◇クランテイル(儀式まで残り二日二十二時間)
ネフィーリアが意識を失い倒れ、恋娘と言うらしい敵と相対するは、クランテイルひとりだ。他の皆は逃がした。
目の前の魔法少女にはふたつの面影が丁度重なって見える。かつて同じ死の際にいた者、そしてどちらもその末に倒れた者。その生を弄ばれているようで、クランテイルには受け入れられない。
湧き上がってくるのは怒りだった。皆が無事であってほしいという祈りを頭に留めたまま、怒りを表出させる。魔法の発動、虎の半身により駆け出した。
しなやかなネコ科の跳躍により瞬時に距離を詰め、迎撃に矢を番う恋娘を視認するまでもなく体をある虫へと変えた。其れは黒く輝く甲虫。中でも飛行能力を棄ててまで硬くなることを選んだ異端のゾウムシだ。その鎧は矢など通すことはなく、何本来ようが弾く。ならばとあのお札を使いに来る、そこを狙い撃つ。クランテイルの半身が瞬時にまた異なる甲虫に変わる。所謂『へっぴり虫』は尾部から高温のガスを噴射する。至近距離での噴射を食らった札は吹き飛ばされ、恋娘自体にも降りかかる。手で払い苦しむ彼女の姿に、浮かんでくる罪悪感を噛み潰し、今度は熊の巨体で仕掛ける。隙を狙い放たれる重い一撃。防いでも大きく吹き飛ばされていく。即座に追い、さらにもう一撃を叩きつけんと振りかぶった。そうして矢の反撃を釣り出し、熊から鰐に切り替え狙いを狂わせ、躱した勢いのまま尾を叩きつけた。
「ッ……く、ぅ……!!」
呻き声と共に、しかし反撃の矢が振るわれる。一撃も受けてはいけない相手、近接戦闘ではどれだけ優勢でも完全に優勢ではなく、油断は即ち全員の死だ。そんなことさせるわけにはいかない。そのために、那子に薦められた漫画も読み、リオネッタとともに図書館で調べ、苦手だった虫に変身するまで魔法を拡張してきたのだ。出せる最前の手札で対処する。弾き飛ばして、止めのつもりで、振りかぶった。そして目に、恋娘の眼差しが映る。
「クランテイルさん」
目が合ってしまって、その顔を抉ることなどできず、クランテイルの動きはどうしても止まってしまった。わずかな躊躇が、怒りを鈍らせていた。縫い付けるようにして放たれる矢とお札。小さな痛みが走り、それがまずいことだと認識したら既に遅い。
緩む。緩めてはいけない緊張の糸が。ほどけていく。手放してはいけない怒り、戦意の源泉が。自分はなんのために戦おうとなどしていたのか。彼女は敵などではなく、守るべき存在ではなかったか──。
「そう、そうです、アル。クランテイルさん、仲間、家族です、アル」
家族。そうだ、私たちは家族なんだと、疑おうとする心をすべて洗い流す言葉に安堵をしようとした時だった。視界の端で、死神が動いた。
「ネフィ。ご主人様も、ネフィも、クランテイルさんも、家族、みんな、家族です、アル」
「……」
もはや戦いを続ける必要性はなくなっていた。ご主人様……即ち恋娘のマスターは、この施設の主なのだろう。脱出のことも考えなくてもいいのだ。いや、そもそもなぜ、クランテイルはこの場所に来たのだろうか。恋娘がここにいるということは、元々知らなかったはず、だが。
ふと引っかかったその瞬間に、死神の鎌が動く。立ち上がったネフィーリアは、敵意すらなく、ただ当たり前のように、その刃を恋娘に突き刺していた。
「……え?」
「……寝てなきゃ……ダメ……死人は」
「っ……なん、で、アル」
「……最初から……奪われる……までもなく……恋々のもの……」
目が眩む。状況がうまく認識できない。こうなることを見越して、ネフィーリアは自ら術中に嵌った振りをしていた、というわけか。
『家族……』
「そう……家族……だから……」
クランテイルの思考はずっと曇っていたが、ふいに、怒りを思い出した。そうだ。恋娘には、もしかしたら悪気があるのではないのかもしれない。それでも、恋々も娘々も弄んでほしくはなくて、そしてディティック・ベルたちにしたことも許されることではない。
……己が手を下さなかったことに安堵していたことを認識して、クランテイルは嫌悪感を抱いた。背負わせてしまったネフィーリアに視線を向ける。途切れ途切れの細い声で、大丈夫、と返ってくる。
恋娘は血を吐き、壁に寄りかかっている。それ以上戦おうとはしてこない。傷は深い。クランテイルは複雑な思いを抱き、悩んだ末に、その場から去ろうとする足を止めた。例えば蜘蛛の糸や、一部の動物の唾液を使えば、あるいは傷を塞ぐことだってできる。その先は彼女次第だと、委ねようと考えた。先を急ぐネフィーリアとは離れ、振り向いて、そこに振り上げられた斧を見た。
「あなたが落としたのは」
「ッ──!?」
「金の斧ですか?」
蘇る最悪の記憶。二度と出会いたくなかった相手。いくつもの犠牲を払いようやく乗り越えた災厄。女神の姿をした破壊の化身、フランキスカ・フランチェスカだ。それが目の前に立っている。既に振り上げられた斧に対処するには、全力で退避するしかない。それでも遅い。アルマジロや甲虫の鎧でも受けきれない。
「それとも」
「……駄目……!!」
「銀の斧ですか?」
振り下ろされる瞬間、かすかに声が響き、音もなく、天使の翼が目の前に降り立った。そのまま切り裂かれ、血が飛沫き、翼から抜けた羽根が舞う。恋娘だ。彼女は切り裂かれながら、その手のお札を使い、フランチェスカの意識を刈り取らんとお札を輝かせる。あの魔法を受けて、さすがのフランチェスカでも怯む、が、そのまま自らに斧を突き立てて意識を戻してくる。それでも力尽きるまで、フランチェスカにしがみつき、わずかに一度だけ、こちらを振り返った。恋娘は、自分でも何がなんだかわかっていないような、そんな表情のまま、あっさりとフランチェスカに振り払われ、倒れていった。
その一瞬のお陰だった。クランテイルは魔法を使い、とにかく瞬発力を求めてチーターの脚を使った。ネフィーリアを抱え上げ、フランチェスカから逃げる。この状況で、他の敵もいる中で、フランチェスカの相手など不可能だ。逃げ切ることに賭けた方がいい。
『これ/で/いいですよ』
ネフィーリアの口から出たのは恋々の声だった。彼女の魔法だ。恋娘はそう思っていたのだろうか。確かめる術はない。
◇メルン・チック(儀式まで残り二日二十一時間)
「そこっ!! 来るわよ!!」
ドッチ・ガ・リッチの攻撃は激しく、しかし扱いきれていなかった。標識の弱点は知っている。使い方も当然知っている。ドッチウィッチとは何年も一緒にいたし、自分でも使わせた魔法だ。その汎用性には何度も助けられてきた。だからこそ、造られたばかりの相手に遅れるわけがない。背中に背負っているメルンに散々指示を出しながら、対処は完璧にこなす。停止線は触れなければいい、持続時間は誰も触れなければ長くはない。動物注意は必ず横から突っ込んでくる、方向がわかれば綿で受け止めて対処出来る。速度制限は着弾地点のみならず周囲にも影響を及ぼしてくる、有効射程から離れ距離を詰めさせないのがいい。ひとつひとつ、メルンの知る通りに、躱す。
「随分と交通ルールに従いたくないらしいな」
「こんなとこ公道なわけないでしょ」
だが標識の魔法は対処出来ても、対処不可能なものもある。投擲された武器が急激に放物線を無視して曲がり、突撃してきた。咄嗟に展開した綿でも受け止めきれず、今、メルン・チックの肩には突き刺さったままだ。私をメルンに掴ませて止血だけでもしておけと言っておいたし、現にやってくれているものの、傷の深さ、そして抉りこむよう食いこんだ刃に痛みは絶えない。それにあの体捌き、それも達人の域だ。魔法は読めても、接近戦に持ち込まれればついていけない。
このくらいの死線なら潜り抜けてきただろ、なんて言い聞かせて、糸口を探した。今思えば、ずっと響いていた電撃の音がなくなっている。振り向いた。ディティック・ベルたちがヴィリースをどうにかしたらしい。援軍があるなら話は別だ。綿を展開し、構えられた標識に備え、正面を睨みつけた。
「……あ。あ、これ、っねえ!! 逃げっ……」
「は? なん、でよ──」
風が通り抜けた。いや。風じゃない。斬撃──衝撃波──か。急に、傷口の痛みが消えていた。それもそうだ。レイピアが突き刺さったままだったはずの腕は、そのレイピアごと切断され、メルン・チックの体から喪われていたから。
「ッ!?」
ドッチ・ガ・リッチ、ではない。彼女は標識を構えたまま、メルンではない向こうを見ている。そして、振り向くまでもなく、相手が何者かはわかっていた。メルンはまだ無事か。必死に綿を傷口に押し付けてくるあたり、無事なんだろう。空気の動きに集中して、わずかな感覚を頼りに、即座に振り向きながら避ける。するとそれはボロボロになった魔法少女で、死神の格好、確かネフィーリアと呼ばれていたか、彼女だった。魔法の綿を出して受け止めた。傷は酷いが致命傷は避けているらしい。
「逃げろ! フランチェスカだ!!」
目の前に広がった光景は、下半身を蛸に変え侵攻者を押し留めようとするクランテイルと、それをものともせずに歩みを進めてくるフランチェスカだった。女神が無造作に斧を振るい、するとクランテイルの蛸足が数本一気に切断され、そしてその余波だけでこちらまで吹き飛ばされかける。壁は軋んでいる。
「ひっ……!!」
「……まずいわね」
いくら恋娘がここにおらず、そしてチーム・ペチカの魔法少女たち3人がいるとしても、それだけでどうにかなる相手ではないのは間違いなかった。それに加えてドッチ・ガ・リッチまで。合流を待つくらいなら、彼女らを逃がしてしまった方がいい。
「クランテイル! ネフィーリアとコイツを背負って逃げなさい! なれるでしょ、乗れる生き物!」
「……貴方、は」
「おい、死ぬ気!? 帰るんじゃなかったの!?」
「あれを前にしてそんなこと言ってられる!?」
次の一撃も、壁ごと抉りとるような一撃だった。単純な斧の斬撃でしかないはずなのに、魔法少女を薄布のようにちぎってしまう。次元が違いすぎる。それでも止めるべく向かっていくクランテイル。今度は鱗の鎧を纏った生物になり、突撃をかましたが、やはり蹴散らされる。鱗ごと切り裂かれ、これでは防護も意味がない。叩きつけられたクランテイルは起き上がってこない。息はしていることだけが救いだ。
「っ、他の皆が来るまで、貴女、死なないでいられる?」
「できないって、死ぬだけでしょ!?」
「そうね……まあ、ラズリーヌなり、誰かが来てくれたら、私を捨てて、飛び移りでもしなさい」
メルンには悪いがそうするしかない。クランテイルもネフィーリアもまともに戦える状況じゃない。背を向けたら死ぬ。ドッチ・ガ・リッチにもフランチェスカにも、同時に対処してやるしか、生き残る道はない。
「あなたが落としたのは金の斧ですか? それとも銀の斧ですか?」
「女神ぶってんじゃないわよ!! ただの暴力のくせに!!」
返答はなく、代わりに斬撃が来る。真正面からではメルン・チックの身体能力が足りない。もう片腕くらいくれてやるつもりで、ぎりぎりにでも避けようと、走って、その目の前で、標識が視界を薙いだ。斬撃を遮りながら、自ら切り裂かれて役目を終える『一時停止』。ドッチ・ガ・リッチだった。
「は……!? 何なのよ、何よ!?」
「……あいつだけは……倒さないと」
「……あぁ、もう! わけわかんないけど!! あいつはあんたにとっても敵なの!? じゃあ協力しなさい!!」
同じヴィリースの配下……ではあるのだろう。ドッチウィッチが手助けしてくれた、と考えるのは希望を持ちすぎだ。いずれにせよ、彼女はフランチェスカに立ち向かってゆく。その凛々しい横顔は、ドッチウィッチのようで、そうじゃない。やはり、彼女ではない、もうひとりの誰かが、記憶を呼び起こしている。それでも使えるものは使う。それしかない。
彼女の振るう標識がフランチェスカに当たるよう、メルン・チックが動き、魔法の綿で襲いかかると見せかけ誘導する。とにかく綿を吐き出して、消耗しようが、無茶でもしなけりゃこれが最後になってしまうと振り絞った。まずは一発、通行止が当たり、足が止まる。周囲の綿を足に集め拘束を一瞬でも伸ばしにかかる。
メルン・チックの魔法の綿は特別製だ。魔法少女の膂力でもちぎれない。むしろ、力をかけるほどにちぎれにくくなる。ぬいぐるみの中になければフルスペックとは言い難いが、今この時は、少しの間だけでも足枷になればいい。
そしてその勢いのまま、ドッチ・ガ・リッチの標識の柄が槍のように尖り、突き刺さった。肩から皮膚を破った途端、標識の表記が十字路に代わり、瞬間、刺さった先が十字に枝分かれして広がる。それがもうひとつの魔法でデタラメに曲がり、より深く肉を抉り、フランチェスカの内側から飛び出した。普通の相手ならばこれだけで必殺の一撃だ。それでもフランチェスカ相手には決定打にはならない。一切の表情を変えないまま、突き刺さったままで、強引に標識を掴みこちらを振り回して、叩きつけ、そして追撃が来る。今度振るってくるのは斬撃でなく、赤熱した刃による、炎や爆発の類であった。咄嗟にメルンを置いて飛び込み、綿を盾に挟み込み、しかし可燃性なせいで殺しきれず、そのほとんどを己の身で受けてしまった。衝撃は激しい。衝突は綿で和らげられても、灼熱はぬいぐるみの天敵だ。焦げ臭い匂いに煙が漂う。その煙の中を駆け、ドッチ・ガ・リッチは新たに生成した標識を振るい、落石、強風、動物注意による手数で攻めにかかる。フランチェスカの笑顔は変わらない。ほぼ無造作に、合わせられる斧。そのまま赤く光り変化を始める斧を見て、再び来るかもしれない爆発に身構える。
いや。違う。あの爆発は、攻撃したのではなく、鬱陶しいメルン・チックの綿を振り払いたかっただけだ。だとしたらまさかと思った時には遅かった。
フランチェスカはその時、踏み込んでいた。そして繰り出したのは突きだった。斧が深紅の茨に変わっている。そしてドッチ・ガ・リッチのことを貫くと、内側から十字に破裂し、破壊した。吹き飛ばされるがままになった彼女を綿で受け止める。同じ攻撃を返された。フランチェスカには致命傷でなくとも、こちらには、致命傷だ。
「貴女の技量を見込んで頼みがある」
「なによ」
「その魔法で私を使ってくれ」
「っ……」
あまりにも身勝手だ。ドッチ・ガ・リッチの中では、とにかく合理的手段なのか。こっちの感情が追いつかない。だって、そんなこと、二度としたくないじゃないか。それでも歯を食いしばり、綿を出して縫い針を構える。血に染まるドッチ・ガ・リッチの傷口から、邪魔な体組織を引きずり出し、綿に置き換えなければならない。掴もうとして、仲間を皆失ったあの日のことを思い出して、吐き気が込み上げた。
この状況に、そんな暇はなかった。フランチェスカの追撃は来る。こんな呪われた作業ですら、逃げ回りながらやらなきゃいけない。
「……いやぁ……」
もはや堪えきれないで、声を漏らした。振り向いた先の斧の刃が、無機質な照明を反射して、また無感情に光っていた。
──その光に、かすかに違うものが混ざっている。
「あぁっ、こんなの、効くわけないのにっ、アンテナ壊れるだけなのに! 何してるんだ私っ、でも、でも、やらなきゃなんなんだよ!!」
メルンだった。脚を失い、精神も疲弊して、ひとりでは動くのも大変だろうに、残された脚の膝で腕を支え、指を差していた。その指先に、アンテナを介して結集した彼女の電波が、電磁砲になって溜まっている。抉れた地面のクレーターを使い、それと自分自身でパラボラアンテナを構成して、強引に集積を実現させていた。
フランチェスカが振り返る。メルンの毒電波の砲撃が、一閃、輝きを放って、フランチェスカを貫かんとし、そして──遮られた。盾とした斧を水に変化させ、急激に電波を減衰させて、無効化した。メルンは泡沫の希望を斬り捨てられて、目を丸くして、踏み込んでくるフランチェスカに対応できなかった。
「あっ、え、や、来るなッ──」
拒絶した彼女を、フランチェスカが抱きしめる。ふわりと包み込んだ女神の抱擁。その格好のまま、刃がメルンのことを貫いた。
「っ……あ、もう、やっぱり……さいあく……」
「メルン!!!」
「……叫ぶ暇、あるならっ、手、動かせよ……
振り向いて、名を呼んだのを最後に血を吐いて、彼女は打ち捨てられた。もはややるしかなかった。えずく自分を殺し、綿を詰めた。あとは縫って閉じればいい。それでぬいぐるみは完成する。加工の最中既に力尽き、絶命したはずのドッチ・ガ・リッチが、メルン・チックの力で立ち上がる。
「絶対に……許さない!!」
もはや自分がどうなろうが、こいつだけは。