「ロストールでは公然の秘密でありますが、女王エリスは、巨人族の乙女です」
婚約発表の翌日、エリス姫は婚約者となったルデネ王太子と共に輿入れの為、ルデネへと向かった。二人はビタロサ王国ロウムの学府で、同窓であったという。婚約は、持て余した農産物を他国に売りたい兄王と、通商国家として更なる力を求めたルデネ王との政略の結果だが、二人は学府生時代より、密かに想いを寄せ合っていたらしい。妹に甘い兄王だ。その恋を遂げさせたいという想いもあったのかもしれない。そして王太子は、人間族であった。
輿入れの旅の途中では、ロストールとルデネとを結ぶ予定である線路の、視察が計画されていた。
はっきりと言えば、建設中の線路など、見た所で若者達には面白いはずもない。だが、若く美しい二人を工事従事者に見せる事によって、士気昂揚を計ろうというのが狙いだった。
ルデネはロストールとは東側で隣接する。南にベルグ公国、北、西側をノルド海に囲まれており、国土は狭いが海運が発達している。通商国家として、裕福な国だった。
ロストール西部ルデネ方面は平原であるが、それ程地味のよくない荒地であった。敵は殆どいないが、痩せた土地から生産に向かぬと、トール王が派兵に消極的であった地方でもある。この為、巨人族による影響力が小さく、出現率も低い。二代目ロストール国王の野心は、ルデネと繋がるこの土地に線路を引き、高速で往来可能な安定稼働する貨物車両、即ち列車を通す事だった。ルデネとの通商と物流網の構築は、二代目にとって、喫緊の課題であった。
「あんな昔に、その発想に至るとは、二代目は、かなりの遣り手ですよね」
「左様。ロストールの生産力は、かつてのトールによるもので、巨人族の為に発展したものです。その数が大きく減れば、過剰となります。需給のバランスが崩れれば、値段もまた、崩れます。そうなれば経済的に不安定となり、政情もまた荒れる。そうなる前に巨大な公共事業からの大量消費。これによって需要を確保する手際など、素晴らしいものです」
「それに、王族の旅行による観光の奨励って、この時期には既に一般的な手法だったのですか?」
「あまり一般的ではありますまいな」
「とんでもない名君ですよね。これが、平和な時期なら……」
「左様。ですが、だからこそですか。悲劇が生まれ、女王エリスの誕生、そして即位へと繋がるのです」
革命の血臭は過去の事となり、不穏分子が闇に潜んだこの時期、ロストールの兵達は、巨人達を恐れずにいた。革命の中で発展していった銃と大砲の存在によるものだ。火薬の力で弾を撃ち出すこれらの武装は、実に革新的な武器だった。術式に頼らずに高い殺傷力を有する武器は、ロストールの民にとって、福音でさえあった。
ロストール国民の人口は多いが、識字率は低く、教育水準も高くない。これには、トール王により三十年以上もの間、殆どの人類種が奴隷として食料生産と土木工事に駆り出されたという背景があった。労働力に知性は不要で、指示に従って身体を働かせれば良いというのが、巨人族の男達の方針だ。彼等が役立たずの劣等種と呼んだ兄弟と同様の扱いを、他人類種へ積極的に行った。
異能者や怪物という例外はあるものの、術式は基本的に知性によって行使される。無学な者には難しく、殺傷力を求めれば、その難易度もまた増した。
そこに現れたのが、銃火器だ。術具のように特異な能力がなくとも、一定の工程を経れば製造でき、術式のように知識や理論を知らずとも、一定の動作を行えば、殺傷力のある攻撃が行える。
特に、野生化した巨人には有効だった。彼等は肉体的に成長し続けるので、的としては大きく、弾丸が当てやすい。知性も乏しいので多くは術式の行使も行わず、弾丸を防ぐのは己の肉体強度でのみだった。銃火器の威力を高め数を揃えれば、容易に屠れた。
兵達が相手をしていた巨人は、主に野良か雑兵だが、彼等自身は、戦士階級だろうが、打倒する自信があった。革命期には遥かに強大な巨人族の戦士達を銃や大砲は、屠ってきたのだからと。
既に巨人族の騎士が行軍に参加する事はなくなっており、多くの勇士や戦士といった有能な術士もまた、去っていた。これには、軍との軋轢が生じていたという話がある。術士には探究者や求道者といった側面があり、学問を軽視する軍の風潮に嫌気がさしたとの説があるが、真偽は定かではない。
彼等に代わり軍の花形となったのが、銃や大砲で武装した兵士達だ。国土は広く、資源や食糧が豊富で、人口が多い。野心に燃える若者が、兵を志すのは必然だった。術式が使えなくとも、戦闘者、即ち英雄になれる可能性がある。面倒な学問なぞしなくても、訓練に耐えられれば飯は食える。そんな理由で兵となる若者が、後をたたなかった。国は、彼等の全てを受け入れて、大兵団を組織した。
「二代目がイマイチ不人気なのは、こういった所でしょうな。この危機感のなさ。太祖が必死に繋ぎ止めていた勇士や戦士が去ったのも、頷けます。闇に潜った反乱分子が狡猾なこともありますが、国内の敵を、害獣程度にしか認識しておりませんでした」
実際に、前王朝の残党は目立った動きは見せていないし、現存兵力で野良巨人の駆除は事足りた。彼は治世が既に安定したものと思っていた節がある。だからこそ安易に、輿入れ旅行など許したのであろう。二代目はこの計画を、後の生涯を通して悔やむ事になる。ロストール国民はこの時初めて、深淵に沈む王に仕えし蝗【アバドンの蝗】による襲撃に、遭遇したのだから。
「推定、兵士百四十六名。侍従三十名。工事、及び周辺事業従事者六十四名。来賓一名。これが、【アバドンの蝗】初遭遇時の死者数、二百四十一名の内約です。生存者数は三十一名。不意打ちだった事もあり、被害がここまで広がりましたが、最初の蝗は、駆けつけた巨人族の騎士と、国軍の集中砲火により、討ち滅ぼされました」
その時はまだ、【アバドンの蝗】とは名付けられていなかった巨人の変異種だが、以後各地に現れることとなる。
「この時、ここまでの被害が出たのは、上空からの襲撃が想定外であった事があげられます」
飛行する巨人など想定外も良いところである。通常、野の巨人は騒々しく雄叫びをあげながら駆ける。地を揺らし、大きな足音を鳴らしながら。だが、蝗は声をあげる事がない。後の解剖で知る事になるのだが、声帯が退化しており、機能として声をあげる事が出来ない。加えて、飛行している事から足音など立つはずもない。先入観が併されば、立派な奇襲であった。
「そして、蝗には、奇襲や暗殺に適した術式が、備わっておりました。どれも、天然のものです」
「その仰りかたですと、異能者や、怪物とのものと同じですね。一体、どのような術式なのです?」
声がないのだから、当然ながら、無詠唱術式だ。それだけでも奇襲や暗殺といった隠密性が重視される行動には有効そうである。だが、それだけならば、特筆して適したとは言わないだろう。
「飛行の為の術式を除きますと、
上空から、姿も音も匂いも、気配すらもなく麻痺と棘とをばら撒いて、急降下からの襲撃を行うのが、彼等の基本戦術であるとダイダロは語った。聴くアンナとしても、なんとも厄介な。と、考えずにはいられない。有効な対応策として考え付く作戦など、広域探知からの先制攻撃くらいであるが、それを可能とするには、高射程、高精度、高威力の長距離攻撃能力が必要であろう。が、そんな者など限られている。術師が乏しいとされる当時のロストールでは、それを用意するだけでも、容易ではない。
だからこそ、女王エリスの治世において、更に銃火器や大砲が発展したのだ。
アンナは難しい顔をして考え込む。そのような脅威に晒された時、自分は、自分達はどう立ち向かうべきなのかと。
「お嬢様は蝗達の戦力を少々過大評価されているようなので言っておきますが、麻痺や棘は、それ程強力な術式ではありません。また、強化や硬化の術式を用いますが、総合的な耐久力は、一般的な巨人族の男にすら及びません。当時の兵達も、備えさえあれば、充分対応可能なものでした」
麻痺は多少術式の心得があれば、
加えて、蝗達は当時の銃火器の火力でも、皮膚と筋肉を貫き、致命傷を負わせる事が可能であったとされている。これは、肉体の脆弱性を指し示す。
現在の銃火器でも、鍛えられた巨人族の筋肉を貫通し、臓器に傷をつける威力には至っていない。
「それでも、充分過ぎる脅威ですよ……」
「ええ。まぁ、それはそうですな。しかし蝗の真の脅威は、急降下襲撃にありました」
「急降下襲撃?」
読んで字の如くでありますな。と、ダイダロは言う。文字通りに、高高度から地表に向かって急降下し、強靭な手足を突き刺し脳震盪を起こさせた後、発達した顎と牙にて獲物を喰らうか、強靭な手足で捕まえて攫うという戦闘方法だと、ダイダロは語った。
「ちょっと待ってください。そんな事が可能なのですか?」
ダイダロの話からすれば、蝗達の肉体強度はそこまで高くないはずだ。それがその様な横暴な攻撃方法を持つなど、アンナには信じ難いことであった。
「ふむ? ああ。お嬢様は、【アバドンの蝗】の絵図などは、ご覧になった事はございますでしょうか?」
「いえ。ありません。【アバドンの蝗】の名と、巨人族の変異種という話は、エリス女王のお話を読んで知っていましたが、それ程の脅威だとは認識しておりませんでした。不勉強で、ごめんなさい」
シュンと気落ちするアンナへ、いえいえ、世に流通する書籍から得られる知識は、そんなものでありますよと、ダイダロは執りなした。女王エリスの物語には、その敵の情報は、詳しく載せられていない。
彼女の伝記は、冷たい鉄と血による、急速過ぎる工業技術の発展と、狂気的なまでの軍事技術の発展の物語なのだから。だが、そんな慰めでは、アンナの気は晴れない。考えるまでもない事だ。必要とされる技術には、必ずその対象が存在する。ただの苦手意識によって、研究や思考の方向性を閉ざした事は、彼女にとっては、恥ずべき態度であった。
「気付けたのならば、それを、これからは活かす事ですな。ならば、少々失礼して……」
これ以上取り合っても仕方がない。そう結論したダイダロの行動は早かった。慰めに言葉を並べるよりも、こういった子供には、興味を引く話題を提供すれば自然と立ち直るということを、彼は知っていた。奇しくもアンナの言う通り、これはミリアムのお陰であった。
「ついでではありますが。お茶のお替わりなど、如何ですかな?」
頷き、おずおずとティーカップを差し出したアンナへ、ダイダロは二杯目となるダージリンティを注ぐ。眼鏡を掛け直し、箸を器用に操って。
ほう。と、息を呑み、ダージリンティの香りを愉しむアンナの頭上では、ダイダロが絵を描き始めている。二本の箸で、筆を上手に扱いながら。筆は人間族の体躯に合わせた大きさだ。料理もこうやって作っているのでは。と、思ったアンナは、密かに戦慄した。
——ちょっと、器用過ぎはしないかと。
「多少雑でありますが、【アバドンの蝗】の姿は、最初期は、こういったものであったと伝えられております」
え? 早過ぎない? と、思う間も無く、見せられた紙に描かれていたものは、紛うことなく異形であった。
頭には冠を被り、長い髪。理性を失った巨人の貌に、獅子にも似た鋭い牙が生えている。細長く伸びた胴には胸当てがされており、浮き上がった肋骨とは裏腹に、背中は瘤のように盛り上がっていた。瘤からは、羽のようなものまで生えている。尾骶骨は発達し、まるで尾の様な長さまで育っていた。折り畳まれた手足は歪であるものの、痩せ細った胴体とは比べられぬ程、頑健で強靭なものに見えた。
「これが、【アバドンの蝗】……」
驚くべき事に、確かに人と同じ部品で構成されているはずの異形は、昆虫である蝗と、よく似ていた。それがアンナには、とても痛ましいものに感じられた。
「そう呼ばれた、異形。ですが、同時に彼等は哀れな巨人族の子供達の。その、成れの果てでもあるのです。尤も、後期の蝗達を描いたものでは、姿形に変化はないものの、冠と胸当てをしておりません」
淡々とダイダロが、この異形は人であると語る。冠と胸当ては、巨人族の男の子が、外出の際、母親により着けられるものだと言う。これらにはそれぞれ、氏族と、与えられた名が、無事家へ帰って来ることを望むと言う言葉と共に刻まれており、所持者本人が、自ら家への未練を捨てない限り、その身を離れることがない。また、放棄した場合、もしくは所持者が死亡した場合には、母親の元へ即座に転移するという術式が籠められていた。それは祝福であり、呪いでもあった。
「素材は大氷山から採掘される、アダマント鉱石です。男達は番の儀式、つまりは婚礼を行う際に、花嫁へ、この鉱石を贈るというのが、郷での慣例でありました」
ああ。と、アンナは喘ぐ。ダイダロの言葉は耳に入ってはいるが、いまいち頭には残らない。それ以上に、哀れみが募った。
「これがあるから、母親達は捨てられた子供達を、諦める事が出来なかったのですね」
神隠しに遭ったという子供達。もしも死亡や、家を捨てたのであれば、形見としてこれらの品だけは還ってくる。束の間の記録と共に。それは悲劇でこそあるが、心に区切りをつける為の、一つの儀式ともなった。だからこそ、母親達は判ってしまうのだ。還ってこない以上、息子達は生きており、家へ戻る事を望んでいるのだと。それはまさしく、呪いであった。
「そして滅ぼされた彼等の形見が、母親達の元へ戻ったのですね。例え王国と袂を分かったとしても、聡明な巨人族の女性達が、国内の情報収集を怠るとは思えません。繋ぎ合わせて考えれば、息子達の残酷な行く末は判ります。それに恐らくですが、それ以前より昔から、母親達は、この様に変わり果てた息子達の姿を、怪物と化して、もう戻る事のない我が子を、伝えられていたのではありませんか?」
アンナの知識にはないが、推測は出来る。捨て子達の中には、とても人の姿を保っていられなかった者達だっていたのだろうと。だがそれでも、討たれれば判るのだ。判ってしまうのだ。そして騎士達の仕事には、巨人族の不始末の、後片付けがあった。それは謝罪と賠償の行脚である。これにより巨人族は、より多くの、そして大きな憎しみを買ったが、それは巨人族が他人類種に唯一示せる、誠意の形であった。