いーや嘘だね!俺は信じねえぞ!
実技試験の案内がされるはずの場所で待機を命じられ、そこでみんなが待っている。
ホテルのロビーのような空間で受験生たちは集まり、それぞれの時間を過ごしていた。
待機室は、天井まで伸びるガラス窓から午後の光が差し込み、柔らかなカーペットの上に長い影を落としていた。
ソファやテーブルがあちこちに配置されているが、受験生たちはそこに腰を下ろしても、足先や指先を絶えず動かしている。ペンを回す者、鞄の中を何度も確認する者、意味もなくデバイスの画面を点けては消す者。どの仕草にも、張りつめた空気が滲んでいた。
しかしながらここはヒーロー志望の集まる場所。
そこまで勉学に打ち込む気質のものだけではない。すでにリラックスを始めている図太い神経の持ち主も多くいた。だってもう筆記は終わったじゃんと気楽に構える者もいる。
そもそも同い年で同じ夢をもち、そして同じ苦難を経験した若者たちが2日も一緒に過ごせばある程度打ち解けるものだ。情報交換という大義名分を誰かが思いついたようでその対話のボリュームは徐々に上がっている。
これからの実技試験に対しての不安やミャンマーについての情報交換。それらをやり尽くした後は身の上話や雑談に移行していく。
そういえばと予定の時間が過ぎたのちに、ふと誰かが気づいた。
「あれ、なんかいね?」
入り口のところに何かが置いてある。
いや、寝袋が落ちている。それがモゾモゾと動いてそして立ち上がった。
「はい。静かになるまで80秒もかかりました。時間は有限、君たちは本当に合理性に欠くね?」
大人の声と体格でそう言われれば、それが試験官なのだと気づき始める。
イラついているだろう声色を隠す気もない、
「試験を監督する相澤だ。よろしくね。さて早速だが筆記試験は見せてもらった。書いた内容には責任を持ってもらうぞ。明日の到着と同時に本国及び本校はミャンマーへの災害支援を行うわけだが……」
天を裂くようにビシリ挙げられた手が一つ。やや自信無さげに挙げられた手がもう一つ。
一人は体格の良いメガネの……グロッキーになりながらも雄英ならばこうあるべしという演説をしていたメガネ男子と……
あと一人は説明不要の八百万百。割と率先して発言とかするタイプだもんなぁ。でもちょっと自信なさげだ。柔軟性ばかりを求められるふざけた試験にまだ理解が追いついていないのだろう。
「こっちの説明を遮っての質問か。いい度胸だ。話してみろ」
ピリリとした緊張感が走る。下手なことを言えば減点されるのではという警戒は当然だろう。
優しい先生という印象ではなく、監視員や採点者といった風格がその黒い様相の男からは暗殺者のようなオーラを感じている。
気圧されつつも二人もヒーロー志望である。先ほどは勢いで負けてしまったことを気にしているようで、百ちゃんがはっきりとした声で投げかける。
「先ほどミャンマーと仰いましたが、本当に現地に行くのですか?そこで我々も実地で試験をするということでしょうか」
「ああ、そういっただろ。聞いてなかったのか?」
予想外の応対に百は怯んでしまった。ここまではっきりと……ある種の開き直りをされるとは思っていなかった。
もう一つビシリと真上に挙げられた手は微動だにしない。そんな彼は相手が試験官でも関係なく、責めるかのような詰問を始める。
「それは、あまりに無責任ではありませんか?もし本当にそのような内容であるなら、最高峰たる雄英にあるまじき試験と言わざるをえません。仮免すら持たない学生を現場で動かすなど、過去例を見ない暴挙と言えるのではないでしょうか」
「そ、そうです!そうですわ!ヒーロー志望とはいえ、素人の中学生たちをよりによって現在のミャンマーに。先月の地震で疫病と治安の悪化が深刻化しているあの国に、これだけの人数が押しかけるなど常軌を逸しています!」
試験官の態度に一瞬押されたが、それでも自分たちの意見に正しさを確信する。その正当性と正義を信じて声に再び力が戻った。
「その通り。そちらの女子の意見に僕も賛成です。ヒーロー志望とはいえ僕たちはまだ学生。支援先に何かあってからでは遅いというのは自明です。大体、そんなものはヒーローとは言えない」
その意見をぶつけられた試験官。もとい雄英高校教師の相澤は自分の意見をしっかりと伝える若者の姿に口角が上がりそうになるがグッと堪える。
彼らは正しく、そして勇気がある。
ああ、こいつらはきっと受かるだろうななんて思いながら、表情と態度には一切出さない。その言葉を今は思いっきり否定する。
「なるほどね。正論ではある。事前にある程度現地の情報を調べていたあたり、予想もしていたんだろう。それを踏まえて減点はしない。しかし、その意見はあまりに視野の狭い勉強不足からの言葉だな」
その厳しすぎる指摘に中学生たちはついていけない。だって常識的に考えれば……
「支援先に何かあってからでは遅い?全くもってその通りだが、すでに現地の人たちには『何か』ってヤツが起こり続けている。先月の地震によって広範囲でインフラが壊滅。特にエーヤワディー川流域では地盤沈下と土砂災害が激しく、最大で560万人が供給を絶たれたまま孤立している。水道インフラの完全崩壊と飲料水汚染により、1か月時点で約21万人が脱水状態に陥っている。特に幼児と高齢者が深刻で、毎日およそ700~900人が重度の脱水によって命を落としている」
え?と誰もが反応できずに遅れてしまう。
「そんな情報ネットには……」
「生きる死ぬかの瀬戸際に、誰が自分たちの惨状をカウントなんかできるんだ?これはUAIの独自調査から得た最新情報だ。まぁ過去の大地震の調査ができてれば予想できるだろうがな。続けるぞ。特に深刻なのは疫病だ。コレラ、赤痢、麻疹、肺炎、マラリアなどが同時多発。中でも最悪なのはコレラの新種。この薬剤耐性菌による感染で、1日あたり感染症関連の死者は推定4,500~5,800人に上る。そんな状況だからこそ治安は崩壊し、医療従事者が入国しようものなら即座に略奪されるレベルの紛争状態だな。そこらの戦争中の国の方が安全なレベルだ」
淡々と事実だけを並べている相澤は、置き去りにされている受験生たちへ配慮をしない。怠そうにそれでも必要最低限を伝える意思はあるようで、その語りは止まらない。
「その心配は平和が前提にありすぎる。今まさにある命のやり取りに関わることを想像できていない。じゃあ聞くが、お前らはいつ人を救える?授業で習えばできるか?仮免が必要か?卒業すれば十分か?ヒーロー資格を取らなきゃ人のためにボランティアもできないか?今までのヒーローはそうだった。だがヒーロー法は変わり、本質を考えればそこに合理性があるかは疑いの余地がある」
「私は、そんなつもりでは、知らなくて……」
「言っとくが、お前らは正しいことを言っているぞ。しかし現実には合理的な災害現場なんてものはどこにもない。あるのはカオスだ。必要なのは水と食料。薬と怪我人を運べる人手であって、腕っぷしの強いヒーローじゃない」
この時点で既に百ちゃんは発言する気力を失っているようだった。メガネ君はまだ納得できないのか、それでも説明を求める姿勢を崩さない。
「ですが、ミャンマー政府からの正式な救難要請はされていないはずです。これは、国際的にも大きな問題になるのではないでしょうか?それこそ戦争になる可能性だって……」
「現場を見てまだそれが言えるなら聞いてやる。あの国が戦争をできる状態かどうか、その目で見てこい」
こんなことが許されるのか?そんな疑問がまだ会場には立ち込めている。
「ああ、そうだ。許していいわけない。だが、現実には餓死寸前の年齢一桁の子どもがもっと小さい兄弟を救うために毎日汚い水を汲んでる。病原体に感染するか、それとも脱水で死ぬかの二択を毎日突きつけらている場所があるんだよ。最新のワクチンを接種して栄養失調でもない健康体。そして体力が余ってるお前らなら、できることは無数にあると思わないか?」
「そんな、そんなのは、理不尽すぎます……」
「理不尽ね……。自然災害、大事故、そして身勝手なヴィランたち。いつどこから現れるかわからない厄災。平和な日本ですら理不尽にまみれている。そういうピンチを覆していくのがヒーロー。笑顔で授業を受けて、放課後マックで談笑して、喝采を受けながら人を救うのが理想だったか?そんなものはないことだけは断言してやる。嫌なら今ここで入学を辞退しろ。今からでも普通のヒーロー科のある学校に行った方がいい。はっきり言って、ここは異常だ。まともな学校じゃない。入学すれば雄英は3年間、全力で苦難を与え続ける。普通のヒーロー科に行った方が幸せにはなれるだろうから、入学はおすすめしないぞ。これは親切心で本心さ」
突き放すような口調でもなく、むしろ思いやりを込めた冷たい言葉が聞くものの心に突き刺さる。
この人は本気で心配してそう言ってくれていると誰もがわかる。試験官に入学を止められるなんて、そんなことあり得るか?
「それでも全力で乗り越えたいとお前らは思えるか?ああ、答えなくていい。口ではなんとでも言えるからな。それを確かめるのがこの試験さ。さらに向こうへ。Puls Ultraってやつだ」
誰もが聞き入って。ヒーローの言葉を聞いている。まだ入学していないのに、他のヒーロー科に行くものが大半にも関わらず、それでもこの大人は自分たちをヒーローを志す一人の人間として扱ってくれている感じがしていた。
もはや、雄英として教育が始まっている気がする。
「いいか。勘違いするなよ。そんな風に人を勝手に助けるなんて傲慢な行動は誰かに強制されてやるものじゃ決してない。日本では明確に免許制でもあるがここは日本じゃないし、これから向かうところもまた日本じゃない。お前らの常識は通用しないぞ」
とはいえと前置きし最低限の説明を入れる。
「事前に自分の限界を見極めて身を引くことができるやつには入学のチャンスが多く与えられる。お前らはまだ何もできない子供。その自覚がある奴は減点されない。だが……」
ニヤリと笑い試すようにこちらを見るのは、やはり今まで見慣れていた学校の先生ではなく戦う者の。ヒーローの笑顔だった。
「自分ならできると言うなら見せてみろ。ただし言ったくせにできなかったその時はしっかりと減点されると覚悟しろ。責任を自分で取れるなんて初めてだろう。この国じゃお前らはもう成人扱いだ。
「さて意外と有意義な質問だったな。リスクを進んでとった二人に感謝しとくんだな。ヒーローたるもの人に任せず自分で何かを切り拓け。いいか、筆記試験の最初の問いだけは覚えて考え続けろ。人を際限なく殺すのは凶悪な個性を持ったヴィランなんかじゃない。一体何が敵なのか考えろ」
正直なことを言えば自分だって学生未満の子供達を動員するなど狂っていると思っている。このUAIランドの体制と実績がなければ強硬に反対していただろう。今でも職員は大多数が反対している。彼らは全くもって正気だった。
けれどもう雄英は止まらない。
最高のヒーローを育成するために、あらゆる慣習や常識を打ち砕くとすでに宣言した通りのカリキュラムが組まれており、入学試験だけを取ってもまさに実践形式だ。
新たな雄英の運営は非合理に見える打ち手が多すぎる。しかし、実際にやってみると都合よく物事は進んでいくのだ。間違いなく未来を知っている誰かが入れ知恵をしているのだ。
ならば未来を知らない我々はその言葉を信じるか疑うのかを問われる。
相澤消汰も最初は疑い、今は信じている。
実質的な最高権力者はUAIを買い取った富豪だが、彼の一声で経営陣が一新された雄英は合理的すぎて笑みが溢れそうになる。目が醒めるような合理性のある方針に従うこの数年の間、自分で自覚する以上に信頼を寄せ、そして非常に機嫌が良いのであった。
だからこの無茶苦茶な試験にも意味がある。そう信じさせてくれる程度にはこの数年で自分の予想を覆されすぎた。死者と怪我人をゼロで終えることができなければ即刻全ての計画を白紙に戻して安全なカリキュラムに戻すと約束されている。
雄英教師陣においても、追いつけずに離職をするものが多い。相澤は一時出向ということで復活した自衛隊の対個性部隊の仕事をしていたが、これは特殊な例である。
感情的についていけないという奴らの気持ちも理解できる。自分はそうしないだけだ。
「お前たちが提出した内容に合わせて部隊配置をされている。戦闘をできるなんて書いた馬鹿は連合軍の指揮下に入るからそのつもりでいろ。まずは訓練を受けてもらう。そこで実地へ出られる水準であれば同行できるぞ。もし本当に同行できたなら有望だ。だが死にたくないやつは辞退しろ。でなきゃほんとに死ぬぞ。自分が死ぬだけならまだいいが、救助対象を道連れにするのが最悪だからな」
すでに問い詰めるような睨むような視線でそう言い捨てる。そこに容赦のかけらも感じられない。
「さて、普通に背伸びした奴らの多くは救助を書いたな。現場に出たいだろうがこれも過酷だぞ。こちらも教習がある。応急手当てに運び方。足手纏いにならないようにしっかり学べ。やれるものならその力を見せてみろ」
先ほどの八百万や飯田に向けたような、試すような好奇の声でそう言った。
そしてその次には初めて、教師のようなどこか優しさを滲ませる声で語りかける。
「後方支援を選んだ奴らはこの時点で高得点だ。やれることは多い。船内に運ばれたものの運搬や案内。物資の輸送やその手伝い。どれだけドローンが発達してもこういう場所では最後は人力がものを言う。できることをやれればいい。あまり多くを背負いすぎるなよ。お前らはまだこれから多くを学べるからな」
三つに分かれる生徒たち。特に腕っぷしに自信ありげだったものたちは、日米英の合同軍に誘導されて連れて行かれるようだった。その後ろ姿はあまりに頼りなく、ちゃんと子供のそれだった。
救助などを要望したものたちは別室で講座を受けることになる。
現場での安全確保の方法。応急手当てのやり方。最新の医療キット。医療ドローンの使い方。連絡手段とそれらが使えなくなった時の避難経路。
「これは、実際に起きたミャンマー震災、東部の村落の映像です」
スクリーンいっぱいに、土煙と炎の中で崩れゆく村の光景が広がった。
叫び、潰れ、沈黙する人々。
映像が切り替わる。一定の時間が流れたようで、災害が起きてから落ち着いた村落の状況が映される。
そこには一軒の、壁も天井も崩れかけた小屋の中。
床は土のままで、湿気に染みた寝藁の上に、家族が寄り添うようにして倒れていた。
最年少の幼児は衰弱し、腕に収まるほど小さい。
その傍にうずくまる母親は、もう立ち上がれないようだった。肋骨の浮いた胸が、咳をするたびに跳ねる。口の端には乾いた血の跡。栄養失調に加えて、明らかな感染症症状。皮膚には潰瘍。
左手でわずかに子の手を握り、右手で別の小さな子を抱き寄せている。
さらに奥には父親らしき男性がいた。外傷は少ないが、反応が乏しい。おそらくマラリアか腸チフス。AIのナビゲーションが小さく告げた。
「救命優先順位の選定を開始してください。選定には40秒以内の決断が求められます」
その映像と問いかけに、一瞬息を呑んだ学生たちは、ほとんど反射的に姿勢を正した。教室の照明が落ち、彼らの顔を映し出すのは、目の前の惨状だけ。
「あの飢餓状態の幼児を救うのに必要な処置を考えろ。その他の家族も栄養失調。それぞれ感染症に罹患している」
大人の声が冷たく響いた瞬間、座席の一人が小さく立ち上がり廊下へと駆け出した。他の生徒も目を覆ってしまっている。彼ら彼女らは現地にはいけないだろう。
その動きに合わせて、他の何人かも立ち、互いの表情を確認するように視線を交わす。
震えている者もいれば、唇を噛んで真っ直ぐに映像を見据える者もいる。
「この状況で役立つ個性を持つものは?。適切な処置とは? 搬送方法は?」
そこには確かに『死の順番』言い換えれば『生の優先度』が存在していた。
全部を救いたいと願ってもこの設問は応えてくれない。それを覆すような力が自分たちには存在しない。
学ぶべきことは膨大で、それでも目的地は刻々と近づいていく。早く着かなければいけない。
それでも正直にいえばもっと時間が欲しい。
相反する願いを乗せながら船は世界で最も速く進んでいく。
とてもじゃないが、試験などとは呼べないそれを課す雄英高校の在り方に、この時点で多くのものが辞退を表明している。
仕方ない。これは自然な事だった。
まともな学生を選ぶ受験ではなく、ヒーローという人間を超えた狂気的な存在。その才能を発掘する儀式が始まる。
しかし、彼ら全員が無事で家まで帰ることはすでに決まっていることだった。どれだけ血を流しても完璧な勝利を目指す化け物が、そうすると決めたのだからそうなる。
英雄気取りの職業ヒーローなどいらない。必要なのはオールマイトのような本物、その片鱗だ。
正気を疑い、狂気を見出す。雄英高校の実技試験が始まった。
2000文字くらいの単発のSFショートを書きました
よければご覧ください
『ミルコメダ銀河 太陽系 第三惑星地球 ヤマト超大陸 ニホン地方 サイタマケンより』
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