ちゃんが作ってくれたんだ」
でも、近頃は闊達に笑う婆ちゃんの姿を見る事が出来なくなっている。あの日、あの子が婆ちゃんを除く家族と共に、忽然と姿を眩ませてからだった。
「食べなきゃ、死んじゃうよぉ……」
その日から婆ちゃんは煮炊きもせず、まんじりとして虚空を見詰め続けていた。たまに立ち上がり厠などには行くし、身体も清めはするが、食事を取らず、またどこかへ出る事もなくなった。
それは数日の後に周囲の住民に気付かれて、彼等は持ち回りで、婆ちゃんへの食事を用意をする様になった。しかし、婆ちゃんは食事に手を付けなかった。好意を無碍にされた一部の人々は憤慨し、もう知らないと手を引いた。だが、真面な大人達は放置する訳にもいかない。隣人にもしもがあれば、目覚めも悪い。長く集合住宅に住んでいる婆ちゃんは、主の様なものである。世話になった大人達がいて、そうでなくとも、緩やかな自殺など許せるものではなかった。
そこで、白羽の矢が立てられたのがペッロである。老婆の孫の孫であるあの子と共に、最近で最も交友があったのが彼であったし、子供好きな老婆なので、何とかなるのではないかと考えられた為である。初日である今日は、本来ならば母と共に来る予定であった。だが、母は病院に詰めており、今日はいない。なので、一人でも来ていた。
家族の失踪から、既に十日。婆ちゃんが食事を止めて、同じだけの日が過ぎていた。
「アイツだけじゃなく、ばあちゃんまで、居なくならないでくれよぉ……」
無力感と寂しさに、涙ぐんでしまうペッロであった。勇敢な男の子に涙は恥であると、知っていても。だって、嫌なのだから。
「……坊ん。男の子が、泣くんじゃないよ」
そんなペッロへ、声が掛けられる。ずっと黙りだった、婆ちゃんの声だ。思わず目を瞠る。
「気が利かない子だねぇ。起こしておけれって、言っているんだよ」
婆ちゃんは、そんな事を言ってくれる。俺が好きだから、居なくなって欲しくないのだと望んだから。
「ほらほら。起こしておけれ」
婆ちゃんは、笑った。それが嬉しくて、ペッロもまた笑う。
「——ああ。美味しそうだよ」
栗ご飯とお吸い物。それにお漬物。姉が昨晩に作ってくれて、母が漬けていたそれらが、持って来た食事であった。ペッロの助けで起き上がった婆ちゃんが汁を啜る。
「美味しいねぇ」
ほうと息を吐いた婆ちゃんは、そう微笑んだ。
その後の婆ちゃんは、日に二度食事を摂る様になった。今は父も退院していて、母もいる。
以前の姉はメシマズであった。栗ご飯は母が用意していたものだが、あの日のお吸い物は姉オリジナルである。出汁を使わずに、お湯にお醤油を混ぜて、お麩と三つ葉を入れただけのお吸い物は、まったく美味しくなかった。それでも婆ちゃんは、美味しいよ。と褒めてくれて、その後は姉も料理を頑張る様になった。母に教えられて、得意のお吸い物の味は日々良くなっている。これにはペッロも大変満足していた。
そんなある日に、その男は姿を現した。
「世話になったな。ペッロ坊」
老婆の曾孫。あの子の父親であった。彼は体格も男振りも良い、左官職人だ。
「おじさん」
「ばあさんを、ありがとうな」
彼は腕の良い職人であったが、方々で借金を重ねていた。若い頃に起こしてしまった、事故の賠償の為である。懸命に働いていたが、生活は苦しかった。そこに来て、娘であるあの子に、後天性術力過敏反応が発症してしまう。生活に必須となる術力へ肉体が過剰反応し、衰弱してしまう病気であった。
対処療法はあるものの、抑制薬は高額で、それが家計をなお一層に圧迫していた。仕方なしに、悪い金貸しからも借金をしているのだと、噂されていた。彼等の失踪は、夜逃げだろうと、大人達は見ている。柄の悪い取り立てが連日来ていたからだ。
「ちっと、手間取っちまったが、アイツも元気だぜ。こうやって、ばあさんも迎えに来れた」
「世話になったね。ペッロ坊」
婆ちゃんと、彼女を背負った男が、白い歯を見せている。そっくりな、笑顔であった。
「おじさんも、そそっかしいね。もう、忘れ物なんてしちゃ、駄目だよ」
「肝に銘じておくぜ。行くぜ、ばあさん。あばよ。ペッロ坊」
彼は婆ちゃんを背負い直すと、えっほ、えっほと歩み出す。婆ちゃんも、えっほ、えっほと手を振りながら笑う。忘れ物を取りに来た彼に、長居の必要はない。ペッロは夕飯を届けに来ている。礼と別れを告げる為、待っていてくれたのだと理解をしていた。
二人の背中が遠ざかる。曾孫に背負われた婆ちゃんの手が、踊る様に揺れている。それが無性に可笑しくて、ペッロもまた、白い歯を見せながら、えっほ、えっほと手を振った。
先の事など判らない。だが、きっと良い日々が続くのであろうと、少年は想い、家へと帰った。
婆ちゃんの夕食を持ち帰るのを忘れていて、姉には、そそっかしい子ねぇ。と、呆れられている。
あまり、エロい吐息をしないで欲しかった。