トム・リドルが唯一友達になった子、口数が多すぎる。 作:八重歯
リドルはスクールの授業が終わり、一番に教室を飛び出し通学門を通った。早足の速度に合わせて呼吸が弾み、「は、」と口から息が漏れる。それは白いモヤのようにふわりと広がり真冬の空に溶けて消えた。
一月の終わり、ロンドンはすっかり冬に包まれ、街は一面の雪景色だった。馬車道には半ば溶けた雪と砂利が混じり、地面は灰色に濁っていたが──視線を落とさなければ、街は静かで美しかった。
雑貨店の窓辺に飾られたスノードームのように、街は静かに色を変えていた。だがリドルは、それを楽しむこともなく歩を進め、まっすぐ孤児院へ戻った。
やがて孤児院の門が見え、何の感慨もなく通り過ぎる。
肩に乗った雪を簡単に払い、「ただいま」を言うことも無く自室へ向かった。リドルが帰ってきた事に気づいた職員の「おかえり、トム」に対してリドルはちらりと視線を向けるだけで済ませた。返事は、人間関係の最低限の証だという。しかし彼にとっては、それすら必要なかった。
リドルが無愛想なのはいつもの事であり、職員は諦めにも似たため息を溢し、すぐに子どもたちの夕食の準備にとりかかった。
部屋に入り、扉を閉める。その動作ですら最小で無駄がない。鞄を机の上に置くと引き出しをそっと開け、中にある色褪せたお菓子の缶を宝物のように丁寧に掴み、蓋を開けた。中に入っているのは古い小さな鍵であり、リドルはそれを掴むとすぐに踵を返す。その鍵はフィンレイの部屋に繋がる魔法の鍵だった。少しの時間も惜しいのか、何かに突き動かされるように扉へ向かう。──その時。
「トム、トム!」
「……」
「降りていらっしゃい!」
聞こえてきたのは階段の下から自分の名前を呼ぶ職員の声だった。あと一歩で魔法の世界に旅立てたその瞬間、現実に引き戻された。リドルは強く鍵を握り直したが、腕を下ろすとそのままポケットに鍵を突っ込み舌打ちをこぼした。
荒い動作で扉を開き、強く閉じる。バタン!と大きな音が響き、廊下を歩いていたリドルより幼い子どもはびくりと肩を震わせ慌ててその場から退散した。不機嫌なリドルは、この孤児院で何よりも怖く、不気味なのだ。
職員の呼び出しを無視しても良かった。ただ、このままフィンレイの部屋に行って、職員がリドルの部屋まで様子を見にきた時。先ほど帰ってきたばかりで、玄関も出ていない事は知られている。明らかに不審に思われてしまう。別に今更変な子どもだと思われるのはどうでもいいが、見張られたり探されるのは厄介だった。
いつもは足音を殺して歩くリドルが、わざとらしく音を立てて階段を下りる。苛立ちからくる感情の起伏で魔力が高まり、びし、ぴし、と窓ガラスがリドルの怒りに反応して悲鳴をあげる。玄関でリドルの到着を待っていた職員は天井を見上げ「家鳴りかしら」とぼやいた。
「……何」
その一言は、詰問にも軽蔑にも聞こえた。愛想のない──怒っているとわかる様子の表情だ。いつもなら職員もまた不気味な事が起こるのかと気を重くさせているだろうが、今日に限ってはそんな雰囲気はない。むしろ、驚愕と感動で、やや興奮していて、リドルはその表情を見上げ眉を寄せた。
「トム、あなたにお客様よ。あなたに会いにきたんですって。初めてよ、そんな子──あなたに、遊び相手が……!」
その声は震えていた。感動か、恐怖か、それとも何か宗教的な啓示でも受けたのか。だがリドルの思考は止まっていた。
「や、トム。あーそびーましょー?」
そういってフィンレイは片手を上げ、リドルは驚愕で目を見開き息を呑んだ。その声が、空気をすべて塗り替えた。聞き慣れた声──だが、ここで聞こえるとは思わなかった。
職員が陰になっていて見えなかったが、そこにいるのは紛れもなくフィンレイだった。もこもことした上等そうなコートを着て、マフラーを首に巻いている。リドルは暫く固まっていたが、職員に「行ってらっしゃい、晩御飯までに帰ってくるのよ」と言いながら背中を押され、ようやく足を動かした。
玄関から出た途端、後ろで扉が閉められる。先ほど対応した職員が興奮を滲ませた声で「コール!ねぇ聞いて!トムに、あのトムに友だちがいたの!」と言いながら遠ざかっていくのが聞こえる。
リドルはまだ、信じ難い気持ちでフィンレイを見ていた。
「なんで、ここに?」
「遊ぼーよ」
「……こっちで?」
こっち、とは『マグルの世界』を指している。自分にはもう必要のない、不自由で凡庸な世界だ。しかしフィンレイは何食わぬ顔でこくりと頷き、わざとらしく「こほん」と咳をすると、胸を張り背筋を伸ばした。
「フィンレイ先生の校外学習、第二講!」
「……」
「タイトルは『フィンレイ先生の非公式観光案内』!」
フィンレイはまるで遊びの続きをするように言い、リドルを待たずに踵を返し大通りへ向かった。リドルはその遠くなる背中を暫く見ていたが、フィンレイの「来ないと休講するよー」の言葉に、わざとらしく「仕方がないな」と呟きその後ろを追った。
リドルはフィンレイに連れられ、ロンドンの街を歩いていた。はらはらと雪が降り、フィンレイの鼻先に落ちてじわりと溶けた。
「今日はいい天気で最高の陽気だから、行きたいところがあるんだ」
「最高の陽気?」
楽しげなフィンレイの言葉に、リドルは怪訝な顔で空を見上げる。相変わらずどんよりと重く雪雲が空を覆っていて、水分を含んだ雪が落ちてきている。これが『陽気』とは、魔法族は季節の感じ方が逆さなのか、それともフィンレイが特殊なのかリドルには判断がつかなかった。
「……何をするところなんだ?」
「秘密だよ。でも、たぶん君──今日ちょっと泣くと思う」
その予言のような言葉に、リドルは眉をひそめた。泣くなんてありえない。だが、彼の足は自然とフィンレイの隣に並んでいた。
三十分程歩いただろう。時間の経過と共に天候は悪化し、外を歩いている人は皆首をすくめ方を上げながら足早に家へ帰る。リドルの鼻先も赤くなり、寒さでポケットの中に入れている手も冷たい。
フィンレイの鼻もリドルと同じく赤く、時折鼻を啜る小さな音が聞こえたが、表情はちっとも苦じゃないのか、歌い出しそうな程の笑顔を見せていた。
いい加減、寒い。手が悴むし、古びた靴では雪解け水を防ぎきれず、足先から冷えが這い上がってくる。
「まだ着かないのか?」
「もう見えてきたよー。ほら、あそこ」
そこは、ロンドンの喧騒から少し離れた国立公園だった。初夏や春ならピクニックをする人や、整備された遊歩道を散歩する人、家族連れの笑い声が聞こえるが、今日は遠くが白く霞むほどの天候で、そんな時に寒さを凌ぐことができないこんな場所に来る酔狂な人は一人もいなかった。
怪訝な顔をするリドルに、フィンレイは「こっち」と手招きし、公園内の小道から脇に逸れた。重い雪でしなる木々がが生い茂る獣道を進むと、突然、風の流れが変わった。
「……ここが境目」
立ち止まり、前方を指す。
フィンレイが指した先、枝と蔓が自然にアーチを成し、まるで誰かが編み上げたかのような門になっていた。向こう側から、春の柔らかく温かい日差しがその隙間からこぼれ、雪が積もった地面を優しく照らす。
リドルは幻想的な世界に息を呑んだ。──かつて、曇天の空から指す太陽の光の筋を、『天使の通り道』と呼んだ職員がいたことを思い出した。
「この向こうは、子どもしか入れない魔法の入り口なんだ。大人のマグルにはただの茂み」
「子どもだけ?」
「そう、この先の世界を作る妖精が子ども好きなんだ。気に入られるとうっかり帰ってこれなくなる。トムの世界でも、『妖精に連れて行かれた』って言うでしょ?」
人が──特に子どもが突然いなくなると、それは『妖精に連れて行かれた』と大人は嘆きながら言う。リドルもそういう話は知っていたが、誘拐か事故かで死んだのを認めたくないだけの、現実逃避の言葉だと考えていた。
「マグルの子も、とっても純粋なら妖精に誘われて入っちゃう。魔力がない子は妖精の魔力に当てられて、生きて帰れたとしても大体狂っちゃうみたい。……さ、僕たちはまだ入れるかな?」
フィンレイはまるで愉快な冒険でも始めるかのように笑って、アーチの向こうを顎でくいと指した。
二人がアーチをくぐった途端、空気が変わった。ほわんと温かい空気が体を包み、芯まで冷え切っていた体にじんわりと広がる。色とりどりの花が咲き乱れ、木々の葉がきらめく。花の周りには背中に透明な蝶に似た羽が生えた妖精が飛び、二人を見て嬉しそうに手を振っていた。
中央には湖があり、その水面には小さな光の粒が漂い日の光を浴びてキラキラと輝いていた。
──この場所には、時間すら、別のものとして流れている気がした。
「ここは妖精と精霊の国って呼ばれてる場所。あの湖には水の精霊が住んでいるんだ。ほら、こうやって──」
フィンレイは湖畔へ進み、水をそっと手のひらにすくうと、空へ向かって放った。
水は宙で虹のように輝き、ふわりと花の形を取って舞い上がる。光の粒が集まり、小さな鳥のような形になって空を飛んだ。
「……これは、魔法?」
空に広がっていく光の粒を見上げたままリドルが小さく問う。フィンレイは湖のほとりにしゃがみ、指先で水をくるくると撫でながら、首を振った。
「ううん。これは『水妖精のたわむれ』っていう、小さなおまじない。杖も呪文もいらない。子どもにしかできないおまじない。──ただ、願うだけ。水に、君の心を映すんだ」
「……そんなことが、本当に?」
「試してみなよ、トム。この世界は君を歓迎してる」
リドルはしばらく沈黙した。だが、湖を見つめる瞳の奥に、わずかな戸惑いと、それを打ち消すような意志があった。
彼はしゃがみこみ、手のひらで水をすくう。ほんの一瞬、何かを思い浮かべ——空へ放った。
──ぱしゃり。
水は虹をまとい、空中でゆっくりと鯨のような形をとった。淡い光に包まれたそれは、水の中を泳ぐように空を渡り、ひとしきり回遊すると、花の形に崩れて風に舞った。
フィンレイは眼を細め、そっと息を呑み微笑んだ。
「……君、意外に綺麗な魔法使うね」
その言葉に、リドルは何も言わなかった。水の粒が消えた向こうをじっと見つめ、ふ、と手のひらに視線を落とす。
彼の目はほんのわずかに伏せられ、初めて自分の魔法が誰かの笑顔を作ったことに気づいたように見えた。
魔法の湖に、静かな時間が流れていた。フィンレイはコートとマフラーを低木の枝に掛け、靴を脱ぎ、裸足で水際に腰を下ろしている。湖面に映る空はどこまでも青く、風がそっと髪を揺らす。隣にはリドルが立っていた。彼はまだ、指先に残る水の感触を確かめるように、時折手を開いたり握ったりしている。
「ねえトム。──さっき、何を思い浮かべたの?」
唐突な問いに、リドルは僅かに肩を動かす。だがすぐには答えず、視線を遠くに投げた。水面の先、光の羽をまとった何かが静かに舞い上がっていく。
「……わからない。あんなものが出るとは思ってなかった」
「でも、出た。あれ、鯨だったよね。空を泳いで、花になった。……素敵だった」
リドルは口をつぐんだ。それは照れでも、ためらいでもなく。
ただ、自分の気持ちに名前がつかないことへの、静かな戸惑いだった
「君の魔法には、意志があるね」
「……どういう意味だ」
「鯨を浮かべたのは、君の記憶か願いだよ。鯨はさ、深くて暗い海を泳ぐけど、時々水面に上がってくるんだって」
フィンレイは芝生に寝転がり、空を見上げる。
ちくちくと草の感触が頬に心地よく、手を組んで頭の下に敷いた。
「君、もしかして──誰かに見つけてほしかった?」
静かな問いに、リドルの顔が僅かに曇る。そしてふんと鼻を鳴らし視線を外した。
「……くだらない。魔法は感傷じゃない」
「うん、そうだね。──だけど、魔法って、誰かと繋がるための言葉でもあるんだよ。杖も呪文もいらない、ただ伝えるための、手段」
「……」
その言葉に、リドルは何も言い返さず、ただ、目の前の湖を見つめる。──その目には、揺れる光の粒が、かすかに映っていた。
湖の風が、ふわりと二人の間を吹き抜ける。フィンレイは寝転がったまま、木々に囲まれた狭くどこまでも青い空を見つめる。
「ここに、君を連れて来られてよかった」
「……どうして、そう思う」
「この場所は、子どものうちしか来られないんだ。大人になると、もう見えなくなる。
……ずっと知っていたけれど、伝える相手がいなかった。君に会えて、伝えられて、残せるようになったんだ」
リドルは黙ったまま立ち尽くしていた。
ただ、こんな感情的な言い方をするフィンレイは珍しく、視線を前に向けたまま耳を傾けていた。
「教えるってね、自分の中の魔法を、誰かに託すことでもあるんだよ」
フィンレイの声は柔らかく、けれどその奥に確かな意志があった。だが、リドルはそれを聞いてわずかに皮肉っぽく口元を歪めた。
「じゃあ……お前は、今ここで、何を託してるつもりなんだ?」
フィンレイは少し笑って、目を細めた。
「君がこの魔法のこと、ずっと覚えてたらいいなって思ってる。妖精のおまじないも、君の鯨も、全部。……君が誰かにこの景色を話す時、今日のことが心の中に残ってたら、それでいいんだ」
リドルはその場にゆっくりと腰を下ろした。二人の間に、しんとした沈黙が落ちる。
その静けさのなかで、風が水面を揺らし、光の粒がまたふわりと浮かび上がる。今度は蝶の形になって、フィンレイの頭上をくるくると飛んだ。
「……僕は別に、今日のことを楽しいとは思っていない」
「そっか」
「でも──嫌いでもない」
その言葉に、フィンレイは笑った。
子どもらしさのない、大人びた笑みだった。
「つまり、それが君なりの『ありがとう』だってことで、いい?」
「勝手に解釈するな」
「……するよ、僕は『フィンレイ先生』だからね」
ふふ、と歌うように言われた言葉にリドルは眉を寄せてフィンレイを睨んだが、すぐにふっと息を吐き、空を仰いだ。
「お前はいつもそうやって、人に勝手なものを押しつける」
「うん。でも、君もだよ。
誰にも触れられくないって顔しながら、僕を見ろって叫んでるみたいな魔法を放つんだから」
リドルは言葉に詰まる。そしてそのまま、何も言い返さない。ただ、目の前の湖を静かに見つめていた。
その日、二人は日が傾くまで湖にいた。水の精霊たちは二人の周りをぐるぐると遊び、リドルの袖に花の形を作ってはふわりと舞い上がる。湖の畔に座って、何もせず、ただ風の音と水の声を聞いていた。
そして帰り際、アーチをくぐる直前、フィンレイがふと立ち止まり、振り返った。
「ねえ、あのおまじない。僕たちで名前つけない?水妖精のたわむれ、なんて味気ないし」
「……勝手にしろ」
「じゃあ、──『湖の手紙』って呼ぼう。『君がまだ言葉にできない想いを、水が代わりに届けてくれた』って意味で」
リドルは呆れたように目を細め、ふん、と鼻を鳴らす。
「お前は、そういうのばかりだな。詩人のつもりか」
「違うよ。教師のつもり。──未来のね」
その言葉と同時にアーチをくぐった瞬間、湖の世界は消えた。リドルの指先には、湖の最後の一滴だけが残っていた。
──これは、彼の魔法が、はじめて誰かの記憶に残った瞬間だった。
妖精の世界を抜けた瞬間、冷気が二人の頬を打った。
すっかり油断していた二人は首をすくめ、ぶるりと大きく震えながら国立公園から大通りへ向かう。高く伸びる店やアパートに遮られて、体を凍させる風はましになったが──それでも寒いものは、寒い。
「うー!寒い!……ねえ、漏れ鍋行こうか、この前行ったところ、覚えてるよね?マグルの方からの行き道わかったんだ」
「!……そうか、近いのか?」
「そうだね、歩いていけるし──あ、トム。あそこにフクロウがいるの、見える?」
フィンレイはそう言って道を挟んだ向こう側にあるガス灯を指差した。確かにその上にはフクロウが止まり、つんつんと羽を整えている。
「前に言ったっけ?魔法界ではフクロウが手紙と荷物を運んでくれるんだ」
「……無事に届くのか?」
「八割はちゃんと届くよ。残りの二割は、まあ……魔法事故か、フクロウが配達中に気が変わって休暇を取るか……魔法界の郵便事情なんてそんなもんさ」
肩をすくめてフィンレイが言った時、フクロウが羽を優雅に広げてどんよりとした空に飛び立った。
それを見送った後暫く二人は無言で歩いていた。フィンレイはマグルの世界にある店や馬車、彼らの服装などを興味深そうに見つめ、機嫌良く鼻歌まで歌っていたが、リドルは本当に漏れ鍋への道がこっちであっているのか気になった。
路地裏でも、隠されてもいない。フィンレイが向かっているのは店が建ち並ぶ賑やかな通りだった。本屋、楽器店、喫茶店、色々な店があり客で賑わっていたが、どの店も魔法使いや魔女がいる様子はない。
ごく普通の街だった。本当にあの素晴らしく不思議な魔法界に繋がるあの店があるのだろうか。フィンレイは自分をからかおうとしている?──いや、フィンレイの言葉は軽薄で意味のないものが多いが、騙すことはない。
そうリドルは考え、左右に揺れるように歩くフィンレイの背を見る。
それはまさに、他人なら『信用』という言葉で表現するだろう思いだが、リドルの中にまだその言葉は存在しなかった。ただ、そう思った時に胸が少し軽くなった気がした──それだけだ。
「あ、ここだよ」
唐突に足を止めたフィンレイの背にぶつかりそうになったリドルは慌てて足を止めた。
そこには古ぼけたパブ、漏れ鍋が本屋とレコード店の間にあった。リドルは本当にこんなマグルの世界に紛れて堂々とあるとは思わず目を見張る。
「マグルが間違えて入ってこないのか?」
「マグル避けしてるから大丈夫。魔力が無い人は、漏れ鍋を見ても認識できないんだ」
フィンレイの言うように、足早に通りを過ぎるマグルは本屋とレコード店の間にある汚く古ぼけたパブを全く見ていなかった。
「さあ、入ろう。道の真ん中で立ち止まってると流石に怪しまれるし」
フィンレイが扉を押し開ける。入店を知らせるベルがカラン、と鳴り、リドルは懐かしい匂いが体を包み込んだのを感じた。
一歩入れば、確かにそこは以前訪れた漏れ鍋だった。来客のピークは過ぎているのか、店の隅で魔女が三人腰掛け、小さなグラスでシェリー酒を飲んでいた。
フィンレイは足早に空いているテーブルへ向かい、椅子に座ると「はあ」と一息ついた。リドルは長いパイプを燻らす──煙は星の形をしていた──魔法使いが広げる新聞の写真が動いているのを見て、僅かに表情を緩めた。
──そして、その笑みはフィンレイにだけ、そっと見られていた。