オーバーロード マイペースすぎるプレイヤーと素のモモンガさん   作:eriza7170

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遅くなって申し訳ない


食事事情、解決!

001

 

001 人間としての食事

 

ナザリック地下大墳墓、その一角。

 

普段ならばアンデッドや異形の怪物たちが行き交い、常人であれば一歩足を踏み入れただけで正気を失いかねない場所に、場違いな光景があった。

 

食堂である。

 

そこには長大なテーブルが置かれ、壁際には食器や調理器具が整然と並べられている。

 

もっとも、そこがナザリックである以上、一般的な人間が想像する食堂とはかなり趣が違う。

 

壁には黄金の装飾が施され、天井には魔法によって灯された照明が浮かび、床には埃一つ存在しない。

 

そして、その中央。

 

二人の男が向かい合って座っていた。

 

一人は――黒い衣服を身に纏った、中肉中背の人間の男。

 

どこにでもいそうな姿だった。

 

黒いスーツ。

 

白いシャツ。

 

地味なネクタイ。

 

高級品ではあるものの、決して華美ではない。

 

少なくとも外見だけを見れば、ナザリックに存在する者たちの中では異様なほど普通だった。

 

それは、かつて鈴木悟と呼ばれていた男。

 

現在は人間の姿となった、モモンガである。

 

そして、その正面。

 

こちらは明らかに普通ではない。

 

黒を基調とし、黄金色の装飾が随所に施された重厚な甲冑。

 

一見すると騎士のようにも見えるが、その鎧が纏う威圧感は通常の騎士などという言葉では到底表現できない。

 

彼の名は、渾沌四神。

 

モモンガと同じく、この世界へとやってきたプレイヤーの一人である。

 

ただし、モモンガとは違う。

 

彼はディーモンプリンス。

 

そして同時に、ドッペルゲンガー。

 

異形の二つの性質を併せ持った、いわば「あいの子」のような存在だった。

 

鎧を脱いだ彼の顔は、人間の顔とは到底呼べない。

 

皮膚というよりも、何かが溶け落ちたような表面。

 

まるで顔全体が火傷によって焼け爛れ、そのまま固まってしまったかのような姿。

 

それでも、彼自身は特に気にしていない。

 

長い付き合いなのだ。

 

自分の顔が人間からどれほどかけ離れているかなど、今さら気にすることでもなかった。

 

そんな二人が、同じ食卓についている。

 

それだけならば、まだ珍しい光景ではない。

 

問題は――二人の前に置かれている料理だった。

 

白い皿。

 

その上に乗っているのは、三角形に握られたおにぎり。

 

そして小皿に盛られた漬物。

 

湯気を立てる緑茶。

 

ただ、それだけだった。

 

豪華さとは無縁。

 

希少な魔物の肉もなければ、魔法的な効果を持つ食材もない。

 

ナザリックの食卓に並ぶ料理として考えれば、あまりにも質素だった。

 

いや。

 

正確には――わざと質素にしている。

 

モモンガは今、人間になっている。

 

その原因は、少し前にNPCたちが発見した一つのアイテムだった。

 

『真身の指輪』。

 

本来は、異形種族が人間社会へ潜入するために作られたアイテムだった。

 

姿だけを人間へと変える。

 

それだけの道具。

 

戦闘能力を失わせるわけでもない。

 

種族そのものを変えるわけでもない。

 

ただ外見を変える。

 

それが、本来の効果だった。

 

ところが――この世界では違った。

 

ユグドラシルでは存在しなかった「現実世界の肉体」という概念が、この世界に来たことによって、アイテムの効果が奇妙な方向へと変質していた。

 

指輪を装備した者は、任意に解除するまでの間。

 

自分自身がかつて現実世界で持っていた肉体へと変化する。

 

つまり、モモンガの場合。

 

かつての鈴木悟の姿になる。

 

最初にそれが判明した時の騒ぎは、それなりに大きかった。

 

アルベドは――モモンガを見た瞬間、明らかに様子がおかしくなった。

 

彼女が普段からモモンガへ向けている忠誠心や恋慕を考えれば、それ自体は不思議ではない。

 

問題は、その対象が「偉大なるモモンガ様」から「鈴木悟という人間の男」へ変化したことである。

 

サキュバスとしての本能。

 

そして長年抱き続けてきた感情。

 

それらが奇妙な化学反応を起こした結果、アルベドは普段以上に危険な状態となった。

 

シャルティアに至っては、さらに酷かった。

 

彼女はどうやら「鈴木悟」という人間そのものに妙な執着を覚えたらしい。

 

アウラとマーレもまた、普段とは明らかに違う反応を示していた。

 

その時の様子を思い出し、渾沌四神は心の中で呟く。

 

(そういや、ぶくぶく茶釜さんから『モモンガ×誰が一番興奮するか』なんて聞かれたことがあったな)

 

(あの時は、こいつ頭おかしいんじゃないかと思ったが……)

 

(もしかして、自分の恋愛感情を理解できなかっただけなのか?)

 

考えてみれば、妙に辻褄が合う。

 

長い付き合いの友人であったはずなのに、どうにも他人事のように見ていた。

 

もしかすると、本人だけが気付いていなかっただけなのかもしれない。

 

――まあ。

 

今となってはどうでもいい話だ。

 

それより重要なのは、モモンガが人間の肉体になったことである。

 

当然ながら、彼の肉体は完全な人間になったわけではない。

 

アンデッドとしての性質が、いくらか残っている。

 

肉体の構造こそ人間に近づいているものの、種族特性の一部は健在。

 

そして、その中でも幸いだったのが――女性恐怖症にならなかったことだった。

 

もしも完全な人間としての精神構造まで再現されていたなら、ナザリックでの生活は非常に面倒なものになっていたことだろう。

 

だが、それ以上に重要な変化があった。

 

食事。

 

人間の姿になったことで、モモンガは食事が可能になった。

 

しかし。

 

ここで一つ、大きな問題が発生した。

 

モモンガこと鈴木悟は――現実世界において、まともな食生活を送っていなかった。

 

忙しい社会人。

 

コンビニ弁当。

 

インスタント食品。

 

簡単な食事。

 

そして、仕事。

 

それを何年も続けてきた。

 

そんな人間の胃袋が、いきなりナザリックの最高級料理を受け入れられるのか。

 

誰にも分からない。

 

最悪の場合。

 

食べた瞬間に身体が拒絶反応を起こす可能性すらある。

 

そのため、渾沌四神と医療系NPCたちは協議した。

 

最初は低レアリティ。

 

味も栄養も極端ではないもの。

 

刺激も少ないもの。

 

そして――日本人が食べ慣れているもの。

 

その結果。

 

食卓に並んだのが、この三つだった。

 

塩おにぎり。

 

漬物。

 

緑茶。

 

そして料理長。

 

シホウツ・トキツは――死にそうな顔をしていた。

 

豚頭の亜人である彼は、料理人としての誇りを持っている。

 

ナザリックの料理長として、自分の料理を食べる者に最高の味を提供する。

 

それが彼の存在意義の一つだった。

 

だからこそ。

 

この料理を作ることは、苦痛だった。

 

いや。

 

正確には――

 

「失敗した料理を作る」という行為そのものが、料理人としての本能に反していた。

 

何度も失敗した。

 

塩加減を狂わせる。

 

米の炊き方を変える。

 

漬物の漬け込み時間を調整する。

 

茶葉の量を変える。

 

それでも、料理長の技術が高すぎる。

 

失敗させようとしているのに、どうしても一定以上の料理になってしまう。

 

そのため、最終的には――意図的に何度も手順を間違えるという、料理人として最も屈辱的な作業を繰り返した。

 

完成したものを見たシホウツの顔色は、真っ青を通り越して死人のようになっていた。

 

(……これを……お出しするのか……)

 

料理長としては許せない。

 

こんなものを。

 

料理とは呼べないようなものを。

 

偉大なる至高の御方へ。

 

しかし。

 

もう一つの本能が叫んでいた。

 

――モモンガ様の胃を壊すな。

 

どちらも料理長としての本能だった。

 

結果。

 

彼は苦悩の末に、その「失敗作」を食卓へ運んだ。

 

そして今。

 

モモンガは、おにぎりを一口食べた。

 

「……」

 

渾沌四神がじっと見ている。

 

モモンガは、ゆっくりと咀嚼した。

 

白米。

 

塩。

 

海苔。

 

ただそれだけ。

 

なのに。

 

不思議だった。

 

何故だろう。

 

胸の奥が、妙に落ち着く。

 

味そのものは、決して豪華ではない。

 

むしろシホウツが必死に不味くした結果、普通の人間なら「少し微妙だ」と感じる程度の味だ。

 

それなのに。

 

モモンガは小さく笑った。

 

「胃が落ち着くいいおにぎりだ。緑茶もうまい」

 

「……」

 

渾沌四神は一瞬、何も言わなかった。

 

やがて自分のおにぎりを口に運ぶ。

 

「そうですねぇ」

 

一口。

 

咀嚼。

 

そして緑茶を啜る。

 

「昔、取引先で食べた高級料理店よりも美味いのに、これで失敗した料理って……」

 

モモンガが苦笑する。

 

「成功した料理を食べたら、私はどうなってしまうんでしょうね」

 

「さてなぁ」

 

二人とも笑う。

 

おにぎりを食べる。

 

漬物をつまむ。

 

緑茶を飲む。

 

ズズッ。

 

その音だけが、静かな食堂に響いた。

 

豪華な食事ではない。

 

特別な料理でもない。

 

けれど。

 

二人にとっては――妙に心地よかった。

 

ナザリックの中では、あまりにも異質な時間。

 

怪物でもなく。

 

プレイヤーでもなく。

 

支配者でもなく。

 

ただの人間として。

 

いや。

 

日本人として。

 

二人は、ほんの少しだけ――故郷を思い出していた。

 

002 休日

 

「しかし、いいんですか? 渾沌さん。こんな貴重なアイテムを受け取っても」

 

食事を終えたモモンガが、目の前の衣服を見ながら言った。

 

それは黒いスーツだった。

 

ただのスーツではない。

 

人間種族が装備することを前提として作られた、特殊な装備品。

 

一見すると普通のビジネススーツ。

 

だが、その実態は一級品の装備だった。

 

「人間種族しか装備できないアイテムだし、いいんだよ」

 

渾沌四神は肩をすくめる。

 

「それに、お前がレベルだけそのままでも、普通の環境下じゃ行動できないんじゃ意味がないだろ」

 

「……」

 

「人間の姿になったお前を、NPCたちに認識させる必要もある。『モモンガ様はこういう姿にもなれる』ってな」

 

モモンガはスーツを手に取った。

 

触れてみる。

 

布地は滑らかで、現実世界で使われていたものとは比較にならないほど丈夫だ。

 

それでいて、見た目はごく普通。

 

「しかし、この一級フィクサーの服って……」

 

「仕立て屋ギルドの計画月さんのところが作ったレアアイテムだ」

 

「……そんなものを」

 

「昔、報酬でもらったんだよ」

 

渾沌四神はあっさり答えた。

 

「でも、俺もフレンドも誰も欲しがらなくてな」

 

「……」

 

「倉庫の肥やしになってた」

 

「なら……」

 

モモンガは少しだけ頭を下げた。

 

「頂きます。いつもありがとうございます」

 

「いいよ、いいよ」

 

渾沌四神は笑った。

 

「さて、この後どうする?」

 

「この後?」

 

モモンガは少し考えた。

 

今までならば。

 

「ナザリックの管理」

 

「情報収集」

 

「NPCの監督」

 

「警戒」

 

「世界情勢の確認」

 

そんな言葉が真っ先に出てきただろう。

 

だが。

 

今日は違った。

 

人間の身体。

 

食事。

 

そして――スーツ。

 

モモンガは窓の外を見る。

 

ナザリックの外。

 

そこに広がる世界。

 

「……うーん」

 

そして。

 

「ピクニック」

 

「……」

 

渾沌四神が固まった。

 

「そう」

 

モモンガは自分でも少し驚きながら続ける。

 

「自然の中で、ピクニックがしたいですね」

 

「おー」

 

渾沌四神がニヤリと笑う。

 

「成長したな、モモンガや」

 

「なぜそこで成長が?」

 

「だってモモンガ、このところ働きづめしかしてないじゃん」

 

「……」

 

「自分の欲求、一切出してないぞ」

 

「……」

 

モモンガは黙った。

 

そして。

 

小さく笑った。

 

「……そういえば、そうでしたね」

 

「だろ?」

 

「これでは、まるでヘロヘロさんだ」

 

「……あー」

 

渾沌四神も遠い目をする。

 

「あのギリギリまで残れなかった人?」

 

「そうです」

 

「リアル世界じゃ、今どうなってるんだろうなぁ」

 

二人は知らない。

 

その頃。

 

彼らが思い出した男は――。

 

003 ヘロヘロ

 

「「「……繁殖……結婚有給……子育て休暇……を却下するクソ上司……」」」

 

「「「ウッ……頭が痛い」」」

 

深い。

 

深い洞窟だった。

 

光はほとんど存在しない。

 

地面には何かの骨。

 

壁には巨大な爪痕。

 

そして洞窟の奥。

 

そこに――黒い液体が存在していた。

 

ただの液体ではない。

 

粘液。

 

それも、生物としての意思を持った粘液。

 

表面には無数の泡が浮かび、それが弾けるたびに、低い音が洞窟内へ響く。

 

ボコッ。

 

ボコボコッ。

 

まるで沼そのものが呼吸しているかのようだった。

 

エルダーブラックウーズ。

 

それが彼の種族名。

 

そして――ヘロヘロ。

 

かつては一人のプレイヤーだった。

 

今では、自分自身の本名すら思い出せない。

 

鈴木悟。

 

モモンガ。

 

それほどまでに鮮明な記憶は残っていない。

 

残っているのは。

 

仕事。

 

会社。

 

上司。

 

そして――

 

「「「繁殖……結婚……子育て……」」」

 

「「「却下……」」」

 

彼は長い間、この洞窟にいた。

 

何十年。

 

あるいは何百年。

 

時間の感覚など、とうの昔に壊れていた。

 

彼はひたすら自分自身を強化していた。

 

分裂する。

 

増える。

 

増えた個体を強化する。

 

そしてまた分裂する。

 

分裂した個体をさらに融合させる。

 

それを繰り返す。

 

結果。

 

洞窟の中には無数のヘロヘロが存在していた。

 

壁にも。

 

天井にも。

 

地面にも。

 

黒い粘液が這い回っている。

 

一つ一つが彼。

 

全部が彼。

 

そして――全部で一人。

 

「「「……強くなったなぁ」」」

 

声が重なった。

 

洞窟そのものが喋っているようだった。

 

この場所において。

 

もはや彼に勝てる存在はいなかった。

 

武器を持つ者が来れば、武器を破壊する。

 

防具を持つ者が来れば、防具を腐食させる。

 

魔法を使う者が来れば、分裂した個体が一斉に襲いかかる。

 

何より。

 

相手が強ければ強いほど――彼はそれを分解し、吸収し、自分の糧とする。

 

そして。

 

洞窟の奥には、一匹の巨大なドラゴンが横たわっていた。

 

その巨体には無数の傷。

 

鱗は剥がれ。

 

肉はほとんど残っていない。

 

ヘロヘロは、それを食べ続けていた。

 

十年。

 

ただひたすら。

 

「「「このドラゴン、マズいなぁ……」」」

 

黒い粘液がドラゴンの肉を包み込む。

 

ジュウ。

 

ジュウ。

 

肉体が溶ける。

 

「「「なんか緑色のオークみたいなのは、キノコみたいで美味しかったのになぁ」」」

 

彼にとって食事とは。

 

もはや楽しみではない。

 

ただの強化手段だった。

 

食う。

 

分解する。

 

吸収する。

 

強くなる。

 

その繰り返し。

 

やがて。

 

「「「あ」」」

 

最後に残っていた頭蓋骨が崩れた。

 

黒い粘液が内部へ侵入する。

 

脳。

 

それすらも。

 

「「「ようやく脳味噌、全部食えたや」」」

 

満足そうな声。

 

そして。

 

彼は残った記憶を探る。

 

ドラゴン。

 

古代。

 

強敵。

 

名前。

 

「「「キュアイーリム?」」」

 

少しだけ首を傾げる。

 

もっとも、首など存在しない。

 

ただ粘液が波打った。

 

「「「変な名前だ」」」

 

それだけ言うと。

 

ヘロヘロは再び分裂を始めた。

 

一つ。

 

二つ。

 

四つ。

 

八つ。

 

黒い粘液が洞窟を埋め尽くしていく。

 

誰も知らない。

 

ナザリックの外。

 

世界のどこかに。

 

一人のプレイヤーがいる。

 

そしてその男は――

 

世界征服にも。

 

名誉にも。

 

権力にも。

 

興味を持っていない。

 

ただひたすら。

 

「「「……会社、辞めてぇなぁ……」」」

 

かつての社会人としての記憶だけを抱え。

 

今日もまた。

 

自分自身を食らっていた。

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