蟲の爺は人間の夢を見るか?   作:灯火011

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第二十四話(最終話):蟲の爺は人間の夢を見るか?

 夜が、その最も深い闇へと沈む刻。

 

 冬木の街が、かりそめの眠りにつく、丑三つ時。

 

 間桐家の地下、かつて蟲蔵であった、がらんどうの石造りの広間は、今や、神聖な儀式のための静謐な聖堂と化していた。

 

 床に描かれた、臓硯自らの手による複雑で巨大な召喚陣が、この冬木に貯えられた魔力によって淡い紫色の光を放っている。この光だけが、この広大な空間を照らし、壁に長く二人の影を描いていた。

 

 

 桜は、召喚陣の外側に静かに立っていた。

 

 その身に纏うのは、学校の制服ではない。儀式のために用意された、紫紺色の、簡素な、しかし、気品のある和装だった。清められたその姿は、まるで、神域に仕える巫女のよう。

 

 彼女の目の前の召喚陣の中央、小さな石の祭壇には、例の青銅の鏡の破片が一つ。ただ、静かに、時を待つように、そこに置かれている。

 

「―――桜」

 

 桜の背後から、臓硯の、低く、厳かな声が響いた。

 

「恐れるな。案ずるな。ただ、お前の魂の全てを以て、呼びかけるのだ。サーヴァントを、ただの使い魔としてではない。お前と同じ悲しみを知り、お前と同じ願いを共有する、ただ一人の『同志』として。お前のその魂こそが、この儀式における、最高の触媒となるのだから」

 

「……はい、お爺様」

 

 桜は、静かに頷くと、ゆっくりと、瞼を下ろした。

 

 そして、魔力が高まるその瞬間を感じた桜の、静かな、しかし強かな詠唱が、始まった。

 

 澄み切った鈴の音のような桜の声が、静寂の聖堂に、厳かに響き渡る。

 

「―――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」

 

 その言葉と共に、桜は、この身に流れる間桐と遠坂の二つの血を意識する。お爺様から受け継いだ、魔術師としての、永い、永い、歴史の重みを。

 

「降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国へと至る三叉路は循環させよ」

 

 詠唱に応え、召喚陣の光が、その輝きを増していく。びりびりと空気が震え、この地下空間が、世界から完全に切り離されていくのを感じる。

 

「告げる」

 

 桜は、力強く、宣言する。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば、応えよ」

 

 祭壇に置かれた鏡の破片が、か細い、エメラルドグリーンの光を放ち始めた。それは、まるで、遠い、遠い、時の彼方からの返事のようだった。

 

「誓いを此処に」

 

 そうだ。私は。

 

「我は常世総ての善と為る者」

 

 お爺様と共に、世界を救うのだ。そのための、善悪を超えた、絶対的な調停者となるのだ。

 

「我は常世総ての悪を敷く者」

 

 彼女の「願い」が、魔力となって、儀式に注ぎ込まれていく。

 

「汝三大の言霊を纏う七天」

 

 詠唱がクライマックスに達したその瞬間。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 左手の甲に宿っていた令呪の「兆し」から凄まじい、焼けるような痛みが走る。

 

「ッ……!」

 

 目の前の召喚陣から、紫と黒、そして、鏡が放つ悲しげな翠色が入り混じった光の奔流が、凄まじい勢いで天へと吹き上がる。

 

 風が、桜の長い髪を、激しく、激しく、掻き乱した。その力の渦の中心で、桜は痛みに耐えながら確かに見た。自らの手の甲に、三画の、血のように赤い聖痕が、その形をくっきりと、刻み付けていくのを。

 

 桜は自覚する。自分は、今、この瞬間、真のマスターとなったのだ、執刀医になったのだ、と。

 

 やがて荒れ狂っていた光と風が、嘘のように静かに収まっていく。後に残されたのは、魔力の残滓がキラキラと舞う、静寂の空間だけだった。

 

 ――否。召喚陣の中央、桜の目の前に、一人の長身の女性が、音もなく立っていた。

 

 ありえないほどに長い紫色の髪が、まるで生きているかのように床まで伸びている。その身を包むのは、身体の線をあまりに妖艶に浮かび上がらせる黒い革の拘束衣。そして、その顔には、彼女の表情の全てを隠すかのように、黒い眼帯がかけられていた。

 

 その姿は圧倒的に美しく、そして、同じくらいに恐ろしかった。彼女の周りの空気は、血と、潮の香りに満ち、触れれば石にされそうな強大な呪いと、そして、底なしの悲しみの気配を漂わせていた。

 

 サーヴァントはゆっくりと、桜の方へとその顔を向けた。

 

 眼帯の下の瞳は見ることが出来ない。だが、彼女が、確かに、自分を見つめているということが桜には分かっていた。

 

 やがて、その、完璧な形をした唇が、静かに開かれる。その声は、楽器のように美しく、そして、どこまでも物悲しい響きを持っていた。

 

「―――サーヴァント・ライダー、召喚に応じて参上いたしました。あなたが、私のマスターですか?」

 

 疲労も、手の甲の痛みも、桜はもはや感じていない。彼女は、ただ、目の前に現れた、美しく、そして、あまりに悲しい自らの半身を見つめていた。

 

 この人こそが、自分の呼び声に、応えてくれたのだ。

 

 初めて見る英霊を目の前にしても、桜の心に恐怖は一欠けらもなかった。あったのは、深い、深い、魂のレベルでの、共感と、そして、絆だけだった。

 

 桜は、背筋を伸ばし、一人のマスターとして、凛として答える。もはや、かつての気弱な少女はそこには居なかった。

 

「ええ。私があなたのマスター、間桐桜です」

 

 その声は静かだったが、この聖堂の隅々にまで、染み渡っていた。

 

 

 サーヴァントと桜の契約の瞬間を、円の外の暗がりの中で、間桐臓硯は、ただ静かに見届けていた。

 

 彼の、皺だらけの貌に、五百年の長きにわたり、決して浮かぶことのなかったであろう、心の底からの、満足の笑みが、ゆっくりと、広がっていった。

 

(……見事だ、桜。私の最高傑作よ)

 

 彼の脳裏に、これから始まる、血塗られた祝祭の、壮大な絵図が、鮮やかに広がっていく。

 

(お前が選んだ、そのサーヴァント。人々から、怪物と恐れられ、疎まれた、悲劇の英雄。なるほどな。お前は、自らと同じ、影の道を歩んだ者を選んだというわけか。面白い。実に、面白い……)

 

 彼は、自らが育て上げた聖女が、その手に神の刃を手にした。その神々しい光景を、その目に焼き付けていた。

 

 そして心の内で、最後の、そして、最大の、賛辞と期待を、自らのその愛弟子へと送った。

 

(―――行け、桜。お前の力で、お前の願いを叶えるのだ。そして、この老いぼれが見果てた、五百年の()の続きを、見せておくれ)

 

 歪んだ理想の下、正しく育てられた少女の物語は、ついに縁を結ぶ。

 

 そしてここから、新たな物語が始まっていく。

 

 聖杯戦争という名の、地獄の釜の、その蓋が開く音と共に。

 

 ―――運命が渦巻く物語へ。

 

【了】




 そして誰も知らない運命の、Fate/の物語へ。マキリの魔術師となった桜は聖杯を勝ち取り、その歪んだ望みを叶えられるのか。それとも聖杯に絶望するのか。はたまた別のルートを勝ち取るのか。

 ともかくとして、蟲の爺は、夢の続きを見れたのでしょうか?

 そして桜の行きつく先は。

 ここから先は皆さまの想像にお任せ致しまして、終劇とさせていただきます。


 最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 多くのお気に入り、評価、ご感想を頂けたこと、非常に嬉しく思います。
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