トム・リドルが唯一友達になった子、口数が多すぎる。   作:八重歯

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13 「君が僕のこと、『友達」って言ってくれたら、奢ってあげる」

 

 

 春の風は冷たいが、どこか甘い匂いを運んでくる。そんなダイアゴン横丁は春の陽気と魔法使いたちの喧騒で満ちていた。

 ピカピカと点滅する広告がひらひらと遊ぶように飛び、フクロウが鋭く鳴きながら空を行き交う。二又の尻尾を持つ猫が屋台の隅で欠伸をするのを横目に、リドルはフィンレイの数歩後ろをついて歩きながら、その景色を追いかけていた。

 

 

「なあフィンレイ」

「なに?」

「この飴細工は生きている必要があるのか?」

 

 

 屋台で売られていた鳥の飴細工が、籠の中でぱたぱたと羽ばたいているのを見て、リドルは眉をひそめる。なんとなく、食べるのが嫌になる見た目だ。

 「この世界は、何故こうも無駄なものに魔法を費やすのか」と呆れた気持ちと、何故か惹かれる自分の矛盾にリドルは小さく眉を潜めた。

 

 フィンレイは振り返り、春の日差しの中で笑った。

 

 

「必要性で言えば、世の中の八割は必要ないものばかりだよ。残り二割もだいたいは余計なものかな」

 

 

 風がローブを揺らし、飴細工の甘い匂いが春の匂いと混じり合う。

 フィンレイの軽口を耳にしながら、リドルは目の前の飴細工から視線を外し、通りを行く人々を見つめた。魔法使いたちは派手なローブを揺らしながら行き交い、子どもが飛ぶ広告を追いかける笑い声が空に溶ける。

 

 それを見ながら、リドルはこの世界に取り残されているような感覚を覚える。自分だけが、笑い声を遠巻きに聞く側の人間であるかのような。ここが自分の生きていく世界だと信じている癖に、まだ、地に足がついていないような。──認められていないような。

 

 

「おや、白昼夢でも見てるのかな。早く目覚めておいで」

 

 

 ぼんやりとしていたリドルに、フィンレイはからかい混じりに声をかける。

 その声に我に返ると、フィンレイは春風に触られた髪を押さえながら本屋の前で振り返り、小さく手を挙げていた。

 

 

 

 

 

 目当ての本を購入し、本屋を出ると、すぐ目の前に黒く重厚なローブを纏った老紳士が立っていた。フィンレイが足を止めたのを見て、リドルも自然と足を止めた。老紳士が入店するのを扉を開けて待ってやるのだろうか。とリドルはフィンレイをチラリと見る。

 

 フィンレイは、その老紳士を見上げ、今まで浮かべていた笑みを消し口先を結んでいた。

──初めて見る表情だった。無邪気さの仮面が剥がれ、大人の顔に切り替わる瞬間。リドルはその違和感を覚えながら、観察するように視線を向けた。

 

 

 老紳士の顔の深い皺は笑っているのか怒っているのか判別できず、目は金色がかった灰色で獲物を探すように動いている。その目は、優しさの色を映さぬままフィンレイを見下ろした。

 

 

「……ウィンドルミア卿の御子息ではないか」

 

 

 低く掠れた声だった。だが、よく通る声だ。

 老紳士は仄かに口元を緩めた。その瞬間、フィンレイはいつもとは異なる涼しい笑みを作り、背筋を伸ばした。すう、と息を吸い込んだ音がリドルにだけ聞こえた。

 

 

「ご機嫌麗しゅうございます、アバーナシー卿。……春のうちにお目にかかれるとは光栄です」

「光栄だと?年寄りに向かって嫌味かの」

 

 

 老紳士は笑いを浮かべた目を細める。フィンレイは笑みを湛えたまま眉を少し下げ、静かに首を振った。

 

 

「とんでもない。貴方のような方の言葉は、私のような若輩者にとっては春風のように貴重でございます」

「言葉ばかりは達者だな、お前の父親と同じで」

 

 

 その言葉に、フィンレイの目がほんの一瞬だけ翳った。だがすぐに薄い大人のような笑みが戻る。

 

 

「……父は変わらず消息不明でして。何かお耳に入ることがございましたら、私にもご教示いただけますと幸いです」

「ふん。私が貴殿に教えることがあるとは思えんがな」

 

 

 アバーナシー卿は鼻で笑いながら、リドルをちらりと見やった。

 リドルは無表情のまま挑むように、その冷たい値踏みするような視線を真っ向から受け止めた。灰金の瞳と黒い瞳が空中で交わり、一瞬だけ時間が止まったようだった。

 

 

「……お連れの少年は?」

「私の友人ですよ」

 

 

 フィンレイのその一言は無駄がなく、しかししっかりとした響きを持っていた。

 『友人』という言葉に、リドルの胸の奥で何かが跳ねたが、表情は少しも変わらなかった。

 老紳士の目が細まり、口元に笑みが滲む。

 

 

「ウィンドルミアの御子息が『友人』などと簡単に言うとはな」

「魔法界も、血統も、家柄も、私の大切なものを奪えない。それが友人というものですから」

「ほほう……」

 

 

 老紳士の目が面白げに揺れ、口元に笑みが滲む。

 

 

「その言葉を、覚えておけ」

 

 

 そう言うと、アバーナシー卿は再びリドルに目を向け、静かに頭を下げる。

 

 

「少年よ、良き春を過ごせ」

 

 

 それだけを言い残し、黒いローブを翻すと、人混みの中へと消えていった。

 

 老紳士が去った後、フィンレイは深く息を吐き、肩にこもっていた力を抜いた。

 

 

「……お前、変わるな」

 

 

 リドルのその言葉に、フィンレイは笑った。

 

 

「魔法界では、挨拶一つで命運が変わることだってあるんだ」

「それは……面倒だな」

「面倒だよ。でも、面倒だからこそ、血統と家柄は僕や君にとって学ぶ価値があるんだ」

「学ぶ価値?」

「力を持つためじゃない。失わないために、だよ」

 

 

 静かに告げるフィンレイのその言葉が、リドルの胸に残った。

──知ることが、失わないための第一歩。ならば、学ばなければならない。

 リドルは僅かに視線を落とし、初めてこの世界の形が少しだけ掴めた気がした。

 

 

「血統は魔法界で大切なものなのか?」

「大切で、くだらないものさ。──でも、くだらないものを笑い飛ばせる強さを持つためには、まず知っておかないとね」

 

 

 フィンレイは笑う。リドルは答えず、ただその横顔を見つめていた。春の光が髪を白金色に染め、目元の影が揺れた。

 

 

 

 

 買い物が終わった後も、フィンレイはすぐに屋敷に帰る事なく店先に出ている雑貨屋の跳ね回るインク瓶などを面白そうに眺め歩いていた。

 

 

「……さっきの言葉だが」

 

 

 リドルは前を歩くフィンレイの背に話しかけた。

 

 

「うん?」

「『友人』ってなんだ?」

 

 

 リドルにとって、それは単なる確認のつもりだった。しかし、自分でも理由がわからぬ苛立ちが胸を引っ掻いていた。言葉の意味よりも、自分がその輪の外にいるような、疎外感が疼いていた。

フィンレイは歩みを止め、振り返って目を細めた。頬を撫でる髪を耳にかけながら、その瞳の奥にほんのり笑みを宿して。

 

 

「え、今さら?まさか契約書でも交わさないと落ち着かないタイプ?」

「……確認だ」

 

 

 リドルは少しむっとしたように言うが、目はそらさなかった。フィンレイはくつくつと笑い、小さく『やれやれ』と首を振る。

 そして胸を張り、わざとらしく演技かかった咳を溢すと、人差し指をピンと立てた。

 

 

「ふむ、いい質問だね。フィンレイ先生が教えてあげよう。──『友達』っていうのはね、相手がどんなに皮肉屋で疑り深くて、しかも顔が良すぎて腹が立つ奴でも、気づいたら隣で一緒に笑ってしまう相手のことだよ」

「……」

「それにね、世の中の大半は『どうでもいい』人でできているんだ。でも、残りのごく一部、『どうでもよくない』人を見つけられたら、それだけで人生は少し面白くなる。──僕に言わせれば、それが『友達』ってやつだ」

 

 

 フィンレイはさらりと告げ、リドルの顔を覗き込むようにして片眉を上げる。二人の距離が縮まったが、リドルはフィンレイを見下ろすだけで引くことはなかった。

 

 

「もっとも、魔法省の役人なら『友達』を定義して規約に落とし込みそうだけどね。トム、君もそうする?」

「……馬鹿馬鹿しい」

「うん、馬鹿馬鹿しいよ。でも、馬鹿馬鹿しいものを大切にできるのが大人なんだ」

「……詩人か」

「ううん、魔法使いさ」

 

 

 フィンレイは悪戯っぽく目を細めて笑った。

 

 

「それで、君はどうするの?この『馬鹿馬鹿しいもの』を受け取るのか、それとも拒否するのか」

 

 

 リドルは息を吐き、視線を落とした。春風が攫った飴細工の羽が、陽光の中でくるくると回転して空へと昇っていく。

 

 

「……馬鹿みたいだ」

 

 

──馬鹿げている。それでも、そう口にした時、胸のどこかが少しだけ軽くなる気がした。捨ててしまうには惜しい、そんな感情が自分の中にも存在することにリドルは僅かに瞼を震わせる。

 

 

「結論がそれなら合格だよ、トム」

 

 

 笑い混じりにフィンレイが柔らかく言った。

 その時、籠から逃げ出した飴細工の鳥が二人の間を飛んでいった。リドルとフィンレイは、薄い透明な羽が虹色に輝く同じ景色を見上げていた。

 

 

 

 

 そのまま二人は春のダイアゴン横丁を歩いた。陽の匂いを含む風が頬を撫で、ローブの裾を揺らす。道端では色とりどりの菓子や動く絵葉書が売られ、カラフルな呪文広告がひらひらと空を泳いでいた。

 

 気づけば、フィンレイはアイスクリーム屋の露店前で立ち止まっていた。

 

 

「さて、春の締めくくりといえば、アイスだね」

「……」

「そんな顔しないでよ。アイスは人生に必要な無駄だよ」

 

 

 リドルは眉をひそめて看板を見上げた。

 色とりどりのフレーバーが踊るように描かれ、その上には「ダイアゴン名物魔法100段アイス」と洒落た字体が浮かんでいる。

 

 

「……金は持っていない」

「知ってる」

 

 

 フィンレイは笑った。風で白金色の髪が揺れる。

 

 

「だから、こうしよう」

 

 

 彼はリドルを振り返り、左手を腰に当て、右手を自身の胸に当てて顎を上げた。

 

 

「君が僕のこと、『友達」って言ってくれたら、奢ってあげる」

 

 

 その言葉に、リドルの顔が一瞬だけ固まる。

 

 

「……馬鹿か」

「さっきまで『友達』について偉そうに語ってた僕が馬鹿?それは心外だなあ」

 

 

 フィンレイは肩を揺らして笑いながら、屋台のカウンターへ歩み寄った。リドルはその背を睨むように見つめ、ほんの僅かに唇を引き結んだ。

 

 カウンター越しに振り返るフィンレイが、悪戯な笑みを浮かべる。

 

 

「ねえ、言ってくれたらチョコミントダブルでもいいよ?」

「……」

「今なら、君の人生初アイス奢りキャンペーン中」

「……お前は、いつも鬱陶しい」

「それが、友達の醍醐味だから」

 

 

 フィンレイはそう言って、くすりと笑う。

 リドルは小さく息を吐き、視線を落としてからフィンレイを見上げた。

 

 

「……わかった。友達、だ」

 

 

 言いながら、胸の奥がくすぐったく、同時に妙な緊張が走った。口にした途端、何かが変わってしまうような気がした。

 

 『友達』──その言葉はひどく静かで、けれど風に溶けずに残った。

 フィンレイの笑みがふっと柔らかくなる。

 

 

「はい、合格。僕の世界にようこそ、トム」

 

 

 その声はいつも通り軽薄な色を持っていたが、どこか安心したようでもあった。

 

 

 店員に「チョコミントのダブル二つお願いします」と告げるフィンレイの背が小さく跳ねる。

 店員は笑顔で頷き、杖を振った。ミントの葉が魔法で宙を舞い、甘いチョコレートの香りが風と一緒に胸を満たした。

 

 

 ふわふわと浮かぶアイスを受け取ったリドルは、それを暫く見つめていたが、ほんの僅かに舌先で掬った。冷たさと甘さが舌に触れた瞬間、リドルは少しだけ眩しそうに目を細めた。

 

 

「……これが、友達の味か」

「うん。それはだいたい、冷たくて甘いけど、ちょっと溶けやすいんだ」

 

 

 フィンレイの言葉に、リドルは思わず口の端を上げた。

 

 その春の午後。二人の間に漂ったのは、甘いミントとチョコレートの香りと、無言の笑みだけだった。

 

 

 

 

 冷たいチョコミントが口の中で溶け、ほんの少し甘く爽やかな風が吹き抜ける。

 春の午後の陽射しは穏やかで、通りを歩く魔法使いたちの声と笑い声が遠く響いていた。

 

 リドルは残ったアイスのスプーンをじっと見つめながら言った。

 

 

「……今度は、何を教えてくれるんだ?」

 

 

 その声には、かすかに挑むような鋭さが混じっていた。フィンレイが振り返り、笑みを深める。

 

 

「うん?」

「『友達』なんだろう、僕たちは」

 

 

 言葉の端で、胸の奥がかすかに熱を帯びるのを感じる。──友達。そんな言葉を、口にする事があるとは思わなかった。

 

 リドルはスプーンをゴミ箱に放り込むと、真っ直ぐフィンレイを見上げる。黒い瞳が射抜くように光っていた。

 

 

「だったら、教えろ。──魔法を」

 

 

 その言葉には、どこか傲慢な響きがあった。 友達なら教えて当然だろう。と言外に言っているようだった。だが、フィンレイはその傲慢さを耳にしても、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ、その真っ直ぐさが少し可笑しくて──少しだけ嬉しかった。

 

 今までリドルはフィンレイの部屋で魔法や世界を知ったことはあれ、全て本の中の世界だ。実際に杖を振り、魔法を使う事。──それは、知らなかった。知らされていなかった。

 

 

 フィンレイはリドルの目の真剣な色を、ほんの一瞬目を細めて見て、それから笑った。

 

 

「へえ、強気じゃないか。……いいよ、教えてあげる。ただし、生徒っていうのは、先生より先に寝ちゃダメだからね?」

 

 

 春風がフィンレイの白金の髪を揺らし、その笑みを引き立てる。リドルは表情を崩さず、ただ黙って視線を外さずに立っていた。

 

 

「僕が教える魔法は、ちょっと厳しいよ?」

「構わない」

「失敗すると眉毛が焦げるかもしれない」

「問題ない」

「毎日練習しないと指が思うように動かなくなるかも」

「望むところだ」

 

 

 挑むようなリドルの返答に、フィンレイは笑ったまま、ポケットから杖を出し、手の中で杖をくるりと回した。ひゅ、と小さな風の音がして、影が石畳を流れる。

 フィンレイは小さく魔法を唱え、杖を振る。杖の先から現れた白い小さな一輪の花を、フィンレイは軽い動作でリドルの耳にかけた。

 もちろん、次の瞬間にはリドルは眉を寄せて花を叩き落としたが、フィンレイはそれを予想していたのだろう。花は地面に落ちる前にはらはらと花弁を散らし春の風に乗った。

 

 

「──じゃあ、特別授業を始めようか。魔法界きっての名教師、フィンレイ・ウィンドルミア先生の登場だよ」

 

 

 くるり、と踵を返して歩き出すフィンレイの背を、リドルは追いかけた。路地の隅にまだ残る冬の影が、春の日差しに溶けていく。

 

 

「どこへ行く?」

「ウィンドルミア屋敷。君にとって初めての『教室』になる場所だよ。僕たちがここで魔法を使うと、大人は神童だとかマーリンの再来とかでうるさいから」

「何を教える?」

「君が好きそうな魔法をね。……『友達』料金で、特別に」

 

 

 振り返ったフィンレイの笑顔は、冗談めいていて、どこか本気だった。

 

 その背を追うリドルの足はしっかりと魔法界の地面を踏みしめていた。輝かしい世界を見て、心臓がふっと一度だけ高鳴る。

 春の匂いとミントの甘さが、まだ鼻先に残っていた。

 

 

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