深夜のシャーレ   作:粋刺@翻訳

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[作者まえがき]
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[訳者まえがき]
どこでもセリナ


【セリナ】どこを見つめていても、いつでもそばにいますから

 電気がなければ今頃どうしていたか、あなたにはそれが分からない。夜遅くまでデスクに向かい、パソコンをタイピングし続けたり、事務仕事をこなしたりしている。だがこの眠れる街の中、この部屋を照らしてくれる疑似太陽光がなければ、あなたはきっと気が狂っていたことだろう。

 

 当番はもうとっくに帰っている。もちろん、それはあなたが決めたことであった。たとえどんなに頼りになるとしても、こんな時間まで生徒を付き合わせることはあなたにとっては耐えられないことだ。ただ、今のあなたに寄り添ってくれるものといえば、遠くから聞こえる扇風機が発しているぶおおおという穏やかな風音と、散らかった机の上へ目を走らせるたびにギイーッときしむ椅子の音くらい。ひとりぼっちでかつ夜通しでやる仕事は少し寂しいものではあるが、それこそが大人の責任というものだろう。

 

 実のところ、夜に働くのは昼と大して変わらない。だが奇妙なことに、昼間なら気にも留めないであろう些細な音を、夜の静けさがそれを際立たせているのである。あなたが聞いているキーボードのタイピング音、ペンのノック音、書類をめくる音。そのすべてが、不気味ではあるものの、不思議なことにあなたを慰めるものへとなっている。

 

 空気のせいだろうか、今回はいつも以上に違和感を感じる夜だった。あなたはパソコンから目を上げ、部屋を見渡すも、何も変わった様子などはない。本はいつも通り乱雑に積み重なったままで、ソファは相変わらず埃をかぶっている。(もっとも、暗闇の中では分からないが)何もかも平穏なままであるのだろう。

 

 あなたは椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。先生という仕事柄、動いておいて損はない。身体の強張りを軽くほぐしていると、突如として強い痛みに襲わる。ドサッという音と共に倒れ込み、(ひときわ大きな音であった)つってしまった足をぐいっとつかむ。そう、これが勤勉な大人になることへの喜び、筋肉の悲鳴だ。

 

 息が荒くなり、痛みを和らげるべく目を閉じる。転倒したせいで余計な怪我が増えたのは間違いないが、じきにどうにかなっていくだろう……そしてまた、仕事に戻れるのだから。そもそも良質な睡眠とはどのようなものだったか。床に横たわりながら、痛みを忘れようとしてあなたは快眠できた時の感覚を想像しようと試みる……

 

 目を覚ます。それでいいのだろうか。今は快眠について考えている場合ではない。やるべき仕事はまだある。今、感じているひんやりとした奇妙な感覚さえ無ければ……

 

 あなたは視線をつっていた足へと向ける。そこには小さな氷のうが置かれ、ピンク色の布が巻かれていた。それを手に取り横へと移す。痛みはすっかり消えていたが、自分で氷を取りに行った覚えはない。そして疑うべき相手は一人しか思い浮かばない。だが、今はそれよりも優先すべきことがある。

 

 あなたは椅子に戻り、コーヒーをひと口飲んで気を引き締める。そう、淹れたての熱いコーヒーを、素晴らしいものだった。愛おしい当番が用意してくれたものでなければ、こんなに美味しくはならない。あなたはため息をつき、軽く首を横に振って仕事に戻る。

 

 しばらくして、あなたは蹴って椅子を後ろへと動かし、一息つく。コーヒーカップは空、つった足はもう大丈夫、そして日はまだ昇らず。夜遅くまで続いている仕事もまた、終わる気配がない。(決してあの仮眠のせいではないはずだ)あなたに残された選択肢としては、ひたすら耐え抜き、数時間(もしくは数分)でもいいから睡眠時間を確保することだ。だが、何かがそれを妨げている。ただの気のせいとは言えないほどの違和感があった……

 

 またくだらないことで足をつらないように、あなたは立つ。そしてデスクから離れ、オフィスの反対側に向かって歩き出す。ここまで気が散ってしまうとなれば、これ以上は無視出来なかった。

 

 まずはソファから、あなたは調べ始める。上にも下にも、何もない。(そもそもソファの下に何かがいるなどあってはならないが)次に本棚へ向かい、壁から引き離して裏側を探る。だが予想通り、何もなかった。部屋中を見回すものの、期待していた(というよりかは予想していた)ものはどこにも見当たらない。

 

 一応、ひと段落はついた。ようやく仕事に戻れるはずだ。デスクへ戻り、椅子へ手をかける。しかし手が滑ってしまい、椅子は後ろではなく前へと動いてしまう。疲れ切った者にはよくある失敗だ。

 

「いたっ!」

 

 そう、声が聞こえた。不眠症においてよくある症状のひとつだ。ため息をつき、机の下を覗き込む。そこには小さな少女が膝をさすりながら、うずくまっていた。「び、びっくりした……」

 

"セリナ。"

 

「あ、あっ!おはようございます先生……」

 

 時計を見やる。「午前1時15分」──「おはよう」というよりは「こんばんは」だ。

 

"セリナ、こんな夜遅くにまで何をしているの?"

 

 何らかの手段を講じてオフィスに侵入したという事実は気にしないことにする。過去に何度も似たようなことがあった以上、別に気にかけるものではなかった。唯一気にかけることとしては、なぜセリナが午前1時に起きているのかということだ。

 

「その……先生の様子を見に来ただけです!先生はみんなの先生ですから、つまりはその……はい……怪我でもしたら大変です!」と、セリナは机の下から這い出し、小さな救急箱を引きずるようにして取り出した。「先ほど足をつっていましたし、何が起きるかは分かりませんから!」

 

 成程。その心遣いは素晴らしいものだが、質問については三度もはぐらかしている。再度、問いただそうとしても、更なる創意工夫を凝らして話題を逸らしていく。あなたは敗北を悟り、深追いはしないことにする。そして自分は大丈夫だと伝え、帰って休むように促した。

 

「でも凄くお疲れのようなので、コーヒーをもう一杯淹れてきますね」

 

"大丈夫だよセリナ。もう寝るんだ。"

 

「……」どういうわけか、セリナはあなた以上に睡眠というものを遠い存在のように感じているらしい。これが看護師としての意志の表れなのだろうか、彼女が救急箱を持ち上げ、静かに扉へと向かっていく様子を見つめる。

 

"おやすみ。"

 

「むぅ……」と静かに扉を開け、部屋を後にする。あなたは机に戻り、再び仕事へと向かう。そばにはもう、誰一人としていない。それでも、孤独感を埋めるために生徒を巻き込んで苦しませるわけにはいかない。これはあなたの責務。そしてあなた自身でやり遂げられるものだ。

 

 ……実際に経験するまでそう思っていた。一時間が経過し、まぶたよりも重いものがなくなったように感じていた。エデン条約の時のストレスは?ほんの刹那だった。キヴォトスが滅びかけた日は?単なる余興だった。今宵の残業に敵うものなどなし。セリナを帰らせた判断について、あなたはただただ自問する。セリナへの悪影響のことを考慮すれば、最善の判断であったことは確かだ。大丈夫、たった一晩のことだ。すぐに過ぎ去るはずだ……

 

 ……実際に乗り切ろうとするまでそう思っていた。さらに一時間が経過し、あなたは机に伏せた頭を必死に持ち上げる。時間が瞬く間に過ぎ去っていく。もしかすると、セリナを巻き込むのも悪くなかったのだろう……

 

 だが、それはもう関係ない。仕事は勝手に終わるものではない。しかし、今のあなたの状態では終わらせることはできそうにない。シャーレを出て、コーヒーを一杯取りに行く計画を立てる。扉を開け、休憩室はどこにあるかと思考を巡らす。

 

 振り返る。多分コーヒーがなくても何とかなる。仕事も佳境に入ってきたし、これだけ残業をしてきたのだから、残り僅かであるのだろう。

 

 いや、そうでもなかったが。

 

 デスクから離れ、ソファへとあなたの身は投げ出される。どうなったっていい。明日になれば埋め合わせられる。むしろ、このまま作業を続けるよりもスッキリした状態で取り組んだ方がいいはずだ。リンは怒るのだろうか。いや、これはあなただけしかやっていない仕事だ。つまりリンちゃんの立場は小言が言えるものではない。

 

 あなたは徐々に意識を手放し、ほんのひととき責任から逃れようとする。その瞬間、ほのかな温もりが体全体を包み込む。目を開けると、あなたの上には毛布が掛けられていた。すぐにそれを払い、あなたは勢いよく起き上がる。

 

"セリナ!?"

 

 ソファの向こう側から、かすかな笑い声が響く。「見つかっちゃいましたね」

 

"もう帰ったはずじゃ?"

 

「元から帰っていませんよ」

 

 質問を問いかける間もなく、セリナはデスクへ駆け寄っていく。早足であなたのもとへ戻ってこれば、両手には湯気が立つコーヒーカップがあった。「はい、どうぞ。せっかく先生の為に淹れてきましたのに、ソファで仮眠しようとしていたんですからね」

 

 あなたはカップを受け取り、ひと口すする。熱いが、火傷するほどではない。心地良い温もりが身体へじんわりと広がっていく。

 

 ぽす、と軽い音がして、セリナが隣に腰を下ろす。「先生、あともうちょっとですよ!ファイトです!」

 

 とはいえ、これ以上はもう無理だとあなたの体は訴えている。時計には午前3時48分と……それでもその時間帯に生徒が励ましてくれるとなれば、人体の法則など意味をなさない。あなたはもうひと口飲み、机へと向かって立ち上がる。

 

"セリナ、もう寝たほうがいいよ。"

 

「んー……」とセリナは天井を見上げ、首を左右に揺らしながら考え込む。「先生のソファ、使ってもいいですか?」"いいよ"とあなたが答えると、彼女は先ほどまで自分がいた場所へと歩いていく。「分かりました!では、今夜はお世話になりますね!」と手を振りながら、ソファの向こう側へと消えていった。

 

 あなたはもう一口飲み、じっとパソコンの画面を見つめる。これは不眠症との戦い、そしてセリナとの戦いだ。機械の怪獣ですら、生徒たちの力によって倒れたのだから、ただの睡眠障害などどうってことはない。キーボードの上にあなたの手が置かれ、仕事へと取りかかり、まるで超人的な速さで進めていく。(冷静に考えれば、いつもと比べてもそんなに速くはなっていないかも)体感では数分経った後、まるで最初からなかったかのように仕事が消え去る。

 あなたの体は一刻も早くデスクから遠ざかるように動き、足を使って椅子を背が壁にぶつかるまでに後ろへと動かし。目蓋がようやく閉さされようとする。それは残された仕事への恐れではなく、今ある分が終わったという喜びだ。(今日の分をだが)

 そう思った瞬間、とんっ、と音がかすかに聞こえ、軽い重みがあなたを包み込む。温かな感触と、微かなラベンダーの香りが漂う。遂に、夜が穏やかに終わらんとする。あなたとセリナは、ぐっすりと眠る。

 

 (おおよそ三時間ではあったが)




[訳者あとがき]
原文だと先生のセリフがこんな風に斜体で書かれているので、日本語の場合斜体であると視認性が悪化すると判断したため、""に変更しました。日本語だと「」で台詞を表すからダブルクオーテーションで斜体代わりに出来るのが割と助かりました。
一週間後ぐらいに投稿する予定です。
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