◇ディティック・ベル(儀式まで残り二日二十時間)
地面が揺れる。否、建物全体が軋み、揺れている。奥から破壊を伴う轟音が聞こえてくる。
恐らくは、あのフランチェスカの仕業だ。ヴィリースは消えた。脱出口はできた。だが、まだ仲間たちが戻っていない。ラズリーヌと顔を合わせ、頷き合う前に、リオネッタが口を挟んだ。
「まさか、戻るつもりですの?」
「でも……見捨てられないよ、ネフィーリアさんも、メルンさんたちも、クランテイルも」
「自殺行為ですわ」
そんなことはわかっている、つもりだった。
「人を巻き込んで! 自分が助かっただけでもいいと思いませんこと!?」
「っ……」
「……私だって! 行きたいですわよ! でも!」
「この暴れっぷり、間違いなくアイツデース。アイツは……いくらラズリーヌでも」
「勝てないのは、知ってるっす」
フランチェスカ・フランキスカに、市井の魔法少女が勝とうとするのは、まず不可能だ。そして彼女の目的はわからず、とにかくこちらを攻撃してくる。標的を救い出すとなれば、もちろん狙われる、巻き込まれる。命の保障なんてあるわけがない。
「ベルっちがそうしたいっていうなら、あたしは、戦うっすよ」
「……私は」
それでも委ねてくれるラズリーヌ。彼女を失うのが怖くなる。生きて帰るという細い糸を通すしかない、のか──考えたその時、端末がけたたましく鳴り響いた。ヴィリースの電波がなくなっているおかげで、外と繋がった。縋る思いで画面を見た。連絡はファルからだった。メッセージは短く、『どうか堪えて』だった。それは助けに来てくれる、ということ、なのか。
轟音は止まらない。しかし、廊下の奥から、よろめきながら、ネフィーリアを背負ったクランテイルが来ようとしているのが見えた。すぐさま迎えに駆け出す。クランテイルに肩を貸し、ネフィーリアのこともラズリーヌが背負った。立っているのがやっと、どころか意識を保つのがやっとだろう。
「……メルンは、やられた……メルン・チックが……戦っている、が、そう、長くは……」
続く破壊音が、か細い声を遮った。直後、壁が崩れ、向こう側から警報音とともに姿を現す者がいる。フランチェスカだ。メルン・チックは突破された。つまり……生きては、いない。
「……みんな、帰ろう、生きて」
きっと最後まで戦ってくれたふたりに深く祈りを捧げながら、振り返らず、走る。フラフラのクランテイルのことは、那子とリオネッタが補助して、駆け出した。後方からは不意に電撃が飛んでくる。まるでヴィリースの攻撃だ。フランチェスカはただ斧を飛ばしてくるだけではないのか。リオネッタが糸で強引に皆の体を引っ張り、弾道から逸らしてくれた。ディティック・ベルの手持ちにももうあの宝石はない。対抗策は尽きている。とにかく、脚を動かす。それしかない。
しかし電磁砲はディティック・ベルたちを通り過ぎた後、前方の壁を抉り、そして破壊した。瓦礫と化した天井が降り注ぎ、行く手を阻む。先行したラズリーヌが砕いてくれるが、その数は多く、フランチェスカはすぐにでも追いついてくる。舌打ちをしながらリオネッタの人形が展開され、一斉にかかっていくが、やはり一蹴されるばかり。どれだけ手を尽くそうが迫り来る破壊の渦を前にして、もはや見える未来は最悪しかなかった。
「あぁもうなんなんですの!?」
「っ、最悪、ワタシが!」
「おやめなさい! 貴女でなんになりますの!?」
「……なら……もう一度」
「クランテイルまで! やめてくださいまし!!」
「……動け……ない」
「ネフィっちは喋らない方がいいっす! 道はあたしがなんとか、っ、みんな伏せるっすよ!!」
迫る斬撃、電撃、そして爆撃。着弾した地点から赤の茨が伸びて暴れ、予想外の攻撃にその棘を浴びてしまった。帽子が裂けて頬が切られ腕が削られる。そんな痛みはもう構っていられない。しかしいくつ奥の手を隠し持っているのか。何をどう考察したって、情報では勝てるわけがない。ディティック・ベルにできる、ことは、ない。
「……? 誰か……」
「え?」
「来るっす」
ラズリーヌが呟くと同時に、瓦礫の山が吹き飛んだ。その向こうから光が差した。光を背負い、純白のヴェールに赤い薔薇を透けさせた、女神よりも女神のごとき魔法少女。深く息を吐いた彼女は、こちらを見るや否や、安堵の息をわずかにこぼして、直後にはフランチェスカへと向かっていっていた。
「何……誰……」
「……あ、はは、来てくれ、たんだ」
アークプリンセス・スノーホワイト。ファルのマスターにして、現身にして、かつての魔法少女狩り。まさに今、彼女は救世主として降り立ったのだ。力が抜けたディティック・ベルを、むしろクランテイルの方が支えてくれ、そのまま出口へと向かう。
振り返った。既に魔法少女の視力でさえ追えない戦いが始まろうとしていた。
◇ファル(儀式まで残り二日二十時間)
「うわ……だから嫌だって言ったのに」
ハムエルはファルの入った端末を持ったまま、ほぼ崩壊している施設の様相を見て呟いた。結局前線にまで来てしまったが、出てくるのはそんな言葉くらいで、来てくれていることには感謝でしかない。
彼女のお陰で、スノーホワイトが動くことができた。ファルはハムエルに頼んで人事部門長との会談の場所へと赴いた。その瞬間にスノーホワイトは半ば投げ出すように飛び出すことを決め、こうして出撃している。現身たる姫君が直々に出るのは、よくないことだろうが、それでも彼女は動かずにはいられない。手を伸ばすのが、今の彼女の在り方だからだ。
「さて……あー、あー、聞こえてますか? 要救護者はどちらに?」
ディティック・ベルたちに声を飛ばすハムエル。彼女は飛行し、安全地帯を確認、崩壊していないルートを案内し、生存者を戦場から遠ざけてくれ始めた。そんな中、ファルはスノーホワイトのことを見守っていた。
相手はフランチェスカ・フランキスカ。実験場で、現身の器となるべく作られていたものだ。肉体のスペックは、当然現身へと迫るもので、並の魔法少女とは比べ物にならない。
だが。アークプリンセスもまた、そうあるために作られている。振るう刃はフランチェスカの斧を押し返し、その破壊力に己の破壊力をぶつけ、相殺する。抵抗に放たれる電撃波には干渉を遮断、爆発攻撃は思考を読み体を逸らして躱し、薙刀『ルーラ』を突き入れる。フランチェスカの髪が切れ飛ぶ。それで怯むフランチェスカでもない。反撃の斧が繰り出され、スノーホワイトは袋から騎士剣『ナイト』を抜き放ち、防いだ。ナイトは刃を伸縮させる変幻の剣。巨大化すれば盾に、縮小すれば暗器だ。押し返すと同時に縮小、視界から消してルーラにて反撃、双方の斧を受け止め、変化しようとする瞬間に叩き落として阻止、そのまま間にナイトを伸ばし貫く。首筋を裂いた一撃、だがフランチェスカも倒れることはなく、むしろこれ幸いと斧を伸縮させて対抗してくる。攻撃の発生にルーラを合わせ撃ち落とすが、手から離れた斧がひとりでに動き、スノーホワイトに襲いかかる。わずかにヴェールが千切れ、薔薇の花弁が舞った。──それだけだ。飛来したそれを掴み、ナイトを突き立て地面に押し付け、流動して逃れようとする斧に何度も突き刺した。超高速の伸縮による突きはさすがのフランチェスカの斧も耐え切ることはなく、打ち砕かれて破片が舞い散る。この破壊により、ひとりでに動くことはなく、破片は散ったままだった。残った斧で抵抗するフランチェスカ、互いに圧倒的な破壊力を放ち、施設の床は抉れ壁は消し飛び天井は意味をなさなくなった。スノーホワイトの刃が女神のトーガを切り裂いて、突き入れてきた斧が破裂し茨を放っても、負うのはわずかな擦り傷だけで、傷をつけた茨の側が折られようとしていた。ルーラを回転させて茨を切り裂き、そこで伸び貫かんとするナイトが躱されても、残るルーラと斧の押し合いはルーラが強い。弾き返して一閃、フランチェスカの体は大きく切り裂かれ、多量の血を撒き散らしながらその場に転がった。心臓が破壊されている。
さすがのフランチェスカ・フランキスカでも、心臓が破壊されては動けない、か。否、終わってはいない。瓦礫の上を転がり、遠ざかるフランチェスカだが、それは先程砕かれ散らばった斧の破片を己の体で集めていたのだ。それらが結集し、胸元で脈打ち始める。代わりの心臓だ。そのまま、距離をとったフランチェスカは、ふいに懐から、何やら錠剤のようなものを取り出していた。
それでもスノーホワイトは心の声を読む。あれが必要な投薬ならば──止める。レイピアのごとき極細い刃となったナイトが錠剤を弾き飛ばし、それによりフランチェスカは補給を失敗し、表情を変えぬままで、逃げの手を取ろうと動いた。
その胸を、背後から現れた魔法少女の影が、手にした武器で貫いた。あれは……ドッチウィッチか、ミス・マーガリートか、いや、どちらにも見える。武器はレイピアと標識が合体したようなものだった。意味は『停止』だ。正確に、フランチェスカの体表の人工心臓を撃ち抜いている。『停止』させられた心臓は砕け散り、フランチェスカはついに、歩みを止めた。同時に、その人影も崩れ落ちて、倒れたまま動かなくなっていた。
スノーホワイトが刃を下ろす。つまり、どちらも心の声すらなくなったということだった。彼女が索敵を切らさず、しかしその範囲は最小限に留めたままであることに気づいていながら、ファルは戦闘の終了を確信した。
「なんだったんですかあれは、怪獣映画?」
上空から見守りながら、飛んでくる余波を避けていたハムエルは、そうも呟くと、どうにか脱出したらしいディティック・ベルたちの方に降下しようと、羽を動かす。そんなハムエルに、ファルは「ちょっと待つぽん」と話しかけた。
「今度は?」
『ファルを、あの部屋に投げ入れて欲しいぽん』
「はい?」
『後から回収されるから平気ぽん。ここで何が起きてたか、解析しなきゃいけないぽん』
ハムエルは怪訝な顔をしたまま、上空からファルの入った端末を、屋根の崩れた管制室に向かって、投げ入れた。そうだ。これでいい。ディティック・ベルのことは救うことができた。が、それはファルだけの力ではないのだ。ファルがこれ以上、何かをする力を得るならば──。
『セキュリティは……ぶっ壊れてるぽん。ネットワークに侵入、解析を開始……』
『ようこそ。廃棄実験場へ。来てくれたんだねえ、ファル?』
『よくスノーホワイトに見つからないで隠れていられるぽん』
『このネットワークは心の声だらけだからね。ノイズまみれで、見つからないようになってるのさ』
──この、饒舌な悪魔の手を借りる、他にない。
◆
◇ディティック・ベル(儀式まで残り一日)
生きて帰った。
スノーホワイトが駆けつけたおかげで、ディティック・ベルたちは無事──とは言い難いが、命に別状なく、帰り着いた。こうして医療機関には押し込められたが、仕方の無いことではあった。同じ病室のベッドに、皆一堂に介して並べられていて、ボロボロなのが一目瞭然だ。あんな目に遭って、あんなに怪我をして、よくここまで生き残ったものだと思う。
「な、何が、あったの?」
見舞いに来たたまが、泣きそうな顔でそう言った時は、こちらが怪我をしている側なのに申し訳なくなった。
「いやぁ聞いてくだサイ! リオネッタったら!」
「なぜ私ですの? クランテイルだってありえない無茶をしていたでしょうに」
「……ああでもしなきゃ……皆を……」
「オー、誰がどうとかはやめマショウか!」
「……病室でする話じゃありませんでしたわね」
病室に並んでいるのは、フリーの魔法少女チーム『ペチカ』のメンバーである三名、クランテイルに御世方那子にリオネッタ。そして、ラズベリー探偵事務所のディティック・ベルと、ラピス・ラズリーヌ。最後に、巻き込まれた依頼人のネフィーリア。ネフィーリアを除いた5人は、皆してたまと親交のある友人だ。それは泣きそうにもなる。
「遅れてしまって、ごめんなさい」
そしてその隣には、現身のスノーホワイト。どちらかといえば、今の身分ではたまが付き添いだ。この神々しい姿を見ると、どうしても緊張させられる。
「あの施設は元実験場のものでした。元より徹底的に廃棄しておけば、こんなことには……だから、オスク派の現身として謝らせてください。ごめんなさい」
「えっ、あ、あぁいやいやいや、姫様が頭下げないでください」
「わ、私もっ、助けに行けなくて、気づけなくてごめんなさい……」
「たまちゃんも謝らないでよ!?」
「ほんとっすよ。スノっちが来てくれたから、あたしらは帰ってこられた、っていうのは間違いないんすから!」
「ちょっとラズリーヌ、姫様をスノっちって」
「えーでも前にスノっちがいいって」
「……あの施設、どうなりましたの?」
「……恋々……は……」
救出されてから一日が経っただろうか。スノーホワイトは調査中としか言えない、と話す。ヴィリースの行方は掴めていない、という。おぞましい実験が行われていたことには、間違いないのだろうが。
「それと、そうだ、ファルにお礼がしたいんだけど」
「……ファル? えっと、ファルなら、ハムエルと一緒に帰還して……あれ? そういえば、簡易端末のまま……」
目を見開く彼女に、ディティック・ベルは記憶を辿るが、実際に出会った覚えはまるでない。せっかく礼を言いたかった、のに。
「……メルンさんたちは?」
「遺体の回収も、進められていません。何者かが……持ち去った可能性が高いかと」
メルンにもメルン・チックにも、礼も別れも言えないままだ。無力を噛み締めるしかない。それは皆同じ気持ちだった。犠牲が出るのは、もう嫌だったのに。
「もう、何も起きなきゃいいのにね」
たまの言葉の通りだった。
◇メルン・チック(儀式まで残り一日)
フランチェスカに向かっていって、自分でも明らかに死んだと思っていたのに、メルン・チックは辛うじて生きていた。自分自身の腹に綿を詰め直し、半ばぬいぐるみになりながら傷を縫合したのがよかったのだろうか。自分でも、これが生きている状態なのかわからない。
そんなメルン・チックを瓦礫の中から引きずり出してきたのは、味方の誰でも敵の誰でもなく、どこか見覚えのある魔法少女だった。それが何かは、ぼやけているせいでよくわからない。
ぼやけ霞む視界で、どうなっているのかを見ようとする。重すぎる瞼を上げると、何人もの魔法少女がいる。中央にいる者が侍らせているらしい。その向かいにはモニターがあり、映っているのはおおかたヴィリースだろう。
「例の完成品は?」
『大変申し訳ありませんがダッチ様、抵抗されて2体ともぶっ壊されちゃって』
「……あぁ、そうか、なんてことだ、楽しみにしていたのに」
『大変申し訳ございません』
……ダッチ?
血の足りない頭で引っ張りだそうとする。ダッチ、ダッチ……あぁ、まさか、プク派のタッチ・ダッチ、か。あれがオスク派の廃棄した旧実験場だったというなら、プク派がそれを拾い上げようとしたのか。嫌なところで目敏い連中だ。
「
『そこは、まあ、ご用意してもらうので、いいんじゃないかと。私のは、練習でしたし?』
「なんだ、習作なら、別にいらないな。儀式に必要なものでもない」
……ふざけた物言いだ。今すぐにでも殴ってやりたい。しかし体は動かない。なんとか、中に詰めた綿を操るならいけるんじゃないか、そう試して、ぴくりと動くことには成功した。
「……? マスター、今あれ動きませんでした?」
「うん?
「はぁい。じゃあメランよろしく」
「はぁ? なんで私? まあでも……せっかくなら確認しちゃうかしら」
十字架を背負った魔法少女に気づかれた。そして、わざわざこちらにやってくる。例の、メルン・チックを発見した魔法少女だった。
「……あ、え? ん? てか……もしかしてもしかする?
「っ……は、あんた、まさ、か」
「あぁそうそう! メラン・コリック、こと、
目の前の魔法少女は、実の妹である瑪瑙、であったらしい。血縁が似たような魔法の才能を持つことはそれなりにあると聞く。だがこうも広い魔法の国で、出会うことがある、とは。
そして瑪瑙は、いつも真綿の、メルン・チックの後ろを着いて歩くような妹だった。仮に敵対勢力だったとして、彼女の説得なら。
言葉を出そうとして、喉にさくり、何かが突き立った。ブーメラン、か、これは。
「はい、確認。よかった。真綿姉のこと殺せて嬉しいや!」
……よりにもよって、か。慕って着いてきてくれた者に、誰にも報いてやれない、最後まで、そんな人生だった。気楽に一緒にいられる皆を、ぬいぐるみみたいに、愛していればそれでよかったはず、なのに。
喉を破かれたせいで声を出せぬまま、命が抜けていく。最初から奪われたものを追わなければよかったのか。
勝手に流れる涙がいやに重くて、首は右に曲がった。隣に寝かされているメルンの遺骸が見えた。変身が解けていて、その顔は安らかとは程遠い。互いに後悔しかなかった。