終のむじなが見た夢に   作:夜琥

6 / 18
6. 砕かれた契約

璃月は、死ななかった。

だが、生きているとは、到底言えない有様だった。

 

未知なる魔神『螭』の災厄は、岩王帝君自身の、人知れぬ介入によって、なんとか鎮められた。

しかし、一度砕かれた宝石が、二度と元の輝きを取り戻せないように、璃月港は、その心臓部に、決して癒えることのない、巨大な傷を負っていた。

 

街の中心部は、今なお、巨大な遺跡のように、禍々しい石化の名残と、瓦礫の山が広がっている。

復興作業の槌音は響いているが、それは活気の音ではなく、ただ、黙々と、義務を果たすためだけの、無機質な音だった。

 

経済は麻痺し、民の顔から、かつての自信と誇りは消え、ただ、やり場のない怒りと、先の見えない不安の色が浮かんでいた。

 

蛍とパイモン、そして、その影のようについてくる早柚は、そんな璃月港の、仮設の通路を歩いていた。

 

「うぅ……ひどい有様だな…。オイラの知ってる璃月港と、全然違うぞ…」

 

パイモンが、悲痛な声を上げる。

 

道端では、千岩軍の兵士が、疲労困憊の様子で、瓦礫の撤去作業を指揮していた。彼は、蛍の姿を認めると、敬礼もそこそこに、力なく言った。

 

「旅人殿……。先日は、感謝する。あなたがいなければ、被害は、さらに広がっていただろう」

 

「ううん、私も、何も……」

 

「だが、見ての通りだ。我々は、多くの同胞を失った。この街の復興が、いつになるのかも、見当がつかん」

 

その言葉に、蛍は、何も返すことができなかった。

 

一行は、璃月七星が臨時の執務室を構えている、「玉京台」の一角へと向かっていた。

光からの、召集だった。

 

その執務室の前で、彼らは、言い争う声を耳にした。

 

「―――だから、言ったのだ! 人間などに、この璃月を任せておくこと自体が、間違いであったと!」

 

それは、三眼五顕仙人の一人、削月築陽真君の声だった。

彼の声には、隠しようのない、激しい怒りが込められている。

 

「我らが目を離した隙に、この様な災厄を招き入れ、あまつさえ、帝君の定めた『契約』の真意すら、理解しようとしない! これ以上、お主たちに、璃月を任せるわけにはいかん!」

 

「お待ちください、仙君!」

 

それに応えるのは、七星の「玉衡」、刻晴の、鋭く、しかし、疲労を滲ませた声だった。

 

「起きてしまったことを、今更、誰かの責任にしても、何も解決はしません。我々は、現実を見て、前に進まねばならないのです。今の璃月に必要なのは、仙人の皆様の、高みからのご高説ではなく、具体的な復興計画です!」

 

「口の減らぬ小娘めが……!」

 

仙人と、人間。かつて、共にこの国を守ったはずの両者の間には、修復不可能なほどの、深い溝が生まれていた。

 

早柚は、その光景を、柱の影から、ただ、見つめていた。

 

(これも……拙のせいだ)

 

本来の歴史ならば、彼らは、オセルとの戦いを通じて、互いの力を認め合い、手を取り合ったはずだった。神のいない、新たな時代を、共に歩むために。

 

だが、拙の介入が、その、最も重要なプロセスを、破壊した。

彼らの間に残ったのは、勝利の絆ではなく、敗北と、責任のなすりつけ合いだけだ。

 

拙は、この国の、魂の契約をも、砕いてしまったのだ。

 

その時、ふと、静かな声が、その場の空気を支配した。

「―――二人とも、そこまでだ。今は、いがみ合っている場合ではないだろう」

 

声の主は、往生堂の客卿、鍾離だった。彼は、いつの間にいたのか、静かに、そこに立っていた。

 

「これは、天災。誰の責任でもない。そして、璃月が、数千年にわたり繁栄を続けたのは、仙と人が、それぞれの責務を果たし、互いを尊重してきたからこそ。その『契約』の精神を、今、この時にこそ、思い出すべきではないだろうか」

 

その言葉には、不思議な重みがあった。仙人も、七星も、ぐっと、言葉に詰まる。

 

鍾離は、ゆっくりと、蛍たちの元へと歩み寄ってきた。そして、彼の、あの、すべてを見通すかのような、深淵の如き瞳が、早柚の姿を、真っ直ぐに、捉えた。

 

心臓が、鷲掴みにされたかのように、跳ねた。

 

「……稲妻からの、小さな客人よ」

 

彼は、静かに、語りかけた。

 

「貴殿は、その小さな身体に、あまりにも、大きな荷を背負っているようだ。それは、貴殿が、背負うには重すぎるだろう」

 

「……!」

 

早柚は、息を呑んだ。バレている?

このお方には、拙が何者で、何をしたのか、すべて、お見通しだというのか。

 

「覚えておくといい。この世のすべての行いには、結果が伴う。善意であれ、悪意であれ、起こした行動の『波紋』からは、逃れることはできない。そして、すべての『負債』は、契約に従い、いつか、必ず、支払わねばならない。……後悔なきよう選択すると良い」

 

その言葉は、静かで、穏やかだった。だが、早柚には、それが、神による、最終宣告のように、聞こえた。

 

彼は、何もかも、知っている。

そして、その上で、拙を、断罪も、救済もせず、ただ、その結末を見守っているのだ。

 

その、あまりにも巨大な存在を前に、早柚は、身動き一つ、取れなかった。

 

その夜。

早柚は、宿屋の自室の隅で、膝を抱えていた。

 

「なあ、早柚……」

 

パイモンが、おずおずと、話しかけてくる。

 

「あの、鍾離ってやつ、お前のこと、何か知ってるみたいだったな…。お前、あいつと、何かあったのか?」

「……別に」

 

「別に、って……。お前、モンドからずっと、そうだぞ! 何かあったんなら、オイラたちに話せよ! 一人で抱え込んでたって、背、伸びないぞ!」

 

パイモンの、不器用な、しかし、心のこもった言葉。

蛍も、隣で、心配そうに頷いている。

 

「早柚。私たちは、仲間だよ。あなたの苦しみを、少しでも、分けてもらうことは、できないかな」

 

その二人の優しさが、今は、何よりも、辛かった。

 

話せるものか。拙の、愚かな過ちのせいで、あなたたちの仲間を、街を、こんな目にあわせた張本人が、どの口で、助けを求められるというのか。

 

「……すまない。一人にしておいてくれ」

 

早柚は、そう言って、布団を頭から被った。

布団の中で、彼女は、声を殺して、泣いた。もう、涙は、涸れ果てたと思っていたのに。

 

数日後、一行は、稲妻へ向かう船に乗っていた。

 

璃月の復興は、まだ始まったばかり。

七星も、仙人も、外部の厄介事に、これ以上関わっている余裕はなかった。

 

旅人である蛍もまた、次の神を求め、旅を続けなければならない。

そして、早柚にとって、この旅立ちは、ただ一つの「逃げ道」だった。

 

船の甲板から、遠ざかっていく璃月港を見る。

その、痛々しい傷跡を見るたび、自分の罪の重さを、再確認させられる。

 

(……稲妻へ)

(故郷へ、帰れば……)

 

そこだけが、拙に残された、最後の聖域だった。

 

モンドも、璃月も、拙にとっては、未知の場所だった。だから、失敗したのだ。

だが、稲妻は違う。あそこは、拙の庭だ。今度こそ、完璧に、立ち回ってみせる。

 

モンドの、璃月の、この二つの失敗を、取り返すほどの、完璧な「修正」を。

 

彼女は、砕け散った心の、最後の欠片を、すべて、その、あまりにも、儚い希望に、賭けていた。

 

船は、雷雲渦巻く、閉ざされた故郷へと、進んでいく。

 

彼女を待つのが、さらなる、そして、決定的な絶望であることなど、知る由もなく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。