万博聖杯戦争 6日目 昼
雨は既に止み、空は青く、雲もない。
良い天気だと狼我は思った。
国連館の裏口の窓越しに見えるそれを、ぼんやりと眺めていた。
目の前に顰め面で座る美琴から目を逸らす彼には、今は空しか見るものがなかった。
コーヒーを啜る。
「なんで勝手にアサシンを倒した?」
美琴の問いに、すぐには答えない。もう一口啜る。
時間を掛けても意味はないが、しかし。何を言っても納得はされないだろうと思えば、気長にやる方が気分はマシだろう。
「なあ狼我クン」
「文句言われる筋合いはねえ」
ぽつりと返す。実際そうだと思っている。
これは聖杯戦争で、聖杯戦争とはサーヴァント同士の願いを賭けた戦いであって、狼我は独立した1人のマスターとして、敵のサーヴァントを倒しただけだ。
決して文句を言われる筋合いは無いはずだ。そう思っている。
……狼我とて、気まずさはある。
決して、決して国連館の傘下に入ったわけではなく、指示を受けるような関係性ではなく、ただ軒先を借りているだけだが。彼女の思惑を蹴ったことは理解している。
「……」
「……」
しかし、そうだ、そもそも思惑があるのが気に食わない。昨日の住持に対するものほどの嫌悪は感じないが、それでも何かの思惑があって、目の前の彼女は狼我を利用してようとしている。
そうでなければ、わざわざ狼我を聖杯戦争に参加させる説明がつかない。
今のところは、国連館の監督役として、『危険な願いを排除するための願いの特定』を頼まれているが。
それだけだろうか?
コーヒーを啜る──空だ。
「はァ────まあええわ」
折れたのは美琴の方だった。
彼女もコーヒーを啜る──空だったらしい。紙コップが軽い音を立てる。
「次の話しよ、次」
「なら聞きたいことがある」
「なんや、なら、って。……なんや」
これ幸い。狼我は疑問を差し返した。
聖杯戦争のルールについては、ある程度バーサーカーから教わったが、そういえばこれを聞いていない。
「アサシンを倒したが、倒したサーヴァントはどうなるんだ」
「どうなるって……聖杯に溜まるで」
「溜まる?」
液体が溜まる、ようなイメージだろうか。
「魔術的な説明は省くけどな? 簡単に言えば、聖杯ってのは魔力の器や。ただ最初は中身がない。空の器や。これは解るな?」
「ああ」
「そこに、注ぎ込むのがサーヴァントや。サーヴァントは魔力の塊で、倒されればただの魔力に戻って、聖杯に流れ込む」
「……なるほど? じゃあサーヴァントを倒すほど聖杯に魔力が溜まって、聖杯は魔力が溜まったから、願いを叶えられるようになる」
「理解が早い」
何となく合点がいった。聖杯戦争とは、サーヴァントという魔力の塊を持ってきて、それをサーヴァント同士の戦いで潰して、魔力の液体を搾り取って器に集める、そういう儀式なのか。
……最初から魔力を直接器に詰めれば良い気がするが、きっとそうはいかないのだろう。魔術は難儀だ。
「ならその聖杯はどこにあるんだ?」
「言うわけないやろ、シークレットや、そんなもん」
続けての問いには、美琴は答えない。わざとらしく人差し指を立てて、ちっちと揺らす。
「ま、バーサーカーなら察しはつくかもしれへんけどな」
「そうなのか」
「どちらにせよ、今調べても意味ないで。まだ器にはアサシンしか入っとらん。ほぼ空っぽや」
それは、まあそうだろう。
別に今聖杯を見つけようなんて狼我は思っていない。話の流れで、気になっただけだ。
美琴もそれは承知していたようで。
「話を戻すで」
そう言いながら、1つ伸びをする。伸びをし終えて、姿勢を正す。
それから。
「アーチャーについて調べてほしい」
「アーチャー?」
あの宇宙飛行士か。
「なんでだ」
「アーチャーの望みがまだ分からへん、ハッキリさせたいんや」
アーチャーの望みを知りたい、そう言われてふと思い出す。確か、アーチャーは。
「……バーサーカー」
「呼んだかマスター」
一声掛ければ、バーサーカーが実体化する。──狼我の隣の席に、最初から座っていたらしい。
それはさておき、聞きたいことは。
「言ってたよな、アーチャーは前の聖杯戦争にも出ていたって」
「そうだな」
「その時、アーチャーは何の願いを叶えたんだ」
そう、アーチャー──ニール・アームストロングは、1970年の万博聖杯戦争の優勝者だ。優勝したということは、何かの願いを叶えたはず。
バーサーカーはそれについても承知しているようで、何か言いかけるが。
「そらウチらも記録しとる、『アメリカの科学技術の発展』や。そうやろ?」
それより先に、美琴の方が問いに答えた。
バーサーカーも首肯する。
「その通りだ」
「今回もそれなんじゃねえか?」
仮に同じであれば、別に調べるまでもない。調査の優先順位は、他のサーヴァントと比べて落ちそうなものだが。しかし美琴は首を振る。
「せやさかい、なおさらハッキリさせたいんや」
───
大阪・関西万博、米国パビリオン。
大人気パビリオンであることは、態々言及するまでもない。豊富で臨場感溢れる映像コンテンツ、軽妙なトークやエモーショナルな歌唱を織り交ぜたショーのような観覧体験。そして55年前の大阪万博と同様に、月の石も展示されている。
当然、大人気だ。予約制などを採用していないため、パビリオン前には長蛇の列が出来る。2時間待ち、あるいは3時間待ちにもなる来場者の列。
その最後尾に、狼我は立っている。
プラカードを持ちながらだ。
「アメリカ館への列はこちらが最後尾となりまーす……」
この台詞も、もう言い過ぎて飽きた。
太陽の傾きを見る。夕方にはまだ遠い。
目標は、アーチャーのマスターを探すことだ。とはいえ、ここに立っていては見るのは来場者ばかり。一応休憩時間の間には、すれ違うスタッフの右手を確認しているのだが、それらしいものはなし。
第一、なんとも気乗りがしなかった。
「
「……あー、
来場客を捌く。捌きながら、また宛もなく周囲を見回す。
整列する来場者の顔が目に入る。笑う子供、それを見る大人。大学生の一団が戯れているのも見える。空間はBGMまで含めて音で溢れ、近くのステージではまさに何やらの演奏が始まるところであった。
また、太陽を見る。傾きは変わっていない。
「基田 狼我くん」
ふと、狼我を呼ぶ声があった。
顔を向ける。
白い服の男が立っていた。狼我だけに視線を向けていた。きっぱりと、
「君に話がある」
「仕事中だ」
「仕事は中断だ」
そう言い放つ。
狼我は訝しみ、目を細めるが──程なくして、米国パビリオンから1人こちらに駆け寄ってきた。交代だ、と狼我のプラカードに手を伸ばす。
なるほど、本当に仕事は中断のようだ。
「……わかった」
───
白い服の背中を追って、狼我は建物の間、スタッフ用のエリアに入る。壁と壁の狭間、人気のない路地。カツカツと靴音が反射する。
そこまで行って、白い服は立ち止まる。
「何の用だ」
狼我の問いかけに、男は答えない。
ただ、狼我の姿を眺めて、それから。
「アーチャーにマスターはいない」
唐突に、そんなことを。
狼我の脳裏に、一昨日の住持の声がリフレインする。あの時もこんなふうに、不意打ちを掛けられたんだったか。
「またこのパターンか……」
「そう言うな、俺は君の敵じゃない」
敵じゃない、とは。ならマスターではないのか?
改めて、白い服の男を観察する。白い上着と、オレンジのズボン。青いキャップ。……見覚えがあった。
これはパビリオンの制服だ。GUNDAM NEXT FUTURE PAVILIONの。
『興業としての聖杯戦争を管理するのが、もう1人の監督役』
『GUNDAM NEXT FUTURE PAVILIONの監督役──つまり、バンダイナムコや』
美琴の言葉を思い返す。ならば。
「なら、あんたがもう1人の監督役か」
「勘が鋭い。いや、推理か? 話が早くて助かる。俺は
GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION。バンダイナムコホールディングスが運営する、機動戦士ガンダムシリーズをテーマに宇宙時代の科学技術を紹介するパビリオンだ。
同時に聖杯戦争においては国連館と並び監督役を担い──聖杯戦争の番組化、中継を行っているらしい。
「そういうのがいるって話は、聞いていたが、あんたがそうか」
ふと気になって、周囲を見回す。
「今も撮ってるのか?」
「カメラだな? もちろん撮っている。探しても多分見つからないぞ、透明化の魔術を施した撮影用の使い魔だからな」
「使い魔……魔術師なのか、お前も」
「当然。まあ俺は、撮影しかしていないが。……昨日も良い画を魅せてくれた、好評だよ」
しかし、と続けて。
「我々は、もっと面白い展開を求めている。今のままだと順当すぎる」
「順当? 何がだ」
「アーチャーの勝利がだよ」
「ああ?」
反射的に、狼我は顔を顰めた。だって不愉快だ、この男はアーチャーが勝つと言ってのけた。狼我は反駁しようとするが、その前に、畳み掛けるように。
「アメリカ館は強すぎる。本来対立候補になるはずだったイタリア館が召喚に失敗してしまったからね、今はアーチャー一強の状態なんだ」
狼我の表情など気にも留めず、錬は淡々と説明を続ける。
アメリカ館が召喚したアーチャーは強い。それはサーヴァントとしての地力もあるが、万博聖杯戦争のルールが影響している。即ち圧倒的な万博内知名度による強化。この差を前にして、他のサーヴァントは太刀打ちが出来ないと、目の前の男は判断している。
「だから、そうだな──俺は、局面を変えるためにここに来た」
「アーチャーを勝たせたくないってことか?」
「そうだ」
「それでいいのかよ、監督役。公平じゃないだろ」
「公平性なんか、元より俺の管轄外だ。それよりもっと、面白くしなくちゃあ。そうでなければ、エンタメじゃない」
一呼吸置いて。
「監督役からのありがたい
それは宣言だった。どこかで隠し撮りされていると知っているからだろうか、狼我にはどこか演技めいたものまで見て取れる。
気に食わない。
「どんな手を使っても、とは言えないが。しかし策を講じることは構わない。工夫して討伐に当たれ」
「遊びでやってんじゃねえんだよ……!!」
「もちろん、俺とて同じだよ。当然報酬は弾む。予算枠は確保してあるからね、倒したなら、君にはボーナスが出る」
「いいや、お前のことも気に食わない」
気に食わない。
思うところは色々とある。諸々を隠し撮りして生中継して賭けの対象にしてるなんて、その時点で無茶苦茶だ。
そしてそれを、エンタメ、などと。
他人の謀略に進んで乗ろうなど、狼我は決して思わない。間違いを犯すことなど、決して、あってはならない。
「俺は俺の戦いをしてる。お前の指示は受けない」
「でも君は、国連館に雇われている形だろう? それと何が違う」
「俺は別に雇われちゃいない」
「君がどう思っているかじゃない、外形的にだ。そうじゃないか?」
──そう言われると。
そう言われると、口籠る。客観的に見れば、とくれば、それは確かにそうなのだろう。狼我は国連館で生活し、美琴の頼みを聞いている。──一応は、聞くつもりでいる。
今朝方も考えたことだ。狼我は、国連館に飼われている。その目的も知らぬまま。
「俺は、君のことをアナキストの類いだと思っているんだが、違ったか? 現状がベストなのか? 全部壊したいんじゃないのかい?」
現状は安定している。少なくとも聖杯戦争が終わるまでは、だが。
しかしこれを望んでいたかといえば、否だ。そもそも聖杯戦争なんてものに巻き込まれたこと自体想定外だが、それを差し置いても。
そうだ。万博が気に食わなかった。気に食わなくて、ここに来たはずだ。
思考を巡らすその間にも。
「……」
「まあ、この話、乗るかどうかは君に任せるよ。別に君だけに頼む話じゃあないのさ」
既に錬は背を向けている。歩き出している。
なんだ、こういうところまでデジャヴか。ますます気に食わない。
歩き去るのを、ただ見送る。
背中は路地を出て、見えなくなる。
「マスター」
「うわっ」
不意に声がして。すぐ横にバーサーカーが立っていて、狼我は思わず飛び退いた。ここは路地裏で、当然飛び退いた先には壁があって、狼我は強く背を打ち付ける。鈍痛が走り、一瞬視界が明滅する。
「……いいのかよ、姿見せて。昼間だぞ」
軽く舌打ちをして、バーサーカーの姿を仰ぐ。
「念話、忘れていただろう、マスター」
「……あっ」
「私はさっきの会話中、ずっと呼びかけていたんだが。マスターの意識がこちらに向いてくれないと、上手く繋がらない」
目線を逸らす。
今日は空が青い。
───
万博聖杯戦争 6日目 夜
米国パビリオンでの勤務を終えて。
諸々を片付けて、外へ出る。このままコモンズDへ向かっても良かったのだが、何か違和感を覚えて立ち止まった。
誰かの気配がする。
「おっと──」
気配の正体はすぐに判った。
米国パビリオンを出てすぐ前、広場に生える数本の木々の間に、1人の少女が立っている。既にこちらを見ていて、見つけるだけで目が合った。
「…………迷子かな」
『迂闊に近寄るな、マスター』
バーサーカーからの念話が聞こえたが、そうは言われながらも、数歩前に出た。少女の背丈は150センチもない。きっと中学生か、もっと幼い程度の歳だ。服装も──闇夜に紛れてよく見えないが、多分子供のそれだ。
『あれ子供だろ』
『子供でも、魔術師はいる』
『あれが魔術師だって? 迷子とかだろ』
声を掛けようと、更に前に出る。少女は動かない。動かず、ただ狼我を見ている。
『事務局より連絡。全来場客の退去、及び一般スタッフの退去が完了しました。本日の夜明け予定は4時45分、聖杯戦争を開始してください』
アナウンスが響く。全ての来場客は退去した、と。どうやら1人見落としているらしい。聖杯戦争が始まる前に、美琴にでも引き渡すべきだろう。
考えながら歩み寄る。
少女の右手がようやく見える。
令呪がある。
少女の唇が小さく振れる。
「おーさま、こっち」
『っ、やはり!! 伏せろマスター!!」
直後、衝撃!!
狼我はその場に膝を付く。察するに、急遽実体化したバーサーカーに突き飛ばされた。背後を仰ぎ見れば人影は2つ。
片方がバーサーカーなのはすぐに判った。だがもう片方は。全身に鎧、月の光を反射する、黄金の装飾。その装飾を、既に狼我は知っている。バーサーカーと出会った、あの晩の時点で知っている。
「──ランサーだ!!」
間近で見るのは初めてだ。遠巻きにはよく見えていなかった、装飾群を視界に捉える。巨大な黄金の頭飾り、首から、耳から、それぞれ装飾。衣類も恐らく金属製、カチャリと擦れる音がする。
それが今、目の前で、バーサーカーと睨み合っている。
「大丈夫かバーサーカー」
「初撃は防いだ。しかし何をしてくるかはわからない。マスター、私の側に」
言われるまでもない。狼我は姿勢を低くしつつ、バーサーカーの陰に入る。少女の方を見てみるが、変わらず木陰でこちらを見ていた。
「目的は俺達か? いや違う、こいつらは先にここにいた、なら」
周囲を見回す。記憶を参照する。そうだ、ランサーは1人ではない。黄茶色の陶器製、に見える、人形達を連れていたはず。
それはどこに──見つけた。
「おい、あれ」
どこにいたかというと、米国パビリオンの壁だ。パビリオン入り口の壁、昼間であればアメリカ合衆国の風景を映し出している超巨大モニターの下、そこに何体かが集まって、何かをしている。
耳を澄ませる。ガツン、叩くような音が聞こえた、気がした。
「狙いはパビリオンの破壊? 反則じゃねえのかよ、それ」
「当然反則だ。程度にもよるが、最悪聖杯の使用権を接収される」
バーサーカーが答える。
「しかし、あえてそれを行うのであれば──」
あえて反則をするのなら。罰則にも見合う、それ以上のメリットがあるはずだ。何か利益が。
メリット。パビリオンが壊れれば、米国パビリオンには当然人が入れなくなる。アーチャーの力の根源、万博での知名度補正を削れるかもしれない。しかしそうだとしても、聖杯が使えなければ何も得られない。
──いや、無意味ではない。
頭の中に、昼間の男。もう1人の監督役、井室 錬の顔が去来する。
『アーチャーを討伐しろ』
『別に君だけに頼む話じゃあないのさ』
なるほど、シンプルに報酬が目的か。
背後、少女に目を向ける。視線が交差する。
「ぜんぶはこわさないよ。ちょっと、おやすみしてもらうだけ」
「狙いはアーチャーか……!!」
「監督役!! 見ているんだろ!!」
「ぜんぶこわして、おーさまがかつよ」
「どうして俺は、万博を守ってるんだ?」
「危ないことは……してはいけない……!!」
「その話、我も乗ろう」
「王に力を示してみせよ!!」
10話 ランサーと捧げられし八人
「生命には使い時があるのだよ!!」
【挿絵表示】