前世で珍味を追い求めた鬼殺隊士は、鬼の肉に目をつけた。夜な夜な鬼を狩っては食らう日々。そして迎える、最後の食事――。

こんな異常者が、一人くらい鬼殺隊に紛れ込んだっていいじゃない。

名前なし性別不詳オリ主。恋愛描写なし。軽度のグロ描写あり。

同作品をpixivにも投稿しています。

1 / 1
死に至る味覚

 

 捌いたばかりの肉を、食べやすく薄くカットする。血抜きや下処理も完璧。ひとりでに動くほど新鮮なこの肉は臭みが強いので、軽くお湯にさらしてから持参した下味の汁につける。青ネギとすりおろした生姜もたっぷりと。本当は一晩くらい寝かしたいところだけれど、時間がないので断念。もうすぐ夜が明ける。

 ご近所さんから生姜をたくさん頂いたので、今日の一品は生姜焼き。いそいそとフライパンを用意する。

 もう一品は、定番の串焼き。ただ趣向を変えて、いつもはモモのところを二の腕にしてみた。きちんと肉を叩いて、塩で味付け。何本か作って、火の入れ方も変えてみよう。

 

「いただきます」

 

 さあ焼けた。どんな食材にも感謝の気持ちは忘れない。手を合わせてから、焼き上がった串焼きを食べていく。

 二の腕の肉はモモと比べて油が少なくて、多少のぱさつきはあれどアッサリと食べやすい。ちょっと硬めだけどそれもいいアクセント。でももう少し強く叩いてもよかったかな。

 よく噛み締めて、咀嚼して、味わい尽くしてから飲み込む。ああ、やっぱり。

 

「……うーん、まずい」

 

 笑えるほどおいしくない。どんなに頑張っても、試行錯誤しても、おいしくなる気配すらない。鬼の肉というのは、とてもまずいものなのだ。

 この肉のもともとの持ち主――この肉そのものであった鬼に、ちらりと目をやる。死なない程度に切り刻まれて、木に東向きで磔にされた哀れな姿。顎を落としたから喋ることもできず、ただ私の料理過程を信じられないという目で見ていた。

 自分の体が調理されて、食されるさまを見るのは、果たしてどんな気持ちなのだろうか。

 

 続いて生姜焼き。生姜をたくさん入れたはずなのに、まったく臭みは消えてくれない。それどころか、独特のエグみが強調されているような気がする。生姜焼き、まだまだ改良の余地あり。

 そう、鬼の肉は臭くてエグくて硬くて、到底食べられたものではない。今まで食べたどんなものよりも、一線を画すまずさだ。

 今まで――前世で私が食べてきたものを含めて。

 

 前世、といっても今生きている時代よりも後だから、果たして前世と呼べるかわからないけれど。私は生まれる前の、以前生きていた記憶がある。

 食べることが大好きで、全国各地、世界各国、おいしいものや珍味を求めて飛び回っていた。それなりに若い時分で、食べ物にあたって死んだけれど、悪くない人生だった。

 そして新しく生を受けても、変わらず食を求めていこうと思っていた。幼少期は順調だった。心のおもむくままに食べて作ってまた食べて、料理店を営む両親も研究熱心だと喜んでくれた。いい人に恵まれて、第二の人生を謳歌していたけれど、悪い出来事はいつの時代もやってくる。

 鬼に襲われた。家族を失った。

 そのとき助けてくれた方の背には『滅』という文字。私はそこで初めて、鬼殺隊を知った。鬼という存在を知った。

 しばらく悲しみと憎悪と、いろんな気持ちがないまぜになって絶望の中にいた私は、とあることを考えつく。

 鬼が食べてみたい。

 前世ではそれはそれは多種多様なものを食べてきた。犬に猫にラクダやウーパールーパー、昆虫などなど。けれど鬼は食べたことがない。いなかったのだから当然だ。

 未知の食材、未知の味。珍味を求めてきた前世の私の血が騒ぐ。いったいどんな味なのか。どんな調理法が適しているのだろうか。気になりだしたら止まらなかった。

 よし、鬼を食べよう。

 そう思い立ったがはやいか、すぐ行動に移した。天涯孤独となった私に、足を止めている暇もなかった。

 訓練して鬼殺隊に入って、鬼を狩って調理して食べて殺して、その繰り返し。最初こそ殺すことで精一杯、死にたくない一心だったけれど、慣れてくれば案外簡単だった。それよりもおいしく調理することのほうが難しくて、今も苦戦している。

 調理法はもちろん、絞め方や捌き方、下処理もいろいろな方法を試しているけれど、どうしてもまずいままだった。

 それから制約が多いことも難儀であった。まず時間がない。夜が明けて日に当たれば、肉ごと鬼は塵になる。じっくり漬けたり煮込んだり、乾燥させて干し肉にしたり、燻製だとかは無理だ。

 それと、基本的に野営料理なので、設備が足りない。ローストしたり、天ぷらやフライにしてみたいけど、オーブンも無いし、油も持ち運びや処理が面倒だ。一度せいろを持ってきて、蒸し料理を試してみたけど大変すぎて嫌になった。もうしたくない。

 最後に、時代のせいもあって、調味料や具材が揃わない。スパイス、ハーブ、バター、みんな高級品。カレールウっていつ誕生したんだっけ。めんつゆも売ってないから、自分で出汁をとらなきゃならない。前世の便利さが恋しい。

 

「ごちそうさまでした」

 

 どんなに味が悪くとも、調理したぶんは食べきるのが私のポリシー。今回も例に漏れず、全部さらえて手を合わせる。

 さて、後片付けをしないと。油まみれのフライパンを手に取る。こういった調理器具も重たくて大変なのだけれど、修行の一環だと思うようにしている。実際、鍋を持ち運ぶようになってから、筋肉がより一層ついた気がする。

 

「……が、あぁっ」

「ん?」

 

 磔にされた鬼が、なにかうめいている。切り落とされた顎が回復されつつあるようだ。

 

「……この、気狂い野郎がぁ……」

「気狂い?」

「鬼を、食うなぞ……気がふれ、ている……」

 

 その鬼の言葉を鼻で笑う。今際の際になにを言うかと思えば、そんなことか。

 

「人を食う鬼がそれを言うんだ」

「……われらは、人を食わねばならぬが、お前はちがう」

「そうだけど、人は元来そういうものだろ」

 

 嘲笑を含めて、話し続ける。

 

「お前が人だった頃の記憶があるかは知らないけど、こんにゃくは食べたことあるか? 味噌は?」

「……あ?」

「それを食べなくても、人は生きていける。しかし多くの手間をかけて、こんにゃくや味噌を作る。この二つだけじゃない。あまねく食品が、先人たちによる食への追求の結果うまれ、多くの人に浸透している」

「……なに、をいって」

「言っている意味がわからないか? 最低限生きていくためには、米と野菜と肉魚を食べるだけでいい。でも私達は、たくさんの食材とさまざまな料理を食べている。より豊かで、おいしい食卓を目指している」

「……」

「だから私は、鬼のおいしい食べ方を探している。食べ物と思えないようなものも、先人たちは果敢に挑戦してきた。私は挑戦しない理由がどこにある?」

「……狂ってるな、お前」

 

 諭そうとする鬼、罵る鬼、憐れむ鬼。いろんなやつと話をするけど、いつも最後はこう言われる。

 狂っているのは、むしろそちらだろう。かわいそうに。人間しか食べられない哀れな鬼。食の追求の素晴らしさを、ことごとく理解できない。

 

「まさか、俺が食べられる側になるとはな……」

 

 鬼はそうぼやいて、塵になって消えた。

 鬼になって人を食べて、人だったころも多くの生命の犠牲にしてきたのに、どうして自分は食べられないと思ったのだろう。

 

 

 

  ◇◇

 

 

 

【地獄へ続く道:不死川実弥】

 

 

 ふらりと立ち寄った茶屋で、ばったりそいつに会った。店先で団子をうまそうに頬張っていた。

 

「あ、不死川さん、こんにちは」

「……よお」

「このお店、とってもおいしいですよ。この間おはぎも食べたんですが絶品でした。おすすめです!」

 

 そう満面の笑みで言うから、じゃあ食べてみるかと店主に注文した。こいつの舌は信頼できる。

 行きつけでおはぎを買うところを目撃されてから、なにかと和菓子の情報をよこすようになった。どこそこはこしあんで舌触りがいいとか、あそこのはでかくて食べごたえがあるとか。こいつがうまいという店は、本当にうまかった。

 甘味以外もなんでも食べているようで、よく甘露寺や煉獄といっしょに店を巡ったりもしているようだ。大抵の店のものは、すでに味わい尽くされている。こいつにうまい店を聞くやつは、隊員でもそれ以外でも珍しくない。

 四六時中いつもなにかを食べていて、「最近食べたうまいものは?」と聞けば延々と喋り倒している。気さくで話しやすくて、食べることが好きないいやつなのだ。

 だが、変人だ。というか頭がおかしい。

 カエルやカタツムリ、昆虫に飽き足らず、ウジが湧いている腐った牛乳の話まで飛び出してくる。案外うまいのだそう。いわゆる、ゲテモノ食いだ。それを指摘すれば、「納豆だって腐った大豆じゃないですか」と返ってきた。こいつにとっては、納豆もウジ虫牛乳も大差ないらしい。

 そして「逆にまずいものは?」と聞けば、「鬼」と返ってくる。おいしく食べられる方法を探していると、平然とそう言ってのける。

 だからこいつは、調理器具や調味料を入れた道具箱を背負っているのだ。野営用にしては大げさすぎるとは思っていた。そういえば、こいつと合同任務をしたやつはほとんどいないな。お館様の配慮だろうか。まったく痛み入る。

 その話を聞いたとき、気味の悪さと同時に、憐憫の気持ちが溢れてきた。可哀想に。鬼にすべてを壊されて、頭がいかれたやつなどいくらでもいる。とても正気じゃいられないのだ。こいつなりの自己防衛の一種なのだと思えば、受け入れられた。それは他のやつも一緒なのかもしれない。

 あと、こいつは馬鹿だ。なんでも口に入れる考えなし。毒を持つ鬼を食って緊急搬送される程度には馬鹿だ。胡蝶によく怒られている。

 下弦の鬼を倒せるほど強いのにな。納得いかない。そのときも、「今まで食べた鬼の中で一番まずかった」と柱合会議で発言していて、その場にいる全員が頭を抱えていた。

 

「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです!」

 

 包んでもらったおはぎを受け取っていると、横から明るい声が聞こえてきた。屈託のない、無邪気とも呼べるような笑顔だ。誰もこいつが鬼を食ってるだなんて思わないだろう。

 

「こっちこそ、うまそうに食ってくれてありがとな。いい食べっぷりだったよ」

 

 店主もいい笑顔でそう答える。

 そうなのだ。こいつは本当にうまそうに食う。出されたものをすべて平らげて、手を合わせることも忘れない。どこまでも気持ちのいいやつなのだ。それがどうして、と思わなくもない。

 

「また来ます!」

 

 そう元気に言い放ったやつと、一緒に店をあとにする。うまいものを食ったあとのこいつは、いつにも増して上機嫌だ。

 

「あそこのお店、本当においしいんですよ。あんことお餅のバランスが絶妙で……あとお団子もおいしくて。今日も止まらなくて、たくさん食べちゃいました。みたらしもいいけど、やっぱりあんこが最高で……」

 

 にこにこの表情で話し続ける。おいしいものを伝えたい、共有したい気持ちがひしひしと感じられる。

 

「そういえば先日行ったお店で食べたお蕎麦もおいしくて……お出汁がきいててコシがあって、なんといってもかき揚げがうまい。よく揚がっててサクサクです。煉獄さんが好きそうだと思って伝えてたら、とても喜んでくれました」

「……そうかァ」

「煉獄さんはうまいうまいって食べてくれて、こっちも気分がいいです。あ、お蕎麦、不死川さんもぜひ!」

「……行けたらな」

 

 分かれ道に着くと、話を切り上げて「では私はこちらなので」と頭を下げた。その背には調理器具の詰まった道具箱。

 

「……これから任務か?」

「はい! 今日はマリネにしてみようと思ってます」

「まり……?」

「酢に漬けてみるんです。南蛮漬け、ですかね」

 

 蕎麦や団子と同列に、鬼の調理法を話す。にこにこと、今までと同じく上機嫌に。その異常さをこいつは理解していない。気が狂ってるやつは、自分がそうだと気付けない。

 

「そうかァ、頑張れよ」

「はい、がんばります! 不死川さんもお気をつけて」

 

 そう言って、俺とは違う道を歩き始める。迷いのない足取りで。

 ――その道は、俺には歩けない。辛く苦しい、闇夜に続く道。それでもあいつは、その道を進む。きっとその道しか、残されていなかった。それがどんなに悲しいことか。

 さっさと帰って、おはぎを食べよう。甘さに負けないように、うんと濃いお茶を淹れて。

 そう、踵を返した。あいつとは違う道。辛くとも苦しくとも、行かざるを得ないその道を、歩き出す。

 

 

 

  ◇◇

 

 

 

【相容れない:胡蝶しのぶ】

 

 

 しまった。目撃された。

 

「しのぶさん、それ……なにを食べてるんですか?」

 

 匙に乗せた藤の毒。今しがた口にふくもうというところを、この人に見られてしまった。よりにもよって、変人と名高きこの人に。

 この人はよく蝶屋敷にやってくる。鬼を食べたから腹が痛いとか、体調が悪いとか。自業自得だ。

 聞けば、日常的に鬼を食べているとか。それを考えると逆に来る頻度が少なく思えて、心配になってくる。

 でも心配なんてどこ吹く風。食の追求とやらで、鬼を食べることをやめようともしない。しかも鬼の味だとかを伝えてくる。やめてほしい。毒持ちの鬼を食べたとき、「ピリピリしてなかなか刺激的でした」と笑顔で言ったことは未だに信じられない。それが原因で緊急搬送されているのに。

 定期検診を勧めればそれに応じる素直さは持っている。怪我を理由に、ここを訪れることは滅多にないくらいに強い。鬼やゲテモノが関わること以外、まともそうに見える。

 だけど頭がおかしい。頭のネジが外れている。そんな人に、見られてしまった。

 

「藤のいい香りがしますね。良ければ一口、味見させてくださいよ」

「だめです!」

 

 存外大きな声が出て、自分でも驚いた。

 これは鬼を殺すための毒。少しずつ私の体内に蓄積させている、反撃の一手。

 強い毒だ。ほんの少量だとしても、どんな副作用が出るかわからない。だから自身の体だけで試しているというのに。この人は、お構いなしだ。

 その優れた身体能力で私から匙を奪うと、止める隙もなく口に流し込んだ。

 柱さえも凌駕する素早さは一体なんなのか。これが生まれ持った才能の差? 体つきや筋肉量の差? それをこんなことに使わないでほしい。

 

「なにをしているんですか! 吐き出してください、はやく!」

 

 私の叫ぶような声も無視して、味わうように目を閉じている。舌の上を転がしているのか、口をもごもご動かして、制止も聞かずにそれを飲み込んだ。なんなのこの人。

 

「……まずいですね」

 

 そうしてやっと言葉を吐いたと思ったらこれ。そんな頭の痛くなることよりも、さっさと毒を吐いてほしい。切実に。これで体調を崩されでもしたら目覚めが悪いなんてものじゃない。

 こんな人だけど成果は出している。鬼をたくさん狩っている。今日だってきっと任務がある。私のせいで、それに支障がでたら。これから先、鬼を狩れないほど体を壊したら。私は私を許せない。

 なんで私がこんなこと思わないといけないんだろう。勝手に食べたのはあっちなのに。

 

「味わったのなら、すぐに吐き出してください。難しいのなら手伝いますので……」

「どうしてですか?」

「……体に害があるからです」

「どうして、害のあるものを食べているのか聞いているんです」

 

 ああ本当にむかつく。今はそんなこと、どうでもいいのに。

 普通、食べたものが毒とか聞いたらもっとうろたえるはずでしょ。なんで飄々としているの。私がどんな気持ちで、どんな覚悟で、その藤の毒を――。

 

 睨みつけるように相手の顔を見れば、ただ静かに、返答を待つ眼差しとかち合った。威圧感はないけれど、有無を言わせない視線。まっすぐ私を捉えているその瞳には、哀れみや同情が孕んでいる。

 それを理解したとき、言い表せようもない感情に襲われた。許せないとさえ思った。

 もしかして私、可哀想だと思われている……? どうして私が、喜んで鬼を食べる異常者に憐憫の眼差しを向けられているのか。気の狂った人に、気の狂った人を見るような目で見られたら、こんな気持ちになるのだと初めて知った。

 

「……とある鬼を、倒すためです」

 

  私は話した。姉さんのこと。上弦の弐のこと。そして藤の花の毒のこと。計画を全部。

 毒だから吐き出せと散々言っているのに、一切聞く耳を持たないのだから仕方ない。というよりも、目撃された時点で、話さなくてはならなかったのだろう。腹の立つことだけど。

 この人は姉さんと面識がある。だからあの鬼に対する憎しみも、余すことなく伝わるはず。この身を犠牲にしてもあの鬼を倒したい。姉さんの仇を討つためなら、鬼を滅ぼすためなら、なんだってやる。そんな思いをできうる限り言葉にしてぶつけた。

 私は、あなたとは違う。確固たる意思と、目的があっての行動なのだから。ふわふわした興味本位で鬼を食べているあなたと一緒にしないで。そんな人が、私の覚悟を憐れまないで。

 

「なるほど。そういうことでしたら、すぐに吐いてきますね」

 

 話を一通り聞き終えると、そう笑顔で言い放った。まるで子どものような無邪気な、なにもはらんでいない笑顔。そんな顔で言うことじゃない。

 呆気にとられている間に「お手洗い借りますね」とさっそうと部屋を出ていくので、慌ててその背を追った。その足はまっすぐに厠へ行き、扉越しに嗚咽音が聞こえる。あまりに言葉通りだ。もともと嘘をつかない人ではあったけど、迷いがなさすぎる。

 

「その毒の危険性を理解していただいて、よかったです」

 

 厠から出てきたので、そう声をかける。今しがた嘔吐していたとは思えないほど、けろりとした表情。吐き慣れているのかもしれない。

 あなたが食べたものは鬼を殺すための毒。人にどんな作用があるかわからない。私の言葉が届いてよかった。話は通じるのだ。

 

「はい。しのぶさんの毒の効果が薄くなってはいけませんから」

「……はい?」

「もしも私が鬼に食われたら、毒を解析されかねませんからね。しのぶさんの計画は、奇をてらうからこそ価値がある」

「……」

「一度口に入れたものは、絶対に外へ出さないと決めているのですが……今回ばかりは仕方ありません」

 

 驚いた。この人は、自分の体の心配なんて少しもしていない。私のためだけに、その毒を吐き出した。そうでなければ、例え猛毒であっても吐くことはしなかった。そう確信できるだけの危うさが、この人にはある。

 それに、一度だって嘘を言ったことはない。おいしいと言った食事処はどこも絶品だった。やると言ったら全部実行していた。有言実行を地で行くような人。そんな人が言う絶対は、本当に絶対なのだ。

 そしてそれを覆した。私のために。

 

「あなたが、鬼に食べられることなんて――」

 

 私の言葉はそこで途切れた。

 この人の実力は知ってるつもりだ。大抵の鬼なら対処できる。夜明けまで粘ることだって、きっとできるはずだ。

 それでも、言い切ることはできない。今までに何人も、鬼に殺された腕の立つ隊士を見てきた。この人も、強いけれど、それでも。

 目の前の人は、言いかけてやめた私を責めることはなく、ただにこりと微笑むだけだった。

 

「そんなことよりも、しのぶさん。あの毒、もっとおいしくしましょうよ」

 

 そしてこんなことを言い出した。本当にいい笑顔で。新しい味の探求に心を躍らせているのだろう。この重苦しい空気なんて跳ね飛ばしてしまいそうなほど、瞳が爛々と輝いている。

 

「どうしても食べなければいけないのなら、せめて味を整えましょう? あれはまずすぎます」

 

 日常的に鬼を食べている人に言われたくないけれど、確かに味はとても悪い。独特の苦味と風味はずっと慣れない。この人も食べたとき、ずいぶん顔をしかめていた。

 だから、そう思う気持ちはわかる。けれど、余計なお世話。

 

「やっぱりお砂糖ですかね? お塩もちょっとだけ入れて煮たりして……」

「あれが最良の調合なので、調味料は入れられません。加熱も効能が変わりますので」

「それでは、なにかと一緒に食べてみては? 甘い飲み物、ゼリー……あ、えっと寒天とか」

「……いえ、そういうのも」

「うーん、どうしましょうか。オブラートとかって今あるのかな……」

「いえ、あの……もういいですから」

 

 もう放っておいてほしい。

 この人の言うとおり、あのまずい毒も、工夫すれば少しは飲み込みやすくなるのかもしれない。

 でも、そんなことはしない。私が摂取しているのは毒。それを忘れないために。自分のしていることを、きちんと自覚できるように。これは一種の戒め。私なりの覚悟の証。

 

「ですが、どうせなら、おいしいほうが……」

「いいと言ってるでしょう。味に時間をかけるよりも、適切な調合を考えるほうがよっぽど有意義です」

 

 いまだ食い下がる相手に、さすがに苛立ってきた。言葉の節々に鬱憤が滲み出る。言わなくてもいいようなことが、口から溢れていく。

 感情を制御して、冷静に。そう思うのに、なかなかうまくいかない。だけどせめて、こちらも努めてにこやかに……できているといいけど。

 

「だいたいおかしいですよ。私の話を聞いて、最初に言うことが味の改善だなんて。……普通は止めたりするでしょう」

 

 人が、死のうとしているんだから。命を落とすことを前提に動いているのだから。

 私があなたの立場ならそうする。まだ取り返しがつくかもしれないのに。鬼を倒せる確証なんてないのに。無茶だとか、無謀だとか、命を無駄にするなとか。そう言ったっておかしくないのに。

 この人はただ、いつものように無邪気な笑顔で答えるだけだった。

 

「止めるだなんて、私にそんな資格はありません。しのぶさんが決めたことでしょう。胡蝶さんの仇を討つと」

 

 胡蝶さん。この人はいまだに、姉さんのことをそう呼ぶ。

 私が姉さんと一緒に鬼狩りをしていた頃、『胡蝶』という呼び名はもっぱら姉さんを指した。その当時は、『胡蝶の妹』と呼ばれることが嫌だったけど、姉さんが亡くなってから呼ばれなくなって、それが逆に苦しかった。

 今、『胡蝶』という呼び名は私を指す。『妹』も『ちっさい方の』もつかない。姉さんがいなくなったことを、嫌でも実感させられる。それがどんなに、心を蝕んでいったか。

 この人が昔と変わらず、姉さんを『胡蝶さん』と呼び、私を『しのぶさん』と呼ぶことが、どんなに。どんなに心を慰めていたか。

 久しく姉さんについて話していなかったから忘れていた。どうして気味の悪いこの人とよく話をするのかを。この人の、目の前に私がいるのに姉を名字で呼ぶ無神経さを。それで確かに救われていた自分を。

 

「……そうですね」

 

 でも絶対、感謝なんて伝えてやらない。この絶対は、本当に絶対だ。

 

 

 

  ◇◇

 

 

 

【鏡】

 

 

「カァー! 炎柱、煉獄杏寿郎死亡!」

 

 鎹鴉の声が、ぐるぐると頭を回る。

 ああ、だるい。何もしたくない、動きたくない。腹も空かないし、何も食べたくない。

 昨日からなにも食べてないのに、吐き気が襲ってきて気持ち悪い。今まで食べてきた鬼たちが、腹の中でぐるぐると蠢いているような気がする。

 朝方に帰ったはいいものの、布団を敷くことも億劫で畳に突っ伏したままだ。

 時折そういう日が来る。例えば誰かが死んだとき。夜明けとともにやってきたその訃報は、私を打ちのめすには十分だった。

 人が鬼に殺されるなんて、よくあることだ。煉獄さんだけが例外じゃない。わかってる。でも彼はいい人だった。強くてまっすぐで、一緒に食べるご飯はおいしく感じられた。

 すすめた蕎麦は食べただろうか。辺鄙なところにあるけどうまいんだ。きっと上野とかでもやっていける。

 

 ゆっくりと立ち上がって、鏡の前へ移動する。

 酷い顔だ。目は虚ろで、クマができてる。唇はカサカサで肌も荒れ、何より疲れきった表情している。

 ぽつり、呟く。鏡の向こうの自分へ言い聞かせるように。

 

「私は鬼が食べたい」

 

 あちらも同時に自分へと、言い聞かせるように言ってくる。

 未知の味を求めて。せっかく鬼のいるこの時代に生まれたのだから。味わい尽くしたい。

 

「なにかを食べるのなら、なにかに食べられる」

 

 それが世のことわり。食べて、食べられる。生命の神秘。人間だけが食べられてはいけない、なんてことはないのだ。

 それは鬼も、同じだ。

 

「だから、私は鬼を食べる」

 

 続けて言葉を紡ぐ。

 

「私は、鬼を食べるために殺す」

 

 畳みかけるように。

 

「私はまだまだ食べたい」

 

 ふと、台所の方で物音が聞こえた気がした。なにかの拍子で、ものが倒れたのだろう。

 目をやると、そこには両親の形見が静かに佇んでいた。包丁、まな板、鍋、食器類……絶対に、鬼には使うことのないそれらが、目に入る。

 

「あ、あぁ……」

 

 馬鹿か私は。そんなわけないだろ。

 

「ああっ!!」

 

 力任せに姿見をなぎ倒す。鏡の割れる、つんざくような音が耳に入る。

 鬼なんて、食べたいものか。口入れたくもない。あんな、まずいもの。人を食った化け物なんて。でもそういう大義名分がないと、自分にそう言い聞かせないと、殺せないのだ。

 鬼は滅ぼすべきだ。人を殺して、たくさんの人を悲しませて、どうして許せる。この世から根絶すべきだ。でも、それでも、人の形をしたやつを殺せるほど私は……私は、覚悟が足りていない。この甲斐性なしめ。なんて情けない。

 鬼を殺す大義名分に、食を利用している。

 ああ、食への冒涜だ。私を殺せ。

 いや死ぬのは鬼のほうだ。苦しんで死ね。自分の体が食べられる様をみて、恐怖におびえて消えろ。今まで自分がしたことを全身全霊で悔いろ。

 

「あぁ、ちがう……」

 

 ちがうちがう。それは私も同じだ。

 いつか私も、磔にされて、自分の体が調理されるところを見るんだ。食べられるんだ。そのとき私はなんて思うのだろう。後悔か、愉悦か、安堵か、嫌悪か、憎悪か。

 きっと懺悔のときだ。たくさん鬼を食らってきた私の。たくさん鬼を殺してきた私の。この人殺し。人食い狂人め。

 

 でも。それでも。

 私は進まなくちゃ。最期がどんなに悲惨でも、止まっている暇はない。鬼を殺して、殺して、殺し続けなければ。

 あいつらはお母さんとお父さんを殺した。到底、許せるわけがない。

 あの人たちのためにも、生きないと。いい人たちだった。愛情を持って私を育てて、最期まで私を庇って……両親だけじゃない、死んでいった同胞のためにも。悲しみに暮れる人たちのためにも。私は生きないと。生きて鬼を根絶やしにするんだ。生きるためには食べないと。食べることは生きること。私はまだまだ食べたいんだ。食欲が無いなんて言ってられない。なんでもおいしく食べられる、私なら。鬼だって食べられる。元人間だとか、人を食っているとか知るものか。カニバリズム上等。いいんだこれで。

 だってそうしないと、そう思わないと、生きていけない。鬼を食べられない。鬼を殺せない。正気を保っていられない。

 ……正気? 自分がまともなままだと思っているのか。お前が?

 

 飛び散った鏡の一つに、自分の顔が映る。

 なんて表情だ。

 お前は狂ってる。鬼にも人にも言われただろう。その通りなんだ。反論の余地はない。ないんだよ。くそが。

 

「はぁ……」

 

 ため息をひとつ。私はなにをしているんだろう。

 ごちゃごちゃと、支離滅裂な思考をしてしまった。よくないよくない。軽く両頬を叩く。大丈夫、私はよくやっている。

 気づけば夕刻だ。ずいぶんと時間を無駄にしたような気がする。

 ああ、いけない。しのぶさんから、「あなたと同じように鬼を食べる少年がいるから、話をしてあげてほしい」と言われていたんだった。確か、今日が彼の定期検診の日。すっぽかしてしまった。申し訳ないけど、今日は無理だ。

 その少年について、悲鳴嶼さんから軽く話は聞いている。私と同じだなんて、そんなことはない。彼は強くなるため、鬼を倒すために、鬼を食っている。私はそんな崇高な目的を持って鬼を食べていない。

 こんな、自分を騙すことで、かろうじて保っていられる人間が、いったいどんな話をすればいいっていうんだ。できれば会いたくない。

 少年よ、君は君のやり方で進んでいくといい。私のことなんて知らなくていいんだ。

 

 ああ、飛び散った鏡をはやく片付けないと。踏んだら危ないし。こういうときに掃除機がほしくなる。

 せっかくの姿見が壊れてしまった。まったく、これで何度目だ。こんなことをして、なにか変わるわけでもないのに。ほら見てみろ。鏡の破片に映った私は、いつも通りの明るくてにこやかな表情だ。

 

 もうすぐ日が暮れる。いつだって鬼は人を襲う。さっさと片付けて、道具箱を背負って、鬼を殺しに行かないと。

 さあ今日は、どうやって食べようか。

 

 

 

  ◇◇

 

 

 

【終宴】

 

 

 そのときは、案外すぐにやってきた。

 その鬼を目の前にしたとき、死を感じた。戦うことも、逃げることも、ましてや食べるだなんて到底できない。圧倒的な力の差。それをひしひしと感じる。

 いつかこの身に訪れるであろうと思っていた、死が目の前にある。

 

「やあやあ、オレは童磨。君の名前は?」

 

 十二鬼月。上弦の弐。

 童磨というらしいその鬼はずいぶんと気さくだった。放っている威圧感とあまりに不釣り合いで、不気味だ。恐怖で体が震えるだなんて、いつぶりだろう。

 胡蝶さんがしのぶさんに伝えていた通りの容姿。話し方。武器。

 胡蝶さんはこれと戦ったのか。そしてこれだけの情報を残した。やっぱりすごいな、あの人。そんなすごい人を殺した鬼と、私は対峙している。怯えている場合じゃない。

 

「名前なんてどうでもいいだろう」

「そんなこと言わないでくれよ、おしゃべりは好きなんだ」

 

 余裕綽々か。そりゃそうだろうな。私なんて足元にも及ばないのだから。わかっているが、腹立たしいものだ。

 

「そういえば君、見覚えがあるなぁ。うーん……あ、思い出した」

 

 童磨はそう、屈託なく笑う。無邪気な子どもみたいに。

 私もその笑顔に見覚えがある。練習したんだ。一時期は鏡の前に張り付いて。以前のように、鬼に襲われる前みたいに、素直に笑いたくて。

 ああ、こんなふうに見えていたんだ。

 

「君、あれだろ? 鬼を調理して食べるっていう鬼狩り」

「そうだな、私のことだ」

「そっかそっか。なんだ、君もおしゃべり好きなんだね」

「……は?」

「ほら、磔にした鬼と話していただろう? そうそう、俺も聞きたかったんだ、どうしてあんなことするのかなって」

 

 当然のように情報は共有されているらしい。下手なことは話せないな。しのぶさんのことは、特に。

 童磨が会話したいというのなら、それに乗らない手はない。少しでも、時間稼ぎができたらいい。希望は薄いが、夜明けまで粘れるかもしれない。

 

「……お前たちも似たようなことをするだろう」

「えーっ、お前たちって鬼のこと? だとしたら違うよ。俺たちは人を食べて強くなるけど、君はそうじゃないだろう?」

「……」

「無意味でしょ。料理なんかして、手間がかかるだけだろうに。ずっと不思議だったんだ」

「……食の追求のためだ」

「ああ、君が熱弁しているそれね。だからそれがおかしいんだって。人間は鬼よりも弱いんだから。普通そういうのって、自分より弱い生き物で考えるでしょう」

「……熊は人を殺せるし、フグの毒で人は死ぬ。それでも先人たちは食べようと奮闘した」

「熊もフグも栄養があるし、味もいい。でも鬼はまずいのだろう? やっぱり変だぜ、君」

 

 そうして童磨は、優しく語りかける。慈愛に満ちた表情で。

 

「なにかつらいことがあったんだろう? 信者の中にもいたんだよ。ほら、人ってつらいことや苦しいことがあると、おかしくなるだろう」

 

 諭すように、菩薩のような微笑みで。憐れむように、見下すように。

 

「見たことあるんだ、奇行に走る信者たちを。僕はね、そういう可哀想な人たちを食べてあげて、救っているんだよ」

 

 救う? 救うと言ったかこの鬼は。

 童磨はいまだ話し続けている。

 曰く、死ぬことで苦しみから開放されると。食べることで永遠に生きて高みへ導くと。

 なにを言っているんだろうか。こいつは。食べることで救うだって? いっそ笑いがこみあげてくる。

 

「……本当に、そう思っているのか?」

 

 そういう大義名分、言い訳が必要なだけだ。言い聞かせているだけだ。そうしないと、やっていけないから。

 こいつはそれすら気づいていない。きっと、ずっと昔から続けていたからだろう。気が遠くなるほど前から。そして忘れ去ってしまったんだ。もしくは最初からなかったのかもしれない。

 

「偽っているだけだろう、自分を」

 

 私と一緒で。

 そんな笑顔をするやつに、真実なんてない。本当なんて嘘だ。わからないんだろう、自分ってやつが。感情だとかが。ああ、なんて――。

 

「可哀想に」

 

 心の底からの侮蔑を込めた表情と声色で、言い放つ。時間稼ぎなんて知るものか。仲良くおしゃべりなんて反吐が出る。

 こいつは私と同じで、私と逆だ。

 殺したくないから、食べるためだと偽る私。救いたいだとか大仰なことを言って食べるこいつ。

 どっちにしろ食も生も侮辱しているのだから、馬鹿らしい。

 

 よかった。胡蝶さんがこいつに食べられなくて。

 そんな理由で食べられたんじゃたまらない。胡蝶さんの尊厳が守られてよかった。最期はしのぶさんが見送って、弔うことができて、本当によかった。胡蝶さんが夜明け近くまで粘ったからだ。

 胡蝶さん、あなたはすごい人だ。尊敬します。私もそうしたいけど、きっと無理。夜明けまでずいぶん時間がある。

 いやだな。他のどんな鬼に食べられても、こいつにだけは食べられたくない。どんな惨たらしい死も、こいつに食われるよりはマシだ。

 

「君はずいぶんと、ひどいことを言うね」

 

 そして鬼は襲ってきた。急所を狙う、鋭い扇。

 必死に応戦するけど、やはり力の差は歴然。

 どんなにいやでも、こいつには勝てない。殺されて、食べられる。くそったれ。

 

 

 

 どのくらい私は持ちこたえられたのだろうか。一瞬のことだったようにも思えるし、長い長い終わりのない戦いだったようにも思える。

 刃物のように尖った氷で磔にされ、体に自由はない。凍ってしまって、指も動かない。凍てつく空気を吸って肺が壊死している。苦しい。痛い。私はもう死ぬのだ。はやく楽になりたい。

 ――ああ、この間行った甘味処、おいしかったな。甘露寺さんに教えようと思っていたのに。いや伊黒さんに伝えたほうがよかったかな。もう無理だけど。

 そういえば不死川さんからおはぎの感想聞いてないや。いつも律儀に言ってくれるから、それが密かな楽しみだったのに。

 あの和菓子屋さんに、また来ますって言ってしまった。待ってなければいいけど。……いや、私のことなんて覚えてないか。

 

「いつもはね、苦しませるのも可哀想だし、すぐにとどめを刺してあげるんだけど」

 

 鬼がなんか言ってる。こいつなんて名前だっけ。もう意識が混濁して思い出せない。私はもう死ぬんだし、情報は持ち帰れないのだから、まあいいか。

 

「今回は、君のやり方にならってみようと思うんだ」

 

 鬼はその鋭い爪で、私の太ももをえぐる。

 こらえられようもない激痛が、体中を走る。脳を支配する。喉を焼くみたいなうめき声が、自分から発せられていると信じられなかった。痛くてたまらない。逃げたいのに逃げられない。

 

「君はよくここを食べていただろう。わかるよ、俺も好き。肉厚で柔らかくておいしいよね」

 

 鬼がえぐった肉を口に運ぶ。私の太もも。食べられちゃった。

 痛みに喘ぎながら、しのぶさんを思う。よかった、あの毒を吐いておいて。少量の毒でも、こいつに食べられなくて。こいつには、人の体に毒が含まれている可能性をみじんも感じさせてはいけない。しのぶさんの覚悟を、私なんかが無駄にしちゃいけない。

 しのぶさんには悪いことをした。でも、あのとき、しのぶさんがあまりに思い詰めた表情をしていたから。私も気が動転していて、あのやり方したか思いつかなかった。あれのせいで毒の量の計算とか狂っていたら、申し訳もたたない。非難されてもおかしくないのに、ちゃんと理由を教えてくれた。優しい人だ。

 

「次はなんだけ、そうだ二の腕。この前食べていたよね? うーん、君みたいに上手くさばけないなぁ」

 

 引きちぎるみたいに腕の肉をむしり取って、「でもおいしいからいっか」ともぐもぐ食べる。血まみれで汚らしい。私が、咀嚼されている。こんな、食のありがたみもわからないやつに。なんて無念。

 ……煉獄さんも、無念だっただろうか。どんな最期だったんだろうか。苦しかっただろう、痛かっただろう。でも、こんな惨めたらしいものでなかったと、そう願おう。強くて、いい人だったから。こんな死に方をしていたら、あんまりだ。

 

「君の行いは愚かだったけど、それが人間の素晴らしさだからね。俺はいいと思うんだ。食の追求、だったかな?」

 

 続いて、腹が割かれる。食道を血が逆流して、口からも鼻からも血が溢れ出てきた。視界の端で、なにかが引き抜かれたのが見える。血で汚れてぐちゃぐちゃで、よくわからないけど、たぶん内蔵。腸だ。

 

「でもこれは食べなかったんだね。もったいないなぁ。いちばんおいしいのに」

 

 うるさい。人を食べている鬼の内蔵なんて、食べられるものか。どれだけ食べてみたいと自分に言い聞かせても、無理だったんだよ。そこが私の限界。最後の、人としてのボーダーライン。それを越える力はなかった。中途半端なんだよ、私は。お前に言われなくともわかっている。

 

「そうそう。おいしいといえば、ここ」

 

 私の口の中に手を突っ込むと、ぐっと引っ張られた。舌だ。

 

「結構おいしいんだ。弾力があって、食べ応えがある」

 

 さっきからこいつは、おいしいおいしいと。うまいわけがないだろう。ふざけるなよ。

 本当においしいっていうのは、誰かが愛情を込めて作った料理。それを一緒に笑いあって食べる、あのひととき。

 自分でこだわりぬいた、丹精込めてつくる一品。誰かに振る舞うときの、ちょっとした不安と期待。

 誰にも教えたくないような味に出会えたときの喜びも。逆に、はやく誰かに伝えたいあの気持ちも。

 こいつは知らないんだろう。なんて可哀想に。

 鬼の肉だって、うまいわけがないんだ。あんな、痛めつけて、苦しめて、恨みがましい目で見られて。食べながら浮かぶことは、憎悪や復讐ばかりで。おいしいと感じるはずがない。そんなこと、とうにわかっていたのに。

 ――お母さん、お父さん。ごめんなさい。あなたたちと囲んだ食卓が、なによりもかけがえがないものでした。私はただ、あのおいしい食事を、またしたかっただけなのに。

 人道に反することをしました。食を冒涜しました。あなたたちの子どもとして、胸を張れるような人生を歩めませんでした。

 だからこれは、きっと罰だ。

 

 舌をつかむ指が食い込む。力強く引っ張られても、ニタニタと笑うその顔を眺めるしかできない。

 私に殺された鬼もこんな気持ちだったのか。自分の無力と、この世の理不尽を痛感して。後悔と懺悔ばかりつのって。目の前のこいつが、ただただ気色悪くて、不愉快で。痛みだけがこの身を包む。なんて苦しい。

 あの鬼たちは、こんなに苦しんで死んだんだ。じゃあ、いっか。地獄でも引き続き悶え苦しんでくれ。私も苦しむからさ。

 

 悶絶する痛みが口元から広がる。薄れゆく意識の中、私の目は鬼が手にしているものを捉えた。小さな肉塊。私の舌。

 あの舌で、たくさんのものを味わってきた。もっと、おいしいものを食べればよかったな。こんなにも世界は、おいしいもので溢れているのだから。

 まずい鬼の肉ばかり追い求めて、馬鹿みたいだ。

 自分を偽って、嘘をつき続けて。そんな私が舌を引っこ抜かれて死ぬ。相応しい最期だ。

 ああでもよかった。これで、もう鬼なんて食わなくていい。殺さなくていい。偽らなくていい。

 やっと、このときが来た。

 

 

 

 

 

 

「あれ……? この匂い……」

 

 朝ご飯の匂いだ。ふんわりと香る出汁。油ののった魚が焼ける、香ばしい匂い。

 毎朝の風景。朝の食卓。懐かしい眺め。

 

「あ……お、お母さん、お父さん……」

 

 二人が待っている。食事を並べて、早くおいでと手を振っている。

 無我夢中で駆け出す。ずっとずっと、会いたかった。このときを、どんなに夢見たことか。

 おいしそうな食卓を囲む。三人揃って手を合わせる。

 さあ、一緒にご飯を食べよう。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。