◇ディティック・ベル(儀式まで残り三日)
牢獄の中で一日を過ごすのはそれなりに辛い。いくら探偵は待つのが仕事だと言っても、状況が最悪だ。いつ再び凶刃が迫るかわからず、本当に助けが来るのかも疑わしい。希望としていたファルからの返信は『スノーホワイトは動けない』だった。あくまで動けないのはスノーホワイトだけで、他は動いてくれているのだと信じたい。けれど、そんな確証もない。それ以上の返信は、妨害電波のせいで受けられなかった。
端末は、復活した妨害電波によって、くだらないヴィリースの動画が流れ続けている。ここに来て、怒りを滾らせたメルン・チックがコメントを荒らし、動画の中のヴィリースが見るからに不機嫌になるという一幕すらあった。ディティック・ベルは肝を冷やし、さすがにやめさせたが。
「……どうするのよこんなの。何したって変わんないわよ。助けなんて来ないじゃない!!」
メルン・チックでさえ限界だ。メルンはとうに限界で、牢の隅に寝転がったまま動いてもない。ラズリーヌは黙って、目を閉じていた。精神を集中している。ディティック・ベルは、壁に話しかけ情報を引き出そうとしていたが、案の定何も引き出せないまま、諦め、座り込んだ。希望を捨てたつもりはない。ないが、ずっと胸を張っていられるほど、強くもない。
「──!!」
しかしここで、ラズリーヌが突如目を見開いた。同時に、壁についた顔が表情を歪める。
「何が起きたの!?」
「わからない……」
自身に何かが起きていることだけはわかったのか、壁についたカートゥーンの顔面は眉間に皺を寄せ続けていた。
「ラズリーヌ!」
「来たっす。誰かが。派手に壁壊したっぽいっすよ」
「……!! あっ、確かにっ、電波の流れが変わった気がする」
つられてメルンも跳ね起きた。誰だ。期待を込めて、ディティック・ベルも牢の外を見つめる。魔法少女の強化された聴力で、足音を聞くべく、耳をそばだてた。……何か音がする。羽音……虫の、甲高い、いわゆるモスキート音だ。音はほんのわずかなもので、その少し後、1匹の蚊が、扉の隙間からふっと入り込んでくる。蚊、だった。ほんの小さな虫に希望を見たことに、対し、メルンが衝動に任せて鉄格子を殴りかけたところで、今度は派手に扉が砕かれた。
強靭な獣の下半身、明らかに突進に適した体型は猪のものだ。そしてそこに続く上半身は、今この瞬間には救世主、神様にすら見える。
「……間に合いました」
「見つけマシター!! ベルっちサン!!」
「ちょっと! こっそり救出するのではなくって!?」
「……!! テイルっち! リオネッタちゃん!! 那子ちゃん!!」
扉を破壊したのは旧知の友人だった。リオネッタが流れるように近くの機械類を操作し、何かを解除すると、クランテイルに合図、鉄格子が突進で破壊された。防護の術式は今ので解除されており、あっさり砕け散った格子からは、とっととおさらばだ。ラズリーヌに助け起こされて、立ち上がった。後ろでは、メルン・チックがメルンに肩を貸している。
「……見捨てないんだ。意外」
「うるっさいわね!? 戦えもしない怪我人なんだから、黙って担がれてなさい!」
「はいはい……あは、またラーメン食えるといいね」
「いいねじゃないわ。行くの」
メルン・チックの精神もかなり持ち直している。怪我や消耗も、逃走まではもつ、はずだ。
「……早く逃げましょう、ここには敵があまりにも多い。恋娘やドッチ・ガ・リッチ、ヴィリースだけじゃありません。しかも……あの女神のような魔法少女とは交戦しない方がいい」
「どれもなんのことかわかりマセンが……」
「……その女神というのが、私たちが想像するものと同じなのでしたら、最悪ですわね」
追っ手は強力だ。これでもなお、フランチェスカに遭遇すれば全滅すら有り得る。一刻を争う状況だ。そのうえで、しかし、簡単には脱出させてはもらえない。道の先に、天使が立ちはだかる。
「侵入者、発見です、アル」
「ワーオ!? ニャンニャン!?」
「あいつはらぶまーく恋娘! @娘々さんと、らぶみー恋々さんが──」
「──恋々の…………」
細い掠れそうな声だったが、その声に乗せられた感情は、ディティック・ベルの言葉を詰まらせた。刹那、現れた恋娘の背後から大ぶりの鎌が振り抜かれ、突き立てられようとする。弓を当て逸らした恋娘は飛び退き構え、即座に矢を打ち返した。鎌の少女、ネフィーリアは一振で薙ぎ払い、そのまま飛びかかる。恋娘の首元を掴み、切りつけるというより壁に叩きつけた。恋娘も振り払おうとはしたが、ネフィーリアと目が合うと、ふたりは時が止まったように見つめ合う。
「ネフィ」
「……恋々……」
しかし恋娘は動いている。その手は矢ではなく、紙切れ、いや、お札を掴んでいた。誰かが危ないと声をかける間もなく、ネフィーリアに押し付けられる。ネフィーリアは驚いた顔をして、自らの胸元のお札を見て、意味がわからないという顔をし、目から光が消えた。そのまま力なくふらつき、壁にもたれかかり、立ち上がってこない。何かが起きている。
「何をした」
「心、閉じ込める、です、アル」
今度はクランテイルが構えた。その間に、那子とリオネッタが先導して動く。クランテイルは恋娘を引き受けるつもりだ。その横顔がそう言っている。戦えない怪我人はさっさと抜けるべきなのは間違いない。大丈夫、クランテイルは強い、信じて足を進める。
「悪いが」
しかしそうして信じた先にも、敵はいる。
「ここから先は通行止めだ」
目の前に引かれた白線は車道の停止線だ。片手には標識、魔女にも貴婦人にも見える立ち姿。ドッチ・ガ・リッチ、そう呼ばれていた。隣にはうんうんと頷くヴィリースが立っている。先回りされていた。さらにヴィリースが指を鳴らすと、警報が響き、行先の通路の扉が閉じていく。飛び込もうと動いたが、停止線に引っかかり、動けなくなり、ラズリーヌに即座に引っ張り戻される。そして彼女に礼を言う暇もなく、既に目の前で、ヴィリースがその手にバチバチと電撃を溜めており、ラズリーヌと同時に動いた。さっきまでいた場所を通り抜けるスパーク。那子とリオネッタが戦闘態勢となり、リオネッタのドレスの下から人形たちが一斉に登場する。
「時間は稼ぎますわ」
「探偵サンは逃げ道をなんとかしてくだサイ!」
「ベルっち!!」
ラズリーヌにも背中を押された。メルンたちの方を振り返って、しかし彼女らも完全に戦う気だ。せめて片方の脚を失ってしまっているメルンをと手を伸ばしたが、メルン自身が首を振った。
「どうせなら付き合うって、もう、それしかないし」
「……ふん。精々背中の上で応援でもしてなさい。あいつは私が倒すわ。あいつだけは」
するとリオネッタの方から人形たちがぞろぞろと歩み寄る。中には布製の、つまりぬいぐるみ系の人形も混じっている。メルン・チックがリオネッタを見ると、彼女は使いなさいと言う代わりに軽く目配せだけをして、メルン・チックはすぐさま縫い針を抜き放ち綿を展開する。
「っしょーがないわね! あいつの標識のこと、どれだけ知ってると思ってるの! 引き受けたげる!!」
ドッチ・ガ・リッチと対峙するメルン・チック。既に仕掛けてきたヴィリースと、応戦するラズリーヌたち。
ディティック・ベルは戦闘の蚊帳の外に出され、とにかく走った。扉の前にはパネルがある。パスワードロックだ。強制的に閉じられたはずだが、こちらのシステムが生きている。パスワードは……知っているわけがない。しかし開かなければこのまま全滅かもしれない。とにかくヒントを求めて、端末を開いた。子供向けの、くだらないことを全力でするような動画が並んでいる。
これは実在のサイトじゃない。ヴィリースが妨害用にでっちあげたサイトだ。そしてそこに並ぶ動画たちには、共通点がある。再生数が全く同じだと表示されている。それだけじゃない。『12671081』……この数字が至る所に使われている! そう気がついたディティック・ベルは、すぐにでもその8桁を入力した。祈りを込めて、実行のボタンを押し、そこから不正解の音と共に電流を食らってしまう。
「ぁぐっ……ぐ、ぅ、う……!!」
「アハハハハ! あのさぁ! そんな単純に意味のあるパスワードなわけないじゃん! ネットリテラシーくらい弁えなよ!!」
「っ、は、はは……魔王パムは端末すら誤作動させて壊すって話だけど……!」
「あぁ、それホント面白いよね。私も壊されかけたって言うか……さぁっ!!」
ヴィリースは遊んでいる。それなら雑談に応じると踏んで、確かに言葉を返してきて、狙いがわかりやすくなった。この電流を食らった体で避けられるかは賭けでしかなかったが、それには勝った。ついでに言えばもう一つ、その無造作に放たれた電撃が、ちょうど入力端末に直撃する……という賭けにも、勝った。
「……あ、やば」
同時にボタンを殴りつけると、しっかり誤作動を起こした扉が開く。路はできた。後は!
「アハハ、扉が開いたからって? 簡単に逃がしてあげるわけないでしょ」
「わかってるっすよ、そんなことは!」
ラズリーヌの拳がヴィリースを貫かんとする。那子が幣で殴り掛かり、リオネッタが鉤爪で襲いかかる。そんな中でもヴィリースは余裕を崩さない。それもそのはずだ。物理的な攻撃はいずれも、実態のない映像を掴もうとしているかの如く通り抜けてしまう。
「無駄だってば」
電撃が迸り、射線上のリオネッタを那子が突き飛ばす。那子のコスチュームが焦げ、掠った肌も焦げている。
「ちょっと……!?」
「痛いデース! でもリオネッタに直撃するよりは良いデス!」
「貴女は、全く……!」
「はいそこイチャつかないでー」
「させねーっすよ!!」
リオネッタと那子を狙う砲撃に、魔法の宝石を投げ込み、瞬間移動からの奇襲をかけるラズリーヌ。拳は有効打には至らないが、映像を乱したせいか力が弱まり、結果としてリオネッタの人形による防御が間に合った。
「全部意味ないんだけどなあ!」
しかし反撃に出ようとしても、那子とリオネッタ、そして操られた人形や恐らくは魔法のかかった鳥類の飛来を簡単にかわし、反撃にカウンターを入れてくる。リオネッタの人形の体が軋む。そこへまた宝石を使い、ラズリーヌが仕掛ける。今度は拳を腕で止めてきた。上、右、左、膝、からの上、互いに譲らぬ格闘戦が繰り広げられている。だが純粋な格闘では、ヴィリースよりもラズリーヌが速く、出そうとした手を潰され、弾かれたヴィリースは体勢を崩しかけた。そこを狙った貫手はホログラム化によるすり抜けで回避されてしまう。が、今の少しで、ディティック・ベルには見えてきていた。
ディティック・ベルは己の探偵ポーチを開く。少し探せば見つかった。
「ラズリーヌ! これを!!」
渡したのは宝石だ。一見、これまでとは変わらないように見える。そしてそれなら、ヴィリースも警戒を怠る。どうせ物理攻撃は効かないのだと対策もしない相手には、刺せるかもしれない策がひとつだけ思いついていた。
「いくっすよ……ベルっちの、応援を、力に!!」
ラズリーヌが渡された宝石を砕き、撒いた。降り注ぐ様はまるでダイヤモンドダスト。その一つ一つが、ラズリーヌの『移動地点』になる。即ち、同じ地点に目にも止まらぬ速度による瞬間移動を繰り返し、そして同時に攻撃を繰り出す。それが彼女の十八番だ。その拳ひとつひとつはヴィリースには通じない。だが目的はそれではない。攻撃し、それによって映像が乱れ、電波となってほどける、その瞬間が必要なのだ。
「まったく鬱陶しいっ……あ、れ?」
帯電しようとしたヴィリース、しかし帯電できない。その間にもラズリーヌの猛攻は続いている。無効化し続ける、はずだった、それなのに、反撃ができずに止められる。ヴィリースが歯を食いしばる。拳を受け止め、純粋な身体能力で回避しようとするが、雨のごとく降り注ぐ猛攻には届かない。表情が歪み、全方位へ向けた電撃を放とうと帯電したその時、全身のシルエットにノイズが走る。
それもそのはずだ。ディティック・ベルがラズリーヌに渡したのは、魔法の力を吸収する作用を持つ宝石。ヴィリースが自分を電波に変えているのなら、その電波が消えてしまう状況ならば、その魔法は使えない!
「ッ!! この、ォッ……!」
ヴィリースが振りかぶり、隙を見せた。ラズリーヌが潜り込む。しかしそれは見せかけだ。誘い込んだ先に、ごく小さな光球を置き、その光が迸る。吸収されるより早く、溜める前に放ってしまえばいいと考えたのだろう。だがラズリーヌもまた読んでいる。その先に彼女はいない。ディティック・ベルの髪飾りを起点に、隣に立っていた。靡く黒髪、傷ついた横顔が凛々しく見えて、一瞬視線を向けると、ふっと笑って、ディティック・ベルの手元から宝石を掴むと、再び消えた。
「何度やろうが……」
「はい、終わりっす」
先程と同じ、魔法を吸い込む宝石を手にしたまま、ヴィリースの体を貫いた。電波への変換が仇となり、血を流すこともなく体が崩れていく。
「っ……は、ははは……!! いくらアバターとはいえ……悔しいじゃない……!! いいよ……私じゃなくて、フランチェスカや……もぉっと意地の悪い奴がお望みならぁ……!!」
最後の、最大限の抵抗か、己の形も保てないまま、思いっきり周囲に放電してくるヴィリース。傷ついたリオネッタ、那子、そしてディティック・ベルにも直撃するかと思われた雷から、瞬時に駆けつけたラズリーヌが助け出してくれる。晴れた時、もうその姿はない。死んだ、とは考えにくかった。
「オー……消えマシタ。さすがデス」
「あとは……」
振り向いた。戦いは終わってはいない。