彼女が高校を中退し、舌ピをし、スプリットタンをし、PAになるまでのお話です。
原作のイラストカードで、彼女がスプリットタンなのを見て、書きたくなりました。
高校を中退したときは、ずいぶんと親と喧嘩をした。
今考えれば当たり前かもしれないが、その時は、よくわからなかった。
なぜ、親がそんなにもキレるのか。
私は、ある時期までは、活発でまじめな子供だった。
いや、まじめなのは今もあまり変わらないかもしれない。
人の性質というのはそう変わりはしないから。
ただ、まともではなくなったのだ。
今でもよく覚えているのだが、メトロに乗っていて、薄暗い窓の景色を眺めていると、急に体がだるくなってきたのだ。
まるで何かにとりつかれたようだった。
薄暗い地下鉄の壁が、私の体に重い鉛を埋め込んだように感じられた。
最初は、気のせいかと思ったが、違った。
その日から私の身体は組成が変わってしまったのだ。
おそらくは細胞単位で。
私は、朝が起きられなくなり、学校に遅刻するようになった。
遅刻すればするほど、学校での居場所はなくなり、行きづらくなった。
やがて、頻繁に休むようになり、高校の単位を落としまくった。
もう、留年だと確定したころから、母親との激しい喧嘩が続いた。
望まれない子供になった気分だった。
自分の家に、居場所がない。
私が家を飛び出したのは、当然のことだった。
街をあてどなく彷徨う。
数少ない友達の家をいくつか梯子したら、もう泊まる場所すら失ってしまった。
どうする……家に帰るべきか……でも……。
もう、仕方がない。
私は、いわゆるウリ行為に手を出した。
高校生の身体というのは、需要があるらしい。
本番なしでペニスを擦ってあげるだけで、万札が手に入った。
私はそれを元手に、ホテルに泊まる。
そんな日々が続いた。
親には、友人の一人の家に泊まっていると伝えていた。
その子の家はとっくに追い出されていたが、嘘だけはつきとおしていてくれた。
私はそっと心の中で感謝した。
中里に出会ったのは、そんな時だった。
彼は、新宿の路上でギターの弾き語りをしていた。
上手いのかどうかは、よくわからない。
でも、変に引き付けられた。
たぶん、熱のようなものを感んじたからだろう。
私は、彼が突っ立ってギターを弾いているすぐ前にしゃがみこみ、ずっと聴いていた。
5曲ほど終えて、彼がギターを置いたので、地面に置かれたカンパの箱に、一万円を入れてやった。
彼は目を丸くした。
「は? え? 一万円?」
「うん。なんか気に入ったから」
「え、でも」
「いいからもらってください」
私のような高校生ぐらいに見える女子が一万円も出すなんて、信じられなかったのだろう。
彼はそれをかざすようにしてまじまじと見つめて、それから、大切そうにポケットにしまった。
「じゃあね」
私がその場を立とうとすると、「待ってよ」彼が引き留めた。
「さっきの一万円。それで、飯でも食おうぜ」
そう言って誘う彼の瞳には、わずかの熱と、それから怯えのようなものが見えた。
路上でギターを弾いていても、女の子を誘うのに慣れていないのだ。
それは、私がウリで知った男たちと、明らかに異質だった。
なんだか、可愛い。
私は思わず笑ってしまった。
「いいですよ。いこっか」
私たちは、近くのファミレスに行った。
彼は、中里哲也という自分の名前を教えてくれた。
大学生だけど、ほとんど学校には行っていないらしい。
少し前までバンドをやっていたけれど、喧嘩をしてバラバラになり、ここしばらくは一人で弾き語りをしている。
「へぇ、少し、似ていますね。私も学校行ってないんですよ」
だからこの人に、何かを感じたのだろうか。
そんなことを考えながら、私は目の前の青年を見つめる。
青年は、照れたように目をそらす。
彼は、慌てたようにスパゲッティを口に含み、ビールを注文した。
「あ、君も飲む?」
「残念ながら未成年なんですよね」
「行ってない学校って、高校?」
「そうなんですよ。ふふふ」
言いながら、私は笑った。
笑いごとにできたのは、初めてだった。
「そっかぁ、マジかぁ」
「あら、マズかったですか?」
「あぁ、いや。まぁ、一万円も持ってるから、バイトかなんかしてる大学生かと思ったんだけど」
「高校中退でもバイトはできますよ」
「それはそうだな」
どんなバイトかは内緒ですが。
「なんで学校辞めたん?」
「ま、いろいろありまして」
「そっかぁ」
彼はそれ以上訊いてこなかった。
ビールをグイっと飲み、言った。
「ま、いろいろあるわな」
「そうなんです」
私はまた笑った。
彼は、あまり突っ込んだ話をしないが、それがかえって軽くて心地いい。
それからは、互いの好きなものや趣味を語り合った。
彼は、ギターをやってるだけあって、バンドが好きで、アメリカのオルタナロックやグランジロックというものを教えてくれた。
前の世紀の90年代に流行ったというその音楽は、アイポッドで聴かせてもらうと、どこかざらっとしていて、砂漠のようだった。
私のさび付いた心を、肯定してくれるような気がした。
「これ、前の世紀の音楽なんですね」
「なんか変な感じだよな」
今、ファミリーレストランで流れているビートを聞かせたポップよりも、ずっと親密さを感じる。
なのにその音楽は、遠い時代に存在し、まるで惑星からの信号のように、私と彼の耳に届いたのだ。
「今度、ライブでも行かないか?」
「行きたいです」
何かを、自分から興味をもって同意したのは、初めてだった。
※
以来、私と彼は、暇があれば小さなライブハウスに行った。
そこで繰り広げられる音楽は、真摯なものもあれば、悪ふざけのようなものもあった。
けれど、一つ一つが、その音を奏でる人の個性であり、私は退屈しなかった。
彼がライブハウスに出ることもあり、その時は私が観客になった。
彼の歌もギターも、一般の基準ではあまり上手いものではないらしい。
いつも客入りは少なかったが、私はそれで良かった。
彼を独占できるような気分になれたからだ。
ある時、ライブの後の打ち上げで、彼はひどく酔っ払った。
珍しく、ビールではなく焼酎を飲んだのだ。
彼は、酔った勢いで私にキスをした。
てんでロマンチックではなかったが、それはそれで構わなうと思った。
彼は、酔っていて、唇は焼酎のドライな味がして、私はそれを舐めた。
後ろの席で飲んでいた他のバンドのメンバーがはやし立てた。
一人が楽器を取り出し、モリー・ダーリンを弾いた。
とてもロマンチックな選曲とは言えない。
でも、不思議と幸せだった。
翌日、酔った勢いでキスをしたことを彼は謝罪し、私は一瞬だけすねる真似をしてから、「やり直してくれたら、良いですよ」と言った。
彼は、「マジかよ」と言って、すぐにキスをした。
私は大マジだった。
この時には私はもう、本来なら高校を卒業する年になっていたので、彼と同棲をすることにした。
親には、二人で頭を下げた。
高校を辞めたとき、あれほど怒っていた母親は、今度は何も言わなかった。
もう私のことをあきらめていたのか、あるいは一種の自立だと感じていたのか。
私は、深くは問いかけなかった。
ただ一言だけ、母親は、「あなたなりに、一生懸命やりなさい」とだけ言った。
私は、よくわからなかった。
何を一生懸命やるのだろうか。
私には、打ち込んでいることは何もない。
ただ、こうして、何とか生きているだけだ。
彼を、愛することだろうか?
それならば、自信はあった。
※
同棲を初めてしばらくたったある日、私は、ピアスを開けたいと彼に言った。
高校時代、あまりそういうものに興味がなかったこともあり、ピアスを開けていなかった。
しかし、ライブハウスで見かける女の子たちが空けているのを見て、自分もやりたくなったのだ。
「いいよ、開けたらいいじゃん」
「手伝ってほしいんです」
「怖いの?」
「まぁ、そんなところかな」
私たちは、一緒にピアッサーを買いに行った。
それをもって、アパートに戻ると、少し動悸がした。
今から自分の身体に穴をあけるのだ。
それも、彼にやってもらうのだ。
私は、フローリングの床に座り込み、彼に、自分の耳を傾けた。
「行くよ」
彼も指が、私の耳たぶに触れた。
少しかさついた指には、ギターでできたタコがあり、その感触が、深く彼を感じられた。
ぱしっと一瞬痛みが走り、耳たぶに穴が開いた。
少量の血が飛び散り、彼の指を汚す。
彼は、それを眺め、それから、自身の指を舐めた。
その行為を私は止めずに見ていた。
医療用のガーゼと、消毒液を使って傷口を洗浄してくれる間、私は、不思議な蕩けるような感情を味わった。
※
「あのさ、実は俺さ」
その日の夜、彼が、まるで秘密を話すようにつぶやいた。
「耳たぶに穴をあけるとき、興奮してた」
「興奮。それって、性的に?」
「たぶん」
「たぶんって何ですか」
「わからないよ」
「自分の事なのに?」
「自分のことだから」
「勃起してた?」
「たぶん」
「それも多分なんですね」
「だってさ、やばいじゃん。彼女の身体に穴をあけてさ、それがもしも、嗜虐的な意味合いの興奮だったらさ」
「戦争で、人を殺すのが快楽になっちゃうタイプかもしれませんね」
「シリアルキラ-誕生」
「ばーん」
彼が私の耳たぶを舐めた。
彼の舌が、私の、開いたばかりの穴をなぞり、幾度かつつく。
私も興奮していた。
それは、性的とも、攻撃性ともまた違う不思議な気持ちで、私は少しだけ、彼の言うことがわかるような気がした。
※
それからも、私は彼に、ピアス穴を開けてもらった。
耳に、合計五つ。
そのたびに、彼は優しく私の穴を舐めた。
私に新しく空いた穴が、自分のものだと主張するように。
※
変化が起きたのは、翌年の春だった。
たまにライブをしたり、遊んだりする下北沢の街に新しいライブハウスができたのだ。
それはスターリーといった。
彼がそこでライブをすることになり、もちろん私は見に行った。
「いらっしゃい」
受付にいたのは、店長を兼ねている若い女性だった。
サラサラの金髪がとても美しい人で、こんな奇麗な人が経営しているのかと驚いた。
ライブの後の打ち上げで、その人とすぐに仲良くなった。
話してみると、気取らないざっくばらんで、でも優しさを秘めている人だった。
「へぇ、あんたあのギターと同棲してるんだ」
「そうなんですよ」
「いいね。あんたは音楽やらないの?」
「あぁ、私は別に……」
「ふぅん、一緒にやれば楽しいのに」
「でも今から楽器なんて覚えられないですよ」
「まぁ別にいつから始めてもいいと思うけど、あ、そうだ」
「なんですか?」
「PAとかやってみるのもいいかもな」
「PA?」
「ほら、音響みたいなの。ライブハウス出入りしてるんだから知ってるだろ?」
「あぁ、あれ」
「そっ。彼氏が弾いてる音を自分が作るなんていいと思わない?」
私は思わず笑った。
この星歌さんって人、見た目はすごくキリッとした大人の美人さんなのに、ちょっぴり少女趣味なところがあるんだな。
可愛い人だ。
「そうですね。考えてときますね」
私は、笑いながら答えた。
その日の帰り道、私は夕食の食材を買うために、一人でスーパーに立ち寄った。
その時、不意に背後から、声をかけられた。
「あれ、君、あれだよね。新宿でウリやってた子だよね」
「え?」
驚いて振り返る。
そこには、以前私を抱いたことがある男がいた。
いや、正確にはわからない。
彼らは、あの頃の私を通過しただけの存在であり、一人一人の個体としての認識はない。
17の頃の私の、いろんな感情がコントロールできなかった頃の、小さな過ち。
その過ちのドロドロに溶けたマーブル模様としてそこにある、まるで形而上学上の概念ような存在。
でも、彼は、人間の熱をもってそこに存在していた。
「久しぶりだね、もうやってないの? ウリ」
「あ、えと、その、誰の事でしょうか」
しらばっくれる私。
だが、そもそも反応したことがいけなかった。
「ずっと俺、探してたんだよ。気に入ってさ。もうウリやってないの」
同じ言葉をもう一度問いかけてくる男。
奇妙に聞こえた。
私の無言を、どのように受け取ったのだろうか。
「これ、Xのアカウント。スクショ撮っといてよ。DM頂戴」
私はなぜか、スマホを取り出して、彼のアカウント画面を写真に撮った。
なぜそのようなことをしたのか、何度考えてもよくわからない。
自然に体が動いてしまったのだ。
それが、私自身の本能というか、本性だったのかもしれない。
男は、小さくうなづいて、そのままどこかへ消えてしまった。
※
この出来事は、私の心中に、小さな棘のように残り続けた。
※
心の中に刺さった小さな棘は、やがて深い傷になっていく。
その棘には、毒が塗られていたのかもしれない。
心の小さな地図を介して、血液が汚染され、私は変貌してしまうのだ。
私は、自分が、まるで違う存在、奇妙な肉の塊に変貌してしまう夢を見て、目が覚めた。
ベッドから身を起こし、粗く息をつく。
体中が、まるで風邪のような不快な熱を帯びていた。
私は、隣に寝ている彼の顔を見る。
彼は、うっすらと目を開けていた。
「眠れないの?」
問いかけられ、私はうなづく。
「最近、ずっとそうだね」
「わかっていたんですか?」
「うん。なんか、少し不安そうに見えて」
「そう……ですね」
「何かあったなら、話してほしいんだけど」
「…………話せないんです」
「どうしても?」
「どうしても」
「そっか……」
ため息が聞こえた。
彼は、初めてのインディーズのアルバムの制作に取り掛かっていた。
彼も、様々なストレスを抱えていたのだろう。
私は唐突に、身体にもっと穴を開けたくなった。
彼に穴を開けられ、彼を刻まれることで、彼を認識し、もっと彼をつなぎ留めたくなった。
私は、言った。
「あの。ピアス。開けてくれませんか?」
「今?」
「はい」
彼は、うなづいた。
こんな深夜に、そのような行為に同意してくれるなんて。
なんだか、夢の続きのような気がした。
※
彼は、ピアッサーを持ってきた。
私の耳に、幾度も穴を開けてきたピアッサー。
それはまるで、神聖な儀式の道具のようだ。
私と彼の神話を描くための新鮮な針だ。
「どこに、開けてほしいの?」
「ここに」
私は、口をあんぐりと開け、舌を突き出した。
彼は一瞬、驚いたような表情になった。
「舌?」
「はい。耳よりも、もっと。体の奥深く。舌に穴を、開けてほしい」
彼は、うなづいた。
私の口の中に、指を入れる。
彼の指が、私の舌をつかんだ。
「ぬめっとして、少しざらざらしている。生き物みたいだ」
そう呟いて、消毒液を含ませたコットンを、舌にあてがう。
※
舌に穴が開いた瞬間、口の中に鮮血がはじけ、私は鉄の匂いを感じた。
※
一週間後に、男に連絡を取った。
私は、17歳の頃のウリ用のアカウントにログインした。
あの頃以来のログインだった。
まるで、その数年間、私は別の私だったような気がした。
でも、ログインした瞬間、私はあの頃の私に統合された。
私は男のDMを送り、池袋のはずれの小さなホテルで会った。
激しくセックスをした。
私がキスをすると、男は驚いたように目を細めた。
「舌に、ピアスをしているのかい?」
「はい」
「へぇ。前はそんな感じの子じゃなかったのにな」
「そうですか」
穴を開けてまだ一週間しか経っていない舌は、男と激しくキスをすると、鋭い痛みを感じた。
ぬるりと血が滴り、彼の唾液と混じった。
おかしな病気に感染するかも知れないと思ったが、構わないような気がした。
※
一通りの行為を終えて、男がお金を払おうとした瞬間、私はカバンの中に隠し持っていたスタンガンを男にあてた。
電流が流れ、男が声にならない叫びをあげ、倒れる。
私は、倒れた男を、めちゃくちゃに殴った。
※
ホテルの電話で警察に電話をした。
すぐに警官がやってきて、私は逮捕された。
※
殺人ではなく、暴行だったので、数日で釈放された。
彼が、私を引き取ってくれた。
私たちは、アパートに戻る。
しばらく互いに、無言だった。
「あのさ、どうして、あんなのことを?」
彼が問いかけた。
言葉を慎重に選んでいるようだった。
「……よく、わからないんです」
私は答えた。
「時々、そうなるんです。高校生の時から。よくわからないけれど、衝動的な行動をしてしまう」
「でも、本当は理由があるんだと思う……。なにか、その、困りごととか、俺に言えないような、弱みとか」
彼は、何かを期待しているように見えた。
私は、首を振った。
「私から、誘ったんです。あの男に、DMして」
「そんな、なぜ?」
「しいてよく考えるなら」
私は、深呼吸した。
「過去を終わらせたかったのかもしれません。あの男に偶然スーパーで声をかけられて。私はあの時、自分の過去が、自分の背後に急に忍び寄ってきたみたいに感じたんです。ピタッと、まるで。同化するように」
「過去……」
「私、ウリをやってたんですよ。あなたと会う前に。いえ、出会ってからもしばらくは。ライブのチケット代とか、欲しかったから」
「…………」
「それで、怖くなった。また、あの自分が自分に混ざってきたような気がして。それで、あなたに、もっと深いところに穴を開けてもらって。でも、怯えが消えなかった。だから私は、あの男を、怖しに行ったんです」
そこまで話して、ようやくわかった。
あそこまでが、一連の儀式だったのだ。
私の神話の。
「別れよう」
彼が言った。
「もう、君とはいられない」
私は、泣いた。
まるで、汚れを知らない少女のように泣いた。
なぜだろうか、泣けばなくほど、自分がみじめになった。
※
彼が私の人生から消えていき、私は抜け殻のようになってしまった。
すべては私がしたこと。
自分で選んだ行為が引き起こした結果なのに。
この段になって、私は、自分がどれだけ彼を愛していたのかを自覚した。
この数年間、私がこの私でいられたのは、彼がいたからだった。
私は、慟哭し、うろたえ、彼が私に開けた穴の一つ一つに触れた。
耳たぶ、耳輪、そして、舌。
そこに何もない、空白によって、彼の思い出が存在している。
私が自分で失った彼のすべてがそこに存在しているのだ。
物事は、裏返っている。
無いことで、存在が生まれている。
今でも感じている、この空白は君が空けたのだと。君の形なのだと。
だから私は、その空白を、もっと大きな空白で切り取ってしまうことにした。
そうでないと自分がつぶれてしまうと感じたから。
私は、その日の夜、美容クリニックの予約をした。
スプリット・タンの形に、舌を引き裂いてもらうために。
※
新しい空白を抱えた私が、街を歩いていると、見知った女性とすれ違った。
「あっ、君は」
星歌さんだった。
「久しぶりだね、なにしてたの?」
「えっと、そうですね、まぁ、何も」
「ふぅん?」
じろっと私を見てくる。
「なんか、雰囲気変わった?」
「そうでしょうか」
この人はやはり、よく人を見ている。
「うん、なんか、前よりすっきりした雰囲気になったかもね」
そして、根本的に考え方が善良な人だ。
私は、久しぶりに笑った。
「いや、実はですねー。あの彼氏と別れちゃったんですよー」
ふざけたような声を出す。
出すことができた。
「え、マジで? それって大丈夫なの?」
本気でおろおろする星歌さん。
なんだか可愛い。
私は、心が楽になったような気がする。
「大丈夫ですよ。ほら、付き合う別れるなんて、よくあることじゃないですかー」
「え、そ、そうか?」
この人、お付き合いしたことなかったりするのかな。
「ま、まぁあれだな。もしよかったら、愚痴ぐらいは聞くぞ、飲みに行くか?」
「え、良いんですか?」
「まぁ、ちょっと心配だしな」
「ふふふ、良い人ですね。あ、そうだ、前に言っていたあれ。まだ覚えてます?」
「あれって?」
「ほら、PAのこと。教えてくれるって」
「あぁ、そりゃまぁ、別にいいけど」
「私、かなり暇になったんで。なんか生きがいってのが欲しくなっちゃいました」
「ま、そんじゃ、飲みながら話すか」
「はい、ぜひ」
「あ、おごってやるけど、安い店だからな」
「大丈夫ですよー」
こうして、私は新しい居場所を手に入れた。
二つに分かれた舌完先は、もう元には戻らないけれど、この日飲んだビールの味は、一生記憶しているだろうと思う。
(完)
いかがでしょうか。
ご感想などいただけますと幸いです。