前のも改稿をしなくては。
読んでくださる方々。本当に、励みになります。読まれたって事実が見えただけで、とても幸せです。
酷い頭痛に襲われて、ジクジクと胸が痛む。明るく清潔なお部屋である筈なのに、視界に映るもの全てが、とても昏いものに見えた。
「アンナちゃん。大丈夫? お話、随分と長くなっちゃったもんね。少し、疲れちゃった?」
急に俯いたせいか、レーナに背中を摩られる。手付きと声音が、とても優しい。今一番、顔を見られたくない人のくせに、その手つきは優しくて、とても暖かかった。
「……大丈夫です。何でもありせん」
そう絞り出すのが精々だった。この感情は、ただの嫉妬であるとの自覚はあった。計算上、レーナがアニメーションを企画、制作し始めたのは学園入学前、六歳以前である。
期間を短く見積もっても、五歳の時だ。その頃の思い出があるのは、とても羨ましい事であった。
「レーナお姉様は、その頃のお友達とは、今でも?」
「マブも何人かいますねー。今でも一緒に、よく幼女ウォッチングに行きますよ。王都の学園とかに。彼等も随分と落ち着いたとはいえ、所詮は変態という名の紳士なので、そこでしか得られない栄養素がありますからね。必須成分というヤツです。まぁ、異性とはいえ、偶に遊びに行く程度なら、許容範囲ですね。変な騒ぎは起こしませんし。お友達程度としてなら、付き合わない事もありません」
——ああ。羨ましい、妬ましい。
その頃の私は、マリアを悲します事しか出来なかったのに。あの頃のマリアは、悲しそうで辛そうで、とても疲れていた。
なのに、私は朦朧としていて、慰める事も、手を握る事も出来なくて——。
言い様のない程、黒い想いが胸を灼く。
——サルバトーレだって、殆ど毎日、早い時間に帰ってきていた。
お仕事が大好きで、日向のように穏やかな人が、眼を血走らせて、とても疲れ切った様子で。なのに、私はおかえりなさいと、感謝の気持ちさえ言えないで——。
灼けたものが、粘っこく纏わりついてくる。
——時たま訪れるマザー・ドゥーラは、いつも怒っていた。疲れ果て、日に日に窶れていく二人に対してだけでは飽き足らず、あろう事か、主に対してまでもだ。
聖母ともあろうお方が、主へ呪いの言葉を吐き出して、罵るのだ。そして私に祈るのだ。今にも泣き出しそうな、とてもらしくない顔で。なのに、私はごめんなさいと、贖罪する事さえ出来ないで——。
ジクジクと、胸を焦がすのは、黒い炎。後悔、恐怖、怒り、憎しみなどという負の感情を煮詰めて、腐敗させたような、どうしようもなく浅ましい感情だ。
——フロレンス様だって、治療の為に来てくれた。
守衛のおじさんや、牧場のお爺さん。温泉掃除のおばさんや、近所のお婆さん。皆は揃って、悲しそうで、辛そうな顔しか見せてくれない。
私は、皆にも、誰にも、そんな顔させたくないのに——。
黒い炎が魂を燃やし、延々と燃え盛る。
——そして、私の初めてのお友達は——。
その時、目の奥に火花が散った。
頭痛の先、意識を失う兆候だった、その頃の事を思い出すと、アンナはいつも幻覚を見て、頭痛に苛まれながら倒れる。
《大丈夫よ》
そして幾重にも重なったような、声が聴こえる。すると、燃え盛る黒い炎に、蒼く輝く何かが投げ込まれ、一瞬でその火を消した。
後には、もうもうとした、白い煙が立ち昇ったようだった。霞が晴れるようにして、アンナの視界は幻覚から現実に帰ってきていた。
「ねぇ。アンナ。アンタ調子悪いみたいだけど、大丈夫なの? うん。熱はないわね」
アンナの額に当てた掌を外し、リーナが尋ねる。彼女の手は、冷たくって気持ち良かった。
「はい。大丈夫です。ちょっとした、心因性の発作みたいなものです」
「そう。だけど、気分が優れなかったりしたら、すぐ言ってね。我慢はダメよ。お姉さんとの約束よ」
顔を真上から覗かれて、ノエミに叱られる。なぜだか、彼女に膝枕されている。
柔らかい癖に芯があり、かなり心地が良い。
だが、絨毯と敷物が敷かれているとはいえ、大理石の床である。正座などして、痛くはないのだろうか。
「そーよ。いきなり立ち上がったと思ったら、膝から崩れるように倒れちゃったんだからね。おねーちゃん、ちょー心配したんだからね」
アンナの両手を握ったまま、レベッカがプンプンしながらも説明してくれる。軽い口調で隠しているが、掌は熱く、汗が滲んでいた。余程心配かけたようだった。
「
と、宣いながら、アンナの上着を捲り上げて、剥き出しになったお腹を撫で摩っているのはレーナであった。
アンナは小さな悲鳴をあげて、その手を払おうとしたのだが、その為の両手はレベッカに握られたままである。
彼女には、レベッカの手を振り解けるような筋力は無い。結果としては、手をちょっとだけ強く握り返しただけとなった。
「ん? なぁーに?」
人の気も知らないで、呑気に笑いかけてくるレベッカだ。
見て欲しいと、レーナの方、つまりは晒されたお腹の方へ顎をしゃくると、見てくれる。
そこには、アンナのお腹を撫でているレーナがいた。良識のあるレベッカならば止めてくれると、アンナは期待した。
だが、現実は非情であった。
レベッカは、触診だねー。プニプニの、可愛いお腹。
などと言いながら、何もしない。お腹を曝け出されているというのにだ。
チラチラと彼女の顔を見ていると、その表情には疑問符が浮かんだ。
そういえば、今日も、というか、いつもだが、彼女は臍出しだ。羞恥心のポイントは、お臍やお腹にはないようだった。
「あ゛だ!?」
気が遠くなるような絶望感に陥りかけたアンナだが、救いがあった。
リーナがレーナの後頭部を片手で鷲掴み、持ち上げたのだ。必然、お腹を撫でられていた手が離れていく。
「アンナちゃんみたいなお子ちゃまには、臍出しはまだ早いわね。臍出しは、もうちょっと大きくなってからね」
言いながら、ノエミが上着を直してくれる。
彼女も今日はお臍を見せている。薄絹で織られた、シフォン越しでこそあるが。
ノエミも露出には全く躊躇いがないのである。ミリアムもそうだった。もしかして、お腹を見せるのは恥ずかしくないんじゃないかと迷いかけたが、ただの気の迷いだろう。実際に、アンナの顔は、火照って真っ赤になっていた。
「見診、終わってたのよね? どうして、いつまでもお腹を撫でているのかしら? お姉様」
ミシミシと、レーナの頭蓋が悲鳴をあげる。
「そこにお腹があったから」
「反省しなさい! この変態っ!」
キメ顔で答えたレーナの身体が宙に舞った。
「アンナっ! アンタもよっ! 変な事されそうになったら、大声を出して暴れないでどうするのっ! 大人しく変態の餌食になってんじゃないわよ!」
そうアンナを叱りつけるリーナだけは、露出癖を持たない。
彼女の好みは、装飾過多で華やかな装いだ。今日もふんだんにフリルやレースで飾られた、真紅を基調としたワンピースドレスである。
アンナが素直に反省の言葉を口にして、ありがとうござます。リーナお姉様。と告げると、彼女は満足げに頷いて、席に戻りましょう。残姉、お茶を淹れてきなさい。と姉に命じた。
そこでアンナも立ち上がろうとしたのだが、ひょいと身体を持ち上げられて、横抱き、所謂お姫様抱っこをされる。下手人はレベッカだ。
「おい。レベッカ狡いぞ」
「いーじゃん。膝枕譲ってあげたんだし。ほーら、アンナちゃん。おねーちゃんのお膝で、お話の続きをしよーねー」
ポフンと音を立てて、椅子に腰掛けたレベッカの膝上に座らされたアンナだが、寛ぐ前にはやるべき事があった。動けないので、そのまま深々と頭を下げる。
「レーナお姉様。ごめんなさい。私、お姉様に嫉妬したんです」
突然そんな事を言われれば、今のレーナのように、鳩が豆鉄砲を食ったような顔にもなるだろう。他三人だって、似たような表情だった。
「ふぇ? 嫉妬ですか?」
「はい。嫉妬です。ですが、その前に私が、自分の事をお話しなくてはなりませんね」
四人は興味津々だ。別に面白い話じゃありませんよと前置いて続ける。
「先程倒れた原因ですが、肉体的なものではなく、心因的な発作であると、診断されています。診てくださったお医者様が仰るには、精神的後遺症が、肉体に影響しているらしいです」
その言葉に、四者四様な反応を見せる。
レーナは普通に相槌を打ち、リーナは静かに聞いているが、眉間に皺が寄っている。ノエミは珍しく眉を落とした表情で、しおらしくしていた。アンナを抱くレベッカは、身体にきゅっと少しだけ、力が入っている。
「私には、五つから六つの間の記憶が、断片的で、朧気にしかありません。その頃に洗礼を授かったそうですから、きっと何かがあったのでしょうね。それが原因ではないかと、お医者様は仰りました。ですが私には、その記憶自体がありません。でも、納得出来ました。発作は、その頃の記憶に触れそうになると起こるのですから」
四人共、言葉を挟まなかった。それぞれに、思う所はあるのだが。
「当然、その頃の自分の身に何が起こったのか、それを知りたい欲求はあります。ですが、マリアは約束してくれました。時が来たら、教えてくれると。なのに、ダメな娘ですね」
話の流れから、レーナが五歳の頃に始めた事だと気付いてしまい、楽しそうに思い出を語るのに嫉妬して、自分と引き比べてしまったのだと続けると、レベッカがギュッと抱き締めてくる。
リーナとノエミには、わしゃわしゃと頭を撫でられた。レーナに至っては涙と鼻水を流しながら、ごめんねぇ、ごめんねぇ。などと謝ってくる始末だ。
「いいえ。レーナお姉様はまったく悪くありませんよ。悪いのは、勝手に嫉妬して、発作を起こした私ですから。皆の前で発作なんて起こしたら、余計な心配かけるなんて、判り切っていた事なのに、自制出来なかったんです」
心配かけちゃって、ごめんなさい。と、それぞれの名を呼びながら、謝罪していく。最後にごめんなさい。レベッカおねーちゃん。と背中の彼女に謝ると、ますます強く抱き締められた。そろそろ痛いくらいであった。だが、やがてそれも緩む。
「そーいえばアタシ達、何の話をしてたんだっけ?」
そして爆弾が投下された。
「バカねレベッカ。ただのアニメ談義よ」
「確か、月と太陽に溺愛されての真最終回についてまで語っていたな」
「うん。それはそうなんだけど、なんか違くない?」
「そういえば、盆暗達の口上の解説だったわ」
「いや。それも違うな。その前は、学府での教育についてで、ノルドについて語り合っていた筈だ。アニメの話をする前は、学府とノルドの関わりについて話していたな」
「そうだったわね。そういえば、何でノルドの話しになったのかしら?」
「ノルズの銘があったからじゃないっけ?」
「「「「「あ」」」」」
五つの口から、まったく同じ言葉が漏れた。
ここまでの話、そもそもが、御使のおくるみに刻まれた、ノルズの銘から始まったものである。
ノルズを知らないノエミへの、レベッカの解説が逸れに逸れて、いつの間にかアニメ談義にまでなっていた。
そしてそれさえも、アンナが訪れた意図とは異なる。彼女は御使のおくるみの正式譲渡の為にやって来たのだ。
ここまでの会話は全て、一緒に明細を確認して欲しいと彼女がせがんだからこそ始まった、壮大な無駄話であった。
「……そ、それで。明細の方で、何かご質問はありませんでしょうか」
ダラダラと冷や汗を流しながら、レーナが言う。
最初に飛び出すのは大人の役目とばかりに、強引な修正を図った。
「私はありませんね。金額は妥当なものに思えます。それにしても、解析が済み、量産化された場合、その収益の一部が元所有者であるアンナちゃんに還元されるなんて、随分と思い切った事をしましたね。流石、フロレンス様」
「私もないわ。商売としてはちょっと売り手に配慮し過ぎな気もするけど、査定はほぼ完璧よ。流石、フロレンス様」
「うーん。アタシは、ノルズの唯一品という事で、文化的価値を考えると、査定以前に、解析に反対なんだよねー。でも、査定には文句はないよ。流石、フロレンス様」
三人揃ってフロレンスを賞賛する。彼女達の目利きには信用がある。しかも、口振りからすれば、相当こちらに配慮されているらしい。
フロレンス様は無理をされていないだろうかと心配したが、あの厳格で公正な、優しい婦長様なら、顔色一つ変えないだろう。アンナも黙って頷いた。
「こ、この三人から何の苦情も入らないだなんて、流石ですわ! フロレンス様!」
レーナなど、感激して叫び出す始末だ。何故四人揃って流石、フロレンス様で締めるのか意味は解らないが、アンナも思った。流石、フロレンス様と。