「飽食の世代は掟の曖昧な文言を歪め、拡大解釈し、郷内の統制と、自分達の権力強化を図ったそうです。郷を抜けた者の極刑などが、その一環ですな。掟では、郷を許可無く抜ける事、許さず。この一文だけですので。彼等は統治の為に意図的に、人口抑制に都合の良い解釈をしたのでしょう」
それを、郷の母親達は許したのでしょうか。と、アンナは更に問い返す。
「赦しはしますまい。ですが、そもそも知らなければ、許すも、許さぬもないことなのです」
狡猾である。と、言ったでしょう。と、ダイダロは語る。それに、驕り高ぶった郷の長老達が最も恐れたのが、郷の女性達だったのだとも。
「長老達は、女性が政治に目を向ける事を恐れました。当然です。郷抜けの黙認だけならばともかくとして、捕らえた者への極刑や、神隠しを装った捨子など、知られようものなら、ただでは済みません」
郷の母親達の意向が、巨人族の政治に強い影響を与える事に間違いはない。何せ男衆は、母のみならず、姉や妹から娘。そして血縁にない女性に至るまで、まったくと言って良い程に、頭が上がらないのだ。彼女達の目が郷の情勢へ向かえば、長老達の計画が御破算となる事は目に見えている。その身だって、ただでは済まない。
その理由として、純粋な戦闘力ですら、男は女に敵わない為だ。身体的なリーチこそ勝るものの、膂力は変わらず、体重差もなく、俊敏性に劣る。加えて、個人差こそあるものの、術式の扱いは女性の方が概ね上手で、学習能力までもが高い。おまけに、彼女達には竈女神の加護まであった。闘争本能こそ男性優位であるものの、習俗的な背景から、精神的にも女性の優位性を覆すには至らない。
「とはいえ。そんな欺瞞がいつまでも続くハズもありませんな。郷の女性達は、物言わぬ骸となって家へ帰って来た息子を見るし、大人達と連れたって山へ行った子供が帰らぬという悲劇にも見舞われる。これに不審を持つなというのは、土台無理な話です。しかし、彼女達は容易に動く事が出来ない。何故だか、判りますか?」
「子供が、いるからでしょうか。お腹の中にも、まだ手の離せない幼子も。それも沢山」
「ええ。加えて、無事帰って来て、そして約束通りに増えていく夫達もです」
大変お恥ずかしい話なのですが。と前置いて、私の祖父の世代くらいまでは、大体の男は山を開き、戦う事にしか脳がなく、生活能力は皆無であったと語った。加えて、巨人族の男の成年は二十歳とされているのだが、これは知能と心の発達の問題で、そこらで区切りでもしなければ成人と看做されない以上、仕方のない事なのだと歯切れ悪く言う。
「ダイダロ様はお料理もお上手ですし、見識も高く博識で、御立派で素敵なお方だと、私は尊敬していますよ?」
こてりと首を傾げ、瞳をキラキラと輝かせながら、アンナは率直に言った。思わず身悶えたダイダロの巨体に、店内は地震の様に揺れるのだった。
「失礼しました。身内の恥は、我が身の恥と同様なのです。お察しください」
「ええ。こちらも失礼いたしました。話の腰を折ってしまって、ごめんなさいね」
トトが馬鹿なお話をした時に感じる羞恥心と、似たものなのだろうと、軽く流したアンナであった。ダイダロは、私には、幼女性愛の趣味はないぞと、心中で唸った。
「成程。理解しました。大所帯を纏め上げながらでは、とても難しいでしょうね」
「左様でございます。ですので、母親達は娘である乙女達に、その調査を託す事にしました。ああ。待たれよ。アンナお嬢様。ご質問がしたそうな眼をされておりますよ。一つずつ説明致しますので、暫くお聞きください」
女性の出生率が低い事はご存知でしょうが、その割合は、大凡二割といった所であると、ダイダロが言う。これは各家庭でのバラツキもあるし、数字として郷全体での統計を取った値であるが、何せ毎年のように郷の女性は子を産むのだ。合わせれば、それなりの人数になる。
「我々巨人族の女性は、アンナ様より少し歳上、そうですね。概ね十二歳頃くらいから身体の成熟期を迎えるのですが……」
何故だかダイダロは、この辺りの話で言い淀む事が増えた。必要だから説明すると言ったのは彼自身なのだからと、アンナは辛抱強く話を促し、聞いてゆく。
「どうもこの頃、年頃というものですかな。そんな歳まで育つと、家族との折り合いが悪くなりましてな……。ああ。いや、母親や兄弟との間はそんなに関係性が変わりはしないのですが、母親の夫、父親と呼んで良いのか判りませんが、そういった者達との間に壁といいますか、なんと言いますか、その、気持ちというか、関係性が……」
ああ。成程。と、アンナは合点する。家族の問題はデリケートだ。それは巨人族といえども変わりはないのだろう。
「私のお父さん。トトと言いますが、彼と私との間にも、血縁関係はありません。私の場合、幼い頃から父親として接していたので、そうこだわりはありませんが、次々と新しいお父さんが出来てしまっては、困りますよね。……私ももう少し大人になったら、トトとの接し方に、困るのでしょうかね?」
最後の方は己に問い掛けるようにして呟くアンナへ、ダイダロは、そういう問題ではないのだが、これは本題ではないなと切り替えた。
「聡明なお嬢様なら、大丈夫でしょう。まぁ。そうですな。一人ずつならともかく、増えていくのは対処し難く、乙女達の居心地は悪かったでしょう。母親としても、増えてゆく夫達の手綱を握るのは大変で、可愛い娘をあまりおかしな環境に置いてはおけないと思った事も、一因ではあるでしょう」
おかしな環境という認識はあったのですね。と言うアンナへ、生きて帰らないと思っていた者が帰って来て、約束に従ってやってくる新たな夫を拒む事もないというのは、充分におかしな環境と認識していたでしょうね、と、ダイダロが答える。これで納得しているようなので、さっさと話を進めるに限る。
「と、まぁ。そんな事情もありまして、母親達は娘である年頃の乙女達に、成人までの間、郷を抜けて世界を見て回らないかと誘ったのですよ。定期的に連絡を取り合う事を約束として。私はこの提案に、情報収集という大義名分こそありますが、成人となれば自分達と同じ様に、母として、妻として生きるであろう娘達に、束の間でも自由な旅を楽しませようという、いじ^ましい親心あったのではないか。そう思っているのですが、少々、浪漫主義が過ぎますかな?」
「いいえ。とても素敵です。私も、そうあれかしと祈らずにはいられませんよ」
ただ……。と呟いたアンナへ、どうぞご質問をと促したダイダロには、やはり知らないようだと確信し、後に続く言葉を予想出来ていた。そして案の定、アンナの質問は、それは、掟に背く行為ではないのかというものだった。
「大体、これもあまり知られていない事ですが、我々の掟には、女性に適用されるものは、大してありません。ましてや未成年の女性ならば尚更です。巨人族の掟は、その殆どのものが、男の為にあるのです」
一年間のほぼ全てを妊婦として、また母として過ごす巨人族の女性には、郷の外で悪事を働かないよう縛る為の掟など、必要ない。また、未成年者に掟が適用されないのは、ビタロサの姓を得る前の子供と、似た扱いなのだろう。つまりは、自ら自身の立ち位置を示して、初めて一人前と認められるというのが、多くの人類種の習慣だった。
「郷の掟は碑文にも刻まれております。曖昧な文言こそあれ、明らかなものですので、誦じることも出来ます。いくつか、お聴かせしますかな?」
「それには及びません。ですが、それですと、やはり……」
うーん。と考え込んだアンナだが、掟のいくつかは知っているものだ。興味がない訳ではないが、今ここで聞かなくてはならない物ではないだろう。随分と脇道に逸れてしまったが、会話の主題は、巨人族への偏見についてであった筈だ。その過程で、トールがロストールへと変わった経緯を話していたのだが……。
「そういえば、トール王国の敷いた階級制への不満が、ロストール革命を引き起こすに至ったとまでは、お話しされていましたよね?」
「ええ。そこから少々脇道に逸れましたが、今迄のお話しで、あの革命の真の黒幕に、心当たりが出来ませんでしたか?」
革命の黒幕ときましたか。と、アンナは考えた。確証こそないものの、飽食の世代と呼ばれた郷の長老達と、トール王は繋がっていた可能性がある。もしかしたら、最初からなのかもしれない。勘ぐりなのかもしれないが、偶然と呼ぶには、あまりにも彼等の利害が一致し過ぎているように思えた。
これを前提に考えれば、それらと対立する者、第一としては、元々平原に住まう人類種だ。実質的な奴隷とされ、叛意を持たないでいるのは難しい。ロストール太祖は人間族であるが、その妃はトール王の娘。故に、巨人族である。
ここまでくれば、推測は立つ。アンナは答えを返す前に、温かなお茶で喉を潤した。