揺籠の島で揺蕩う少女達。   作:カズあっと

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 ここまで投稿する予定でしたが、力付きてました。


16話 いざ、冒険者組合へ。

 

 お顔だけは澄まし、心中では悶えるアンナであった。そこに女神が現れた。

「たっだいまー。マジ暑っちぃって、マジで。これ、なんかの罰ゲーむぅ? ……って、どったの? 二人して」

「おお。お帰り。ミリアム」

「お帰りなさい。ミリアム様。ご首尾は?」

「もち、余裕っしょ。って、アンナちゃん。やっぱりまだ待っててくれてた! やーん。可愛い〜。健気〜。どうする? お姉ちゃんのおっぱい吸う? まだお乳は出ないけど……」

「大丈夫です。ミリアムお姉様。これでも私、とうに乳離れは済ませております。おっぱいは、将来産まれる、お姉様のやや子へ、是非にお願いします」

 帰ってくるなりアンナを抱き上げ、くるくると回るミリアム。立ち上がったダイダロが、そんな二人を見下ろしている。逆光の下だが、見上げた表情は穏やかなようでいて、なんとか自分の醜態は有耶無耶になったらしい。と、アンナは心中でほっと胸を撫で下ろしていた。

「お父ちゃん。モヒートまた一杯、お願いねー」

 丁寧な手付きで床に降ろされたアンナは、再び椅子に座りかけたところで、少々お花摘みに。と、断りを入れて中座した。ミリアムが、大丈夫? 一人で行ける? 一緒に行こうか? などと心配してきたが、そんなに小さな子供じゃありませんよ。と、応えれば、いってらっしゃいと手を振って、送り出された。

 アンナは化粧室へと向かう。

「どったの? お父ちゃん。なんか良い事でもあったん?」

「ん? なんでだ?」

「んーや。なんとなくだけど」

「……ふむ。ああそうだな。今度連れて来てくれるというお前の友達には、幾つか試作品の味見を頼みたいのだ。予定が整ったら、人数と、食べられない果実はないか、教えて欲しいのだが、頼めるか?」

「おーけー。聞いとく。多分三人かなー」

 そんな父娘の会話を背中に聞きながら。

 

 そして、お花摘みから戻ってきたアンナだが、空になっていたはずのカップには、湯気をあげる、新たな紅茶が注がれていた。ソーサーの側には、ミルクポットが置かれている。

「アッサムです。ミルクティには、ダージリンよりも、こちらの茶葉の方が合うかと思われましたので。良ろしければ、お試しください」

「アタシが淹れたのよ。アンナちゃん、多分牛乳好きでしょ」

 淑女の礼を一つ。やがて席についたアンナは改めてお礼を言うと、ミルクティに唇を付けた。アッサムの茶葉の香りにはミルクに負けない深みとコクがあり、大変に美味しかった。

「ミリアム様は、紅茶を淹れるのもお上手ですね。うちのマリアにも、負けていませんよ」

「マリア?」

「私のお母さんの名前です。外ではそう呼ぶようにと、言われていますので。おかしいでしょうか?」

「もしかして、アンナちゃんとお母さんって、訳あり?」

「至って普通の親子ですよ?」

「詮索はしないけど、何かあったらお母ちゃん連れて、ウチに来るといいからね!」

「ありがとうございます」

 賢いけど、むしろ賢いからなのかしら。ミリアム様は、少し思い込みが激しい所があるから、変な心配させちゃったかな。と、アンナは思ったが、優しく頭を撫でるミリアムの手に、その身を任せている。訂正は必要ない。何もなくとも、お母さんを連れて、また来ようと考えていたのだから。

「私とお母さんの事はともかくとして。先程までのお話しの続きなのですが、お店の運営について、店主様に一つ、ご提案があります。その前に、その提案に至った説明を致しますが」

 お、なになに。と、アンナを撫で回す手を止めぬまま、興味深げに問いかけるミリアム。

「お聞かせください」

 落ち着いたバリトンを響かせて、応えるダイダロ。二人とも、話しを聴く体勢に、入ってくれている。

 ミリアムのお遣いで一旦中断していたのだが、アンナが二人に話していた事は、元々は、パーラー・セレーナに客を呼ぶ為の方法なのだ。二人にとっても閑古鳥は招かれざる客のようなので、とても真剣な様子だった。

「学園があるので、ミリアム様は日中のお手伝いは出来ませんし、秋には王都の学府へ留学してしまわれるのですよね?」

「そうなのよね。せっかくアンナちゃんと仲良くなれたのに、お姉ちゃんは秋には寂しく、王都くんだりまで行かなくちゃならないんだよね。アンナちゃんも、一緒に来る?」

「招かれた訳ではないので、難しいでしょうね。お住まいになる寮が決まりましたら、お伝えください。私も寂しいので、お手紙お出ししますから。文通です」

「もー。この子は本当っ! 嬉しい事言ってくれるわねー。これで王都でも、三年は戦えるわ……」

 抱き締めてくるミリアムに身を任せつつも、顔だけは胸に埋まらないように気を付けて、アンナはダイダロへ語りかける。真面目腐った顔付きで。

「それで、宣伝や伝手の少なさから、セレーナを認識する人の絶対数が少なかったというのは、ご理解頂けたかと思います。これは主体的に動けば、いずれは解決しますでしょう」

 そこで一旦言葉を区切る。その線の心配はないだろう。既に二人は動き出している。後は手段を幾つか提示するだけで、充分に実りはあるはずだ。

「そして、そんな数少ないセレーナの営業を知る人の中、店に辿り着いたにも関わらず間違えたと言って、帰ってしまった方々がいらっしゃるというお話しも、ありましたね」

「ええ。間違えたと言うから、目的地までの案内を試みましたが、皆様、脱兎の如く駆け出すもので。追い掛けるのも憚られますので、事情をお聴きする事も出来ずに」

「いいえ。彼等は間違えてなど、おりません。それはただの、口実です。実は私、その原因に少々心当たりがあります」

 ダイダロにも、心当たりはあるだろう。だがそれは、アンナのモノとはかけ離れたモノだ。彼は間違いなく、自分が巨人族であるからだと勘違いしている。各国で悪と貶められた存在であるからこそ、逃げられたのだ。と、そう思い込んでいる。

 だが、ここカターニアでは違うのだ。そして、シシリア島でも、ビタロサ王国内でも、巨人族は、即ち悪だと貶められてはいない。

 それには巨人族による被害が皆無であった風土的背景があるものの、十数年前に初版が刊行された絵物語、バニヤン物語の影響が大きい。

 それは、かつて数多あった絵物語では敵役や、良くて脇役であった巨人族の若者を、あえて主役に据えた絵物語だ。元はカターニアで刊行された子供向けの週刊雑誌で、息抜きの娯楽作品として連載されていたものだった。だが、作者の描き出す素晴らしい物語と、特徴的にデフォルメされた絵が、多くの読者の胸を打った。購読対象の子供達は元より、その保護者達にまで。

 熱心な読者が布教に勤め、また多くの者が共感していった。そして話題が話題を呼び、やがて大きな評判となった。なんと王国が作品に、文化勲章を授けたのだ。先代ビタロサ王が、大変な愛読者であった為だという。

 評判を聞きつけて流行に乗ろうとする者達、そして元々の愛読者達は、既刊雑誌の再販を求めて、版元である出版社に詰め寄った。この時には、件の週刊雑誌の大流行から、大陸でも五指に入る大版元となり、企業としてシュペー社と名乗っていた出版社に向けて。

 バニヤン物語の作者は不詳であったし、週刊雑誌には、あまり良質な紙が使われていない。愛読者達の間では、バニヤン物語の頁だけを切り取って、物語部分を冊子として編むという遊美『あそび』が流行していたのだが、紙の劣化や諸々の要因によって、繰り返し読むには向いていなかった。元々はカターニアで細々と出版されていた児童用の雑誌である。その発行部数も、押して知るべしであった。そもそもの絶対数が少なく、希少なものでもあった。

 そして出版社シュペーは、愛読者達に最高の形で回答をする事になる。版を元に、纏まった物語毎に編纂し直し、良質な紙と装丁に絵物語を収めて保護や複製不可などの複数の術式を施した上、改めて書籍として刊行した。

 これが、爆発的に売れた。元が子供向けの物語という事で、書籍の造りの割に、価格を相当抑えて販売した事が功を奏した面もある。が、最も大きいのは、普段の書籍購読層以外の者が、バニヤン物語を求めた事にあった。それ程の大流行であった。これによって出版業界は、新たな顧客と、商品の販売方法を確立する事になる。バニヤン物語は、後に単行本化と呼ばれる出版形態の嚆矢となった。

 実の所、これは大変画期的な試みであった。

 それまでの雑誌という出版形態は、読み捨てられる事を前提としていた。主に雑誌に載せられるのは、ちょっとした為になる小ネタ記事や、日々起こる事柄についての時事ネタ、販売促進用の紹介記事などが主である。著者は出版社に勤める従業員達であり、言ってしまえば文筆の素人だ。その掲載内容を改めて書籍にする発想など、それまでにはない事だった。

 雑誌を構成する紙自体も、安価でチャチな再生紙であり、専用の業者、もしく販売元に直接持ち寄れば、次回購入の際の割引券に引き換えられる。紙は希少ではないが、それなりに高価な品だ。回収により、その購入費用を抑えるなどの涙ぐましいまでの出版各社による経営努力により、雑誌は安価大量販売からの薄利多売による利益確保を実現していた。

 出版社自体、主力商品は高価な書籍や書物であったし、自治体の教育振興の補助金や、協賛企業の協力金などが主な収入源であった。バニヤン物語の流行までは、出版会における雑誌の地位は著しく低いものだった。

 だが、この連載からの単行本化という販売方式に目を付けた者達がいた。それは多数の作家達や、一部の研究者達だった。

 この時代、基本的に書籍は高価で、発行部数の伸びは良くない。兼業の作家にはそれ程の痛手ではないが、専業作家達にとっては死活問題である。収入に直結するのだから当然であった。彼等は単行本化に目をつけて、雑誌へ作品を寄贈する事によって、後日の収入確保を狙った。自著が売れないのは書籍が高価で、宣伝が足りないからだというのが、彼等の認識であった。面白くない物は売れないが、それを認められる程、彼等の多くは謙虚ではないのだ。

 結果的に、これらは多くの者に大きな利益を齎した。出版社は儲かったし、印刷業界も大層潤った上に、幾つもの技術的革新が発生した。

 専業作家が質、量共に向上し、彼等の中にもまた、富む者が出た。雑誌の内容は充実し、読者達は愉しんだ。技術進歩によって、容易に手が届くほどに安価となった書籍によって、知識や精神面といった文化的な成熟度の底上げもされた。それはビタロサのみならず大陸に住まう殆どの民達にとって良い結果であった。

 とはいえ、そんな事まで博識とはいえ幼いアンナが考えている筈もなく、彼女にとって、そしてダイダロとミリアムにとって重要な事は、バニヤン物語によってビタロサに、シシリアに、そしてカターニアに齎された、他国に類のない、巨人族観であった。

 物語なのだから、悪役や敵役はいる。それらの多くは、巨人族だ。そのキャラクター性は過去の類型の域を出ないが、主人公であるバニヤンは違う。賢くもなく、乱暴者で、欲張りである。だが、情に厚く、勇気に富み、犠牲を良しとしない気高さがあった。そして、物語は伝えてくれる。人には当然、善人もいれば、悪人もいる。悪人だって、それなりの事情があっての悪人なのだという事を。そして、悪人だからと身勝手に断罪するのではなく、相手の事情を呑み込んで、それでもぶつかり合うという勇気を。偏見は幸福を呼ばない。幸福を求めるのならば、大いなる愛情と勇気とを以て少しずつ、そうあれかしと慈しみ続ける事こそが大切なのだと。

 そんな物語に親しんだ者達だ。極端な偏見を持つ事は、恥となる。難しくとも、個人を見極める事こそが美徳であった。

 アンナがダイダロに、勇気を出して、周囲に溶け込む努力を求めたのは、この計算あってのものだ。彼の人柄は充分に信頼と尊敬に足るものだし、彼には悪いが多分ミリアムの学友も、彼女が巨人族である事を知っている。

 ビタロサの学園は、最初の自己紹介の折りに、氏族なども併せて紹介するのが一般的だ。率直で純粋なミリアム様が、その席で己の出自を誤魔化す事などなかっただろうと、アンナは思っている。

「逃げてしまったお客様には、女性が多かったのですよね?」

「ええ。男性と連れ立っていた方もおりますが、大抵は身形の良いご婦人方でしたな」

「敢えて申し上げますが、ダイダロ様。お客様が逃げてしまったのは、何も、店主様が巨人族である事が理由ではありません」

 ミリアムの前で、その話題に触れるとは思いもしていなかったのだろう。ダイダロの表情は少し、衝撃を受けたような、困惑したものに変わった。だが、アンナは、そんな彼に向かって、更なる残酷な事実を、はっきりと突き付けねばならない。今が、勇気を振り絞る時だ。

「大変、大変、申し上げにくいのですが……」

 それでも、言葉を模索する事は止めない。なんとか受け入れ易い言葉は無いのかと、この時迄、アンナは考えていた。見つかっていないのだが。

 やがて、もう引き返せはしない。と、覚悟を決めた。隣には、堪えきれないものがあるかのように、両手で顔を覆っているミリアムの姿があった。

「その……。大変失礼な事を申し上げるのですが……。その、お客様達は、ダイダロ様の傷痕だらけのお顔が、その……。ビタロサでは、敢えて傷痕を残す風習は、反社会勢力に所属する方々の習わしでして……。身体に絵を彫り入れる事と同様の意味を持ちまして……。なんでも我慢とかいう風習だとか……、ええ。大体の、一般的な知識を持つお方は、そう捉えてしまいまして……。それが恐ろしくて、一見して怖がってしまったのだと……。思います……。つまりは、そういう事で……。ぅぅ……。なんと失礼な事を……。ごめんなさぁい……」

 しどろもどろになりながらも、なんとか言い終えたアンナだが、堪らず机に突っ伏してしまう。爆弾を投げ付けた相手であるダイダロを、正視する事が出来なかった。

 この習慣は、ビタロサ王国内独自の、それも裏社会のもので、他国にはあまり知られていない。反社会勢力と呼ばれる彼等の内、最大の組織は『鉄の掟の徒』を自称する一団だ。彼等の習慣が広がって、裏社会での風習となったとされている。

 その成り立ちはよく知られていた。遠い昔に、唯一神教の普及に異を唱えた当時の有力者達が名乗ったのが、鉄の掟の徒であった。習慣や生活基盤により反唯一神教を貫いた、むしろ貫くしかなかった、硬骨の徒達でもあった。彼等は闘争に誇りを持ち、治癒の術式や洗礼を良しとしなかった。反唯一神教を掲げた鉄の掟の徒達は、傷付くままに、勢力を拡大していった。

 やがて唯一神教が国教として定められると、彼等は表舞台からは退場せざるを得なくなる。

彼等は反唯一神教であって、反王国ではないのだ。彼等は己の身を守る為に、不本意ながらも裏社会に身を潜めた。

 そして長い年月が過ぎた。鉄の掟の徒に、当初の理念は既にない。だが、裏社会への影響力と、傷痕を残したままにしたり、刺青を彫ったりする、幾つかの習慣が残された。

「その。傷痕を残したままにしておくのは、鉄の掟の徒の習慣なのです。ビタロサは、民間の医療技術が発展しているので、昔から軽い怪我ならば教会か、ちゃんとした治療院で早めの処置を行えば、怪我の痕が残る事も殆どありませんので」

 唯一神教がビタロサに齎したものは数多いが、その代表的なものといえばやはり、治癒、治療系統の簡易術式に、医療技術や衛生観念。そして、それらの学術的な理論体系だ。だからこそ、反唯一神教を掲げた鉄の掟の徒達は、敢えて治療を受けず、傷痕を残したままにした。実際には、運動や戦闘に支障が出るような負傷は術式を用いて治療する事もあったのだが、それはそれ。痛みを我慢するだけで済むような負傷では、治療などしない。それは、彼等なりの矜持であって、美学でもあった。

「これも、一種の偏見です。正すべき悪癖だとは思いますが、お顔に勲章のように傷痕を残している殿方を見ると、そういった筋の方なのかなと考えるのが、ここシシリアでは一般的な感覚ですので……」

 説明こそ澱みなく行えたが、アンナはまだ顔を上げる事が出来ない。隣ではミリアムが小刻みに震えている。父親が晒されている、謂れなき偏見の目に、怒っているのかもしれなかった。

「勿論、大きな傷ですと痕が残ってしまう場合もありますし、他国では、実際に勲章ともされる傷痕がある事を知る者だっております。簡単に、傷痕があるから、即ち反社会勢力と疑うような真似はしないモノなのですが……」

 アンナは覚悟を決めて、ダイダロを見上げる。彼は眉をハの字に下げて、困り顔だ。それはそうだろう。そんな指摘をされても、彼に落ち度がある訳ではない。対処のしようがないのだ。困らせてしまっている事に心中で詫びて、決定的な言葉を告げる。

「言ってしまえば、ダイダロ様のお顔が怖いのです。いえ、傷だらけとはいえ、私は、精悍で整った、立派なお顔立ちだと思いますよ? 笑い皺なんか素敵ですし、慣れれば愛嬌がある、可愛いらしいお顔です。とはいえ、仕方ない事ですが、眼光が鋭過ぎますし、普段の表情が少し硬いですので、真面目な表情ですと、おっかないというか、普通の女性には、敷居が高いというか……。とにかく! 笑顔です! 多分、ダイダロ様には、笑顔が足りていません! ほら、こうやって、にっこり」

 そう言いながら両手の指を両頬に当て、むにぃと吊り上げる。アンナ流、笑顔作成術であった。彼女は、この術の開祖だと自認しているが、現実ではそんな筈もないので、ただの妄想でしかなかった。

「こうですかな」

 ダイダロもアンナに習って、両指で両唇を吊り上げた。大きなお口が耳まで裂けているように見えたが、アンナは気にしてはならないと自分を誤魔化した。

「良いです! 良いですよ! ダイダロ様! 次は目です! 目がまだちょっとだけ怖いので、もっとキラキラさせてみてください! 違います! それはキョロキョロです! キラキラな感じで、お願いします!」

「難しいものですな」

 真面目くさってアンナの言うままに表情筋を動かしてみるダイダロだが、なかなか上手くいかないようで、そう漏らした。

 その瞬間、アンナの隣で、笑いが爆発した。

 ブホォと、盛大に音を立てて、ミリアムが爆笑していた。ケタケタと笑い声をあげて、ヒーヒーと、お腹を押さえながら。

「……ア、アンナちゃん。……も、もう勘弁してやって頂戴……。アタシもう、ダメ……。お父ちゃん、顔怖いって……。……しかも、多分自覚してなかったし……。あ。ヤバ……。笑い死ぬ……」

 ゼェゼェと喘ぎながら、目尻に涙を浮かべて、息も絶え絶えにアンナへと懇願するミリアム。彼女の口許には、ダイダロのものなどより、余程立派な笑みが作られていた。

「ダイダロ様。ミリアム様もこのご様子ですし、笑顔の練習は、今日はここまでにしておきましょう。でもやはり、ミリアム様の笑顔は素晴らしいですね」

「承知しました」

 え? まだやるの? と笑いの中で漏らしたミリアムへ、アンナは頬を上げていた指を頭に乗せて、向き直った。頬を膨らませている。指は角を模したもので、とても怒ってますよの姿勢だが、本日初対面であるミリアムがそれを知る由もない。

「ミリアム様。いくらお父様相手とはいえ、頑張ってる方を笑うなんて、とても失礼ですよ」

「あ。……ごめんよ。……お父ちゃんも、笑ってごめん」

 アンナの気持ちは伝わったようで、ミリアムは笑いを抑えて、二人に向かって謝罪した。

「お父ちゃん。顔怖いって、自覚はあった?」

「なかったな」

「マジか……」

「マジだぞ。だが、困ったな。傷痕は今更消えるものではないし、消そうとも思わん。顔も、ずっと付き合ってきたものだからな。急には変わらんだろう。それに、私は自分が思うよりも不器用であるようだ。笑顔の練習も、まだまだ足りていない」

「え? あれ、まだやるの? ……アンナちゃん。止めてくれない?」

「そうですね。私もつい失念していましたが、先程の笑顔の練習は、女性向けなような気がします。ダイダロ様には、あの幸せそうな笑顔がありますし、無理に練習する必要はありませんでしたね」

「幸せそうな笑顔ですか?」

「ミリアム様のお話をされる時にされている、あの、じんわりと暖かい笑顔ですが、ご自覚はありませんか?」

「はて?」

「無自覚ですか……。えぇ。まぁ、いいでしょう。つまりは、ダイダロ様には、笑顔の練習の必要はなしという事です」

「ですが、それでは何の解決にもならないのではありませんか?」

「うん。そーだね。でもさ、お父ちゃんがまさか反社擬きかもって思われてるってのは、全然気付けなかったな」

「文化的な背景がありますからね。長い間、シシリアは戦に巻き込まれる事もありませんでしたし、治安は良い方ですから傷痕に対する認識は、他州や他国とは異なります」

 そして、ここまでの諸々の話を踏まえて、その上での提案があるのだ。と、アンナは宣った。

「随分と遠回りをいたしましたが、せっかくですので、ここパーラー・セレーナに、従業員を何人か雇い入れてみてはいかがでしょうか?」

 すると父娘二人は、うーん。と、難しい顔をして考え込んでしまう。あまり気乗りしていない様子であった。

「どうやら、お二人とも気乗りしておられないご様子ですね。理由を聴かせて頂いても?」

 ならば、尋ねるしかない。二人が何に引っ掛かっているのかは判らないが、聴けば何かしら、それを払拭出来る案が浮かぶかもしれないのだから。

「ああ、うん。それはね、まったく考えなかった訳じゃないんだ。けど、今までの話を踏まえた場合、ちょっと難しいんじゃないかなー。って、アタシは思うんだよね」

 いち早く応えたのはミリアムだった。彼女の心配は想定していたものだ。アンナには、それを払拭出来るだけの材料があった。だが、ミリアムの物言いたげな様子に、ひとまずは聴く側に回った。

「それではお尋ねしますが、どういった所が、特に難しいと感じたのですか?」

「まずは、お父ちゃんの見た目だね。初対面の人に反社と思われるくらいだから、ウチで働こうって気も起きないと思うんだ。それに、不審者の噂だってあっただろう? わざわざ危ない橋を渡ろうって人がいるとは、思えないんだよね」

「それに加えて、我が店はご覧の通りに閑古鳥が鳴いております。とてもではありませんが、給金で釣るような真似は出来ません。ですので、魅力に欠けると思われます」

 ダイダロも乗ってくる。二人の言葉にふむふむと頷くアンナだが、まだ二人の不安は引き出せていないと感じた。

「そうですね。それに、最初のうちはダイダロ様が表に出る事は悪手ですので、それなりに接客業の心得のある方でないといけません」

「そうなると、益々難しいですな。給金は並で、あまり評判の良くない店には、顔の悪い店主。そんな場所で働いても構わないという、接客の心得のある女性となると、なかなか」

「お顔は悪くないですよ? ちょっとだけ、厳ついだけです。多分、頼り甲斐のある男性好きには、モテモテです」

「お父ちゃん。やっぱ雇うなら、女の人がいーんだ。ふーん。アタシが帰るまでは、二人きりだもんねー。やーらしー」

「いや、待て。私は、別に邪な意味で言った訳ではない。セレーナは氷菓子、それに甘味が売りの店だ。一番の顧客は、ご婦人方になる。お客様に不安を与えぬには、女性の従業員が適格だろう」

「ほーん? お父ちゃんは、ご婦人方が目当てで、セレーナを始めたんだねー。そんで、それだけじゃ物足りないから、女性に囲まれて過ごしたいんだと。この、ど・す・け・べ」

 二人が同時に、まるで別々の言葉をダイダロに投げかけた。アンナのものは流しても構わないが、ミリアムの誤解は解かねばならないとでも思ったのだろう。ダイダロは、すぐさま娘に反論した。が、煽り力では、娘の方が一枚上手であった。

「ええ。ダイダロ様の仰る通りに、従業員は全員女性がよろしいですね。ただ、最低でも二人、可能ならば、十人は常駐できる従業員が欲しい所です」

「じゅっ!?」

 店内を、ぐるりと見回すアンナであった。広い。八人掛けのカウンターの他に、二人掛けのテーブルが六つ。四人掛けのテーブルが五つ。十人は入れそうな小部屋が二つもある。満席になれば、単純に六十名を収容出来る間取りだ。

 それを捌くには、単純に人数が必要だった。アンナには、セレーナが連日満席になる未来が見えている。それ程にダイダロの料理を評価していた。第一、甘味に引き寄せられぬ女などいない。密かなアンナの持論であった。

「最初は二人もいれば、休憩も回せますし、作業分担も出来るので、作業の幅が広がります。また、彼女達自身の安心にも繋がります。ご婦人と二人きりになれなくて残念でしたね。店主様。ですが、一人じゃないっていう環境は、存外に大切なものなのですよ」

 軽い口調で語るアンナであるが、セレーナの父娘二人は揃って眉をハの字に下げている。顔立ちはまるで異なるものの表情はそっくりで、二人が親子であることを如実に語っていた。

「風評や偏見に惑わされず、私を恐れる事のない、接客の心得のある女性が二人以上か」

「でも、そんな人、いや人達か。いるの?」

「居ますよ。そんな彼女達の集う場所、冒険者組合に。お勘定を終えたら、お二人をご案内致しましょう。店主様、お勘定をお願いします。大変美味しいお料理、ごちそうさまでした」

 得意満面の笑顔で、懐からお財布を取り出したアンナは、二人へ外出を促した。お財布は、可愛いうさぎちゃんの柄で、マリア謹製の代物だ。ミリアムが、何それ可愛い〜。などと黄色い悲鳴をあげていたのだが、ダイダロは静かに伝票を差し出した。その内容を見て、アンナは目を丸くする事となった。

「店主様?」

「はい」

「お会計の中に、お料理の注文が入っておりませんが?」

「はい。あれは、サービスですので、当然お代は頂きませんよ。メニューにもありません品ですし」

「えー」

 涼しい顔で言い切るダイダロに、アンナはつい、はしたなくも声をあげてしまう。

 ここで一悶着あったのだが、結局はアンナが折れる形で落着した。不本意ながら、仕方なく好意に甘える事にして、アンナはパーラー・セレーナの父娘を連れて依頼達成の報告と、その後の諸々の為に冒険者組合へと向かった。

 身体の疲労はそれなりに抜けている。歩くには問題なさそうだった。セレーナには相当長い事居た気がするが、気のせいだろう。まだ夕日が沈み出したばかりの頃合いだ。今日は色々あったから、時間の感覚がおかしくなっているのだろう。と、アンナは一人納得していた。

 足早に進む。あまり遅くなるとマリアを心配させてしまう。それにしても、今日はなんとも出会いの多い日だったと彼女は思った。

 二人の長い歩幅に負けないように、足を動かす。

 縁あって知り合えた、その全ての人々へ。尊き祝福が訪れますように。感謝と祈りを捧げます。父と子と、精霊の御名によって。そうあれかし。




こんな物語ですが、感想頂けますと、励みになります。変わらず、無駄話が多いのですが。
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