上へ上へと昇って行くほど辺りの気温が上がっているのが感じられる。
その違和感に疑問を覚えながらもやがて雲の上まで辿り着くと、空にぽっかりと穴が開いたような異質な空間が広がっていた。
それはまるで異世界への入り口かような不気味なオーラを放っている。
霊夢は恐らくこの先に向かったのだろう。
少し怖い気持ちを深呼吸して落ち着かせ、勇気を振り絞って先へ進んで行く。
穴の中は時間帯にしてまだ昼過ぎだというのに陽の光もなく薄暗い。
空の上だというのに何故か地面があり、辺りには一面桜並木道広がっていている。それは一見すると綺麗にも見えるが、場所が場所だけに不気味にしか映らない。
ここは…居心地があまりよくない。
異様な空気感が肌にピリピリと感じられ、呼吸をするだけでも悪寒が走る。
この場所に人間が長居するのは不味い気がする。早く向かわなければ。
「…くっそ。あのメイド、どこからあれだけの量のナイフを…。」
桜の並木道をひたすら飛んでいると、下の方で誰か歩いているのが見えた。
短髪で白い髪の女の子。後ろ姿からでも分かるほどに服がぼろぼろになっている。
弾幕ごっこをしてこうなったのだろうか。ヨロヨロと足を引き摺るように歩くその様だけでも重傷であることが分かる。
「ちょっと、大丈夫?」
私がそう声を掛けるとその少女はこちらを鋭い目で睨みつきながら、手元の刀を構える。
「…また侵入者。ここは通しません!」
私の心配を余所に闘う気満々の少女。
どうやら彼女はここの門番みたいなものらしい。
あの奇怪な入り口に入ってしまった時点で彼女にとって私は侵入者になっちゃうのか。
「わ、わー!待って!闘う気は無いからちょっと落ち着いて!」
私は慌てて戦意が無い事を示す為に両手を上げる。
ど、どうしよう。流石に手負いの子に手を上げるのもどうかと思うし。
何ならちょっと強そうだから闘っても勝てなさそう。
「貴方は先の侵入者とは違うと?では何故ここに?」
あたふたしている私を見て、白髪の少女は怪訝な表情を浮かべながらも構えた刀を下ろしてくれる。
一応話を聞いてはくれるようだが…なんて答えたらいいのものか。
「えっと…。…い、異変の見学?にきました。」
少女は私の言葉に訳が分からないと顔を歪ませ、一段と眉を潜めて疑いの目を強める。
…間違ったことは言ってないと思うけど…側から見て不審者かも、私。
しかし私の戦意が無いことが伝わったのか、少女は小さく溜息を吐くと刀を鞘に納めてくれた。
「幽々子様の邪魔をしないのであればまあいいです。…それよりも早くお屋敷の方に向かわなきゃ。」
少女は踵を返して再び覚束ない足取りで歩みを進める。目を離せばそのまま倒れてしまいそうだ。
何故この子はこんな怪我を負っているのにこんな無茶をしているのだろうか。
進む許可ももらえたことだし急いで霊夢の後を追いたいところなんだけど、このままこの子を抜かして先に進むのも何だかなぁ…。
「あ、あのー。」
「…何ですか?」
「行先多分同じだし…肩貸そうか?」
異変の片棒を担ぐことになっちゃうかもしれないけど…いいかな?
***
この子の目指しているお屋敷に向かってひたすら進み続ける道中、この子にはこの場所のことと彼女自身のことを大まかに教えてもらった。
なんでも、ここは冥界と呼ばれる死者の霊が集まる場所で、白髪の少女こと、魂魄妖夢はこの冥界を管理している者の従者をしているらしい。
「…すみません。正直歩くのも辛かったので助かりました。」
この子のことを最初は人間だと思っていたのだが、どうやら半分幽霊らしい。近くにふよふよと浮かんでいる白い塊が半霊と呼ばれる妖夢の半身なのだと。
ちょっと触ってみたら柔らかくて冷たかった。
霊っていうのはそういうものなのかな?
「傷酷いけど…何があったの?」
服の一部が刃物で切り裂かれたような破れ方をしている。通常の弾幕ではこのようなことにはならないので、少なくとも霊夢や魔理沙ではない筈だが。
「…三人」
「え?」
「……貴方の前に、三人も侵入者を通してしまったんです。それも…無様にも勝負に負けて。」
肩に掛けられている手に力が込められるのが分かる。道を通してしまった自分への不甲斐なさと怒り。言葉にしなくても隣からそれがひしひしと伝わってくる。
相当悔しかったのだろう。
「…あの三人はもう幽々子様の元まで辿り着いている筈。流石に束になって来られたらあの方でも勝敗は分からない。」
恐らくだが…残りのもう一人は咲夜っぽい。刃物を使って闘うのは間違いないみたいだし。
仮にももしその三人を相手にしたのだとしたらそりゃこんなにボロボロになってもおかしくない。
というか…普通この傷なら動けなくてもおかしくない筈なのだが。
「……急ぎましょう。手遅れになってしまうと後悔してもしきれない。」
この子を今動かしているのは、ご主人を守らなければならないという強い責任感と、三人もの侵入者をご主人の元へ通してしまった自責。
言動だけを捉えれば平静を装っているように思えるが、今にも零れ落ちてしまいそうな程潤んだ瞳と体の震え。明らかに心の内は穏やかではない。
「…そうだね。急ごうか。」
思考を振り払って前を見る。
今はこれ以上この子に感情移入していてはいけない。
異変の解決を見届ける。それが今の私の目的なのだから。
「あ!あそこです!あそこに幽々子様が!」
耳元で叫ばれて一瞬ビクッとしてしまうが、妖夢の指差した方を見て見ると遠くの方で光り輝く弾幕が飛び交っているのが見えた。
その弾幕の中にいるのは、妖夢の話していた幽々子というご主人と…あれは霊夢かな。
二人はお互い弾幕を出し合いながらそれを躱し合っている。
…あの密度の弾幕の中をよく避けれるなぁ。
光の方に向かって進んで行くと、やがて大きいお屋敷に辿り着いた。
そこには見知った二人が光の見える空の方を見上げていた。
「あの亡霊中々やるな。霊夢をあそこまで追いつめるとは。」
「遅い。私だったらもう倒してるわ。」
「よく言うぜ。」
あの後ろ姿は…魔理沙と咲夜だ。
二人は上の闘いに参加することなく、何かを話し合っているようだ。
とりあえず状況を確認する為二人に近づくと、足音に気付いた咲夜がこちらを振り返る。
「え、小傘?どうしてここに?」
「あ?…おお!ほんとだ!どうした?異変を解決する私の勇姿でも拝みに来たのか?」
二人は上の闘いをそっちのけにこちらに近寄ってくる。
「まあそんなところ。今はどういう状況なの?」
私がそう訊ねると魔理沙の方が嬉々として喋ってくれる。
「今は霊夢が異変を起こした奴と闘っているところだ。あいつが負けたら次は私の番だから待ってろ。」
「は?次は私じゃないの?」
「お前は最後に来ただろ。早い者勝ちだぜ。」
何故か次に闘う順番で言い争っている二人。折角三人いるんだったら三人で闘えばいいんじゃ…
「じゃあ貴方を先に倒せば順番は繰り上がるのね?」
「おお、怖い怖い。やれるもんならやってみな。」
でもまあ多分、大勢で一人を叩くみたいなアンフェアな勝負をしたくないのかな?
「魔法使いにメイド…お前たちの相手は私だ。」
いつの間にか私の傍から離れて剣を構えていた妖夢。
その気迫からはこの二人を命懸けで足止めするという強い意志を感じる。
「おい小傘。何でこの人斬り幽霊連れて来たんだ。」
「…道すがら見つけて放っておけなくて。」
二人にして見れば倒したはずの相手がまた目の前に現れるんだからそりゃそういう反応にもなる。
…分かってたこととはいえ皆の邪魔をすることになってしまった。
「…凄い執念ね。確かに戦闘不能にした筈なんだけど。」
「お前達が勝手に私を無視して進んだだけだ。」
咲夜は溜息を一つ吐き、私と魔理沙の一歩前へ出てナイフを構える。
「私がやる。貴方が懲りるまで相手して上げるわ。完全な幽霊になっても文句言わないでよ。」
「…来い!」
そうしてこっちでも闘いが始まった。
***
「ようやく口煩い奴を引き離すことが出来たぜ。結果的にはナイスだ小傘。」
「…大丈夫かな。」
眼下には屋敷の広い庭を使って、剣とナイフの甲高い音を響かせ合っている二人。火事場の馬鹿力とでもいうべきか。妖夢は時折咲夜が投げるナイフをその刀で刃先を折って使える数を減らしていっている。そのやり方に少し咲夜の方も苦戦しているようだ。
かなりの近距離でお互い一歩も引かない鬩ぎあいは、私の知ってる弾幕ごっこからはかけ離れている。
「…で?結局お前はこんなところまで何しに来たんだよ。まさか本当に様子を見に来ただけじゃないだろ?」
上と下、双方で闘いが行われているのを見る為に視線をあっちこっちに向けていると、魔理沙から疑問を問い掛けられる。
「いや、合ってるよ。きっかけはあるけどここに来たのはちゃんと解決してるかなって様子を見に来ただけだし。」
「なんだそれ。」
今思えば自分でも何故ここまで来ようと思ったのかよく分からない。
何もせずに帰るのを躊躇ったというだけ。
何か出来る訳でもないのにフラフラとここに辿り着いてしまった。
「…ここ最近中々顔を出しに来ないから忙しいと思ってたんだがな。」
「まあ確かにやることはあったけど。…何、寂しかったの?」
冗談交じりにそう返すと魔理沙は小さく笑い、そうかもなと言葉を零す。
「いつも元気な奴が突然見えなくなると周りは心配するもんだぜ?」
まあ…確かに何かあったんじゃないかと心配して来てくれる里の人間とかはいた。
別にずっと家に篭りっぱなしという訳ではなかったのだが、時間にして数ヶ月はこの生活を続けていたと思う。
別に私にしてみればちょっと調べ物をするような感覚に過ぎなかったのだが。
気付けばもうそんなにも時間を使ってしまっていたのだと改めて考えると恐ろしい。
時間が過ぎるのはあっという間。
最近は特にそう感じることが多い。
ちょっと前までは魔理沙も私の腰くらいの背丈くらいしかなかった筈なのに。
時間が経てば私の周りに見えるものだけでも、何かしらの変化が生まれてくる。
そういうのを実感すると、まるで世界がまた一歩私から遠ざかってしまったような、ちょっとだけ虚しい気分になる。
私が今までずっと家に引き篭もっていたのは、自らの過去のことを探るため。とはいっても記憶を戻す方法など知る由もないので、医学の文献を適当に読み漁ったり瞑想したり取り敢えず形から入ってみたのだが。
結果、方法どころか全く進展もなくただ時間を浪費するだけになってしまった。記憶喪失とはいえ、元は自分が体験したものなのだからすぐに思い出せるだろうと楽観視しすぎていたのかもしれない。
あれだけ過去に向き合おうと息巻いていたのにもう手詰まりになってしまっているのも情けない話だが、これ以上一人であれこれやったところで無駄な気がしてならない。何よりも家のの中でずっと考え事をするだけの生活にうんざりしてきている自分がいた。
どうしたものかなぁ。
取り敢えずこの異変が解決したらお花見とかして春を満喫したい。暫く顔を合わせてない知り合いとかもいるし。
「ねえ魔理沙。異変解決したらどこかでお花見開こうよ。知り合いとかとにかくいっぱい集めて。」
思い出せない記憶に関してはまたこれからどうにかしていかなければならないが、それに固執しすぎて今の時間を蔑ろにしたくはない。
「お、いいなそれ。賛成だ。」
特に人間のこの子達と共有できる時間は瞬きする程一瞬にして過ぎ去ってしまうものだから
「久しぶりに小傘の料理が食える期待してもいいのか?」
「あはは。リクエスト何でも受け付けるよ。」
やっぱり大切にしたい。
***
今までずっと拮抗していた霊夢の方の勝負に動きが見え始めた。
何故だか分からないが相手の動きが突如鈍り始めたのだ。
「よく分からんが相手は体力切れみたいだな。…この調子じゃ出番はなさそうだぜ。」
項垂れて溜息を吐く魔理沙。異変解決の喜びよりも先を越された悔しさの方が優っているようだ。
さっき私は、魔理沙も一緒に参加すればいいのにと思っていたのだが、きっとこの三人にとってはお互いにライバルみたいな関係なのだろう。異変解決という共通の目的を掲げてはいても、誰が一番に解決できるかと競い合うことで心に火を点けているのかもしれない。
咲夜も今回は多分レミリアさんの命令で来てはいるんだろうけど、何だかんだこの二人との関係に折り合いを作れているみたいで安心した。
彼女とは、紅魔館の備品の修繕や調達に来ていた関係で、最近も度々話す機会があった。その話の種は大体紅魔館に頻繁にやって来ては仕事の邪魔をしてくる二人の愚痴だったのでちょっと心配していたのだが。
「…ああ。これは終わったな。」
その魔理沙の呟きに闘いの方に意識を戻すと、霊夢の弾幕が相手の逃げる場所を全て塞いでしまっていた。
相手が弾幕を相殺しようと動くが少し遅く、霊夢は勝負を仕掛けるべく一気に相手との距離を詰め、スペルカードを宣言。
大小様々な大きさと色の弾幕に相手は抵抗する間もなく呑み込まれ、同時に周囲一体が大きな爆発を起こした。…これは、勝負ありかな。
ところが弾幕の爆発による煙が晴れるまでほんの数瞬の間。
私はとんでもないものを見てしまった。
それはここに来た時からずっとあった、周囲のものとは比べ物にならない程大きい桜の木。先程までは満開に咲き誇って綺麗だなという印象しか無かった筈なのに。
何故か今、その枝に宿している桜の花一つ一つが
私の目には“人の形”を映していた。
…………え?なにこれ…?
さっきまではちゃんと桜の木だったのに。な、なんでこんな。
「小傘?どうした?」
数にして恐らく数千以上のそれがこっちを見ている。それを認識した瞬間、身の毛がよだつ恐ろしい感覚が体を蝕む。まるで体を誰かに乗っ取られていくかのような、内側から掻き毟られているような気持ち悪さ。
次第に体の感覚がよく分からなくなってくる。隣にいる魔理沙がこっちに駆け寄ってきて一生懸命何か言っているのが見えるが、私の耳は言葉を言葉として拾ってくれない。
ちょっと……駄目だこれ。私の体に何が起こったのか全く分からないが、あの紛い物の木を見た瞬間何故かおかしくなってしまった。
紛い物の木の方に何とか視線を戻すと、生気を感じない瞳で辺りを見回していた。まるで獲物を探す化け物のような。
それの視線は私のところよりも上のところでピタッと止まった。そこにいたのは、晴れた煙の中に誰もいないのを不思議そうに見つめている霊夢。
丁度あの子の目線からは死角になっているのか、全く気づいていない。
やがてそれは力を貯め始めた。
攻撃を仕掛ける準備をしている。
私は霊夢に危機を知らせる為に声を出そうとするが、私の意思に反して口からは空気が漏れ出てくるだけで、何も音を出してくれない。隣の魔理沙を見る。体を支えてくれてはいるがあっちの異常な様子に気付く様子はない。
このままじゃまずい。
もうすぐあれは霊夢に向かって何かしてくる。
その結果はきっと……いや、もう考えなくていい。
魔理沙が支えてくれていた手を振り払って飛び出す。
もはや前後左右の感覚も曖昧だが、何とかしなきゃいけないという必死な思いが体に伝わったのか、真っ直ぐ飛ぶことが出来た。
「…!!!」
瞬間、凄まじい風圧と共に高密度な花びらのような弾幕が放たれる。そこで初めて霊夢は後ろを向いて迫り来る弾幕を認識する。
驚いた表情を浮かべながらも回避行動を取る。
明らかに間に合っていない。
私は霊夢を横から突き飛ばす。
瞬間、これまでに感じたことのない痛みが体に伝わってくる。
一つ一つの弾幕がまるで鋭利な刃物のように突き刺さってくるような感覚。それは私の体を少しずつ抉り取っていった。
一面桃色の視界の中、意識が薄れていく。
霊夢を守ることは出来たのだろうか。
あの化け物はこれからどうするのか。
一瞬そんな心配が頭を駆け巡るが、体を包み込んでくる感覚がどうでもいいものだと訴えかけてくる。
こんなにも体が痛いのに何故だろうか。
何だかすっごく…心地良い。