終のむじなが見た夢に   作:夜琥

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15. 天秤の上の奇跡

璃月は、勝利に沸いた。

 

渦の魔神オセルは、復活した。

だが、その力は、伝説に謳われたほどのものではなかった。

仙人と七星、そして、異郷の旅人が、力を合わせて、見事に、それを、打ち破った。

 

そして、何よりの奇跡は、璃月の誇り、空中の宮殿「群玉閣」が、犠牲になることなく、その輝きを、保ったことだった。

 

人々はこれを、岩王帝君が去り、人の時代が始まったことへの、吉兆だと讃えた。

 

仙人と人が手を取り合った、輝かしい、新たな時代の幕開けだと、誰もが、信じて疑わなかった。

 

だがその、あまりにも完璧な、勝利の物語の、ほんの数ページ下に、誰にも、読まれることのない、不可解な、インクの染みが、残されていた。

 

【旅人:蛍の視点】

 

「いやー、それにしても、すっごいご馳走だな! まさか、あの群玉閣で、お食事会なんて!」

 

パイモンが、目をきらきらさせながら、豪華な料理に、次々と、手を伸ばしている。

 

決戦の後日、蛍とパイモンは、凝光に、正式に、群玉閣へと招待されていた。

窓の外には、無傷の璃月港が、宝石箱のように、広がっている。

 

「旅人。そして、パイモン。改めて、礼を言うわ。あなたたちの活躍がなければ、この景色は、もう、見られなかったかもしれない」

 

凝光は、優雅に、お茶を飲みながら、言った。その表情は、自信と、安堵に満ちている。

 

「ううん、そんなことないよ。凝光さんや、刻晴さん、それに、仙人のみんなが、力を合わせたからだよ」

 

蛍が、そう答えると、凝光はふふ、と、意味ありげに笑った。

 

「それもあるわね。でも、それだけじゃない。天が私たちに味方してくれた、としか、思えないわ」

 

「え?」

 

「黄金屋での一件よ。あの、ファデュイの公子が、儀式を妨害されたという、報告があったわ。ほんの一瞬、原因不明の、小規模な爆発が、彼の集中を乱した、と。そのおかげで、オセルの復活は、不完全なものになった。そうでなければ、いくら私たちでも、群玉閣を、無傷で、済ませることは、できなかったでしょう」

 

凝光は、それを、ただの「幸運」だと、結論付けていた。

 

だが、蛍の心には、あの、モンドでの、違和感が、再び、蘇っていた。

 

(……まただ)

 

(また、誰かが、私たちを、助けてくれた、みたいな……)

 

幸運、というにはあまりにも、タイミングが良すぎる。

 

まるで、物語の最も重要な分岐点で、誰かが、そっと天秤の皿に、小さな重りを乗せたかのように。

 

【ファデュイ第十一位執行官「公子」:タルタリヤの視点】

 

北国銀行の、執務室。

タルタリヤは、苛立たしげに、机の上の、報告書を、睨みつけていた。

 

「……ありえない」

 

何度反芻しても、理解ができなかった。

 

計画は、完璧だったはずだ。

黄金屋で、旅人を追い詰め、奥の手である「禁忌滅却の札」を使い、オセルを解放する。

 

だが、まさにその瞬間。

 

原因不明の爆発。それも黄金屋の外部から。

 

大した威力ではなかった。だが術の最も繊細な制御を要するその瞬間に、彼の集中を完全に断ち切った。

 

結果、オセルの召喚は不完全に終わり、その力は本来の半分にも満たなかっただろう。

そして、みすみす、仙人と七星の、連携の前に、撃退されてしまった。

 

「……誰だ?」

 

彼の脳裏に、特定の人物の姿は、浮かばなかった。

ただ、得体の知れない、不快な感覚だけが、残っている。

 

(あれは、事故なんかじゃない。あまりにも、タイミングが、良すぎた。まるで、僕の行動を、すべて、知っていたかのように……)

 

七星か? 仙人か? いや違う。

彼らのやり方は、もっと直接的で大仰だ。こんな忍びのような、姑息な真似はしない。

 

(……まるで、幽霊だ)

 

璃月には、ファデュイも、七星も、仙人も知らない、第四の勢力が、潜んでいる。

 

そいつが、僕の計画を、根本から、破壊した。

 

「面白いじゃないか……」

 

タルタリヤの口元に、いつもの、好戦的な笑みが、浮かんだ。

 

「次こそは、必ず、その尻尾を、掴んでやる……。顔の見えない相手と、チェスをするのも、悪くない」

 

【往生堂客卿:鍾離の視点】

 

決戦の後、鍾離は、一人、茶館で、上質な岩茶を、味わっていた。

 

彼の「試験」は、終わった。それも、予想以上の、最良の形で。

 

璃月の民は、仙人の力を借りながらも、自らの意志と、力で、魔神を退けた。

そして、その象徴である、群玉閣も、失われることはなかった。人の時代は盤石の、礎の上に、始まるだろう。

 

(……だが)

 

彼の神の如き俯瞰の視点は、あまりにも出来すぎた結果に、微かなノイズを、感じ取っていた。

 

(……あの、黄金屋での、一瞬の、力の奔流)

 

それは、ファデュイのものでも、仙人のものでも、旅人のものでもなかった。

 

微弱で、しかし極めて純粋な、風元素の力。

そして、その奥に、ほんの、僅かに感じられた、時間と空間そのものを、捻じ曲げるような、禁忌の力の残滓。

 

(……まるで、誰かが、自らの存在を、削りながら、運命の、天秤を、無理やり、傾けたかのような……)

 

彼は、静かに、茶杯を、置いた。

 

その、琥珀色の瞳には、凡人には、決して窺い知ることのできない、深い、深い、思慮の色が、浮かんでいた。

 

彼は何も言わない。ただ、この璃月に、自分の知らない、新たな「契約」が、持ち込まれたことだけを、静かに、理解していた。

 

【影の忍び:早柚の視点】

 

璃月港の、最も、汚れた、裏路地の、そのまた、奥。

早柚は、仮の寝床とした、崩れかけた、建物の、暗闇の中で、荒い息を、繰り返していた。

 

黄金屋で、元素爆発を使った、代償は、あまりにも、大きかった。

 

右腕が動かない。いや違う。動かない、というより、右腕が「ある」という感覚そのものが、ひどく、希薄になっているのだ。

まるで、自分のものではない、借り物の、人形の腕のように。

 

そして、記憶がまた大きく、抜け落ちていた。

 

トーマ。

 

神里家の家司。知っている。

だが、彼の顔が声が、思い出せない。

 

ただ、炎のように、温かい気配があった、という、曖昧な、感情の、残骸だけが、そこにあった。

 

(……また、何かが、消えた。拙の中から、大事なものが、ひとつ、零れ落ちた。この、空っぽになっていく感覚こそが、拙が支払わなければならない、代償なんだ)

 

奇跡を起こすたびに、自分の存在が、この世界から少しずつ、削り取られていく。

 

彼女は、傷ついた身体を、引きずるようにして、壁の隙間から外を覗いた。

 

そこには勝利を祝う、人々の、笑顔があった。

港には、色とりどりの、明かりが灯され、まるで海灯祭のような、賑わいだった。

 

その光景を、彼女は、ただ、黙って、見つめていた。

 

(……よかった)

 

心の中で、呟く。

 

(……これで、よかったんだ)

 

璃月は、救われた。蛍も、パイモンも、笑っている。

 

拙が、望んだ、通りの、結果だ。

なのに、どうしてだろう。胸が、こんなにも、冷たくて、空っぽなのは。

 

彼女は、その光の輪の中に、決して、入ることはできない。

自分は、この、平和な世界の、土台となった、ただの、礎石なのだから。

 

誰からも知られず、誰からも、褒められることなく、ただ、この世界の、一番、暗くて、冷たい場所で、すべてを支え続ける。

 

それが、拙の、役目なのだから。

 

遠くで、花火が、打ち上がる、音がした。

その明るい光が、彼女の涙の跡ひとつない、乾いた頬を一瞬だけ、照らし出した。

 

* * *

 

後日。

 

鍾離がその正体を、現し自らの「神の心」を、契約通りに淑女へと渡した。

 

その衝撃的な事実を、蛍から、又聞きした時も、早柚の心は、もうほとんど、動かなかった。

 

すべてが、「知っている歴史」の通りに、進んでいる。それで、いいのだ。

彼女の、璃月での、役目は、終わった。

 

彼女は、回復しきらない身体を、引きずりながら、次の戦いの舞台となる、故郷、稲妻へと向かう船に小さな影を滑り込ませた。

 

モンドを、救った。

 

璃月も、救った。

 

代償として、拙は、少しずつ、消えていく。

それでも、まだ、心は、折れていない。

 

最後の最も困難な舞台が残っているのだから。

 

故郷、稲妻。

今度こそ、家族の悲劇を、止めなければならない。

 

たとえ、その先に自分の存在が跡形もなく、消え去るのだとしても。

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