トム・リドルが唯一友達になった子、口数が多すぎる。 作:八重歯
フィンレイは漏れ鍋を通り抜け、レンガの壁に囲まれた小さな中庭にリドルを案内した。そこはゴミ箱と雑草が少し生えているだけの庭であり、リドルは狭い空を見上げながら怪訝な顔をした。
「ここは?」
「まぁ見ててよ」
悪戯っぽく笑ったフィンレイは、ポケットから杖を取り出すとゴミ箱の三つ上、横に二つのレンガを杖先で三度軽く叩いた。すると叩いたレンガが震える。その震えは徐々に大きく、周りに伝染し中央に穴が空いたかと思えば、次の瞬間には大きなアーチ型の入り口になっていた。その向こうには石畳の通りが曲がりくねり、先が見えなくなるまで続いていた。
「混沌の宝庫へようこそ、トム。さーて、君はこの地獄に耐えられるかな?」
リドルが息を飲み驚愕しているのを見て、フィンレイは楽しげに笑う。二人がアーチをくぐり抜ければアーチはみるみる縮み、硬い元のレンガ壁に戻った。
石畳の通りには魔女や魔法使いたちが行き交い、店先では大鍋が数えきれないほど積み上げられ、何かの目玉がぶら下がり、壁に貼られた広告はアピールに必死で、干からびた薬草や動物の臓物が並ぶ。
「どう?」とフィンレイが尋ねた。「地獄みたいな楽園でしょ」その戯けた声にリドルは答えず、ただ目を瞬かせた。生まれて初めて見る世界の喧騒と魔法が、彼の無口な感情の表面をかき乱していた。
「ついでだし、買い物していい?」
リドルはその言葉に曖昧に頷く。今はフィンレイの言葉よりも、視界に映る全てを記憶する事に必死だった。「こっち」と服の袖を引かれるままにリドルはフィンレイの後ろをついて歩く。「ニヤモヒラ魚の鱗が一枚5クヌート、ニラニラミ草は2シックルですって、値上がりが酷いわ」と文句を言う魔女の声を後ろに聞き、二人は薬問屋に入った。
店内は腐った卵と青臭い臭いが微かに漂う。高く伸びる棚には瓶が並び、中には薬草や目玉、爪、肝、などが詰められていた。天井には縄が張り巡らされ、乾燥した木の根や魔法動物の体毛や羽の束が糸に通してぶら下げられている。リドルの瞳は色鮮やかな粉や鳥の羽の色を映し、瞬きすることなく全てを知ろうとしていた。素材に夢中になっているリドルを置いてフィンレイはさっさとカウンターに駆け寄った。
「すみませーん」
木のカウンターの向こう側には誰もいなかった。フィンレイは声をかけながらカウンターを拳でトントンとノックする。すると奥から腰の曲がった店主が現れ、フィンレイを見ると黄金虫のような小さな目を細めてにっこりと笑った。
「おや、フィン坊。もう素材切れかえ?」
「うん。何か珍しいの入ってる?」
「そうさなぁ、マンドラゴラの季節はまだちぃっと早い……。そうじゃ、ユニコーンの爪と、ビニモモヒルの表皮、ジャグルナの目はどうじゃ?」
「うーん。じゃあユニコーンの爪三本とビニモモヒルの表皮は……いいや。ジャグルナの目二つ」
「はいよ。全部で二十四ガリオンじゃ」
店主はニコニコと愛想よく笑い、商品を麻布に包む。その間にフィンレイは鞄の中を探り巾着袋を取り出す。中からガリオン金貨を適当に二掴み分取り出し、カウンターの上に小山を作った。「三十二枚か、面倒くさいから三十二ガリオン分適当に足しといてくれる?」と言えば店主は満面の笑みで頷き、袋にさらにユニコーンの爪を一枚、ジャグルナの目を三つ追加し商品を受け取ったフィンレイはすぐに鞄の中に入れ「ありがと、またくるね」と軽く手を振る。店主にとってフィンレイは──ウィンドルミア家は代々続くお得意様であり、フィンレイが店を出るまで深々と頭を下げていた。
「じゃあ次は本屋に行こう。ここの本屋で大体の本は揃うよ。ただし検閲済み」
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店は大通りを少し進んだ先にあった。書店の扉を開ければ紙とインクの匂いがして、リドルは無意識に深く息を吸い込んだ。
天井まで届く本棚にはきっちりと本が並びフィンレイの本棚とは違い分類別にされていた。本のサイズも様々で、敷石ほどの巨大な革製本もあれば、切手サイズのシルクの表紙の本もあった。リドルは店内を見渡し、何となく目に留まった本を抜いてみればそれは記号ばかりのどう読むのかわからない本であり、その隣にあるのは白紙の本だった。
「この本屋はね、『読書家の命を吸う』って都市伝説があるくらいで。ガリオンと寿命がみるみる溶けるから、財布と魂はしっかり掴んでてね」
本を引き出し、少し読んでは戻すを繰り返すリドルの背に向かってフィンレイはからかうように言った。
リドルはふと棚から古びた革装の本を抜き取った。それは勝手にページが開き、空中でバサバサと羽ばたいたかと思うと、彼の顔面目掛けて突っ込んできた。すんでのところで身を引けば、本はそのまま床に落ちて唸るような音を立てて閉じた。
「……叫んだり噛みつかなければいい」
震える本を見下ろし呆れたように呟いたトムに、フィンレイが朗らかに指を立てて言う。
「それ、標準装備だから。ページを開いたら絶叫、章をめくれば噛みつき、奥付にたどり着いたら爆発──これぞ魔法界の読書体験」
「……本ってそういうものか?」
半眼で問い返すリドルをよそに、フィンレイはくすくす笑ってさらに続けた。
「あっちの棚には、読者の目玉をターゲットにする本があったよ。『涙腺に訴える感動作』って帯に書いてたけど、実際は眼球狙いだった。あれはあれで感動的、視覚的に」
「魔法界の本は、人を攻撃しなければ気が済まないのか?」
リドルの問いには、もう若干の諦念が滲んでいた。フィンレイは腕を組み、大真面目な顔でうなずく。
「うん、まあ基本的に本気で人間嫌いなんだと思う。作者がね。『読まれるくらいなら戦う方がマシだ!』っていうタイプ」
「作者が……?」
「作者が原稿じゃなく呪詛を書いてたタイプなんだよ。だから開いたこっちが呪われるのも、まあ筋が通ってるよね」
口角をあげ、どこか得意げに語るフィンレイの横顔を、リドルは静かに見つめる。笑っているのに、どこか本気に思えるあたりが厄介だった。リドルはフィンレイの部屋で、攻撃してこない本があることを勿論知っている。二人はそれを理解した上で、何の身にもならない会話を続けているのだ。──それが続くのも、魔法界に触れたリドルの機嫌がいつもよりも数段に良いからだろう。
「読書って命懸けなんだな」
「そう。魔法界における読書とは、すなわち命とガリオンをかけた一大ギャンブル!読み切る者は知識を得て、読み損ねた者は視力と指先を失う。──で、君はどっち?」
「検閲された本の意味が少しだけわかった気がする」
そう呟いたリドルの顔には、ほんのわずかに笑みのようなものが浮かんでいた。フィンレイはそれを見逃さなかったが、何も言わずに楽しげに肩を揺らせてくつくつと笑った。
リドルのポケットには、持ってきていたガリオン金貨が入っている。『呪いの掛け方一千例』という本を手に取り本気で悩み出したリドルを見て、フィンレイは「それ、僕の家にあるよ。僕の家の本は、検閲無し」と耳打ちし、リドルは片眉を上げてフィンレイを見ながら本を棚に戻した。
二人は店内をぐるりと一周しただけで何も買わずに店を出た。フィンレイは書店を振り返りながらおどけたように肩をすくめる。
「ここの本屋の品揃えは抜群だけど、君が将来多分行くホグワーツ魔法学校の図書館はここの数倍広いらしいし、蔵書数も桁違い。ついでに言えば、僕の家の図書室もなかなかだよ」
「家に図書室があるのか?」
「うん、ウィンドルミア家のね。ま、気が向いたら案内してあげる。もちろん──」
「検閲無し、だろ?」
リドルがフィンレイの言葉を先に言えば、フィンレイは開いた口を笑の形に広げ「その通りさ」とニヒルな表情で頷いた。
次はどこに行こうか。何か面白いものでもあったかな、と考えながらフィンレイはゆっくり石畳が続く道を歩く。
空を飛び交うフクロウが二人の頭上高くを通り過ぎた。窓に貼られている広告は波うち点滅し、アピールし、店の軒先には吊るされた皮が剥がれた狐や紫色の巨大バッタがある。近くの店の樽には緑色の粘着質な液体が入っていて、ピンク色の玉のような魔法動物が足元を忙しそうに走っていく。
どこからか流れる香ばしい香りや甘い香りや香辛料の強い香り、ヘドロのような不快な匂い。色が禿げた箇所を勝手に塗り替える筆とペンキのコンビや商品の上で日向ぼっこをしているオレンジ色の猫、それにアイスクリーム店のテラスで休憩している魔女はオオワシの剥製がついた三角帽子を被り、長い紫色のローブの先は生きているように動いている。
人間以外の声と、鳴き声。そんな香りと色と音と情報が忙しなく行き交う。──それらは何の変哲もない、至って普通の日常だった。
リドルはフィンレイの背中をじっと見る。身長は自分よりも低いはずだが、なぜかその背中が大きくとても遠いものに思えた。
「──なあ、これが全部、お前にとっては普通なのか」
そう投げかけられ、フィンレイは後ろで手を組んだままくるりと振り返る。リドルの目は確かな羨望や嫉妬、怒り、動揺が混ざり複雑な色になっていた。そんなリドルを見て、フィンレイはふっと笑う。
「うん。だけど、初めて誰かと一緒に見て回ってる」
リドルはそれに何も返さなかった。ただ、さっきまでよりほんの少しだけ、歩く速度をフィンレイに合わせていた。