懐かしい。
終わりの見えない一人のこの時間が。
何をするでもなくボーっとするだけの毎日。
唯この孤独な日々が終わることを願い、心を擦り減らしていくだけの時間。
当時のことが情景として鮮明に頭の中に映る。
悲しい気持ちが溢れ出そうになった時、私は漠然と空を眺めることが多かった。
日中はプカプカ漂っている雲と視界一面青色。
やがて陽が沈めば綺麗な星空と月が私を見守ってくれる。
空は凄い。一概に晴れや雨と称される空模様も、目を凝らせば多様な景観を見せてくれる。
退屈な日常に少なからず変化を生み出してくれた偉大な存在。
空は広い。あの雲みたいに自由に世界を旅出来たらこの心模様は変わるのかもしれない。
そんなとりとめのない妄想を広げたりしていた。
しかし今は哀しいかな、家の中なので空を見上げようにも天井を眺めることしか出来ない。
まあ勿論当時のものと比較しても、今のこの時間は瞬きすれば終わる程度の短い時間に過ぎず、どっちが辛かったかと問われても答えるまでもないのだが。
だが何故だろう。
訪問者は以前来てくれた妖夢を最後に誰も来ていない。あれから恐らく一週間程の時間は流れている筈なのに。
里の子どもがうちに遊びに来たり、知り合いの一人くらい誰か来たりしてもいい筈なのに。
騒がしい日常に慣れてしまったせいか、この無音の空間がどうしようもなく寂しいものに思えてしまう。
きっと
もう皆私のことなど忘れてしまったのだろう。
人間なんてそんなものだ。
何百年とそこに在ってもあれらは簡単に不必要なものを切り捨てる。
大切ことも何もかも忘れ去って無意識に自分達にとって都合の良いものだけを周りに固める。
長く続いてしまったこの生活の中で、数え切れない程の人間の物語を私は見てきた。
天寿を全うする最後の日まで誰かの為に働き続けた生真面目な子。
里の平穏を守る為に努力を惜しまず、血の滲む努力を重ねた正義感の強い子。
念願の家庭を持ち、これまでとは見違える程立派に親の顔をするようになった一途で責任感の強い子。
周りを笑顔にすることが好きで、最後まで子どもみたいな馬鹿をやって旅立って行った心根が優しい子。
本当に色々な子がいた。
その全て物語は私の思い出の中にも、溢れそうな程いっぱい詰まっている。
その思い出も美しいものばかりではない。
妖怪に襲われたり流行病に罹ったりして天寿を全う出来ない子もいた。
そのような子達にも思うところが無い訳ではないが、それも含めて人間という在り方なのだと私は思っている。
そう。
物事には何にでも綺麗な部分と汚い部分があるものだ。
そのどちらかだけを切り取って評価するなんて、それこそ本質を理解していない愚か者である。
それでも
人間の命の輝きはちょっと私には眩しすぎた。
だから毒されてしまったのだ。
私があれらと同じである筈がないのに。
ほんっと
思い上がりも甚だしいよね。
人の心の矢印の方向はいとも簡単に違う方向に向いてしまう。だから物も価値観も古いものは新しいものに次から次へとアップデートされていく。
その移り変わりに
私の在り方は永遠に変えることができないものなのだ。
…はぁ。
「お~い、聞こえてるか~?お~い!」
心を落ち着かせる為の瞑想のはずなのに心の中はどんどん煩くなってくる。
真っ暗闇のこの空間で考え事をしたところで明るいことを考えられる筈もない。
「駄目だこりゃ。全然反応がない。…生きてるよな?」
明るい所に行きたい。
そうすれば少なくともこの邪な気持ちを考えなくて済むかもしれないから。
「…まぁいいや。取り敢えずお前を縛っていた札は取っておいてやったから。宴会の招待状代わりのサービスって奴だ。感謝しろよ?」
…いや。よく聞くと煩いのは私の頭の中ではなく外からのものだ。
視界には何も映っていなかったので認識できていなかったが、今さっきまで聞き覚えのない声が周囲から響き渡っていた。
だが…反応を返す間もなくもう何処かへ行ってしまったようだ。
折角のお客さんなのに少し悪いことをしてしまった。
喋り相手がいれば少しは気を紛らわせることが出来たかもしれないのに。
溜息を吐き寝返りを打つ。
………あれ?体が動く。
布団から起き上がる。
地面に足を付けて立ち上がる。
体全体を舐めるように見回し歩いたり腕を回したり様々な動作をしてみるが、全て問題なく作動する。
それこそ今まで動けなかったのが不思議なくらいに。
…ああ、やっとだ。やっと自由になれた。
皆のところに行ける。
もう寂しい思いをしなくて済む。
***
外に出るともう月の明かりの小さな光しか照らすものがない暗闇。
相変わらずここは閑散としている。
もう少し里の中心部の方にに向かっていけば、提灯の灯りで照らされた賑やかなお店もチラホラと見えてくるのだが。
今の目的地はそこではない。
博麗神社の方から誰かに呼ばれている気がする。
そこに行けば楽しいことがいっぱいあるような。
気のせいかもしれないが。
感情が昂っている。それも歯止めが効かなくなるくらいに。
抑制されていたものが一気に発露されると、ここまで違うのか。
自分が自分じゃないみたいなのに、それがちょっと気持ちがいい。
「……小傘?」
ふと突然後ろから名前を呼ばれて振り向く。
見知った顔。
蛮奇ちゃんが私の方を見て立ち竦んでいた。
「…お前もう動けるのか?」
「この通りぴんぴんしてるよ。ちょこっとだけ久しぶりだね蛮奇ちゃん。」
彼女と最後に顔を合わせたのはまだ私が起きて間もない頃だったか。その時は誰か認識できないくらい顔が腫れていたのだが、流石に腐っても妖怪とだけあってもう完治しているようだ。
「…昨日も会いに行ったの、覚えてないのか?」
…あれ?そうだっけ。正直自分がどれだけ寝込んでいたのか時間の感覚も曖昧なのでよく分からない。
少なくともあれ以来彼女と会った記憶はないので、勘違いだとは思うが。
まあ大概彼女は抜けている部分があるからね。
「…なあ、本当に大丈夫か?様子おかしいぞ、お前。」
「えー?別におかしいところなんて何もないよ?変な蛮奇ちゃんだなぁ。」
「…。」
そんなにも心配されてしまうと照れてしまう。
自分のことは自分が一番よく知っているから問題ない。
誰だってそういうものでしょ?
それよりもこんな時間に私の家の前で蛮奇ちゃんが何をやっていたのかの方が気になる。彼女の向かっているこっちよりも先は里の外で何もない場所だというのに。
まあいいや。
ここで彼女と話しているだけでも中々に楽しいのだが、あまりここで燻って時間を浪費する訳にも行かない。
今この時間は有限なのだ。
でも…いや、うーん…。そうだなぁ。
「ねぇ蛮機ちゃん。今から私楽しい場所に行くんだけどさ、折角だし蛮奇ちゃんも今から一緒に来ない?
ここで会ったのもきっと何かの縁。
楽しい場所に友達を誘ったら、きっともっと賑やかになって楽しくなる。
であるなら誘える知人は誰でも誘うべきだよね。
「…神社でやってる宴会のことか?」
宴会?…ああ。誰から聞いたか忘れたけど以前そんなことを聞いた気がする。また開催しているのだろうか。
…いや。もしかして前回参加出来なかった私の為に改めて開催してくれているのな?だとしたら嬉しいなぁ。
うん。やっぱり絶対行かなきゃ。
…でもあれかなぁ。蛮奇ちゃんはそういう賑やかなところに行くのが苦手だから一緒に来てくれないかもなぁ。
「…一緒に行く。準備してくるからちょっと待ってろ。」
しかし私の考えとは裏腹にあまり躊躇うこともなく誘いに乗ってくれる蛮奇ちゃん。
「え!?ほんと!?やったー♪」
彼女とも最近一緒にいる機会はあんまりなかったので、そういう場所に一緒に行けるのは嬉しい。
まあその機会が無かったのはここ数ヶ月は誰であってもそうか。
彼女の場合は他の者よりは比較的に頻繁に会いに来てくれてはいたので、寧ろ機会はあった方だ。
こうなったのも私が記憶を思い出すのにかまけて他者との交流をおざなりにしてしまったせい。
馬鹿馬鹿しい話だ。
…いや、もういいか。どれもこれも全部無駄なことだったんだから。
***
博麗神社。
ここには昔から何かと暇があれば顔を出しに行っていた。代々妖怪退治を生業として幻想郷の治安を維持する為に、幼い頃からその術を徹底的に叩き込まれる博麗の巫女。たった一人の人間が人里から隔離された場所で生きている。
平和とは無縁だった時代。かつての巫女の中には妖怪退治の最中で無残に散って行った子もいた。
そういう子達は誰に知られることも無く"忘れ去られる運命"にある。
だっていなくなったら新たな調停者が補充されるだけだから。
だから守られている立場にある人間は、その巫女がどういう思いでその重荷を背負って散っていったのか知る由もない。孤独に戦い戦い続けたその先に待つ運命は余りに残酷。
それはいわば
"使い捨てられる替えの利く存在"
多分何時かの私は心の何処かで自分と重ねてしまったんだろう。
だから今までずっと気に掛けていた。それを救ってやれば少なからず自分も救われた気持ちになるかもしれないから。
なんて浅はかで醜い考えだろう。
本当に嫌になってくる。
「蛮奇ちゃんは博麗神社に行くのって初めてだよね?あそこの桜は本当に綺麗だから期待していいよ。」
「…そうか。」
博麗神社への道中。相変わらず灯りも何もない獣道を二人で飛んでいる。
何だか今日の蛮奇ちゃんはいつもより不機嫌みたいに思える。この子は割といつも無表情なのだが、心なしか言葉数が少ないせいでムスッとしているように見えてしまう。逆に無表情で言葉を捲し立てられているいつもの方がおかしいとも言えるのかもしれないが。
話題を振っているのに、さっきからずっと反応が乏しい。
…うーん。何か怒らせるようなことしちゃったかなぁ。さっき一昨日にうちに来たみたいなこと言ってたし、もしかしたらその時に寝惚けて変なことをしてしまった可能性もあるのかもしれない。でも覚えてもいないことを謝りようもないし…。何とか宴会の中で機嫌を直してくれればいいんだけど。
そうして気まずい空気を感じながらも飛び続けていると、やがて小さな灯りが見え始めた。それは近付くにつれ次第に大きくなって行き、やがて騒がしい声も聞こえるようになってくる。
美しい風景だった。
ライトアップされた桜の花々。その下で上等なお酒と肴を手に語り合う者達。
いつもの神聖な雰囲気を漂わせて落ち着く神社とはまた違う。
混沌としてはいるが、絶え間なく響き渡る参加者の楽しそうな笑い声。
普段は見えない場所で過ごしている彼らが、こうして一堂に集まっているのを初めて見る。
これらも私と同様に楽しそうな"気"に当てられてここにやって来たのだろうか。
博麗神社の新たな一面。
こういうのも新鮮でいいなぁ。
…ってあれ?いつの間にか後ろから着いて来ていた筈の蛮奇ちゃんがいなくなっている。
さっきまで一緒にいた筈なのに。
…やっぱりこういう騒がしい場所に連れてきたのは不味かったかな。明らかに乗り気じゃなかったし。
それでも一緒に来るって言ったのは蛮奇ちゃんの筈なんだけど…。
うーん、よく分からない。
…まあ帰ったとも限らないし、私は私の方で楽しむことにしよう。
鳥居の辺りに降り立ち、辺りを見回す。
さて、まずは主催である霊夢、魔理沙辺りに声を掛けたいところなのだが…如何せん何処にいるのかよく分からない。いつもの縁側にはいないみたいだし、あの特徴的なリボンと帽子もざっと上から見回してみても見つからなかったし。
いるとしたら本殿の中か裏かな?
月の位置からしてまだまだ夜は長いので流石にもう酔い潰れていることはないと思うが。
群がる群集を掻き分けながら進む。
…今更だけどすっごい妖怪の数だなぁ。
これは神を祀っている神社の在り方としては許されるものなのか心配になってくる。
現在住んでいる管理人はそんなこと微塵も気にしなさそうだが。
「お~い、小傘~!」
…っとそこで少し離れた場所からお呼びの声がかかる。
その方向に目をやると、神社の敷地から少し外れた場所の木の下で手を振っている妹紅の姿が見えた。
私は進む方向を変え、群集の波から抜け出してその方に向かう。
「久しぶりー!もこー!」
「久しぶり…って何でいきなり抱き着いてくる!?」
「今の幻想郷流の挨拶だよ?知らないんだ。」
彼女とこうして会うのも異変が起きるよりも前に遡る。
私が家に籠っている間にも偶に家に押し入っては私をお酒の席に連れ出そうとしていた妹紅。
それもある時を境にパタリと来なくなってしまった。
多分だけど私が一生懸命本を読んだり瞑想したりしているのを見て邪魔しないようにしてくれたんだと思っている。
まあ今彼女の隣にいる二人みたいな飲み仲間が出来ただけなのかもしれないけど。
「…もう元気になったんだな。私も何度かお前の家には寄ってたんだが、その度に博麗の巫女とか赤蛮奇の奴には面会も出来ないくらい状態が悪いって会わせてくれなくってさ…。その、まあ…なんというか安心したよ。」
「そうだね…妹紅にも新しいお友達が出来たみたいで、私…嬉しいよ…。」
「話聞けよ。」
一方は知らない子だがもう一方は色々あって馴染み深くなった子だ。
その名も春の妖精、リリーホワイト。
以前は私のお見舞いに来るなり飛び付いてきた彼女だったが、今は酔い潰れて妹紅に頭を預けて眠っているようだ。
…多分お酒弱いのに妹紅のペースで飲んで酔い潰れちゃったんだろうなぁ。
「桜の木の下で眠る春の妖精。何だかちょっといいよね。」
「詩人みたいな事言われても全く分からん。お酒が上手けりゃそれでいいのさ、私は。」
風情の欠片もないこと言ってるよ。
彼女にしてみれば美味しいお酒と肴、そして語らう仲間さえいればそれで満足なのだろう。
花より団子という言葉がよく似合っている。
あまりいい意味はない。
「お前随分とリリーに懐かれているみたいだよな。こいつと話す時は八割以上お前の話になる。」
「…共通の話題もっと探しなよ。」
「はは、考えとくよ。それでそのリリーのことなんだがな…一週間くらい前のこれくらいの時間にお前の家に行ったらしいんだが、お前覚えてるか?」
「え?一週間前?…知らないけど。」
リリーは私が目を覚ました日にやって来たのが最後だった。時間の感覚のずれはあるものの、確実に二週間以上は経っている筈なので、それより後にこの子が来た記憶なんて私にはない。
「…そうか。じゃあやっぱり酔っぱらってたこいつの勘違いだったんだろうな。」
「何の話?」
「いや、何でもない。忘れてくれ。」
…むぅ。蛮奇ちゃんといい妹紅といい、今日は何だかあまり話が噛み合わないことが多い。
もしも動けず暇だった時に誰か来てくれていたのなら忘れる筈もないのに。
蛮奇ちゃんもリリーも私が眠っている時にやってきたのだろうか。
もしくは瞑想していて来ていたのに気づけなかったか。
…この騒がしい二人の場合そんなことはないと思うんだけどなぁ。
「それで…貴方も妹紅の友達なのかな?…さっきからずっと妹紅の腕を甘噛みしてるけど。」
これまでずっと会話に参加することなく、少し呆けた表情で妹紅の腕にしがみついている金髪の妖怪。
いや、まあ確かにこの子にとってはよく分からない会話だったんだろうけど、それでも一度も目線を合わせてくれないのはちょっと寂しいというか。
「ん~?あはっ。」
…駄目だこりゃ。私の言葉に反応はしてくれるようだが、相当酔っているのか多分言葉の意味を理解してくれていない。
ただ妖怪らしい大きな口で妹紅の腕を咥えて甘噛みしている。
ちょっと状況がいまいち飲み込めない。
「妹紅、この子は一体…」
瞬間、視界が真っ赤に染まる。
何が起こったのか分からないまま、衣服に少しだけ飛び散ってきたその赤に目を向ける。
混じり気のない鮮赤色。
触ってみるとそれは生温かく、ドロッとした粘度のある液体。匂いを嗅いでみると金属臭がした。
これは血だ。
私のものではなく金髪の少女の方から飛んできた。
「あ…。」
誰かが出血した。状況把握をしなければならない。
頭の中では理解できている。
だが私は目の前の血から目を離せなかった。
『里から出て行け!人間に仇なす妖怪め!』
『構えろ!抵抗するようなら殺せ!』
『そっちに逃げたぞ!捕まえろ!』
思い出したくもないかつての記憶がフラッシュバックする。
それは夢の中で何度も見た地獄のような光景。
「…あ、あ。」
形容しようもない感情の波が押し寄せてくる。
もう二度見たくないのに。
この悪夢と私はこれから先向き合っていかなければいけないの?
…吐き気がしてきた。
おかしいな。まだお酒も何も飲んでないんだけど。
「おい小傘。どこ行くんだ?ちょ、ルーミア、離れろって。」
きっともう私はかつての日常には戻れない。
小さな厄介事に巻き込まれながらも誰かの役に立とうと生きていたあの日常に。
今なら分かる。
あれはあれで幸せだったのだ。
それに満足することなく、周りの歩幅に合わせようと自ら変化を望んでしまったのは私。
無知は罪だとよく言うが、知ってこんなにも後悔してしまうなら何も知らないままでいた方がましだと今なら断言できる。
これから…私はどう生きて行けばいいんだろう。
答え…出さなきゃ。