突然だが、夏の暑さが嫌になって空に燦燦と輝くお日様に悪態を吐いたことはあるだろうか。
こうやって蜃気楼が出てくるほど暑い日が続くと、お日様なんて大嫌いとか早く涼しくならないかなと心の中で叫んでいる者も多いことだろう。
かくいう私もその例に漏れず夏の暑さでだれている者の一人である。
しかし私達の生活の中にはあの忌々しいお日様に依存している部分が多々存在する。
それは例えば農作物の成長だったり、昼と夜の明るさの違いだったり。挙げだすとキリが無くなる程生活になくてはならない存在だったりする。
つまり、もしもお日様が機能しなくなるとそれはそれは大変なことになるのだ。
そんなあり得ないもしもの話も、この幻想郷では起こり得る。
夕暮れの帰り道、私がいつもと同じように里の往来を歩いていると、突如として夜の暗闇に紛れてやってきた謎の赤い霧。それは瞬く間に人里を覆い尽くし、空から降り注ぐ茜色を一切遮断した。
最初は何が起こっているのか分からず、私も周囲の人間達と一緒になって慌てふためくことしか出来なかったが、しばらくして冷静になり、この霧をよく観察してみると僅かながら魔力のようなものが含まれていることが分かった。
つまりこれは自然現象なんかではなく、人為的に引き起こされたものだということ。
それに気づき、私が里の中を駆けずり回って人間達を家から出さないように促し始めたのが数刻前。
「人間は大体みんな家の中に避難できたよ。」
「ああ、ありがとう。見回りの者の報告では外の妖怪も特段荒んでいる様子はないそうだ。」
途中から私と一緒に避難誘導を行っていた慧音。彼女は霧が里に来るまでの間、ずっと寺子屋の中で作業をしていたようだが、外から人間達の悲鳴が聞こえたことで霧に気付き私と合流。手分けしたおかげでスムーズに進めることが出来た。
霧を浴びたことによる人間への被害は未だ確認できておらず、霧自体薄いせいか住居の中にまでは入ってこない。しかし規模だけで言えば霧は里の外にまで広がり、恐らく幻想郷一帯を覆い尽くす程のものになっている。
「これが異変ってやつなのかなぁ。」
空を見上げるとこの霧の影響によるものなのか、いつの間にか頂上にあるお月様は不気味にも真っ赤に染まっていた。
「間違いないだろうな。」
夏の暑さに文句を垂れる日常を壊すように突如襲ってきた非日常。
人間達を家の中に避難させている現状は大した混乱になってはいないが、夜が明け朝がやってきた際にどうするかという話だ。
最悪を考えてずっと家の中に閉じ込めておくのも限度があるし、農作物も光をずっと浴びれないと駄目になってしまう。つまりは可能な限り早く霧を晴らす早期解決が求められるわけだが
「巫女殿は動いてくれるだろうか。」
妖怪退治の専門家こと、異変解決の要となる霊夢が住んでいる博麗神社にこの霧が辿り着くのには、里よりも遅れはあるかもしれない。
時刻は既に深夜を過ぎている。流石に勘のいいあの子がこの異常事態に気付かずに寝ているなんてことは無いと信じたいけど。
面倒臭がって明日でもいいとか思ってたりすることはあるかもしれない。
…うん。一度様子を見に行ってみようかな。
「私霊夢の様子、見に行ってくるね。」
「え?お、おい!」
私は慧音の返事も待たず、神社の方へと向かった。
里のことは慧音に任せるとして、最善は里の人がなるべく安心できるようになるべく異変を早く解決すること。私に出来ることをやろう。
***
博麗神社には代々この世界の秩序を守る為に選定される巫女が住んでいる。そして今代の巫女である博麗霊夢も、その例に漏れず幼い頃からこの神社に一人で住んでいる。
妖怪退治の実力は先代のものともう遜色ないレベルにまで達している。それも大した修行も何もすることなくその域に到達している霊夢は、誰の目から見ても天才と称することができるだろう。
もしも本気で修行して鍛えようものなら多分この世界の妖怪を殲滅できる程の力を持つのではないだろうか。言い過ぎかもしれないけど。
下を見れば人里から博麗神社へと向かう為の獣道が続いている。
地上から行こうものなら薄暗く、整備されていないこの山道を通らなければならないので、普通の人間が歩いていくにはかなり危険な道になっている。
なので代々博麗の巫女への情報の伝達や依頼等のコンタクトは昔からこうして空を飛んで移動できる私が向かうことが多い。
ここも既に赤い霧で覆われていて視界は悪いが、この道にも慣れた私にとってはこの程度お茶の子さいさいだ。
「霊夢ーいるー?」
神社の境内に降り立ち、本殿の方に呼びかける。
ここに来る道中も周囲には目を光らせていたが、慧音の言うように周辺の妖怪が暴れたり興奮したりしている様子は見られなかった。
やはり霧自体に精神的に何か影響を与えるものが含まれているというよりは、ただ視界を悪くさせ陽の光を遮らせる効果しかないのだろう。
一体何の為の霧なのかと首謀者の目的について思考を巡らせていたら、奥の襖がぴしゃりと開き、いつもの巫女装束を身に纏った少女が出てくる。
「はいはい。大声出さなくても聞こえてるわよ。」
手には大幣を携えており、その恰好からは丁度今から出かけるところだったことが分かる。流石にこの異常事態の中眠りこけていることはなかったらしい。
「どうせ私がサボらないかどうか見に来たんでしょ?心配しなくても今から行くわ。」
それでも少し不機嫌そうなのはやはりいつもなら眠っている時間に起こされているからなのだろうが
「すっごく眠そう…。」
霊夢は眠そうに目を擦りながら欠伸をしている。明らかに本調子ではなさそうだ。
「今お布団に入ることができるならどれだけ幸せなことかしら。」
霊夢の開いた襖の奥の部屋は既に寝支度が整えられていて、何ならさっきまで寝床に付いていたと思われる跡が残っている。きっと後少しでもこの霧の発生が遅れていたら、今頃この子は夢の世界に入っていたことだろう。
「…えっと…大丈夫なの?」
異変の首謀者というよりも睡魔との戦いに負けそうになっているのを見るとどんどん心配になってくる。本当に私はこの子を送り出してもいいのか。
「心配しなくてもいいわ。弾幕での勝負なら眠ってても勝てるから。」
「…取り敢えず顔洗ってくれば?」
今の発言は流石に冗談だと思うけど、本当にそれを実現させてしまいそうなのが霊夢である。まあ本人が大丈夫と言っているなら大丈夫なのだろうと信用することにしよう。
「それで?あんたが態々様子を見に来るってことは里の方は大丈夫なの?」
「うん。頼れる知り合いに任せてきたから。」
今の里には訓練された自警団もいるし慧音もいる。私なんかよりも何倍も優れた面子が揃っているので、妖怪の大群に攻め込まれでもしない限り大抵のことなら何とかなる。
もしもの時は慧音も里を隠して周囲の者に分からなくすることもできるし、寧ろ私の出る幕がないくらいである。
「ふーん。…じゃあ小傘は今からフリーってことね。」
眠たげな表情から一転して真面目な顔に切り替わる霊夢。その表情の切り替わりが何故かすごく不気味なものに見えて
「……え?私今から何かされる?」
異変解決の出発前の準備体操兼、眠気覚ましとして今から霊夢にボコボコにされてしまうのだろうかと思ってしまう。霊夢の目から見て私はいいサンドバッグに見えているのかもしれない。ど、どうしよう。
「簡単なことよ。今夜中に異変を解決して上げるから、私のお願いを一つ聞いて欲しいの。」
もう一度そういう風に考えてしまったら、物騒なことしか頭の中に思い浮かばない。次の瞬間私は無様にグーパンチで吹き飛ばされていることだろう。
「な、なに。」
緊迫した空気が流れ、私は生唾をごくりと飲み込む。そうして霊夢は一つ大きく息を吸うと溜め込んでいたそれを言葉にして大きく吐き出す。
「私が戻ってくるまでに美味しいご飯作って待ってて!神社にあるもの何でも使っていいから!」
真面目な顔がさらに一転して、百点満点の笑顔と元気な言葉である。コロコロと表情が変わるのは見てて面白いが、何を言われるのか身構えていた分、拍子抜けすぎて転びそうになってしまう。
…そういえば忘れてたけど霊夢は昔から私の作った料理が好きなんだったっけ。とはいっても今から異変解決という大仕事の出発前に優先されるものが、終わった後の食事のこととは。どれだけ食い意地が張っているのやら。
「何よその目は。文句があるなら聞くけど?」
喧嘩腰なの怖いよ。
「別にそれくらいいいけどさ…。ちゃんと頑張って来るんだよ?」
「やった!そうと決まればちゃちゃっと解決してくる!」
眠気は一体何処へ吹き飛ばしたのやら。そう言うと霊夢は笑顔を浮かべたまま飛んで行ってしまった。
ご飯ぐらいでやる気を出してくれるなら安いものだが、こんな現金な子だっただろうか。
初めての異変で少し緊張したりしてるのかなとも思っていたが、いつも通り過ぎて逆に緊張感が無さすぎるというか。
霊夢が異変を解決するまで神社で何を作るか考えるだけなのもあれなので、一先ず人里に帰ると、慧音に何でいつもお前は先走って行動するんだと怒られてしまった。
思いついたら即行動が私のポリシーだから仕方ない。
そう言い訳すると、慧音の目が凄く怖くなったので、大人しく謝る。
あれ以上何か言い返そうものなら頭突きが飛んできていたに違いない。何かあるとすぐに手を出そうとする者が多いのだからこの世界は怖い。
慧音へ報告した後は、避難していた時にパニックになっていた人間達の家を巡回したりして里を奔走しに回ったのだが、思った以上に皆落ち着き始めていた。
博麗の巫女である霊夢が動き出したのを知ったことで、もう大丈夫だという安心感が生まれたらしい。里の皆も霊夢のことを信頼してくれているみたいでちょっと誇らしい。
別に育ての親でも何でもないんだけどね。そうこうして色々な家を訪問している内に
「…え?」
何時の間にやら霧が晴れていた。あまりにも早い解決に一人で空を見上げしばらく固まってしまう。
空を見るとまだ太陽は昇り始めてすらいない。異変とはこんなにもあっけなく終わるものなのかと少し疑問に思ったが、霊夢が頑張ってくれたということなのだろう。
こうなれば私もあの子との約束を破る訳にはいかない。多分すぐ帰って来るだろうし急がなきゃ。
***
幻想郷一帯を覆った赤い霧は湖の中心にひっそりと佇む赤い館から放たれていた。
異変の首謀者は、東欧の悪魔である吸血鬼。吸血鬼といえば陽の光や流水などの弱点が多く存在する軟弱なイメージを持っていたが、あっちの方では名を轟かせているだけあって、それなりに強かったらしい。
館を出る時に見掛けた時にはちっこい奴にしか見えなかったが。霊夢が言うからにはそうなのだろう。
「あんたは何やってたのよ。」
帰り道。いつの間にやら吸血鬼を倒して異変を解決した霊夢が訝しげな眼で問いかけてくる。
「お宝発掘だぜ。あんな趣味の悪い館に金の鉱脈が眠っていたとはな。」
「訳が分からない。」
あの大図書館は魔法使いにとって何よりも価値がある過去の偉人達が残した魔法知識の宝石箱である。あれを無視することなどできない。
図書館にいた魔法使いを撃退して魔導書を拝借できたまでは良かったのだが、本の選定をしている間に異変の解決を霊夢に先を越されてしまったという訳だ。
まさかこいつがこんなに早く動き始めるとは。
「泥棒帰りの奴を家に招きたくないんだけど。」
「人聞きが悪いから泥棒扱いは辞めろ。私は戦利品として借りてるだけだぜ。」
その理由は、異変を解決したら小傘と小さな祝賀会を開くことを約束したかららしい。
こいつは隠そうとしていたが、飛んでいる時にずっとほくほくとした顔をしていたので何か楽しいことがあるのだとすぐに分かった。
私も行くと言ったらあからさまに表情が歪んだが。今回私はほとんど何もしていないに等しい。だが一人参加者が増えるくらい小傘なら笑って許してくれるだろう。
「ただいまー。」
夜も更け始めて太陽が出始める頃にようやくいつもの寂れた神社に到着する。
立地が悪いことは私が言えた義理では無いが、人間が神にお参りをする場所としての神社というより、巫女の住居としての機能を果たしている神社というのは果たして神社と呼べるのか。
当の本人はそんなこと微塵も気にしていないようだが。
「私の神社なのにただいまって言うのも変な気分ね。」
何でこいつはさっきからこんなにも浮かれているのか。見ていて気色の悪いくらい満面の笑みなのでちょっと引いてしまう。
「おかえりー。すぐに持っていくから座っててー。」
炊事場の方から小傘の声が聞こえてくる。まだ作っている最中なのだろうが既に美味しそうな匂いが漂ってくる。これは期待できそうだ。
そうしてしばらく居間で借りてきた本を整理していると、障子を開けてエプロン姿の小傘がお待たせーと中に入ってくる。その姿が妙に様になっているように見えるのだから面白い。
「って魔理沙も来てたんだ。」
「ただ飯を喰らいに来たぜ。」
時間的には朝ご飯になるのだろうか。睡眠を取る前に朝ご飯を食べるのは健康にいいのやら悪いのやら。
小傘は器用にも自らの傘の上に皿を乗せて運んでいるようで、本来なら潰れている重さでも石突きの一点だけで上手くバランスを取り、飛び跳ねて移動している。
っていうかこの傘自分で動けるのか。唐傘の付喪神というだけあって見事な職人芸である。
「もし量が足りないなら魔理沙にはそこらへんの雑草を食べててもらうから。」
「私はお客様だぞ。もてなせ。」
「あはは。多めに作ってあるから大丈夫だよ。」
そうして並べられた料理は定番のものから独創的なものまで幅広く、彩り豊かに盛り付けられている。どうやら最近は異国の料理を本で勉強しているらしく、それを可能な範囲で工夫して再現しているらしい。
「「いただきます。」」
三人で机を囲み、早速近くにあった豆腐の炒め物のようなものを摘んで食べてみると、生姜の香りと程よい辛みが一体になって刺激し、痺れるような旨みが口の中いっぱいに広がる。
「うっっっま!何だこれ!」
一度食べたら箸が止まらなくなる美味しさである。こんな料理今までに食べたことが無い。
「本来その料理は豆腐を香辛料で味付けする辛い料理なんだけど、これは唐辛子で辛味を調整しながらたっぷりの生姜と野菜の出汁を合わせて旨みを再現したアレンジ料理だよ。中々美味しいでしょ?」
…小傘の料理を今まで食べたことが無くてさっきは霊夢の反応を馬鹿にしていたが、これは機嫌がよくなる理由もわかる。
これなら毎日でも食べたい。何故今まで口にする機会が無かったのか後悔するレベルである。今度家に来たら作ってもらおう。
「んー美味しい!それに今回は何時にも増して豪華ね!」
「今日はお祝いだからね。…でもよく考えれば二人共少し仮眠取ってからの方が良かったかな。」
細かい事を気にしているが、私にとって一日眠らないことなど日常茶飯事である。寧ろ最高のお土産を手に入れて最高の料理を食べた後ならぐっすり快眠できるだろう。
「小傘は食べないのか?」
さっきからずっと私達の食べるところを見ているばかりで一向に食べようとしない小傘を見て疑問に思う。
「私はさっきの魔理沙が驚いた反応でもうお腹いっぱいだよ。」
自分でこれだけ美味しいものを作っておいてそれを食べないとはもったいない奴である。里に店を出せば連日人間で溢れ返ること間違いない筈なのに一体何のために料理の勉強をしているのか。
「駄目よ。小傘が作ったものなんだから小傘も食べなさい。」
「…いや、だからお腹いっぱい。」
「だったら無理矢理口に捩じ込んであげるわ。」
「あー!分かった、分かったよ!」
何やってんだこいつら。そうして渋々お箸を持ってきて自分の分を取り分ける小傘。
妖怪は食事を取らなくても普通に生きていけるのは羨ましいな。知り合いの魔法使いも嗜好品として食事を楽しんでいるだけのようなので、その時間の分を魔法の研究に回すことが出来るのは種族としての魔法使いの利点だろう。まあ人間の私には縁のない話だろうが。
しかしこうして三人で机を囲みながら食べるのも中々良いものだ。久しく食事は一人で食べてたのであまり気にすることはなかったが…。まああくまで偶には…だがな。
「小傘には神社に住んで毎日料理作ってってお願いしてるんだけど聞いてくれないのよ。」
「そりゃそうだろ。」
こいつの場合小傘を扱き使って楽したいだけなのが容易に想像できる。何となく面倒見の良い小傘が家政婦をやっている姿も想像は出来るが。
「はいはい。二人共私の話はもういいでしょ?異変でどんなことをしたのか教えてよ。」
「お!聞きたいか?私の活躍。」
「何もしてないでしょあんた。」
こうして三人揃うのも懐かしい気がする。私は頻繁にここに通っているが、小傘は最近神社に来ることもほとんどないらしい。
私が会いに行く度に小傘じゃないのかと霊夢が愚痴り出すので間違いない。きっと昔は幼かった霊夢を心配して様子を見に行っていただけで、こうして異変を解決出来るまでに成長した今、態々様子を見に来ることも無いということなのだろう。
こんな奴でも案外寂しかったりして。…まさかな。