異変が解決された次の日。人里では昨日の騒動が嘘だったかのように、人間は普段通りの日常に戻っていた。一晩で解決したという事が大きいのだろう。
話題にはしばらく挙げられるとは思うが、道を行き交う人々の顔に不安は一切ない。何とも逞しいものだ。
かく言う私は人里と神社を行ったり来たりして疲れ果て、人里に帰ってからお昼前にも関わらず気絶するように眠ってしまった。仕方ないとはいえ一日が無駄になった気がして少し悲しい。
しかし霊夢と魔理沙の話から今回の異変の詳細を色々聞く中で、驚くべき事実が分かった。
それは幻想郷中を覆ったあの赤い霧は、例の吸血鬼が起こしたものであるということ。
数十年前にそれらが大暴れした"吸血鬼異変"もまだ記憶に新しい。幻想郷中で残虐の限りを尽くし、先代の博麗の巫女と妖怪の賢者の力で何とか制圧することが出来た異変。
里に被害は無かったとはいえ、本気で幻想郷を支配しようとしていたものだったと聞いている。
鎮圧後から今に至るまでは大人しかったその者らに一体どんな心情の変化があったのか。
「何か分かりましたか?小傘さん。」
現在私は稗田家にお邪魔しており、当時のことが記録された資料を読ませてもらっている。
阿求の家は由緒正しい名家とだけあって、多くの使用人が住み込みで働いているとても大きなお屋敷に住んでいる。
その中でも阿求の部屋は、難しい書物が整然と棚に並べられており、辺りからは墨の香りが漂ってくる。何とも彼女の見た目に似合わぬ自室だ。
それでもここには過去に妖怪が起こした事象等が詰め込まれている価値のある場所であることには変わりない。
「うーん。…収穫はないかな。」
書物を机に広げた書物とにらめっこしながら、対面に座っている阿求に返事を返す。
現在調べている吸血鬼異変は幻想郷という大枠で捉えれば大事件だったのだが、里にとっては当時のことを忘れている者がいる程小さな出来事だった。あれはどっちかっていうと妖怪同士の抗争に近かったからねぇ。
資料として書かれているのは大まかな異変の概要と解決された情報だけであり、具体的な内容はあまり記されていなかった。
当時は阿求もまだ生まれてないのでそれも仕方のない話ではあるが。
「そうですか。お役に立てず申し訳ありません。」
「阿求が謝る必要ないよ。」
真相を確かめるには当事者に聞きに行くぐらいしかなさそうだけど…流石に本人に改心したんですか?と聞ける度胸は私にはない。
一応霊夢と魔理沙から聞いた限りでは、現当主の吸血鬼ははちっこくて強かったらしい。情報がアバウトすぎる。
こうやって考えだすときりがなくなる。いずれにせよ今回の異変は何の被害もなく収まっているので、今は様子見というところに落ち着きそうだ。
「急に押しかけちゃってごめんね。」
広げていた書物を元あった場所に戻し、お暇しようと立ち上がる。今日も阿求の家には軽い気持ちで調べものをしに来ただけなのだが、未だにお客として使用人に迎え入れられることに慣れない。私としては友達の家に遊びに行くような軽い感じなので、かしこまられると申し訳なくなってくる。阿求に出迎えとかは必要ないってお願いした方が良いのかな、と考えながら踵を返したところで、後ろから阿求に小傘さんと呼び止められる。
「少しお願いがあるのですが聞いてもらえますか。」
何やら神妙な面持ちの阿求。どうやら真面目な話のようだ。
「うん、いいよ。どうしたの?」
私は阿求の方に向き直ってもう一度座り直す。
「私が代々作成している幻想郷縁起についてです。小傘さんにはよくお見せしているのでご存じかと思います。」
稗田家に保管されている資料のほとんどは代々御阿礼の子が纏めてきたものだ。そしてその資料を元に彼女らは一世代に一冊、幻想郷縁起を完成させている。今日は阿求が独自に纏めた資料を読ませてもらったが、先代以前の御阿礼の子が編纂した縁起の方も偶に阿求の家にお邪魔して読みに行ったりすることもある。
「私もそろそろ縁起に取り掛かろうと思っているのですが、今代のものは今までのものと趣向を変えていかなければならないと考えているのです。」
「え?どうして?」
幻想郷縁起は御阿礼の子の短い生の半分以上を費やして完成させるものだ。その完成度には毎度のことながら驚かされており、代々受け継がれてきた縁起の内容に私自身何の文句も無いのだが。
「…もしかしてさっきのこと?」
吸血鬼異変の内容が具体的に記載されていなかったのが引っ掛かっているのか。私自身、ここに何か情報があるかもしれないと期待していたのは事実だが、もしかしたら責めるような言い方になっていたのかもしれない。そう考えていると阿求は違いますよと否定を加える。
「そういう訳ではなくて。先代が生きていた百年程前と比べて、里の方々の妖怪に対する認識が変わってきていますよね。」
阿求の言葉に私は頷く。事実として最近の人里は妖怪に対する脅威の認識が薄れてきていた。
数百年前まで幻想郷では多くの妖怪が跋扈しており、色々と事件を引き起こしていたものだが、最近はその数も減少している。
「時代が変わってこれからは里の人間と妖怪の在り方も変わってくるかと思います。なので私の代の縁起はその手助けができるものにしようかと。」
阿求の言いたいことは分かったが、どういう感じになるのか想像できない。具体的にどういったものなのか阿求に聞いてみる。
「それは形にしてみないと分かりません。そこでお願いなのですが、小傘さんには先代の頃見たく妖怪への調査に同行してもらいたいのです。」
「調査…ね。」
つまりは里の外に出向いて縁起に書く妖怪の情報を収集しにいくということ。普通なら危険だから駄目と言いたいところなのだが。
「…やっぱり今回も必要なの?」
調査は私が御阿礼の子に初めて会った先々代の頃から続いている風習である。幻想郷縁起は妖怪のことを載せる書物である以上、当然情報を集める為にはそういうことをしていかなければならない。当時から調査に行くときは私が同行するようにしているのだが。
「勿論です。よりよい縁起を編纂する為にはこの目と耳で体感したものでないと。」
阿求はすっごく乗り気みたいだし、先々代、或いはもっと前から続いている調査なので駄目だと言える理由もない。心配が尽きないから私としては辞めてもらいたいんだけどねぇ。こればっかりはしょうがない。
「分かったよ。…じゃあ外に出る時の約束事、覚えてる?」
調査とはいっても当然身の安全が第一である。なので私一人でも御阿礼の子を守ることが出来るように、作った約束事がある。
「はい。少しでも危険があるなら必ず逃げること、それ以外は小傘さんから絶対に離れないこと…ですね。」
「そう。よく覚えてたね。偉い偉い。」
「…私にそれを言いますか。」
集中すると周りのことが色々と見えなくなる子なのでそこは心配だが、流石に一人で突っ走ってしまう程理性が効かなくなる子ではない。もしも約束事が守れないなら強制帰還させるつもりだし、調査も里の中で出来る範囲でさせるしかなくなる。妖怪の世界というのはそれだけ恐ろしいものなのだ。まあそれは阿求が一番よく理解していることだろうけどね。
「…そうかぁ。阿求ももうそんな年なのかぁ。やっぱり人間の成長って早いね。」
これも何だか一つの大人に向かう一歩って感じがして少し感慨深いものがある。今考えると外で元気に遊んで体調を簡単に崩しちゃっていた阿求も懐かしい。今では立派に自らの使命と向き合っている。
「そんなものですよ。私もそろそろ小傘さんの背丈を追い越しますから。」
「むぅ…。また見下ろされちゃうのかぁ。ちょっと寂しいなー。」
私も少しくらい背が伸びて欲しい。もうちょっと高い下駄でも拵えようかな。でもなー…
「小傘さんは今のままでいいと思いますけどね。……コホン、ちょっと話を戻しますね。実はもう一つ、次の取材対象のことでもお願いしたいことがあるんです。」
「…え?あ、うん。何?」
「無茶なお願いだとは思うんですけど…」
***
場所は移ってここは貸本屋、鈴奈庵。里にある半数以上の本が集積しているであろう場所で、周辺の家屋とさほど変わらない小さなところだが、所狭しと本棚が並んでいる様は圧巻である。今回訪れた目的でもあるその貸本屋で看板娘兼店番をしている少女、本居小鈴。いつもの定位置の場所で本を読みながら、私の話を聞くなり顔をしかめる。
「…それで阿求が異変の調査をしたいから吸血鬼の館に乗り込みたいって言ってると…。」
「そうなんだよ。どうしたらいいかな?」
阿求の言っていたもう一つのお願い。それは今小鈴が言ってくれたように、先日の異変の首謀者である吸血鬼に直接話を聞きに乗り込みたいということ。それをどうするべきか相談するべく彼女の意見を聞きに来たという訳である。私の話を聞くなり小鈴は一つ溜息を吐き、本を読むのを中断して掛けていた眼鏡を外す。
「それ、何で私に聞きに来たのよ。」
「だって阿求と仲良いからさー。止めてくれないかなって。」
とは言ってもさっき吸血鬼異変のことについて調べたばかりで、今はまだその危険性について判断できない以上、私の答えは連れて行くなんてできないということは決まっているのだが。しかしそれを阿求に伝えたらそこを何とかお願いしますと頭を下げられて粘られたものだから、どうしたものかと言う話だ。
「私が止めても説得力なくない?吸血鬼とか本の中でしか見たこと無いし。」
「ふふふ。甘いね小鈴。何も無策でここに来る馬鹿じゃないよ私は。」
小鈴の言うことはごもっともなのだが、安心して欲しい。私には練りに練り上げた阿求を説得する作戦があるのだ。
「作戦名は小鈴泣き落とし作戦!小鈴が泣きながら行かないでと縋りつけばいくら強情な阿求でも意志が揺らぐことは間違いない!」
「やっぱり馬鹿でしょ小傘ちゃん。」
私がここに来る道中に一生懸命考えてきた作戦は冷たい目を向けられて一蹴されてしまう。やっぱり恥ずかしいのかな。友人の泣き落としならたとえ阿求であっても一発だと思うんだけど。
「それで?結局ここにはお客さんとしてじゃなくてお喋りしに来ただけなの?」
「うん。どうしたらいいかなーって。」
「…はぁ。」
そんな分かりやすく溜息を吐かなくても。
「いつも外来の本貸して上げてるんだから偶には私の話くらい聞いてもらってもいいでしょ?」
「そうじゃなかったらとっくに営業妨害で追い出してるよ。」
一応小鈴とは本を貸し借りしたり本の感想を語り合ったりする仲なのだが、自分が本を読んでいるのを邪魔されたりすると露骨に機嫌が悪くなる。そもそも営業中に看板娘が店の本を読んでるのもどうかと思うけどね。
「阿求が命知らずなのは今に始まったことじゃないでしょ?行かせてあげたらいいんじゃない?」
「その負担は全部私に降りかかって来ることになるんだけど。」
「ああ、もう。…じゃあ霊夢さんを連れて特攻しよう。道場破りみたいな感じでたのもー…って。」
「投げやり辞めて。」
まあここに来ても答えが出ないのは分かっていたけども。ここには一応異変の後で何か生活に悪い影響が起きていないか確かめに来ただけだ。赤い霧が発生した時も、それに気付かず本を読んでいるような子である。取り敢えず今日も元気に看板娘としての役割を果たしているみたいで安心だ。
「お邪魔するわよー。小鈴ちゃん。」
…っと。小鈴と話をしていたらお客さんが来たようだ。そうして入口の方に目を向けると、丁度さっき話題に上がった人物が小さな風呂敷を背負って立っていた。
「いらっしゃいませ霊夢さん!丁度良いところに来ましたね。」
霊夢は元気に営業スマイルを浮かべて挨拶をする小鈴を一瞥し、続いて私の顔を見るなり少し驚いた表情をする。寧ろ霊夢がここに来ることにこっちが驚きなのだが。小鈴も霊夢が来ていることに何の疑問も持っていないみたいだし。本とか興味ある子だったけ。
「最近の霊夢さんは、小傘さんが以前読んでいた料理本を借りて料理の研究をしているんですよね。」
何それ初耳。確かにこの前も私の料理を美味しそうに食べてくれてたし、霊夢も料理に興味を持ってくれたということなのだろうか。
「だって小傘あんまり神社にご飯作りに来てくれないじゃない。だったら自分でも作れるようになろうってね。」
…まあ人里から神社までの距離を考えても簡単に行けるものじゃないからねぇ。
一応慧音への弁当のついでに神社に寄るくらいなら、作る時間を短縮できてもう少し頻度は増やせると思うのだが、霊夢に言わせればそれは駄目らしい。
出来立てのものを机の上で一緒に囲んで食べることに意味があるのだとか。
…まあ自炊のレパートリーを増やすっていう心掛け自体は素晴らしいことなんだけど、普段修行嫌いのこの子が違う形で努力しているのを見るとちょっと複雑な気分になる。
だがこの子の生活レベルが友人の魔法使いのものより遥かに高いものであることは間違いない。
「それで小鈴ちゃん。丁度良いところに来たっていうのはどういうことかしら?」
「ああ、実は…霊夢さんに吸血鬼の根城を奪い取ってもらいたいっていう…」
…このまま話を進めるとややこしくなるから私が説明しよう。
***
「…小傘の言う奴なら昨日私の神社に来たわよ。大層に従者を連れて。」
霊夢は私の話を一通り聞いた後、思いもよらないことを口にする。昨日って…え?
「異変の翌日に?」
「ええ。昼過ぎくらいに急に。」
私が神社から帰った後にそんなことが…。確かに弾幕ごっこはルールに定められた決闘法というだけあって、ただ力の強い者が悪戯に弾を撃つだけでは上手くならない。
自分より格下だと思ってた相手に敗れたとなると煮え切らないものもあるのかもしれないが、まさか神社にまで乗り込んでくるような輩だとは。
霊夢も今は元気そうだがかなり大変だったのかもしれない。
「…勘違いしてると思うから言っておくけど、そいつ報復とかじゃなくただお茶を飲みに来ただけよ?」
……え?
「私を打ち破ったことを光栄に思いなさいとか、私のものになりなさいとか気持ち悪い言葉を永遠と言ってくる変態だけど。」
うんざりとした表情で霊夢はそう話す。…つまり霊夢はその吸血鬼を弾幕ごっこで打ち負かしたことでその強さを気に入られたということなのかな。
吸血鬼は誇り高い種族だと資料で見たことがあり、自分より下の者には敬意を払わず見下す性格をしていると勝手に思っていたが、その吸血鬼は自分の負けを潔く認め、相手の強さを認める素直さを持っているらしい。
…何というかそれだけで大分私の中で印象が変わったし、妖怪の中でも変わった部類の存在なのだと分かる。
「あ、そうだ。今度小傘が神社に来てそいつの相手をしてよ。小傘は敵情視察ができるし私は面倒臭い奴の相手をしなくて済む。完璧ね。」
「…その吸血鬼って霊夢に会うために態々日中に来てるのに私がお邪魔してもいいのかな。」
「私が許す。っていうか文句つけてくるならぶっ飛ばして上げるわ。」
霊夢が口より先に手が出る物騒な性格なのは色々と心配ではあるが、阿求の件で行き詰っていた私にとっては棚から牡丹餅の提案だ。
癖はありそうだが、話しが出来る存在であることが分かっただけでも希望は見えてきた。
「決まりね。それじゃあ三日後の日中に神社に来てちょうだい。そいつもいると思うから。」
「分かったよ。ありがとう霊夢。」
霊夢はそう言うなりすぐに戸を開けて神社の方へ飛んで行ってしまった。私も阿求にこのことを伝えに行こうかな。
「小鈴も相談に乗ってくれてありがとう。また今度面白そうな本があったら持ってくるから。」
「うん。今度はお客さんとして来てね。」
善処するよ。