GQu6X本編終了後指名手配犯ズのお気楽お尋ね者デイズのとある一日。

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第1話

 その時代において、人々は己の重みで星を潰すことを恐れ、宇宙へとそのすみかを広げた。スペース・コロニーで生まれ、育ち、そして死んでいく人々は、本物の重力を知らない。本物の空も。本物の海も。けれど、作りものの世界で営まれる人生は、確かな本物だった。

 母なる星の上で育まれた人類史は、宇宙にその勢力圏を広げたいまも、たしかにひとつながりの織物としていまも織られ続けている。

 

 しかし、人々は忘れた。

 かつて星の上で育まれてきた多くを忘れた。

 それは宇宙には必要ではないものなのかもしれなかった。

 それは宇宙では尊ばれるようなものではないのかもしれなかった。

 しかし過渡期において、人々は忘れ、置いていくことにあまりにも無自覚だった。

 忘れられ、置いていかれるものたちもまた、己のありように無自覚だった。

 宇宙世紀においても、人々はまだすべてに納得のいく答えを見つけられていなかった。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

 地球。某所。某日。

 透き通るような海と、目もくらむような白い砂浜。海岸線にへばりつくように立ち並ぶ家々。

 空のかなたに巨大な構造物を築くに至った文明においてなお、そこには有史以来のひなびた生活があった。人はどのような場所でも生きていかねばならない。そんな生臭さを残した街並み。

 

「なにこれ……?」

 

 そんな南国のありふれた住居の前で、コモリは立ち尽くしていた。

 コモリ・ハーコート少尉。ジオン公国軍人。名目上は休暇中ということになっているいまは、浮かれポンチのような原色青のアロハシャツにハート型サングラスという装いで偽装している。下には念のため水着も着ていた。

 旅行者を装うべく売店で購入したココナッツジュースが、手の中でひどく重たく感じられた。

 

 ありふれたコンテナ・ハウスの扉と窓は全開に開かれ、なにかひどく慌ただしく逃げ出したような混乱が、玄関口に見られた。投げ出されたサンダル。放置された買い物袋。つけっぱなしの扇風機が、ぬるい風を時折こちらに投げかけた。

 

 それに、なにより。

 

「なんだ、このにおい……?」

 

 なにかが腐ったような、悪臭。下水管があふれかえるか、あるいは生き物が死んで、炎天下の室内で放置されていれば、このようなにおいにもなるだろうか。

 

 宇宙ではまず嗅ぐことのない不快なにおいに、エグザベ・オリベ少尉ははっきりと顔をしかめた。偽装に慣れない彼は比較的落ち着いた緑のアロハに、飾り気のないサングラスを胸ポケットに差していたが、同行者に持たされた両手の複数の紙袋が浮かれた観光客めいた空気をかろうじて醸し出していた。彼は水着を持ってきていなかったことをのちに叱責され、現地で割高のものを買わされることになる。

 

「人間の死臭……ではないようですね」

「わかるんですか?」

「以前嗅いだことがありますから」

 

 しれっと物騒な発言をしつつも、ひどい悪臭にもわずかに眉をひそめただけにとどめたのは、シャリア・ブル中佐であった。

 彼もまた、偽装として原色赤のアロハシャツに星型サングラスを身に着け、ビーチサンダルでぴたりぴたりとした足音を立てる。手首にはいかにも金を持った観光客めいてごつめの金ぴか腕時計が強い陽光を反射して輝く。空港でもらったフラワーレイを油断なく首にかけている彼も、もちろん下に水着を着こんでいた。抜かりはない。

 

 戦場を経験しただけでなく、木星船団で少なくない同僚の遺体を処理することになった彼の動揺は少ない。とはいえ、清潔で気温の安定した船内での腐敗と、生命に満ちた地球、それも南国の気温下での腐敗臭はくらべものにもならなかったが。

 

 持ち前の真面目さと責任感、あるいは純粋に住人を案じる気持ちからか、コモリはハンカチで鼻を覆いながらそっと室内を覗き込んだ。とたん、扇風機が臭気を伴ったぬるい風を運び、吐き気がこみ上げる。熱気と臭気が、室内の空気をゆがめてみせたほどだった。

 

「無理するなよ、コモリ」

「エグザベくん……」

 

 うしろから覗き込んだエグザベは、室内にさっと視線を巡らせた。やはりというべきか、この臭気の中ではさすがに誰もいない。生者も、死者も。室内はやや荒れていたが、それが単なるものの多さのためなのか、慌てて飛び出したためなのかは若干判断に困った。なにしろこの家の住人は、十代の少女二人なのだ。

 未成年女性の生活空間を覗き見ることへの遠慮から行動が遅れたが、ひとまず、事件性はなさそうだ。少なくとも暴力的なものは。

 

「だとすれば、なんだこの腐敗臭は……?」

「あれ、ヒゲマンだ! コモリンも!」

「エグザベ少尉……?」

 

 三人の警戒と困惑をよそに、住人はあっけらかんと帰宅した。

 マチュとニャアン。短髪を赤毛に染めた小柄な少女と、スレンダーでミステリアスな褐色の少女。水着にサンダル、ラッシュガードのいかにも遊んできましたという格好と裏腹に、いま現在も指名手配を解かれていないお尋ね者である。

 ジオン軍人である三人といまも連絡を保ち交流を続けているのであるから、超法規的手段として指名手配を解除することもできなくはない。しかし、この世にははぐれ者だからこそできる仕事というものもあるのだ。そのほうが都合がよいという考えのもと、ふたりは気楽な逃亡生活を送っていた。

 

「お出かけ中でしたか。とすると空き巣……?」

「あーこれでしょ、このひっどいにおい!」

 

 ニュータイプは高度な共感能力と超能力めいた勘の良さを持つと言われている。

 そんなものはただの迷信に過ぎないと考えるものもいる。

 ただ確かなこととして、ニュータイプにも全く予想のつかないことは確かに存在する。

 

「開けっ放しにしてたけど、臭い消えないねー」

「だからやめたほうがいいっていったのに……」

「ごめんって!」

 

 困惑する大人たちの前に引っ張り出されたのは,ふたを閉めているにもかかわらず異臭を漏らすポリバケツである。鼻をつまみながらマチュが蓋を開くと、死体の浮かぶどぶ川の如き悪臭が広がる。水に沈められたそれは、なにかの缶詰のようだった。

 

「しゅーるすとれみんぐ……っていうんだって!」

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

 スペース・コロニーは宇宙空間に浮かぶ巨大な密閉空間である。

 舟板一枚下は地獄。コロニーもまた外殻一枚向こうは人間が生きていけない真空である。

 完全な循環が不可能な以上、外部からの供給無くしてはコロニーは成り立たない。しかし、なんでもかんでも考えなしに受け入れれば、悲惨な事件にもなりかねない。

 

 そのため本来、コロニーの税関では厳しく輸入物の検査が行われる。

 毒物。爆発物。一般的にイメージされるようないわゆる「危険物」の他に厳しく規制されているのが、「生物」である。

 植物やその種、小動物や昆虫、これらは税関で厳しくチェックされ、その甲斐もあっていまだにコロニー内にはゴキブリを始めとした害虫は水際でせき止められ続けている。

 そのためコロニー出身者が地球を訪れると、まず虫の類に大いに苦しめられるという。

 人々は宇宙において、それらの小さな同居人たちの存在をすっかり忘れたのである。

 

 シュールストレミングもまた、スペースノイドが忘れてしまった地球の英知であった。

 塩を精製するための日照量も燃料となる樹木も少ない北欧において、薄い塩水で魚を発酵させることで成立した保存食。缶詰内部で発酵を続け、発生したガスで内側からパンパンに膨れ上がるような伝統食品。

 世界一臭い、とも称されるこの食品は、コロニー内持ち込み厳禁どころか、ほとんどすべての宇宙船に持ち込めない危険物であった。

 

「気圧差で破裂しちゃうこともあるらしくてさ。地球じゃないと食べられないっていうから」

「それで買ってきたの? というか、よくそんなもの売ってたわね」

 

 あっけらかんと言ってのけるマチュに、コモリは呆れたようにため息を漏らした。

 しかもその危険物を、よりにもよって家の中で開封したというのだった。

 

「私は止めたのに……」

「ごーめーんーって! 水につけて開けたら大丈夫だって聞いたからさあ」

 

 じっとりとした視線で延々と文句を繰り返すニャアンに、マチュは何度目かの謝罪と言い訳を返した。ニャアンの執拗な追及には辟易していたが、それでもなお仕方ないと思えるほどの被害だったのだから、頭を下げる他にない。

 

「もうすっごく臭くて、窓開けてもだめで、もう仕方ないからコインランドリー行って洗えるもの全部洗ってるんだ」

「髪も洗ってきたのに、まだ臭う気がする……」

「鼻の奥にまだにおいが残ってるよねー」

 

 においなど感じないロボットであるハロとコンチも、部品の隙間まで徹底的に洗浄されたらしく、心なし輝いて見えた。

 

「あ、ところでなんか用事だった? また『おしごと』?」

「いいえ、今回はたまたま近くまで来ましたので、様子を見に来ただけですよ」

「ヒゲマンが言うとなんでも裏がありそうに聞こえる……」

「はっはっは」

 

 実際のところ、遠からず「おしごと」を持ってくるだろうから、間違いでもない。

 

「でもま、せっかく来てくれたんだし、食べてく?」

「えっ……食べてくかって、まさかそれか?」

「ナンパ野郎は別にこなくていいけど」

「マチュ、いちおう悪いひとではないから……」

「それ言ったら、私たちみんな『わるいひと』だけどね」

 

 指名手配のお尋ね者に、そのふたりに秘密裏に資金提供と仕事の斡旋をしている軍人。

 彼らはある種の共犯者なのだ。

 

「ってわけで、みんなで臭い飯たべよっか!」

「そういう意味の言葉だっけ……?」

 

 悪臭のこもった室内にはさすがに立ち入れず、清掃業者を呼ぶこととして。

 一同は突発的な屋外シュールストレミングパーティに突入するのだった。

 

「なんかね、ウォトカで洗うとにおいが弱くなるんだって」

「マチュくん、あなたお酒買ってきたんですか?」

「飲みはしないから!」

「この間ので懲りたもんね」

「あっ、ニャアン!」

「はあ……まあ口うるさくは言いませんが」

 

 もっと大きな犯罪にかかわっているというのに細かいことを言うもんだとマチュは思う。しかし、法に触れるからだとか、健康に悪いからだとかではなく、親御さんが心配するからなどと言われると、あえて逆らうのもなんだかばからしい。

 いい子ではいられなかったけれど、反発せずにはいられなかったけれど、それでも、母が嫌いだったわけでもないのだ。

 

 強い蒸留酒で洗い、水にさらしたタマネギスライスとジャガイモスライス、それにトマトと一緒に薄いパンに乗せると、見た目はなんだか立派なオープンサンドのように見えた。サワークリームもかけると実に上等だ。

 塩気の強いニシンに負けないよう、付け合わせはたっぷりだ。付け合わせで誤魔化していると言えなくもない。実際、ここまでしてもなお臭いのだ。

 

「…………」

「コモリン、無理しなくていいよ。ナンパ野郎に食わせよう」

「ぼくに対してあたりが強すぎないか?」

「君もニュータイプなんですから、大丈夫でしょ」

「ぼくに対してあたりが強すぎません!?」

 

 一同はオープンサンドを片手に、しばしのあいだ世間話に興じた。誰も口にしたくなかったともいう。しかしいい加減、伸ばし切った手がつらくなってきたのと、鼻が麻痺してきたので、エグザベが先陣を切った。周囲からの視線と無言の圧力に負けたのである。

 

「…………どう? 大丈夫?」

「完全に毒見のノリじゃないか……まあ、思ったよりは大丈夫だ」

「じゃあ試してみようかな……」

「鼻で息しないほうがいいぞ」

「食べ物で聞かないアドバイスだなあ」

 

 口呼吸を心掛けて、一同は無言、無心でシュールストレミングを口にした。

 最後まで逃げ切ろうとしたヒゲマンことシャリア・ブルもまた、その運命からは逃れられなかった。ニュータイプが目の前の事実から目をそらす姿をエグザベははじめて見た。

 

 タマネギの辛さ、ジャガイモのわずかな甘み、トマトの甘酸っぱさ、サワークリームのこってりとしたコクと酸味。そしてそれでごまかし切れないにおいと塩辛さ。そのむこうになんとも言えぬうまみがある。ような気がする。いや、確かにある。発酵食品特有の、強いうまみだ。

 

 コモリはにおいがつらかったのか、一口食べて、諦めた。彼女には荷が勝ち過ぎた。力尽きた彼女の手から受け取ったエグザベもまた、笑顔とは言えなかった。ひきつっていた。しかしそれでも、無心で平らげる程度には耐えられた。手放しで称賛するほどではないが、かといって最悪ではない。

 

 シャリア・ブルは刻を見た。宇宙が見えた。鼻に抜ける臭いは、食事として味わったことのない類のものだ。そこにウォトカを一口。いや、二口。かッと喉を焼くアルコール。においが洗い流されるようである。悪くない。ひどく膨らんだレーションより、ずっといい。

 

 マチュとニャアンは勢いをつけてかぶりつき、咀嚼し、首を傾げ、何度も瞬きし、お互いに目を合わせ、それから飲み下した。

 

 マチュは、思ったより悪くないかも、と感じた。臭いは臭い。それはどうしようもない。しかしウォトカで洗い流したおかげか、どぶ川の如き腐敗臭と思えたものも、納豆と同レベルくらいかなと思えた。臭いの軸が違うだけで、臭いものだ。塩辛さも、いい。この塩辛さを、たっぷりの付け合わせで包み込むと、悪くない塩梅だ。

 

 一方でニャアンは、一口で崩れ落ちそうになった。臭いがダメだった。難民生活の中で身をもって思い知った、あ、これ食べちゃダメなやつだ、というにおいを感じた。はっきり言って腐ってると思った。それでももったいない精神から吐き出すに吐き出せなかった。そんなニャアンの死んだ目を見て、マチュはそっと残りを取って食べてやった。

 

 もはや作業のごとくひと缶のシュールストレミングを平らげて、一同は言葉もなく少しの間たたずんだ。

 感想はそれぞれにあったが、しかし、通じ合う気持ちがあった。

 

 ──二度目は、いいかな。

 

 なお後日談として、このあと通報された現地警察がやってきて毒ガスを疑われたり、ジオン軍人がかかわったことで微妙な政治バランスをシュールストレミングによって傾けるシーソーゲームが発生したりしたが、それはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

「ええー!? なんでだめなの!?」

「くさいからやだ」

「ニャアンも臭いじゃん!」

「だから嫌だって言ってるの!」

「私は気にしないから! マヴでしょ!」

「マヴは関係ない……あっこら、ん、ふ」

「ほら、臭いのだって慣れちゃえば気にならないでしょ」

「……臭いは、臭いよ」

「ええー? でも、イヤじゃないでしょ?」

「マチュのそういうとこは、ちょっとイヤ」

「ほんとに?」

「……ばか」


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