終のむじなが見た夢に   作:夜琥

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13. 幻影の守護者

モンドの空は、抜けるように、青かった。

 

風魔龍がもたらした、あの、暗く、重苦しい暴風は、嘘のように消え去り、自由の都には、本来の、穏やかで、陽気な風が、再び、吹き渡っていた。

 

街の人々は、互いの無事を喜び、騎士団の尽力を称え、そして、異世界から来た、金色の髪の英雄の活躍を、吟遊詩人たちが、早速、新しい詩にして、歌い始めていた。

 

誰もが、勝利に、酔いしれていた。

 

だが、そのあまりにも完璧な、大団円の裏側で、いくつかの小さな、しかし、決して無視できない「謎」が、残されていたことを、まだ誰も知らなかった。

 

【旅人:蛍の視点】

 

「いやー、それにしても、美味い! やっぱり、勝利の後の『鳥肉のハニーソテー』は、格別だな!」

 

鹿狩りの、テラス席。

パイモンは、口の周りをソースだらけにしながら、満面の笑みで、そう言った。

隣では、アンバーが、誇らしげに、胸を張っている。

 

「ふふん、そうでしょ! 私のオススメなんだから!」

 

「蛍も、もっと食べろよ! 今回は、お前が、一番、頑張ったんだからな!」

 

「うん……ありがとう、パイモン」

 

蛍は、微笑みながら、頷いた。嬉しい。心から、嬉しいのだ。

モンドを救えたこと。トワリンを、苦しみから、解放できたこと。

 

仲間たちが、誰も、欠けることなく、こうして、笑い合っていること。

すべてが、喜ばしい、はずなのに。

 

どうしてだろう。心の、どこか、片隅に。

小さな、霧のようなものが、ずっと、かかっている。

 

「……でも、不思議だったよね」

 

蛍は、ポツリと、呟いた。

 

「え? 何がだ?」

 

「神殿を調査してた時、何箇所か、妙な場所があったの。アビスの魔術師たちが、何か、儀式をしていたみたいな、跡があったんだけど……。私たちが、そこに着く前に、いつも、誰かが、そこを、めちゃくちゃに、破壊した後だった」

 

「ああ! あったあった! なんか、地面が、変に、抉れてたり、風の刃みたいな跡が、たくさん、残ってたりしたよな!」

 

「うん。まるで、私たちを、先に進ませるために、誰かが、道を切り拓いてくれていた、みたいな……」

 

アンバーは、きょとんとした顔で、言った。

 

「え? そうなの? 私は、てっきり、魔物同士で、仲間割れでもしたのかと思ってたわ。まあ、何にせよ、ラッキーだったじゃない!」

 

「……うん。そうだね。ラッキー、だったんだよね」

 

蛍は、そう言って、笑った。

 

だが、霧は、晴れなかった。幸運、というには、あまりにも、出来すぎていた、気がしてならなかったのだ。

 

【西風騎士団騎兵隊長:ガイアの視点】

 

執務室の机の上には、数枚の、偵察騎士からの報告書が、並べられていた。

ガイアは、その報告書を、組んだ指の上で、顎を休ませながら、興味深そうに、眺めていた。

 

「……なるほどな」

 

報告内容は、どれも、似通っていた。

 

『囁きの森東方にて、アビス教団によるものと思われる、大規模な儀式の痕跡を発見。しかし、儀式は何者かによって妨害され、複数のアビスの魔術師の残骸のみが、確認された』

 

『風龍廃墟、地下区域にて、正体不明の、強力な魔物の、召喚準備の跡を発見。こちらも、召喚が完了するまさに、その寸前に、何者かによって、阻止された形跡あり』

 

『いずれの現場にも、旅人、及び、騎士団のメンバーは、関与していないことを、確認済み』

 

ガイアは、ふっと、息を吐いた。

 

「……これは、面白い」

 

旅人が、トワリンと、塔の頂上で、死闘を繰り広げている、まさに、その、同じ時間に。

その真下で、別の、誰かが、アビス教団の、本命の計画を、たった一人で、潰していた、ということになる。

 

一体、誰が? 何のために?

 

ガイアの脳裏に、一つの、小さな、人影が、浮かんだ。

 

稲妻から来たという、あの、いつも、眠たそうな顔をした、むじなのような、忍びの少女。

 

「……そういえば、あいつ、どこへ行ったんだ?」

 

風魔龍の事件が、本格化して以来、彼女の姿を、ぱったりと、見かけなくなっていた。

任務を放棄して、国にでも、帰ってしまったのか? いや、それにしては、出国記録がない。

 

(……まさか、な)

 

ガイアは、口の端を、吊り上げた。

 

考えすぎか。だが、もし、そうだとしたら。

この、自由の都には、騎士団も、アカツキワイナリーも知らない、三人目の、「守護者」がいる、ということになる。

 

「……ふふ、面白いじゃないか。実に、面白い」

 

彼は、誰に言うでもなく、そう呟くと、報告書を、引き出しの、奥深くに、しまい込んだ。

 

【アカツキワイナリーの主:ディルックの視点】

 

エンジェルズシェアの店内は、久しぶりの、賑わいを取り戻していた。

 

ディルックは、黙々と、カウンターの内側で、グラスを磨いていた。彼の右腕は、健在だった

。戦いの後、多少の無理はしたが、あの、一度目の世界で負ったような、致命的な傷を、負うことはなかった。

 

(……運が、良かった)

 

彼は、そう、結論付けていた。あの夜、淑女と対峙した時、なぜか、彼女の配下の動きが、妙に、散漫だったのだ。

おかげで、一対一の状況に、持ち込むことができた。あれがなければ、どうなっていたか。

 

「やあ、ディルック。一杯、貰えるかい?」

 

カウンターの前に、ジンが、腰を下ろした。いつもの、騎士団の制服ではなく、簡素な、私服姿だった。

 

「……珍しいな。君が、こんな時間に来るとは」

「たまにはね。街が、平和になったお祝いに」

 

ディルックは、黙って、彼女の前に、蒲公英酒のグラスを、置いた。

 

「ありがとう」

 

ジンは、礼を言うと、美味しそうに、それを飲んだ。

 

「……君には、感謝している。あの時、協力してくれなければ、ライアーは、取り戻せなかった」

 

「フン、当然のことをしたまでだ。モンドにあれ以上、ファデュイをのさばらせるわけにはいかない」

 

そう、彼は、答えた。だが、心の、どこかで、何かが、引っかかっていた。

 

淑女は、なぜ、あれほど、あっさりと、引き下がったのか。

彼女の目的は、ウェンティの「神の心」だったはずだ。

 

それならば、もっと執拗にモンドに、留まるはず。

 

なのに、彼女は、まるで、何か別の、大きな脅威に、気を取られているかのように、そそくさと、姿を消した。

 

まるで、獲物を狙う、狼の目の前で、その獲物を別のもっと、巨大な何かが横から、かっさらっていったかのような。

そんな、奇妙な、感覚。

 

ディルックは、磨き上げたグラスの向こうに映る、自分の、赤い瞳を、見つめていた。

 

この、モンドの、夜の闇には。

まだ、僕の知らない、何かが、潜んでいる。

 

**【影の忍び:早柚の視点】**

 

廃屋の、冷たい、石の床の上で、早柚は、傷だらけの身体を、横たえていた。

 

風龍廃墟の地下で、あのアビスの使徒と戦った時の傷が、まだ、熱を持っている。

歩くたびに、全身の骨が、軋むように、痛んだ。

 

だが、そんな、肉体的な痛みよりも、彼女を、苛んでいたのは、別の、感覚だった。

 

(……また、一つ、消えた)

 

彼女は、自分の、記憶の、一部が、綺麗に、抜け落ちていることに、気づいていた。

 

稲妻での、幼い頃の記憶。

神里屋敷の縁側で、トーマが作ってくれた、甘い点心を食べた記憶。

 

その味も、匂いも、思い出せない。

ただ、そんなことが、あったような気がする、という、曖昧な、感覚だけが、残っていた。

 

これが、代償。

これが、奇跡の、対価。

 

彼女は、傷ついた身体を、引きずるようにして、窓辺に、寄った。

そこからモンドの街が、一望できた。

 

街は光に満ちていた。

家々の窓からは、温かい光が漏れ、広場では、人々が、篝火を囲んで、歌い、踊っている。

 

その光景を、彼女は、ただ、黙って、見つめていた。

 

(……よかった)

 

心の中で、呟く。

 

(これで、よかったんだ)

 

ディルック様は、無事だった。街も、救われた。蛍も、パイモンも、笑っている。

 

拙が、望んだ、通りの、結果だ。

 

なのに、どうしてだろう。胸が、こんなにも、痛いのは。

彼女は、その光の輪の中に、決して、入ることはできない。

 

自分は、この平和な世界の、土台となった、ただの、礎石なのだから。

誰からも、知られず、誰からも、褒められることなく、ただ、この世界の、一番、暗くて、冷たい場所で、すべてを、支え続ける。

 

それが、拙の、役目なのだから。

 

遠くで、教会の、鐘の音が、鳴った。

それは、風魔龍との和解を、告げる、鐘の音だった。

 

人々が、ひときわ、大きな、歓声を上げる。

 

その、歓声を聞きながら、早柚は、静かに、涙を、流した。

 

その涙の、味ももう、彼女には、分からなかった。

 

* * *

 

後日。

 

風立ちの地で、蛍たちは、ウェンティと、最後の、会話を交わしていた。

 

そして、原作通り淑女が、現れ、ウェンティの「神の心」を、奪い去った。

その光景を、早柚は、遠くの木の上から見ていた。

 

(……これは、止められない)

 

これは、世界の大きな流れだ。拙が、介入してはいけない、領域。

 

この事件が、蛍を、次の国、璃月へと、導くのだから。

彼女は、唇を強く、噛み締めた。

 

自分の、無力さを改めて、思い知らされる。

拙のモンドでの、役目は、終わった。

 

彼女は静かに、その場を後にした。

 

蛍たちがモンドを発つのと、ほぼ同じタイミングで。

 

彼女もまた、誰にも気づかれず、次の戦いの舞台となる、璃月の地へと、その小さな影を、進めたのだった。

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