パンと肉とワインの山に向かって熱心に祈りを捧げる孫娘を尻目に、マザー・ドゥーラこと、ギルドマスター・ドロテアは巨人族の男女の側に立った。
男女とも、見上げる程に背が高い。血の繋がりなどなくとも、可愛い孫娘が連れてきた客人だ。信用をしない訳ではないし、礼を失するつもりもない。だが、見極めねばならない。いかんせん、アンナは賢い娘であるが、人の悪意に鈍感過ぎる。それも、白痴を疑う程に。そして、かつて青春を共に過ごした底抜けに甘い親友達を思い起こさせる程に。
百戦錬磨と称されて長い、マザー・ドゥーラこと、冒険者組合シシリア州統括にして、ギルドマスター・ドロテアは知っている。
明確な悪意を以て、友人の様に振る舞う者の厄介さを。状況に流されて、唯一以外が盲目となってしまった者の愚かさも。
竹馬の友であった筈の者が、その信念が為に敵となる非情も、よく見たものだ。人。のみならず、全てのモノは、善性に依ってだけでは成り立たない。その逆はあり得るが。それは、生き残ってしまった彼女の下した結論だった。
人類種に最も絶望し、かつて魔王を名乗った狂人と最も思想が近いのは、自分であるとの自覚もあった。だからこそ、律する事を求める。自身にも、そして他者にも。
かつて、娘と呼び、愛した子供達の娘だ。幸せでいて欲しい。そのくらいの我儘は、赦されよう。だが、『運命』が、それを赦しはしない事も理解している。愛しい孫娘は、元辺境伯嬢であり、現役の辺境伯だ。しかも、オリヴェートリオである。類稀なる素質を備えてはいる。数奇な資質を授かってもいる。その自覚も、備える心構えもないままに。
未だ蕾である孫娘は、『危うい』。そして何よりも、『訳あり』過ぎた。
「立っていてくれて、構わないよ。ドロテアだ。畏れ多くも、教皇聖下からは聖母の称号を戴いているが、実際はただの修道女さね。マザー・ドゥーラと名乗った方が、通りは良いのかもしれないか。手間をかけて悪いが、アンタ達にも名乗って貰いたい。脅すつもりはないが、それが出来なきゃここまでの縁になるね」
想いなど欠片も見せず、客人達に微笑みかけたドロテアは平凡な、けれど偏屈な女の皮を被る。二人は聖別の秘蹟の残滓を見て、またもや本能的に跪いた。洗礼を受けていない者にはままある事なのだが、これによって判る事もある。秘蹟の力を捉えられる程度には手練であるということだ。
「はっ。某、巨人族が氏族、フルングニルの騎士、ダイダロ=フルングニルと申します。聖母様のご高名は、かねがね伺っております。お会いできて光栄であります」
やっと口上を述べられたダイダロだった。表情には満ち足りたものが宿っている。実はこの男、アンナがマザー・ドゥーラを訪ねると言った時から、浮かれていた。
四十年近くは昔の事であるが、自ら魔王を名乗り、全人類種に向けて宣戦布告をした男がいた。
魔王という称号は、人類種の敵対者として認定される烙印であった。社会的不利益しかないので、普通は自称する者などいない。
元々は各国が協調して侵略し、統治する為の方便として侵略先の指導者に与えた仇名である。それは、魔王とその眷属は人ではないので、どう扱おうとも倫理的な問題はないという、ひどく悍ましいものだった。
時代が降ると共に、その様な横暴な形で力を振るう事が無くなった人類種であるが、一種の禁忌として魔王の称号は残った。
かつてリヒテリア公国と呼ばれ、現在は主要七カ国が共同統治する観光都市がある。権力者が保養地として滞在する都市でもあった。
主要国首脳会談が行われたその日、突如として現れた魔王を自称する男は全ての人類種に対し、隷属か死を求めた。
正に狂気の沙汰である。当然ながら素直に従う筈もない。旧リヒテリア公城に詰める各国の首脳達は気の触れた不届者を捕らえよ。と、兵を送り出した。だが、魔王の実力は本物だった。兵達は瞬く間に様々な殺戮技巧によって死に、魔王は更に、隷属か死の二択を求めた。
国家を代表する筈の首脳達は、あっさりと魔王の軍門に降った。そして隷属契約が結ばれる。これにより、大凡十年に渡る魔王統治時代が始まった。隷属した権力者達は魔王からの要求に応える為に、民からの収奪に走る事となる。結果的にではあるが、悪政であり、暴政となった。
この魔王による支配体制を打ち倒した若者がいた。後に呼ばれる、勇者であった。
勿論、一人でではない。勇者と共に戦った者達がいる。勇者の幼馴染にして、類稀なる美少年として見られていた凄腕の剣士と、神聖ロウム帝国の姫で麗しき癒しの賢聖女。そして、唯一神教会の修道女であった一行の最年少、可憐なる撲殺聖女ドロテア。後のマザー・ドゥーラその人だ。その四名を、人々は勇者一行と呼んだ。
勇者を含む三名は既に鬼籍に入っている。だがその戦いは、物語となって今も生き続けていた。
特に、ダイダロの世代には直撃だ。姫の発案により勇者達の冒険は中継放送されていた。これは魔王による通信網の発展による成果だが、勇者一行はこれを巧みに利用した。見聞きした事実を記録、放送していれば暴いた悪事の証拠は取れるし、殊更に喧伝しなくとも戦いの支持者も現れる。
難点は魔王による通信の遮断や改竄だったが、どういう訳だか魔王は勇者一行の放送を捨て置いた。
決戦時の放送により明らかになった事なのだが、魔王の目的はこの通信網の構築と技術発展にあったらしい。その為には金や人が必要で、時の権力者達を隷属させたのは、その資源を確保する為だとの事である。
勇者により中継された魔王は、哀愁を帯びた表情で言った。それが悪政や暴政に繋がったのは、まったくの想定外であったのだと。
放送を視聴していた多くの民衆は思った。
あれ? 別に魔王悪くなくね? 悪政は首脳達の暴走じゃね? やだ。魔王様、めっちやイケメン。などと。
これは、魔王が陰のある美青年だった事で起こった混乱であった。確かに冷静に考えてみれば、魔王は歯向かう者こそ容赦なく皆殺しにしたが、その治世である大凡十年間、謂れなき暴虐を振るった事はない。リヒテリア商店街の奥様方にも、彼は評判が良かった。しっかりと挨拶が出来る美青年で、美味しい食材のお礼にと、様々な料理のレシピを配り歩いていたのだから、さもありなんである。彼女達は彼が魔王その人だとは、露にも思わなかったらしい。
勇者は悩んだ。このまま魔王を打ち滅ぼすべきなのかと。彼は、それ程の悪なのかと。
魔王討伐という大義名分こそ背負っているものの、言ってしまえば勇者一行とは、寄せ集められた少数精鋭の暗殺部隊でしかない。姫を除く一行には政治的な意図はなく、解りもしないが。
対話により双方の理非を明らかにし、倒すしか道がないと、自分達、そして視聴者達を納得させ、暗殺という行為を正当化して来た一行だ。こういった展開は想定外であった。
勇者は数多の人にかけられた隷属契約を断てば、魔王を討伐する必要がなくなると、彼に対して持ち掛けた。
魔王は語る。私の隷属契約の破棄は契約者が死ぬまで不可能なのだと。そして、あまりにも多くの者に隷属契約を結んだせいで、彼等の排除は現実的ではないとも。魔王自身、契約者を全て把握していない程に多くの者を隷属させたのだから、こうなる事は報いなのだろうと。
勧善懲悪の物語に慣れた視聴者達は、困惑した。勇者達だって、困惑していた。
なおも魔王は語り続ける。基本的に人というモノは身勝手であり、愚かなもので、我欲の為ならば容易に悪事を働くものなのだと。独善や怠惰を戒める為の隷属契約だったが、思うように機能しなかったのが残念だったとも。
交渉や情けは不要である。と、魔王は言う。歯向かう者は殺し尽くしてきたとも。故に、君達も殺すのだと。死にたくなければ、魔王を打ち滅ぼしてみせよと。そして、決戦へ至る。
激しい戦いだった。異形の触手を自在に操る魔王の前に勇者達は傷付き、纏う装備はボロボロになっていく。
この決戦の中で勇者と剣士が、「お前、女だったのか」、「お前もかよ!」という展開になり、世界を震撼させるのだが、ともあれ激闘の後、魔王は勇者達によって打ち倒された。
これらをリアルタイム視聴していたのが、少年期のダイダロである。巨人族の家庭は兄弟が多く、当時から物分かりの良い理知的な少年であったダイダロは、母親の多忙さを知っていた。そのため、甘える事もあまりなかった。そんな彼の少年時代の唯一の慰めが、勇者中継だったのである。
勇者一行は、民にとって現実的に英雄であり、憧れであった。同時に、多くの民衆の性癖を拗らせさせた偶像であり、初恋ハンターでもあった。
仕方がないのだと、とある男達は語る。属性に違いがあるものの、四人共、いずれも劣らぬ美少女揃いだ。誰が琴線に触れられずにいれようかと。決戦時に明かされた勇者と剣士の性別バレを踏まえ、過去の放送を見れば理解出来るだろう。尊い。と、男達は言った。
目返せば、勇者は元気活発系の純情無垢な美少女だし、剣士はクールミステリアス系の堅物真面目な美少女だ。姫は癒し系おっとりお姉さんな上、一行の頭脳である良妻賢母な美少女であった。ドロテアはツンツンした末っ子気質な癖、たまにデレると可愛い小動物系美少女だ。
いずれも属性が盛り盛りであった。そして民衆には、それぞれ個人を愛し、応援する単体推し、一行全体を愛でる箱推し、様々な組み合わせが楽しめるカプ推しなどという、よく判らない推し文化が根付いた。
これはこれでアリなのだと、性別バレによって失恋となった女達が宣う。勇者や剣士の立ち居振る舞いは、彼女達双方にとっての理想の男性像であったのだろうと。だからこそ夢女を自称する彼女達は惹かれたし、恋をしたのだと。一時は失恋のショックから勇者一行アンチとなる者も現れ、界隈は酷く荒れたのだが、彼女達は気付いてしまう。女に男役やらせとけば、理想の男性像に、ずっと夢見続けられるんじゃね? と。それは、尊いものだと。
そんな彼女達によって創立されたのが、ある意味聖地となったリヒテリア、プレシャス塚を拠点とする歌劇団である。今は劇団員の養成学校も併せて設立されている。
彼女達は何も、男役にのみ拘っていた訳ではない。姫をお姉さんにしたい層や、ドロテアを妹にしたい派も大きな勢力であった。年配のファン達からしても、子供や孫がこんな風に育ってくれたならと思わせる程に、二人共聖女の称号に恥じない、素晴らしい娘達であった。
当然、彼女達にも推し文化は根付いていた。そして活動する。所謂、推し活であった。
その中には凄惨な派閥争いや、信念からの闘争などもあったのだが、それはまた別の話である。
ともあれ、そんな時代の、文化的衝撃を直撃されたダイダロ少年だ。実の所この中継放送、
そしてある日の放送で、ダイダロ少年の蒼いハートは撃ち抜かれた。経緯は不明だが、放送終了時における口上を、ドロテア一人で行ったのだ。実はこれ、珍しい事である。大体は四人揃っての挨拶であるし、何らかの事情で面子が欠ける事もあるが、ドロテア一人というのは殆どない。当時の彼女はツンツンとした娘であったし、一行の最年少という事で、残る三人も気遣っていた為である。一人挨拶の舞台に立ったドロテアが、恥じらいながらも一生懸命に四人分の感謝を告げる姿に、ダイダロ少年は一目で恋に落ちた。彼の初恋を奪ったのは、何を隠そうドロテアであった。そして、彼の幼い少女好きという性癖もここで決定付けられた。
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