ツイッターに投稿したSSを纏めているため若干文章の前後がズレている場合もありますが、ご了承願います。
星欧で推理小説の文化が花開くと、謎解きもそうだが頁をめくることで書斎にいながらにして世界各地の様々な未知の文化に触れることが出来る、海外ミステリ小説の魅力に人々は瞬く間に虜になった。
ブームが起こり推理小説について語る界隈が出来ると、そこで作品の評価や感想を語りあったり、「推理小説」の定義やルールそれ自体について物申す者なんかも現れたりするのだった。
(もちろんその「お約束」を敢えて破ってみせる作家もいたり)
こうして推理小説そのものがジャンルとして確立し、評論や研究の対象になっていった訳だが、ブームの発生からしばらく後の時代の話、ある推理作家が「十戒」なるルールを発表する。
この十戒、その名の通り「読者に事前に知らせていない事柄を事件に利用してはならない」といった、推理小説でやってはならないとするルールを10つ並べたものなのだが、この中で一つ気になる項目がある。
「主要人物として『道洋人』を登場させてはならない。」
これは決して道洋人を差別しているとかいった訳ではなく、当時の星欧の人にとって、遠く道洋は神秘の地、そこに住まう人は超自然的な存在であり、彼らを登場させることで作品自体が非合理なものになってしまうといったものだった。
(そこに逆説的に偏見差別意識がないとはまた否定できないのだが)
もっと有り体に「要するに道洋人は魔法を使うと思われていたんだ」などと解釈する者もいたが、となると真っ先に我々には疑問に浮かぶことがある筈だ。
星欧の地、我らのすぐ隣に、まさに彼らがいるではないか。
超自然的な存在。魔法を使う生き物が
エルフやオークといった魔種族が。
実のところ、ジャンルが開闢したての頃は、まさに魔種族を「犯人」にするような作品も存在した。
といってもまた別にブームが発生した怪奇小説の延長線上で、「邪悪な魔種族が善良な人間を扼する」といった、往時の魔種族への偏見に根ざした、愚にもつかない様な代物だったが。
当時SSの作家が作品を発表し、その奇抜な着想が人々の心を捉え世界を席巻した。(実は順番が前後して、この作品こそ推理小説の嚆矢になった作品なのだが)
「ある陰鬱な街のアパートメントで親娘が殺された。死体は酷く損壊し部屋も荒れ放題。ただ現場は密室状態であった」という内容なのだが、結論から言ってしまうと、「犯人は街に迷い込んだオークで、その馬鹿力で屋根を伝い、事件後も結果的に密室を作り出したのだった」という内容だった。
部屋の屋上に四本の手足で天井にぶら下がり、何も知らぬ被害者をまさに頭上から襲わんとする醜怪なオークの扇情的な挿画が、大体的に世間に広告された。
これまで数多の怪奇作品については目を瞑ってきたオルクセン国王グスタフだが、今回は外務省を通じてその蔑視的表現について公に抗議を表明した。
出版社と作品の作者は抗議を受け問題の表現を取り下げ。作品においても結末部分を次の版より「ガジーラ」という架空の怪獣の仕業であったことに改めた。
この時の件について、グスタフは後世ディネルースに語った。
「(今の立場で微妙な発言にはなるが)もちろんあらゆる表現の自由は保証されるべきだと思うよ。ただ表現には責任が伴うし、相手の表現について自身はどう思ったか。それを述べる自由もある」
「私はその自由に基づいて抗議をしたし、それにどうリアクションするかももちろん相手の自由。今回は相手も表現を取り下げる選択をしたのであって、決してそれを強要した訳ではない。無論一介の出版社に対して国王の立場を示威したという負い目はあるけどね」
話を聞いたディネルースは疑問を口にした。
それまで数多の三文小説における差別描写を静観してきたグスタフが、今回の推理小説の先駆けとなった作品について、何故こうも立腹して「みせた」のか。
グスタフは優しい眼で相方を見て答えた。
「リアリティの問題だよ」
「無論私も宇宙空間で爆発音がするリアリティを尊重する者なのだけどもね」と聞き慣れない言葉を挟んだ後で、
「それぞれの作品には、その作品のジャンルや志に見合ったリアリティが、求められているものなんだよ」
例えばあの手の小説などは、悪趣味な表現で読んだ読者を怖がらせることを目的としているものだ。
読者もそれを目あてに本を手に取っている訳で、初めから現実性なんて求められていない。本の内容だって真に受ける者なんてまずいないだろう。
もちろんこちらとしては内心複雑だけどね。
一方で今回の小説、舞台こそ架空の街だけども、世界観は現実のそれに即した描写を徹底した作品だ。
グロワールの陰鬱な下町の雰囲気やそこに住まう住民の息遣い。その迫真性には、私も読んでいて思わず息を呑まされたよ。あの国の警察による最新の科学的捜査の導入について、作品に取り入れたのも良い。
けれどその様な作品に、「天井にぶら下がるオーク」なんて荒唐無稽な嘘が混じっていたらどうだろう。いっぺんに興冷めじゃないかな。なんと言っても作品の魅力であったリアリティが削がれてしまうのだから。
グスタフが取り出したスクラップ帳に纏められていた問題の挿画を、ディネルースは眺めた。
天井に張り付いたオークの手足。関節が「逆さ」についている。あの人間と身体の構造が違うという迷信が採用されているのだった。なるほどこれは確かにこれは看過できない明確な嘘だなと、彼女は得心した。
それに主人公だって、広範な読書量で幅広い知識を持ち合わせた博識な人間だ。
彼が「野蛮で凶暴な、関節の向きもおかしいオーク」なんて迷信に過ぎない代物を知識として開陳したら、どうだろう。幻滅だろう。
そう語るグスタフの脳裏には、民俗学的魔種族研究の泰斗となった友人の顔が浮かんでいた。
もちろん作者が「私の作品の世界ではオークは『こう』なのだ」とあくまで主張することは出来る。
ただそうではない。現実に根ざしたリアリティを構築することを選び、旧弊の迷妄を振り払ってくれた作者に、私は敬意を表するよ。そうグスタフは結ぶのであった。
さて時代は推理小説開闢の頃に戻るが、この騒動によって作品に魔種族を登場させることに自主規制がかかるかというとそういったことはなく、これまで通り登場していた。
そうでもないと出版社も需要にネタが追いつかない。それぐらい市民は日常に刺激を与えてくれる推理小説に、「謎」に飢えていた。
魔術を使う種族を登場させて良いかという問題。
これについては後に十戒となるルールを、念頭に置いて読者に謎解きのヒントを提示しておけば良いのだ。
登場人物の中にいる魔種族が単独であるならば、通信魔術は機能しない。
あらかじめそのキャラが使える魔術を提示しておくのも良いだろう。
そして作家も流行にあぐらをかいていられることもなく、読者の眼は肥え要求されるハードルは上がっていき、内容は一層洗練されていく。
「全員が身長の低いドワーフ種族であった」などと、叙述トリックも発明された。
ルールを逆手に取り、魔術をトリックに組み込んで見せる作家もいた。
(もちろんブームに便乗した愚にもつかない偏見の代物もある。ただそうしたものはやがて競争によって淘汰されていく。そもそもある種のクリーチャーへの薄暗い「欲望」を商品にしたものについては、グロワール書院とかディートネ文庫が受け皿となり以下略。)
こうして推理作家によって描かれた魔種族の姿が(読書を通じて)人々に膾炙されるうち、やがてある認識の変化が訪れる。
「天井にぶら下がる怪物」であった魔種族が、「刺されれば傷つくし、撃たれれば死ぬ。彼らもまた我々と同じ一個の非力な生命なのだ」そんな風に認知されるようになったのだ。
いや、実際のところ現実において寿命の差は歴然なのだ。
物語の都合で無力化されただけであって、魔法は依然世界に存在する。オークとの体格の差も顕著。
人間と魔種族はあまりにもその有り様が遠い存在。両者が同じ地で暮らすには、依然大きな障害が横たわっているだろう。
それでもだ。
ただそれでも人々の間に強く根ざしていた、「迷妄」が拭われてしまった。
魔種族を絶滅させようと目論んだ聖星教が。彼らの権勢におもねったときの権力者たちが、長きにわたり民衆に散々に吹き込んできたあの「迷信」が。
新興の推理作家たちが著した作品で、物語で、漂白されてしまったのだ。
以降も「刺されれば傷つくし、撃たれれば死ぬ」、「仲間が傷つけば心配するし、亡くなった同胞の身に降り掛かった悲劇を自分のことのように嘆く」情動の生き物に、人々は物語を通して触れていく。
そして物語の中の彼らと感情を共有し続けた。
その結果が数十年の後「十戒」が生まれた時点において、(創作世界においては)魔種族は殊更特別なポジションでもなければ偏見を持たれる存在でに無くなっていたということ。
代わりと言っては何だが、道洋人が異端のポジションについてしまう顛末になった訳である。
「国王」にとっては【元の世界】と同じところに収まった、と考えるべきか、魔種族のため心の故郷とも言える道洋人をスケープゴートにすることになったと負い目を感じるところか気持ちは複雑なのだが、ただこうも思う。
「この星の叡智は、やがては距離や時間の壁だって乗り越えてみせるさ」
今日も様々な場所で人々が本を手に取り頁をめくり、そこに描かれた物語に没頭する。
そこで身分や立場も様々な登場人物の生き方や思想に触れることで、他者を理解する心が育まれていく。
そうして育まれた他者理解の心は、必ずやこの世界の偉大なる財産と未来を切り開く力となることだろう。