純潔鑑定士になどになる気はなくとも、人の恋バナには興味があるし、ゆくゆくは自分も結婚などをしてみたいと願っているレーナである。後学の為にと、話の続きを促した。
「旦那とは、郷を出て、草働きをしている時に相棒として出会いましてなぁ。若さ故ですかな。燃え上がるような恋をして、成人を迎えてすぐに、祝言をあげました」
カロリバ達夫婦は草である。どちらも戸籍を持たない無宿人であった。それを恥じる事はないが、やがて産まれてくる子供を草とするつもりも、無宿人とするつもりもなかった。
その頃のヤホンは既に、草働きで身を立てる時代では、とうになくなっていた。
「祝言の三月後、胎に子がいるのを知りましてのう。必死で働いて、子供の戸籍をどうにか手に入れる算段がついたのですじゃ」
やはりカロリバの話は上手く、筋も活劇ものとしては良く出来たものである。この辺りの下り、レーナはとても面白く聞いていた。
「じゃが、ある任務で身重の儂を逃す為、旦那は囮となって散ったのじゃ」
この辺りの語り口は迫真で、レーナなど思わず手に汗握り聞き入っている。だが、彼女は千言の魔女とまで称される才媛だ。閃いてしまう。この経験は、今後の作品に活かせるかも知れないと。
当初の予定では、カロリバも旦那と共に戸籍を手に入れて、親子三人慎ましくとも生きる予定であったそうだ。だが、旦那の死によって、その計画は潰えたという。
「女の意地というものですかな。若くして死んだ夫と、同じ所に居たかったのです」
「うぇーん! 貞女の鏡だぁー!」
既に泣き出しているレーナであったが、脳内メモ帳にこのエピソードを記している。ちゃっかり者だった。
そしてカロリバは、草と母親という二足の草鞋を履いて、浮世を縦横無尽に駆け巡る。
それは聞くも涙、語るも涙の、笑いあり、涙あり、人情あり淡い触れ合いありの、生活と冒険、異なる二つを余す事なく描いた大活劇であった。少なくとも、レーナには、そうであると受け止められた。
「やがて娘が無事成人を迎え、商家の一人息子に嫁いだ時、やっと肩の荷が降りた。そう思いましたのですじゃ」
「ねぇ。おばあちゃん。おばあちゃんは娘さんを育てている時、再婚しようとは思わなかったの? だって、一人は寂しいでしょ? それに、口入屋の手代さん。多分だけど、カロリバおばあちゃんに気があったよ」
「ほんにお優しいお嬢様なことで」
皺皺の手で、レーナの頭が撫でられる。
ガサガサとした肌触りの、強い手だ。この手で娘を育んできたのだろう。優しくて強い、レーナがまだ持ちえない、誉と力の象徴だった。やはりまた、鼻の奥がツンとする。
「妾だって木石じゃありませんからね。シンスケさん。口入屋の手代さんのお名前ね。あの人に、一度もよろめかなかった訳じゃ、ありませんよ」
しっとりとした、艶を含んだ女の声音であった。思わずレーナはカロリバの顔をマジマジと見る。皺くちゃの、老婆の顔である。だが見た目だけはそのままに、艶めいて華やいだ、美しくも色っぽい女の顔が、そこにはあった。
「女だって身を持て余しますからね。あの頃は妾とて女の盛りです。何度あの逞しい腕に抱かれて睦み合いたいと、自分を慰めた事だか」
口調も一人称も変わっている。これは旦那さんや娘さんとの話をしている時もそうだった。
憶測であるが、彼女はこういう時にこそ真に思い出に浸っているのかもしれない。それ程に思い入れがあるのだろうと察せられた。
「お嬢様には、まだ早ようお話でしたな。儂がシンスケさんを受け入れなかったのは何も、夫に操を立てての事だけではありませんのじゃ」
カロリバが言うには口入屋の手代シンスケは逞しくも賢い上に男振りが良く、ちゃんとした様々な家から、是非婿にと、引くて数多であったそうだ。
その中には豪商や武家まであったというのだから、相当なものだったのだろう。
「そんな素敵な殿方と、無宿人で瘤つきの女が一緒になるだなんて、出来やしませんよ。もったいない。だから娘が七つになった年に、思い切って引越しました」
その頃には蓄えも出来ていて、無理をせずともやっていける算段も整っていたそうである。
「幸いに娘は運動はからきしでしたけど、頭の方はよく働いて、素直で利発な子でしたので」
娘自慢である。レーナは母に自慢されたという話を聞いた事がないので、ちょっとだけ羨ましい。大体の場合、怒られるか呆れられているのだ。
同士達と幼女ウォッチをしていて検挙された時など、マジ泣きされている。
彼女は碌な事をしないので、自業自得であった。
「おばあちゃん。シンスケさんから逃げたんでしょ」
「あら。存外に鋭いですな。どうしてそう?」
「女の勘ですぅー」
なんとなく、悔しくて言ってみる。勘であるのは本当だった。
「その頃に、本気で想いをぶつけられちゃいましてね。怖くなって、逃げてしまったのは正解でございますよ」
正解だそうである。聞けば、とある草働きで傷を負ったカロリバを、シンスケは泣きながら押し倒したそうである。危ない事をしないでくれ。貴女も娘さんも、俺が面倒を見る。だから、傷など負う仕事なんて、しなくて良いのだと。
思わずレーナは、きゃっ! シンスケさんてば、だいたーん! などと叫んで顔を両手で覆った。
「あの人、泣きながら言うんですよ。だから、君の夫に、娘さんの父親にならせて欲しいって。頑張るから、幸せにするからって」
レーナは大興奮である。両腕をブンブン振り回している。その行為に、特に意味はない。
「だからね。怖くなっちゃって、逃げたんですよ。妾は誰かに凭れ掛って幸せになれるような女じゃない。手は血に濡れてるし、生きる為、自分の為だけに殺生だって繰り返してきた。そんな女が、お日様の下で懸命に生きている男の人を好きになったって、辛いじゃないですか。妾が幸せになれても、好きな人を幸せにしてあげられないんですもの」
女の顔で、唄うように。
レーナは、これは、カロリバの告解であると思った。そう思えばこそ腕を振り回すのを止め、神妙にしている。
「その後、シンスケさんは、とあるお武家様の家に婿入りし、幸せに過ごされたと、風の噂に聞きました。……儂は、一本の草ですじゃ。その生き方しか知りませぬ。今も昔も、それは変わりはしませんぞい」
視線に気付いたようで、口調などを戻してしまうカロリバであった。
それからは穏やかなものでしてな。などと続ける。娘と二人過ごす穏やかな日々。やがて娘も年頃となり、ビタロサで言う学府に相当する学問所に進んだ。
「そこで出会った商家の一人息子と結ばれた娘は子宝にも恵まれて、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
それからは悠々自適なもので、共に暮らす事はなかったが、娘夫婦と孫に囲まれ、両親とも縁を結び直したカロリバは、幸せな余生を過ごしましたとさ。改めて、めでたし、めでたし。と、強引に結ばれた。
「異議ありっ!」
だが、その結末に、異議を唱える者がいる。そう。大人しくもしていないが、カロリバの物語に聞き入っていたレーナである。
「ほう? 異議ですかな」
「うん。異議だよ。その結末じゃ、おばあちゃんが、今ここにいる説明がつかないよ。それは、矛盾です」
ちょっとだけ憧れたやり取りである。レーナは渾身のドヤ顔だ。どこぞの裁判でありそうな流れだが、ありそうなだけで、ある筈もない。
術師がいて、術式がある。多くいる訳でもないが、物質に宿る記録、あるいは記憶を可視化する術式を扱う者がいる。その術式により、裁判では事実関係を争う必要が殆どないのだ。
「矛盾は言い過ぎじゃろうに」
「言ってみたかったんだもん」
こんな無駄に便利な術式などなければ、弁護士を目指していたものを。などとレーナは考えている。
これは場当たり的ないつもの適当でなく、積年の想いであった。
彼女は推理小説が大好きで、よく読む。殊に探偵役に憧れていた。その影響で、妹のリーナもよく読むようになったのだ。
なお、推理小説の原則として、小説舞台は術式の使用が不可能な設定となっている。
その状況説明の為の描写が長いのと、いや、術式使えば良いじゃん。などと主張する脳死勢のせいで、推理小説の人気はいまいちだ。
知的遊戯を解しない衆愚に怒りを燃やすシュペー家令嬢姉妹だが、近頃はアンナという同士も加わった。
なかなか話の分かる幼女である。可愛い。推理小説の感想や考察をしたログだけは、リーナが送ってくれるのだ。さすがは賢妹。可愛い。あと、二人とも、とても可愛い。
そんなレーナの乙女心など知らず、やれやれと嘆息するカロリバだった。
「あまり楽しいお話じゃ、ありませんぞ」
「でも、主人としては、知っておくべき事だよね。多分だけど」
「やれやれ。頼もしいお嬢様じゃのう」
実際に、十数年の間は言った通りに、めでたし、めでたしで結ばれる日々だったそうだ。
「娘に孫が産まれた頃ですな。儂にとっては、ひ孫にあたりますがのう」
娘夫婦は堅実に商売を広げ、その頃には豪商として、頭角を表していたそうである。
婿はなかなかのやり手であり、カロリバの孫に稼業を譲り渡した後、新たな商売、新通貨の鋳造に参画していたらしい。
これは富が富を呼ぶ事業であり、公共の利益ともなる事業であると謳われていた。
「儂には、商売の事は判りかねますが、娘夫婦がそう言うのでしたら、そうなのでしょうな。ですが、人には分があります。婿殿は、それを踏み越える事を、夢見ていたようです」
ヤボンは厳しい身分制が引かれている。
それらの身分に優劣はなく、士農工商の四民平等が謳われているが、事実としてはそうではない。
並ぶ順番で、前である程権力が強く、後ろである程自由であった。
「ヤボンはこの枠に入らんとする者には寛大ですが、一度入ってしまったら最後、その身分から抜け出る事を良しとしません。分を超える事は、死によって贖うべし悪とされております」
一見はそう見えぬが、婿殿は野心家で、向上心の強い人だったのだろう。と、カロリバは語る。
士分になりたい。彼が商売で財を成し、それを惜しげもなく散したのも、その目的の為なのだと、人々は言いそやしたらしい。
「そんな噂が流れて少しした頃の話です。娘夫婦の住まう家に、押し込み強盗が入りました。憐れな事に娘夫婦は、強盗達に殺されました」
強盗達は程なくして捕まり、死刑となった。
「この事件には、些かながら不審な点がございました」
「それは、娘さん夫婦の暮らしぶりからの事ですね」
先程までの物語の中にも、その暮らしぶりは語られていた。
カロリバの影響かまでは判らぬが、娘は華美な生活を好まず、質素倹約を心掛けた慎ましい生活を送る事が好みであった。その夫もまた、それを良しとしていて、二人の住む家は家屋こそ立派だが、窮地の際の蓄えなどを置かず、家財にも価値ある物を置いてはいなかった。
隠居とはいえ名士である。その事実は隠れもない事であった。
「噂好きの民達だけでなく、儂も不審に思ったのじゃがな。調べてみても、何も出て来やせん。草の儂が調べても何もない。記録再生術式には、処刑された者共の顔がはっきりと写っておる。正直なところ、お手上げじゃった」
運悪く、不幸にも娘夫婦は、考え無しの狼藉者達の手にかかり、死んだ。そう思い込もうとしたという。
「じゃが、そう思いながらも気になって、日々を過ごしていると、気付きがあったのじゃ」
強盗や殺人は、大抵の国において極刑にて処される。ヤボンも例外ではない。
そもそものその手の犯罪は、報いの割に実入りがない。あえてする者など、錯乱したか、衝動的な行動以外には考え難い。すぐに足がつき、報いは死だ。
記録再生術式による犯罪抑止であった。
技術による悪の根絶を誓った技術者達も浮かばれようというものだ。
「それまでは縁もなく、まるで気付かないでいておったんじゃがな。類似の事件、あまりにも多いのじゃ」
「それは偶然とは思えませんね」
その通り。そう思ったカロリバはその手の事件の裁判に足繁く通うようになる。
ついでではあるが、犯罪被害者遺族達の救済活動も積極的に行った。これは、孫達の協力あっての事であるのだが、同類相憐れむという言葉もあり、決して無意味な活動とはならなかった。
「暇を持て余した老人の身、いくつもの悲劇を見たよ。悲しい事にな」
そしてある時気付いてしまったのだという。映像の中に残る、術式の残滓に。
「奇しくもお嬢様が先程仰いなさった、皮被りというヤツじゃよ。並大抵の術師達ではないわな。いくつもの術式を、複合させておる。それも集団でじゃ」
皮被り。これは一部の怪物に見られる擬態方法で、対象に巣食う事によって成り変わる術式であった。
術式難易度は非常に高いが、巣喰う事さえ出来れば、他に大した縛りはない。
「強盗や人殺しなどの供述も、それを裏付けるようなものでしたな。確かにやった記憶はあるが、何故だか判らないと。裁判では、錯乱状態や突発的な犯行として処理されたのじゃが、皮被りをされたのならば、そうなるだろうよ。眼や脳は、本人の物なのじゃからな」
こういった術式があるが為に、推理小説では術式の存在は禁忌とされるのだ。推理や、捜査では辿り着けようのない真相など、読み物としては面白みに欠ける。
「かといって、娘達を殺した下手人の、尻尾を掴んだ訳ではないのもお判りでしょうな。この推測、証拠も無ければ、根拠もありませぬ」
なのでカロリバは、注意深く観察を行い続けたらしい。草として慣れた事で、いつか、どこかでボロを出したり犯罪の瞬間や、成り替わりの現場に出くわす事を期待して。
「そんな心持ちでいたからこそ、バチが当たったのでしょうな。ある日、孫娘がその連れ合い諸共に襲われました」
それは孫娘が、その子、つまりはカロリバのひ孫へ稼業を譲り渡し、両親の無念を晴らさんとして、あえて通貨鑄造事業へ乗り出してから暫く経っての事だった。
娘が殺された後、カロリバは孫娘へ幾つかの贈り物をしている。それは手作りの簪であった。
カロリバ得意の忍術である察知、影潜り、そして影渡りの触媒とする為に作り上げた、ただ一つの術具であった。
安定して術式を道具へ付与出来るのは、付与師のみである。だが、触媒とされる術具は少々異なる。
まず触媒自体には、術式発動機能がない。では何のためにあるかというと、己の用いる術式の増強や効率化の為に存在する。
なんらかの手段で触媒を介す事により、術式の効果は強化、あるいは進化される事がある。
一例としては、眼球を取り出して触媒として用いる事により、一時的に物がよく見えるようになる遠見が、離れた所を見る事が可能となる千里眼などに強化、あるいは進化する。術式の特徴にあわせた部位程、効果は高い。
ただし、触媒の作成には術者本人の肉体を捧げる必要がある上、作成後でなければ効果も不明であるので、髪や爪などの再生可能な部位を除けば、態々肉体を欠損させてまで作る者は極少数に留まった。
「儂は、歯を使って簪とし、影渡りの出口を作る為の触媒としたのじゃよ」
そう言って大口を開いたカロリバの歯は、その半数ほどがなくなっている。抜いたそれらを加工して、簪を作ったのだというのだ。
「そこまでして……」
言いかけて、止める。突然の凶行で娘を失った。ならば、孫娘の身に、同じ事が起こる筈がないなどと、誰が言えよう。
しかもカロリバは手練の忍だ。その場に居合わせさえすれば、娘達を救えた筈である。
何処かの誰かが、窮地に陥って、その時、その場に居合わせる運。それは生優しいものでなく、時に天運、そして運命とも呼ばれる何かである。
そんな事は、レーナとて良く知っている。それがないからこそ、どれだけ力を得ようとも、レーナは『英雄』ではない。嫌になる程に、自覚があった。
それを、この老婆は、自らの手で、身に付けた技術で以て手繰り寄せようとしたのだ。文字通りに、その身を削ってまで。
「愚かな婆だと、笑っても構いませんぞ」
「笑わないよ。ねぇ。カロリバおばあちゃんは、間に合ったの?」
「ええ。この時ばかりは。間一髪でしたがの」
「よかったぁ」
華が綻ぶように、レーナが笑った。
皺くちゃの顔を、更に皺くちゃにして得意げに笑ったカロリバの顔を見て、いつもの表情に貼り付けた微笑みではなく、心底から嬉しそうに笑う。
「ねぇ。おばあちゃん。聞いていい?」
「どんな事でもお答えしますぞ。お嬢様」
「私も、間に合うかな?」
「諦めなければ、道を探し続ければ、きっと」
「こんな私でも、なれるかな? 誰かを救える『英雄』に」
「さてな。それはわかりかねますが……」
言葉を区切るカロリバ。その先に、含みを持たせるようにして笑う。
老獪とは、こういう人の事を指すのだろうと、レーナは思った。
「惰性で生き続けてきた儂に、誰かと過ごす楽しさを思い出させてくれ、救ってくれたのは、レーナお嬢様という『英雄』ですじゃ」
「何それ。やっすい『英雄』」
「何かを、誰かを救いたい。幸せになって欲しいと願い続ける事が出来るなら、それはもう、立派な『英雄』ですじゃ」
「も〜。適当ばっかり言う。でも、そっか。そうだね。私もまた、頑張ってみるよ。ありがとうね。カロリバ」
「応援しておりますぞ。レーナお嬢様」
何がおかしいのか、腹の底から笑い合う、今日作られたばかりの主従二人。
片や麗若き乙女、片や百年近くを生きた老婆。二人は、暫くの間、飽きる事なく笑いあうのであった。