「っ、てて」
ある大変寒い夕方、男はひどい吹雪に襲われた。
男の名前は狼我という。まだ24の若者だった。
「ここは……雪山か? いや、山じゃないな。……林か?」
恐ろしい風の音、雪はひっきりなしに降り注ぎ、木々はまるで嵐に揉まれる小舟のように揺れている。雪の向こうは見えなかった。
「……なんだこの声」
狼我は天を仰ぐが、分厚い雪雲があるばかり。
「あるばかり、って。なあ、どっかに誰かいるのか?」
とても外では耐えられそうにない。
狼我は偶然見つけた小屋を借りて、寒さを凌ぐことにした。
「おいどっからしてんだこの声は。実況するなよ」
狼我は偶然見つけた小屋を借りて、寒さを凌ぐことにした。
「スピーカー……じゃあないよな。バーサーカーの宝具と同じようなもんなのか?」
狼我は偶然見つけた小屋を借りて、寒さを凌ぐことにした。
「大体どこだよ、小屋。……うわ、本当にあった」
川の渡し守の番小屋だ。古く小さな小屋でしかないが、それだけでもありがたかった。
狼我は偶然見つけた小屋を借りて、寒さを凌ぐことにした。
「いやうるせえな、入ればいいんだろ、入れば」
狼我は引き戸を引いて、部屋の中へと立ち入った。
しかし、入った途端、狼我は腰を抜かしてしまった。
「うわっ」
囲炉裏もなく、明かりもなく、とても人が住むとは思われない小屋の中に、1人の男が座っていたからである。
「誰だアンタ」
男の肌はそれはまるで色のない布のように白く、よくよく日本人ではないように思われた。西洋の衣類を纏った姿でありながら、黙して床に正座する姿には、人間離れした風の印象を受けた。
「……というか、キャスターしかいないよな、候補は」
「ご明察。ゆっくりしていきなさい」
キャスターを名乗ったそれは、狼我の姿を認めると、驚く風でもなく、一杯の茶を差し出した。
「ソチャですが」
「……どうも」
ぬるく、あるいは冷たいそれは、湯呑みに並々と注がれている。どこからともなく差し出された茶は、なんとも妙だ。
しかし、ここで従わないわけにもいかないと、狼我はその茶を受け取った。
「あんたはキャスターってことでいいんだよな? じゃあこの……ナレーションしてるのは誰だ?」
「そう、私はキャスター」
そしてここにいるのもまた私。
「1人2役ってことか? 忙しいな。どうしてアンタはここにいる」
「物語には語り部が必要故」
「……物語?」
その呟きと同時に、小屋の戸口が開け放たれた。
小屋の外では雪明りに照らされて、幾つかの人影が立っている。
「アンタらは」
まず見えたのは、セイバー、そしてセイバーのマスター。続いてランサー、ランサーの眷属の人形が3体、そして担ぎ込まれた監督役。
監督役は酷く凍え、気を失っている様子であった。それ以外も、めいめいに顔をしかめている。
「ここは安全ですか?」
「多分な。他には誰かいたか?」
「いえ、私達だけ。恐らく他の皆さんは別の場所にいるんでしょう」
セイバーのマスター、キャンディはこう言って、番小屋の敷居を跨ぐ。続いてセイバーも、ランサーも、皆番小屋に立ち入って、広さ僅か二畳敷の小屋は、あっという間に手狭になった。
「なあ、これ」
狼我はひそりとキャンディへ問いかけた。
「何が起きてるんだ」
「私も少し見ただけですが、恐らくは固有結界……いえ、似て非なる大魔術、といったところですか」
「つまり?」
「キャスターの魔術で閉じ込められている、ということです。脱出の手立てを探さなければ」
キャンディはそう言いながら、あてもなく小屋の中を見回す。何か手掛かりの1つでもあればと思ったのである。しかし、すぐには見つかりそうもない。
「……確認ですが、貴方のバーサーカーは?」
「念話は試してみたが、駄目だった。ランサー、アンタはどうだ」
「……貴様と同じだ。魔力のパスは残っている、マスターの生存は間違いないが、念話は通じない」
「であれば、今ここにいる人間で、一時共闘ということで。よろしいですね?」
問い掛けに、答える声はない。しかし狼我は黙して頷き、静かに彼女に視線を向けていた。
キャンディはこの沈黙は肯定であると受け取って、姿勢を直す。それから、黙って話を聞いていたもう1人の男に向き直って、言った。
「それで。こちらの人は?」
「キャスターだ」
「…………それはどうして?」
「本人がそう名乗った」
「そうではなく。元凶そこにいるなら、倒せばいいんじゃないですか?」
「そうもいかない。というか、多分意味がない。さっきからナレーションが聞こえるだろ?」
狼我はそう言いながら、天井を指で指し示す。しかしそこには天井があるばかり。語り部とは物語の中に在り、しかし物語の中には居ないもの。
「ほら、これ」
「……それは気になっていました、私も」
「こっちもキャスター。らしい」
「なるほど、ここにいるのはあくまで分身、と。キャスターの作った空間であれば、そういうこともありますか」
キャンディは納得したように頷いた。キャスターは狼我にしたのと同様に、彼女にも茶を差し出す。
「ソチャですが」
「ありがとうございます。お話、伺っても?」
「どうぞ」
キャンディはキャスターが頷いたのを見て、続けた。
「何か意図があって、貴方もここにいるのでしょう。何故、貴方は私達と戦うんですか?」
何故戦うか、とキャンディは聞いた。当然彼女も、サーヴァントは聖杯で願いを叶えるために召喚されるものと承知している。しかし、今回はどうも事情が違うかもしれないと、そんな予感がして、問いかけたのだ。
そしてキャンディの予感は正しかった。
「私の願いのため……ではありませんね。私の願いは、今回は叶いそうにない」
キャスターは静かに話した。それはある種、彼の身の上話だった。
「私のマスター、ミスター・クラルサッハ・マーフィーは魔術師です」
「マスターって皆魔術師なんじゃないのか?」
「そうなのですが、そうではありません。彼は時計塔に所属する、本物の魔術師」
「時計塔?」
狼我にとっては、それは聞き覚えのない言葉だった。時計塔。魔術世界においては常識的な言葉。いや、場所と言うべきだろう。しかし狼我はそれを知らなかった。
「知らないんですか?」
「俺は素人だ。……まだ1週間しか、魔術はやってない」
「……時計塔は、魔術師の総本山みたいなものだと思ってください。多くの魔術師が所属し、魔術をそれぞれ研究している。それで、時計塔にいる魔術師は基本的に根源というものを目指します。……根源は、世界の真理、みたいなものだと思ってください」
「世界の真理」
「先ほどのあのマスターは、恐らく真面目に根源を目指している魔術師なのでしょう」
それを聞いて、狼我はひとまず納得をした。本心では全く理解はしきれていないのだが、一先ずはこの理解で進めようと判断したのである。狼我にとってはここは敵地で、気を休めるところではない。
しかし気になって、彼はキャスターに質問した。
「アンタの願いは叶わないのか」
「聖杯で叶えられる願いには限度があります。それは、願いを叶えるのに使う魔力に限りがあるからです」
「そうですね、1つ願いを叶えるごとに、聖杯の魔力は消費され、叶えられる願いの規模が減っていく」
キャスターの答えに割って入って、キャンディも幾つか補足する。
「マスターの望みによっては、マスターが願いを叶えた後にサーヴァントも願いを叶えられますが。……仮に根源への到達を目指すなら、マスターは自らのサーヴァントを自害させ、7騎分の魔力を一気に使う必要がある」
「だから、私の願いは叶いません」
キャスターのマスターは横暴で、純粋な魔術師だった。万博聖杯戦争に目をつけ、参加国に自らを売り込んだが。しかし優勝したら全てを裏切り、根源へと至るつもりでいたのである。
「淋しい話です、私はまた妻子に会いたかった」
「しかしキャスター、そこまで分かっているのなら、マスターを裏切れば良いのでは?」
「私はキャスター、魔術師のサーヴァントですが、結局はただの作家ですよ。とても上手くはやれません」
キャスターはおもむろに、おだやかに答える。
「だから、真面目に仕事をこなすのみです。儚いほどの勤勉さは、日本人の美徳でしょう?」
「……」
ふと、狼我は違和感を抱いた。
さらさらと、雪が狼我の髪に吹き付ける。
「──誰だッ!!」
気づけば、知らぬ間に再び小屋の戸口が開け放たれていた。
そして、そこには女が立っている。全身が白装束の女である。狼我はその女を美しいと思った。しかし恐ろしいとも思う。女の吐く息は白く、まるで光る煙のようだった。
そして。狼我は、自らの脚に、重みを覚える。
「なんだ、急に──
下を向いて。
狼我は、自らの脚が、白い雪の塊、あるいは氷塊に、覆われていることに気がついた。
「っ、凍っている!!」
「氷になるような水気はなかったはずです、しかしこうも霜が降りて、動かない」
それは狼我だけではない。キャンディも同じだった。そしてセイバーも、ランサーも。女の来訪と共に、皆氷に脚を取られてしまう。
「なるほど、先程までの会話は時間稼ぎだったのですね、キャスター」
「私の本心であることも、間違いはないのですがね」
女は戸口を跨ぎ、番小屋の中へと立ち入った。
そしてまずは、手近にいたセイバーの元へと近づき、その頬に手を添える。セイバーを覗き込む目は昏く、大変に恐ろしい。
「しかして我は動じない、何故ならば、我が神は常に我と共にある!! オム・ナ──
そして、女は口を開いて、ほうっと息を吐き出して。
瞬く間に、セイバーの全身は、氷の塊となってしまった。
「セイバー!!」
「冷気は……アイツの口からか」
女の口からの吐息一吹きで、セイバーは余す所なく凍りついてしまっていた。狼我は一塊の氷となってしまったセイバーを見て、思案する。
「この話、読めたぜキャスター」
そして気がついた。狼我は未だ座すキャスターに向けて、こう語る。
「吹雪の夜、渡し守の小屋、来訪する女、氷の吐息──この物語は怪談『雪女』だ。俺は読んだことがある」
「……まあ、なるほど」
「そしてアンタの真名はラフカディオ・ハーン、またの名を小泉八雲。そうだろ?」
狼我の言葉を聞き届けて、キャスターは深く頷く。
「お見事。私こそはアイルランド館に召喚されしキャスター、小泉八雲。後の時代の読者と相見えるとは、サーヴァントになった甲斐がありました。しかし」
しかし、時すでに遅しというもの。
白い女は既に、狼我の肩に手を掛けていた。吐息は変わらず、口から漏れる。逃げることは叶わない。
キャスターはその場を立ち、番小屋を出て歩き去る。すぐに姿はなくなった。読者を失うのは哀しいものだ。
「っ──」
「──セイバー!! 令呪を使います、貴方のその暑苦しさで、この氷を溶かしてみせて!!」
不意に、キャンディが強く叫んだ。令呪を使ったのだ。赤いぼうっとした光が、その右手の甲から、凍りついたセイバーへと移っていく。
しかし、それだけ。物語は私が綴るものであり、その筋書きは変わらない。
────だがここには我もいる!!」
「っ、セイバーの氷が溶けた!!」
「我が纏うはシヴァ神の炎!! 苛烈なれど慈悲深き神の恩寵!! 北国の冷気何するものぞ、この炎に敵うものなし!!」
確かに、一度は氷は溶ける。
しかしそれは燃え盛る家に柄杓の水を1つ掛けるに等しき些事に過ぎない。人が居る処、物語が終わることはないのである。いくら力があろうとも、それだけでは物語は曲げられない。
白い女は振り向いた。セイバーを見て、息を吐く。
雪女の怪談は、冷たい吐息は、セイバーを再び覆い尽くす。セイバーは氷のように硬くなり、いずれ死に至る。
「否、否、否!! 物語とは貴殿1人だけのものに非ず!! 我が故郷、タミルの風を、ここに!!」
セイバーの声は高らかに響き、熱と光がその肉体から溢れ出る。きっと異国の神より譲り受けたものだろうが、なれど。
「おお、慈悲深き方よ!!」
白い息は光ごと覆う。セイバーから発せられる風と交じり、それはまるで吹雪のよう。確かに、熱を冷やしていく。
「貴方は私の婚礼を阻み、巡礼の旅へと駆り立てた!! 貴方は私の持ち物を取り上げ、また恩寵を与え給うた!! 貴方は私の光を奪い、また光をもたらした!!」
「この詠唱、セイバーの宝具か!!」
冷やしていく。冷やしていく……。
「旅にて語りし我が讃歌!! 散逸すれど威光は潰えず、今もなお高らかに貴方へ歌う!! 故に、
その言葉ごと、覆い尽くすように、吹雪の塊は積み上がって。
「即ち是三万八千が内の百!! 『
そして。
その言葉が潰え、吹雪が掻き消え。
そこには既に。
「──セイバーが、いない」
……もう、セイバーの姿はない。
凍りついて砕けてしまったのか、あるいは雪の中で妖に精気を抜かれたか。答えは分からねど、既に。セイバーは、ここにはいないのだった。
「……って、キャスターは言ってるが、どうだ?」
「魔力のパスは切れていません。セイバーは生きている。でもこれ、何が起きて?」
何を語れど、もう抵抗の手立てはない。
いずれも脚は凍りついたままで、逃げる手段はないのであった。白い女は再び狼我へ向き直る。その頬に手を添える。氷のように冷たい。目は黒黒と恐ろしい。物語は、綴り手からは逃れられないもの。
ならば!! その筋書き我が書き換えよう!!
突如あばら屋の天井に光が走る!! 見上げればなんと巨大な亀裂が走っていた。ここまでの冷気と我が神の熱により、きっと建物が悲鳴を上げたのだ、そして!!
亀裂から差し込む太陽光線、真っ直ぐに、怪異の女を両断した!!
「──今、何が起きました!?」
「雪女が、消滅した!! ……本当に、天井が割れている、空が晴れている!!」
なんと。しかし先程までの吹雪晴れわたろうものか。これは今際の際の夢なのだ、戸口からは未だ吹雪がはらはらと
我が神の威光、雲を払いて闇を裂く!! 吹雪は溶け、恵みの雨となり、そして晴れては虹を架けよう!!
キャスターよ、日本においては、連歌というものがあるのだったな? この物語、我が貰った!!
「──物語。そうか、これは。語り部が、2人に増えたんだ。セイバーは宝具で、キャスターの世界に割り込んだ」
その言葉に私は感嘆し、また驚いた。まさかこちら側に入ってくる者がいようとは。
当然!! 我もまた、1人の詩人であるが故。物語ならば我の領分、ここからは、文筆の勝負とする!!
それは面白い試みだ。しかし語り手が増えれども、それでも物語に終はなし。川の下にも、湯呑みの中にも物語はあるものなれば、今溢れ出しても不思議はない。
そして現に、湯呑みの中からは霊魂が這い出てくるではないか。
「ランサー、戦えるか」
氷は既に溶け去った!! 美しき友情かな、狼我殿は足元に残る露を払って、ランサーの元に駆け寄り引き起こす。
ランサーの名誉の為に申し添えよう、彼は先程まで、美琴殿を庇っていたのだ。意識なき彼女を庇って立ったがために、深く頸まで凍りつき、ここまで狼我殿に近寄ることが出来なかった。
「セイバーはその無遠慮な言及を止めよ!! そしてバーサーカーのマスターよ、貴様が、王に戦いを命じると?」
「ああ。ここは敵の領域内だ。周囲を見る目は多いほうがいい」
狼我はそうはいうが、ランサーの顔は白んだまま。君主とは、そうやすやすと頷くことはできないものだ。
しかし此度は異なろう。何しろ我々は、既に同じ食卓を囲んだ身!! 同じ釜の飯、否、同じ鉄板のメシを囲んだのだ!!
「…………よかろう。貴様は昨晩、既に王へ意見する資格を示した。バーサーカーのマスター、名は?」
「基田狼我」
「覚えよう」
並び立つ!! 我がマスターまで並んで3人、茶から現れた怪異を睨む。
しかし狼我らに相対するものはそれだけではない。霊魂に加えて、先程は溶けた白い女も、再び形を取り戻す。
否、そうはならない、何しろ空は晴れ渡り、雪など最早ありようもなし。
そうではない。此度は、ただの雪女に非ず。
渡し守の番小屋の、組み木の隙間、床板の隙間、そして天井裏、その全てから……赤色と、青色の、水の粒が漏れ出てくるのである。漏れ出てきたそれが、女の居たそこに、再び女を呼び起こしたのだ。
「……貴方、今のものが何か、わかりますか?」
「ああ、俺も見た。でも、どうして」
ほう、なるほど、我も──そして、我がマスターも目を見張った。何故ならば、女の怪異の袂の内側は、尽く赤と青の粒、その塊。
「今、あれを形作ってるのは、雪じゃない──コミャクだ。ミャクミャクだ。あの雪女は、今は──
彼らの呟きはか細い叫びのよう。驚愕の声が小さく漏れる。
目の前にいる女は、最早先程までの雪女にあらず。異界より来るもの、赤と青の粒にて造られし新たなる妖。そしてそれは女に限らず、番小屋そのものの柱にも天井にも、埋め込まれたように染み付いている。
なるほど、彼らは理解した!! こここそは大阪・関西万博マスコット、ミャクミャクにより支配されし場!!
即ち、ミャクミャクハウスである!!
ここは冬の日本、渡し守の番小屋。赤と青の化物が溢れる廃墟。
否!! こここそは南アジアの山村とする。燦々たる太陽光線、あらゆる闇を焼き払う。
溢れかえるは妖怪変化の濁流。
影切り払うは我が神の威光。
言葉が、世界を書き換える。
それが我々の戦いであるが故に!!
13話 連作濁々ワンダーランド
「クソ、アイツら好き勝手やりやがる!!」
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