「あ……。夢……」
マリアの腕の中、目覚めたアンナは呟いた。
意識は徐々に覚醒していくが、体は動かない。マリアに抱えられている事もあるが、頭が行う身体への指示が、上手く働いていなかった。マリアとお話ししながら、マッサージを受けていた。その途中で眠ってしまったのだろうとアンナは把握する。一向に動かぬ身体への指示を諦め、どこまで話せたのだろうかと、記憶を探ってゆく。
病院へ辿り着き、意識を失った事までは、話せた筈だった。話の途中で、あまりにもマリアが心配するので、何度も母子共に無事だったと伝えてもいた。滑らかなマリアの頬には、涙の痕が残っている。
「ごめんね。お母さん」
言葉にすれば、アンナの心は締め付けられる。マリアは叱らなかった。だが、悲しんでいる事は伝わった。正しい行いです。と言葉では褒められたが、マリアはちっとも嬉しそうではなかった。夢現の中、痛むところはない? などと、何度も聞かれた事を覚えている。心配させてしまったのだ。アンナは、マリアの悲しむ貌など見たくはなかった。
かくして少女は僅かな後悔を振り払い、母の胸の中で、再度の眠りについたのだった。
「何か考え事かしら? それにしてもセレーナも、すっかり繁盛店になってしまいましたね」
「初めて此処に来た日の事を、思い出してました。店主様のお料理は、絶品ですからね。誤解さえ無ければ、大繁盛間違い無しです」
過日を懐かしんでいたアンナへ、マリアが問い掛ける。見渡すまでもなく店内は賑わっており、あの日鳴いていた閑古鳥は、既に影も形もなかった。
「お待たせしました。こちらアール・ラッシーと、セイロンティとなります。……って、アンナちゃんと、マリアせんせーじゃーん。山籠りから、もう帰ってきたの? おっかえりー。早かったじゃん。店長呼びますー?」
「今回の依頼は延期となりました。ただいまです。レベッカ様。店主様は、お呼ばれにならなくっても結構でございますよ」
「そう? ま、今は店長も忙しいしねー。あと、仕事中だからって気にしないで、いーよ。私の事は、おねーちゃんって呼びなってー」
「はい。レベッカおねーちゃん」
良き良きと頷くレベッカであった。
「ただいま。レベッカちゃん。次回の講習は予定通りに行いますが、私も暫くは在宅なので、質問などがありましたら、交信か、お家へいらっしゃいな。それとチークの色味、少し変えられました? 今日のも、大変お似合いで、可愛いですよ」
「さっすが、せんせー。わかってんねー。それに、めざといなー。うちのママの新作の内の一つでっす。ちょっとラメ入れて貰って、ツヤってした感じにしてもらいましたー」
レベッカの肌は黄色が強い。髪色も明るめの茶褐色で、瞳は虹彩がはっきりとしている。
「新作ですか。それは是非、また伺わないとなりませんね」
「歓迎しますよー。あ。お店にまた新しい型録置いて貰ってるんで、よかったら見ていってくださいなー」
嬉しそうに雑誌棚を指差したレベッカに、他の来店客から、「すいませーん」と言う声が掛けられる。彼女はアンナ達には、ごゆっくりどうぞー。と言い残して去って行った。
マリアはニコニコして彼女を見送った後、雑誌棚に向かう。型録を取りに行くようだった。
レベッカの母親は昔、錬金術を生業としていたそうだが、今は夫が起こした化粧品会社で、商品企画兼開発主任とてして勤めている。彼女の化粧品は、シシリア女性達に大変な人気があった。
レベッカはミリアムの友人で、学園生でもある。安息日にミリアムが誘った友人達の内一人でもあった。その日、マリアを伴ってセレーナに訪れたアンナは結果的にでこそあるが、彼女達とは打ち解けられた。
とびっきりに陽気な彼女達の、心理的距離感の詰め方が凄かったせいである。