トム・リドルが唯一友達になった子、口数が多すぎる。 作:八重歯
「うーん。やっぱ書いてないな。研究したいけど、人狼のツテ……爺さん死んだしなぁ……」
フィンレイは残念そうに呟きながら本を閉じる。マグル学の権威が書いた本にも魔法疫病に詳しい慰者が書いた本にも、マグルが魔法疫病に罹らない理由は書かれていなかった。魔法族はマグルに興味がない者が殆どのため、両方に詳しい者がいないのも研究しようとする者がいないのも、仕方がないことかもしれない。万が一そんな変人がいたとして、その研究はマグルと魔法界、どちらにも価値はないのだ。
気にはなるがこれを突き詰めていこうか、と思うほどの熱量は湧いてくることはなく。もしいつか人狼と出会ったら共同研究持ちかけてみようと思う程度だった。
「ゔーっ……んん!」
長時間床に座りっぱなしだったからか、腕をぐっと高く伸ばせば肩や腕がバキバキと音を立てた。最後に時計を見た時から六時間は経過していて、喉はカラカラに乾き、腹も不服そうな音を立てている。まだ夜ではないはずだし、ハウスエルフに何か持って来させようか。いや、気分転換に何か食べに行こうか、と思いながら立ち上がったフィンレイは、ぱちり、とリドルと目があった。
「あれ?まだいたんだ」
「僕がいつ帰ろうと、僕の勝手だろう」
「ま、そうだね。んじゃ僕がどこに行こうと僕の勝手だ。部屋の中の物触っても良いけど命を担保に賭けなきゃだからねー」
フィンレイはリドルの棘がある言葉を気にする事なくクローゼットに向かった。部屋は暖炉のぬくもりで穏やかだが、外は冬の気配が漂っている。彼は黒のコートを羽織り革製の鞄を肩にかけると、何の疑いもなく背を向けた。
リドルは、その姿を静かに見つめていた。
初対面も同然の他人を、警戒もせずに部屋に残す。普通なら不用心と笑われる振る舞いだが──彼は無防備なのではない。支配的だった。フィンレイの態度には一片の迷いもなく、それはつまり、この部屋の主導権を誰にも渡す気がないという宣言でもあった。
その事実が気に食わなかった。理由もなく心をざわつかせ、不可解なほどに、彼を追いたくなる。
リドルは眉を寄せながら、妙な感情──焦燥にも似た苛立ちを、わずかに喉元で噛み潰した。フィンレイが身支度を整え振り返った時もまだリドルはじっとフィンレイを見ていて、フィンレイはその視線の意味がわからず首を傾げた。
「何?」
「……どこに行くんだ」
「ダイアゴン横丁」
リドルは短く返されても構わず、机の上に本を置いて立ち上がった。
「僕も行く。連れて行け」
それは命令でも、懇願でもなかった。ただの意思表示にすぎない。だが、フィンレイはほんの一瞬だけ目を細めると、あっさりと頷いた。
「ま、いいか。フィンレイ先生になってあげても。んじゃ第二講は課外学習だ、タイトルは『狂気と好奇心の見本市、ただし返品は不可』」
「ここから近いのか?」
「徒歩で行くって発想、もう捨てた方がいいよ。今まで君は、僕のとこに歩いてきた事があった?」
軽口を叩きながら暖炉の前に向かったフィンレイは「こっちだ」と視線でリドルを招く。リドルは赤い炎をパチパチと燃やす至って普通の暖炉の前に立ち、これがなんだと片眉を上げた。暖炉のマントルピースに置いている硝子の小瓶を手に取ったフィンレイは、リドルの目の前に掲げ左右に振った。
「魔法族は暖炉を使って移動するんだ。これはフルーパウダー。その一、この粉を一掴み暖炉の中に投げ入れます。その二、炎がエメラルド色になった事を確認して中に入ります。その三、行きたい場所の名前をはっきり正確に発音します。以上、わかった?復習はいらないよね?」
「……正気か?」
「安心して、全部の暖炉に繋がってるわけじゃないからプライバシーは守られてるよ。もし間違えて発音しても別のとこに出ちゃうだけで、体がバラけることもないし」
リドルは個人のプライバシーを気にしたわけではない。炎の中に入る、という通常ならありえない事態が信じ難かったのだが。露骨に眉をひそめる様子に、フィンレイは首を傾げにんまりと笑った。
「怖いなら僕が先に見本を見せてあげようか、トミー坊や?」
「変なあだ名で呼ぶな。……ダイアゴン横丁だな?」
「あ、それでもいいけど。漏れ鍋、にして」
「漏れ鍋。……わかった」
リドルはフィンレイの手から小瓶を奪うように取り、コルク栓を開けた。中には星を砕いたような銀色の粉があり、手のひらに一掴み分出す。ふう、と一呼吸分置きその粉を暖炉の中に投げ入れた。途端に炎はエメラルド色に変わり、放たれていた熱が収まる。リドルは無意識のうちにごくりと固唾を飲み、自身が緊張していることに気付く。──大丈夫、この中に入っても焼かれることはない。フィンレイがそう言った。
そこまで考えリドルは舌打ちをこぼす。他人の言葉を、それもまだ二回しか会っていない人間の言葉を信用しているなんて。
リドルは苛立ちと僅かな困惑の勢いのまま炎の中に飛び込む。その炎は、春の暖かなそよ風のように体を包み込んだ。リドルは振り返り、エメラルドカラーに染まった視界に映るフィンレイを見た。フィンレイは顔を緩め、手を振っていた。その口が「良い旅を」という言葉で動く。
「──漏れ鍋!」
まるで、巨大な穴に渦を巻いて吸い込まれていくようだった。高速で回転しているらしく、耳鳴りがするほどの轟音がする。突然のことで強張った腕に何か固い物がぶつかり、リドルは肘を引いた。暗闇の中、何かが視界の端を掠めた。誰かの暖炉の先の光景、店内、向こう側の部屋──リドルは目を細めて見ていたが、ぐるぐる回る視界に胃袋が悲鳴をあげ昨日ぶりの嘔吐感が込み上げる。これ、あいつ、わざと黙ってたな。そう思いながらリドルは目を閉じた。
終わりは突然だった。急に浮遊感と回転が止まり、リドルはバランスを崩し倒れかけたが反射的に腕を前に出し、顔を打つことも煤だらけになる事もなかった。
リドルはそっと目を開き、──ゆっくりと石の暖炉の中から出た。
煤けた石造りの空間は、どこにでもありそうな古いパブだった。肉を焼いている香ばしい匂いに混じって嗅いだ事のない香りがふわりと漂い、店内はやや薄暗い。よく磨かれている木製のカウンターがあり、店内には四人掛けの机がずらりと並んでいる。それだけを見れば普通の店だろう。
しかし、銀の皿に乗った料理がリドルの目の前を浮遊し、石壁に飾られている人物画はぺちゃくちゃと会話を楽しんでいた。店内を照らすランプは天井に繋がれることなくぷかぷかと浮いている。遅い昼食を食べる客が持つ新聞の写真も、当然のように動き回りアズカバンに投獄された犯罪者が呆然と見るリドルを威嚇していた。
「ここが……魔法界」
リドルは吐息に混ぜて呟いた。フィンレイの部屋も魔法界ではあるが、どこか現実味がなかった。こうして他の人たちを見て、自分の常識外の現象を見て、本当に魔法界に足を踏み入れたのだと実感した。
「無事到着できてたみたいだね」
後ろからフィンレイの声が聞こえたが、リドルは振り返らなかった。フィンレイはリドルの隣に並び、その目に抑えられない興奮や感動が表れているのを見て表情を緩める。
「ここは漏れ鍋。ダイアゴン横丁のパブ。……さっそく腹ごしらえと行こう。空腹では脳の動きもイマイチだし」
フィンレイはリドルの背をぽん、と軽く叩き笑いかける。リドルは僅かに体を揺らし、そのまま一歩踏み出した。
フィンレイは慣れた様子で空いている席に座り、ところどころ汚れたメニューを読む。孤児院で暮らしているリドルはこんなパブに来るのは初めてであり、どこか落ち着かない思いを隠すためにフィンレイが「何にする?」と差し出したメニューを睨むように見た。
「ついでに魔法界の物価の相場もわかるんじゃない?味は保証するよ。ちょっと脂っこい物多いけど」
「……お前は何にするんだ」
「うーん、シェパーズパイとジャケットポテト。それと糖蜜パイかな。先に言っとくけど、シェアしない派だから」
リドルは黙ってメニューを読む。『火蟹の酒蒸し』『妖精パイ』『ドラゴン肉の水晶焼き』など見たこともない料理名があったが、半分以上は慣れ親しんだメニューだった。
「プラウマンズランチと、ジャムタルトにする」
「オッケー」
店内に客は少なく、フィンレイが「決まった」とメニューを机に置けばすぐにカウンターの向こうから中年の店主が現れ、好奇心をのぞかせ何かを探るような目でフィンレイとリドルを交互に見た。
「フィンレイ。珍しいじゃないか!一人じゃないだなんて」
「うん、珍しいっていうか、初めてだね。この子、僕の同類」
「そりゃさらに珍しい!明日は雹でも降るか?」
「むしろ、真夏の陽気の再来かも」
店主は珍しげにリドルを見たが、リドルは一瞬店主を見ただけで口を強く結び、態度で不愉快だと示した。店主もそれをすぐに察しリドルに話しかけることはなく「ご注文は?」とフィンレイに聞いた。
「シェパーズパイとジャケットポテト。それとプラウマンズランチ。食後に糖蜜パイとジャムタルトね」
「はいよ」
店主は最後にもう一度リドルを見た後、カウンターの奥にある調理場へ向かった。
フィンレイは机に頬杖をつき、ぼんやりと壁にかかっている絵画を見ながら「暇つぶしの本持ってくればよかったなー」と思う。
「いつも一人なのか?」
「大体そうだね。僕の家族ってみんな生きてる次元が違うから」
「生きてる次元?」
「父さんは三年前から行方不明。母さんは一年に二回しか部屋から出てこない。一回目は父さんの誕生日、二回目は二人の結婚記念日」
なんでもない事のようにフィンレイは言う。実際その事に関してフィンレイは深く思い悩んだり悲しんだことはなかった。彼らには彼らの生活スタイルがある。父は生きているのか死んでいるのかわからないが、好きなことを突き詰めた結果がこれなら仕方がない。それに、身の回りのことはハウスエルフが整えてくれているし、困ったことは何もない。それでも、その内容にリドルは少し胸の中の何かが柔い部分が引っ掻かれた気がした。
フィンレイはぼんやりと、天井をふわふわと漂うランプを見ていた。その隙だらけな横顔を眺めながら、リドルはふと、先ほどの「同類」という言葉が心の奥でじわりと滲んでいることに気づく。
知性の面で言えば、確かに並ぶだろう。だが彼の振る舞いはどう見ても変人のそれで、まともな部類には分類されない。──それでも、不思議なことに、「同類」と言われて嫌悪感は湧かなかった。
炎の揺らぎを見ていたフィンレイが、ふ、と気まぐれのようにリドルの方へ視線を向ける。リドルは逸らすことなく見返し、二人の視線が絡んだまま、沈黙が落ちた。
やがて、フィンレイが思いついたようにぽつりと呟いた。
「……僕さ、孤児院が何か調べたんだ」
唐突すぎる言葉に、リドルは一瞬まばたきしたが、感情を表には出さず「そうか」と短く返した。
「マグルの世界には、孤児院がたくさんある。つまり、孤児もたくさんいる。理由はまあ、戦争、病気、犯罪、親が逃げた、愛がなかった──なんでもアリ。魔法界にはそういう施設、無いんだよね。なんでかなって思った」
「魔法界には、孤児がいないというのか?」
「いないわけじゃないけど、圧倒的に少ない。理由は単純。まず、前も言ったけど魔法使いの数が全体的に少ない。マグルとの結婚って、この国は合法だけど、アメリカとか他の国では違法だしね。それと、純血の名家って大体が『血の継続』を呪文のように唱えるくせに、子どもは一人で満足しちゃう。二人はレア。三人は奇跡。おかげでどんどん数が減っていく」
「血にこだわるなら、なぜ複数人産まない?継承が失敗したら終わりだ」
リドルは怪訝な顔をする。歴史的に見ても有名な血族はたった一人産んでおしまい、とはならない。その子が生き続ける保証も、次の子を成せる保証もないからだ。
フィンレイは頬を流れる髪を掴み指先でくるくると弄びながら「そうだね」と頷いた。
「多分、本能的に怖いんだよ」
「?……何が?」
指に巻いていた髪をパッと離す。それはゆっくりと肩についたが、まだ巻き跡がゆるく残っていた。
フィンレイが「それは」と口を開いた時、店主がシェパーズパイとプラウマンズランチと紅茶を銀の盆に乗せて運んできたため、フィンレイはその先の言葉を飲み込んだ。
置かれたナイフとフォークを手にし、早速フィンレイはパイにナイフを突き刺す。パイを破った瞬間、食欲をそそるスパイシーな香りと立ち上る湯気がフィンレイの顔を隠し、リドルも視線を料理へと移した。ザク、ザク、とパイを切りながらフィンレイは何気なく口を開く。
「自分から怪物が産まれるのが、かな」
「……怪物?」
「例えば君とか、僕とか?」
フィンレイはフォークに突き刺した羊肉をリドルに向け挑発的に笑う。その言葉は冗談にも、冗談ではないようにも聞こえた。
リドルは眉を寄せ、乱暴にパンをちぎって口の中に放り込んだが反論はしなかった。
「君みたいな孤児もどこかにいるだろうね。魔法界でもたまに戦争みたいなのしてるし、ってか今もまあまあやばいみたいだし」
「そうなのか?」
「うん、ここより、ヨーロッパあたりかな。あと数年もすればこっちもやばくなりそうな気配はあるよ。──多分、孤児は居るけど魔法族ってマグル生まれ以外は大体どこかで血が繋がってるから、誰かの養子になるんじゃない?」
多分ね。と言葉を続けながらフィンレイはパイを頬張り、幸せそうに顔を綻ばせた。
「養子」その言葉を聞いたリドルは、声には出さずにその言葉を口の中で転がす。孤児院でもたまに養子に貰われていく子どもはいた。それは大体見た目や能力で選ばれる。自分がどの子どもよりも優れているのは自覚していたが、それでも選ばれなかったのは相手がマグルだからだ。もし、魔法使いなら、この力を奇妙に思わないのであれば、あの腐った世界から連れ出してくれるのではないか。
この体に魔法使いの血が流れているのなら、親族を探してみてもいいかもしれない。
養子に行くかどうかは別として、存在しないと思っていた親戚が魔法界のどこかにいるかもしれない。その事実にリドルは僅かに表情を緩めながらプラウマンズランチのハムにフォークを突き刺した。
糖蜜パイが半分ほど残っている皿を前に、フィンレイはさっさと紅茶を飲み干して立ち上がった。ナプキンで口元を拭き、鞄の紐を肩に掛け直すと、いつも通りの軽い口調で言う。
「さて。胃袋のミッションコンプリート!糖分もとって脳も活性化の兆しあり。じゃ、帰ろっか」
そう言ってくるりと踵を返し、店の出口に向かおうとした時だった。ぴしり、と服の裾に何かが引っかかったような違和感を覚えたフィンレイは、訝しげに足元を見る。振り返ると、そこには手を伸ばしたままのリドルがいた。
フィンレイの黒いコートの裾を、リドルの指先が掴んでいた。ぐっと引くでもなく、強く握るでもなく。ただ確かめるように、そっと、しかし確かに。
「……」
リドルはすぐに手を離したが、立ち上がることなくフィンレイの目を見つめた。フィンレイはすぐには口を開かない。そのまま彼の黒い目を、まるで中身を覗くようにじっと見つめていた。
フィンレイはリドルが何かを望んでいるとわかっていた。だが彼はその言葉を自分からは出せない。他人に「お願い」をする事に関して彼は何よりも不器用だった。それを察して、フィンレイはまるで知らないふりで首を傾げた。
「なに、まだ足りなかった?スコーンでも追加する?」
リドルの眉が一瞬だけ動いた。あきれと自尊心がせめぎ合うような表情で眉が寄り、フィンレイはその反応を待っていたかのように、少し顎を上げる。
「それとも、何か他に──言いたいことがある?」
沈黙。フィンレイの声色にはからかいと興味が混じっていたが、リドルの耳にはそれが不快には響かなかった。なぜだろうか。まだ見ぬ世界を前に気分が高揚しているからだろうか。
やがて、ほんの少しの逡巡のあと、リドルはわずかに視線を逸らして呟くように言った。
「……ダイアゴン横丁を……見てみたい」
その声は誰に届かせるでもない独り言のようだったが、フィンレイの口角はそれを聞いた瞬間、ふわりと笑みに引き上がった。
「やっと言ったね。言えたら連れてってあげようって思ってたんだ、トミー坊や」
「その名前で呼ぶな」
「拒否権はないよ。じゃあ、行こうか。見せてあげるよ、魔法界の『混沌の宝庫』──ただし、期待しすぎると失望するかもね」
フィンレイは楽しげに目を細めて笑い、上機嫌に鼻歌を歌いながら先頭を歩く。跳ねるような動きに、また、瞼の裏に彼のプラチナブロンドの輝きがちらつき、リドルは手で目を擦った。
「あ、代金はプラウマンズランチが3シックル。 ジャムタルト1シックルと2クヌートだよ。1ガリオンで足りるからねー」とフィンレイは背中越しにリドルに言い、カウンターの向こうにいる店主の元へ向かった。