樹冠の厄災。
セイバーはそれを、そう命名した。
狼我の過去の中、精神世界の愛・地球博。そこに現れた、愛・地球博マスコット、モリゾーめいた巨躯の怪物。
それは己を苛む自罰の厄災。基田狼我という人間──世界へ歩み出ることに正しさを見いだし、しかしそれを実践することが出来なかった、正しくない人間を、自ら罰する狼我の怒り。
その身から伸びるは2200本の樹腕。木々を束ねた大質量。その数本が、波のようにうねり、風のように唸り、バーサーカーの腕に抱かれた、狼我へ向かって振り下ろされる。
「オム・ナマ・シヴァヤ!!」
それを目掛けて割り込むように、光が一閃。
バーサーカーの前に立ったセイバーが、樹腕5本を纏めて切断。光の剣の一振りで、轟音を上げて枝々が散る。
「間に合ったか」
「流石だなセイバー。抑え込めるか?」
「否、よもやここまでとは」
しかしセイバーはそう首を振る。再び樹冠の厄災を見上げれば、既に構えられた樹腕はゆうに150本を超える。
守りきれない。
赤く染まった空を覆う木々の枝を相手に、バーサーカーは瞬間的に判断した。
「マスターは逃げろ!!」
直後バーサーカーは振り向き、空へと狼我を放り投げた。
だらりと宙を舞う狼我の身体。
それを、白馬に跨ったライダーが受け止める。
「ぅおっとぉ!!」
「ライダー、マスターを頼む!!」
「仕方ないなぁ……!! 捕まってなよ、ローガくん!!」
そのまま彼女は狼我を自分の後ろに座らせ、即座に馬を走らせた。直後、また振り下ろされる樹腕。ライダーのすぐ後方、グローバル・ループが弾け飛ぶ。
馬と共に駆けるライダー。それに追いすがる樹冠の厄災。グローバル・ループ上での決死の競争。
それをしながらライダーは、右肘で狼我の肩を小突いた。一応狼我は背中にいるのだが、ライダーを掴む力は何とも弱い。
「聞こえてる、ローガくん? 意識ある?」
「……ある」
狼我はひとまず、言葉ではそう返したが。なんとも、力を入れ難い気分だった。
そう、気分の問題だ。
一連の騒動を経て──狼我は、随分と憔悴していた。
様々なものが、暴き立てられたと思う。
狼我の中の、抑え込んでいた様々なもの。
外国人という存在に対しての違和感。
その違和感への罪悪感。
かつて思い描いたようには生きられなかった、罪悪感。
そして、それらの起点に存在した、万博というものへの怒り。
すぐ側からする、ライダーの存在の臭いにも。慣れないものを──外国人を、感じてしまう。意識してしまう。その事実が、更に罪悪を加算する。
「アンタが良い奴だってことは、解ってるんだ」
ぽつり、狼我は言葉を零す。
「ベンドレのオッサンだってそうだ。良い奴だ。飯を奢ってくれたし、俺に付き合ってくれてる。解ってるんだよ、俺は。解ってるんだ」
だからこそ。差別をしないように、努めてきた。ずっと努めてきた。驚くことは失礼だ。気を遣って接しなければ。
そう思ってきたこともまた、差別の証明かもしれない。今はそう思う。
外国人を、外国人だと、意識するようになったのはいつからだろう。あるいは最初からだっただろうか。別に、外国人から何か危害を加えられたなんてことはない。切っ掛けなんてなかったはずだ。
しかしいつの間にか、外国人という存在に、何か不安を感じるようになっていた。あってはならないことだ。狼我はそんなことは判っていて、判っているからこそ、決して表には出すまいと努めてきた。
しかしこうして看破された。それを、悔いている。
「……悪い」
だが、しかし。
「まあそっちはいいよ」
ライダーはバッサリと、狼我の謝罪を切り捨てた。
「……いや、それは
「いいの。アタシがいいって言った。っていうか、慣れないものにはビックリするってだけでしょ?」
馬を走らせながら、ライダーは言う。すぐ後ろで、風が唸る音がした。きっと厄災の樹腕だろう。今もなお追われながら、ライダーはグローバル・ループを疾走する。
そうしながらも。
「アタシの故郷だってそうだった。違う部族の人間が会ってるんなら、違うコミュニティが接してるなら、その間には何の壁もありません、なんて話はありえない」
「……」
「部族でそうなんだから。なら、国が違うなら尚更でしょ」
こう言っちゃうと、バーサーカーは怒るだろうけれど、と。ライダーは前置きをして。
「多分、アタシとローガくんが、全部分かり合うってことはない。皆そうだと思う。でも、心の底から分かり合えなくても、お互い上手くやるように努力する」
それで良くない? と、笑った。
「どう?」
「……かも、な」
否定する気は起きなかった──否定のしようもなかった。
また、風が唸る音──今度は、途中でバラバラと崩壊する。恐らくはバーサーカーか、セイバーによる樹腕の切断。
ライダーは振り返らず、その攻防を音だけで聞いて。
「それに、アレ。あの怪物の原動力は、そっちじゃない。もっと深い」
そう断言する。
「ここはローガくんの心の中なんでしょ? あれもローガくんの心にいて、ローガくんのことを嫌ってる。……きっと、あれはローガくんの、いちばん深いところの思い。本当はこうしたいって衝動」
「なら、どうすれば……止められるんだ?」
「止められるものじゃないよ。衝動は、制御ができない」
樹腕が、再び振り下ろされる。
ズドン、衝撃が伝わり、グローバル・ループの床板が跳ねた。ライダーは馬をジャンプさせ、その衝撃をやり過ごす。
着地する白馬。視線を少しだけ後方に向ければ、先ほどよりも樹腕が近い。追いつかれる、と狼我は思う。思って、しかし声には出せず。
「制御できないからこそ、自分の衝動に向き合うの。そうすれば、何がしたいのか、答えが出せる」
「……そうなのか?」
「わかるよ、だってアタシもそうだった。覚えてる? アタシの、イェネンガの話」
駆ける。駆け続けながら、ライダーは語る。樹腕が蠢動する音は、もう狼我のすぐ背後。
「アタシは結婚したかった。母親になりたかった。なりたくて、なるなって言われて、でもなりたかった。ずっとそういう衝動があって、だから、アタシはここにいる」
「…………」
「悪いことじゃないんだよ、どんな衝動も。それってきっと、本当の本当の、根っこにある願いだと思うから」
一呼吸置いて。
「見せてあげる、アタシの、もう1つの宝具。アタシの衝動、恋に恋したイェネンガ!!」
ライダーは、軽く白馬の首を撫でた。心なしか、狼我はぐいと反動を感じる。──馬が、加速を開始している。
樹腕が空を薙ぐ。細枝の数本は狼我の背中を掠めるほど。狼我は衝撃を感じるが、しかし、その衝撃すらも白馬は置き去りにして。
「走れ、走れ、走れ、走れ、どこまでも!! 運命まで、走り続けて!!」
ライダーの言葉が、重なるごとに。白馬は更に速度を増す。グローバル・ループの床板を蹴る、蹄の音は高らかに。
それはライダー、プリンセス・イェネンガのもつもう一つの宝具。彼女だけが持つ宝具。
真名解放。
「アタシの愛馬──『
それは、イェネンガの逸話の結晶。
己を縛る母国からの逃走にして、運命の夫の元まで走り続けた
白馬は一陣の風となり、風はグローバル・ループを巡り、その風の最中で、ライダーは声を上げる。
「ローガくん!!」
背中の狼我へ、問い掛ける。
「何がしたい?」
その問いは、狼我の本心への問い。精神の最奥、根本的な衝動への問い。受けて、狼我は。
「俺は……正しいことがしたい」
「正しいことって、正しいと思えることって、どんなこと?」
「それは──
回答する。
「──例えば、世界は平和にできるって、証明すること」
回答する。
「戦争をなくすこと。飢えをなくすこと。偏見をなくすこと。障壁をなくすこと」
回答する。
「……世界は広いんだって、伝えること。世界の可能性を、世界に対して示すこと」
そこまで、回答を聞き届けて。
堪えきれなかったようで、ライダーはくすりと笑みをこぼした。
「なあんだ、そういうことかあ!!」
気づいて、いかにも楽しそうに。
「ローガくんは、万博が嫌いなんじゃなくて──万博以外の、この世の全てが嫌いなんだね」
「なっ──
「だって、今言ったそれって、結局万博のことじゃん」
その指摘に、狼我は息を呑む。ライダーは笑ったまま、
「万博って理想が最初にあって、それが本当はなかったって知って、万博に敵わなかった自分が嫌いで、万博みたいじゃない世界が嫌い。──ローガくんにとって、正しいものは万博なんだよ」
「でも、万博は
「確かに、万博は本当じゃなかったかもしれないけれど。誰も本気にしてなかったかもしれないけれど。でも、それでも『万博』そのものには理想があった。嘘かもしれないけど、綺麗だと思った」
「……」
「万博のことが好きなんだよ、ローガくんは」
その言葉は。今まで狼我が聞いた、どんな言葉よりも明朗で。どこか、心の深いところを刺すような、あるいは棘を抜くような。
「だから、ローガくんの衝動って、きっと──この世界を、万博にすることなんだ。それなら、正しいって思えるでしょ?」
万博。ヒトやモノを集め、未来を語る場。地球の課題を解決するために共創する場。あらゆる人間が平等に尊重される場。この世界のどこでもない場所。
それはきっと、理想郷と呼ばれるべきもの。狼我はそれを、欲していた。
鳴り響いていた蹄の音が、気づけば聞こえなくなっていた。白馬は既に脚を止め、グローバル・ループに立ち尽くす。
もう既に、目的は果たされていた。
「そうか」
セイバーは、狼我の中には嘘があると提示した。
狼我は今、その嘘の正体を知った。
狼我の中には嘘があった。
即ち、万博を憎んだ感情、それ自体が嘘だったのだ。理想を抱き、そこに挑めなかった己を正当化するための、自己防衛のための嘘。自分を騙すために、自分についた嘘。生きるために抱いた歪み。
狼我は、万博のようにはなれなかったが。
この世界は、万博のようではありはしないが。
それでも、万博のことだけは、好きだった。
「…………納得した」
ふ、と。空気が軽くなった感覚があった。
空を見上げる。
赤かったはずの大気が、元々そうだったように、青く澄みかえっている。空は高く、どこからか鳥の声が聞こえる。
背後を振り仰ぐ。
もうそこに、樹冠の厄災はいない。
「答えが出たなら、あとは迷わずやるだけだもんね」
そう言いながら、ライダーは馬を降りる。そのまま数歩歩いて、グローバル・ループから少し離れた草原に腰を下ろした。
狼我もそれに続く。
深く、息を吸った。息を吐いた。
頭の奥が熱くて、上を見上げていたかった。
その視界の片隅を、何かが横切る。
「……キッコロだ」
思わず目で追って、理解した。
モリゾーと同じ、もう1匹の愛・地球博マスコット──キッコロ。丸っこく小さなシルエット、若葉のような黄緑色、愛らしい姿が、そこにある。草原の合間にいて、狼我を見ている。
「ねえローガくん、それって」
「……可愛いよな」
キッコロは数秒狼我を見つめて。それから、狼我へてちてちと歩み寄った。それを追うように、草原のそこここから、色鮮やかなキッコロ達が現れる。黄色、水色、オレンジ、ピンク。
「宝物だったんだよ、黄色のキッコロのキーホルダー」
一番近くまで寄ってきた黄色のキッコロを、狼我は恐る恐る撫でた。
もう、あの頃から20年経ったが。それでも同じ柔らかさだった。
「どこかで失くしちまったけど、そっか、ここにあったんだな」
夢はじきに醒める。そんな確信があった。
───
「アーチャーを倒すまでの同盟だ」
「アーチャーを倒したらあかん!!」
「現れたなアーチャー」
「アーチャーを倒してみせろ」
「ウチにも考えがある」
「エンタメの邪魔はさせない」
20話 アーチャーと流星の雨のパレード
「俺は最初から、俺のために戦ってる」
【挿絵表示】