「いたぞ! こっちだ!」
「逃げるな!」
「ひぃぃぃぃっ!! 来ないでくださーい!!」
トリニティ総合学園の阿慈谷ヒフミは校則で出入りが禁止されているブラックマーケット内を必死に逃げていた。後ろからは何処かの学校を退学させられたであろう素行の悪い不良生徒が束になって追いかけてきていた。
かれこれ30分ほどは地獄の鬼ごっこを繰り広げているだろうか。逃げる方も追いかける方も疲労が溜まってきており、最初の時のような俊敏な動きは出来なくなっていた。
どうしてこのような事になってしまっているのか、ヒフミは考えるが分からないとしか言いようがなかった。最近は更に厳しくなったブラックマーケットに入り浸っているとはいえ自分は平凡な学生に過ぎない。狙われる理由などないはずなのだ。
「あれはトリニティの制服だ! 捕まえれば身代金がたくさん絞り取れるぞ!」
「逃げるな金づる!」
「そう言われて逃げないわけないじゃないですかぁぁっ!!!」
ヒフミが感じていた疑問は本人たちの叫びで解消された。尤も、その理由が分かった以上絶対に捕まるわけにはいかなかった。もしつかまり、身代金を要求した時に、特別金持ちでもない自分の事を知られた場合、不良生徒が腹いせに何をしてくるか分かったものではなかったからだ。故にヒフミは限界を超える勢いで逃げ続ける。が、ヒフミの脚では逃げ切れない。
「(あうぅ。このままじゃ捕まってしまいます。……い、一か八か!)」
このままでは逃げきれないと悟ったヒフミは最後の賭けに出た。現在のブラックマーケットで最も危険なエリアへと向かったのだ。それは、ヴァルグレア統制学院が定期的に巡回をするエリア。通称、悪魔通り。
ヴァルグレア統制学院の処置官たちは容赦ない上に冗談が通じない。邪魔だと判断すれば事情などお構いなしに発砲してくるだろう。そういう意味ではブラックマーケットの治安維持部隊の方がまだ手心を知っている。彼女たちはどんな勢力であろうと敵対するのならば容赦なく発砲するのだから。
故にブラックマーケットの住民たちは彼女たちの巡回ルートを把握し、かち合わないように気を付けていた。それはヒフミも同様であり、この事に関してはトリニティの誰よりも詳しい自信がついていた程だ。
「くそ! 逃げるな!」
「おい!? あいつ悪魔通りに向かってやがるぞ!」
「知るか! 通りに出る前に捕まえるんだ!」
不良生徒達もヒフミの思惑に気づいたようで先ほどよりも執拗に追いかけてくる。捕まるのが先か、通りに出るのが先か。それは、ヒフミに軍配が上がる事になる。
「出た!」
通りに出たヒフミは直ぐに物陰に隠れる。通りには誰もおらず、静寂が支配していたがそれも視界の端にヴァルグレアの処置官がちらりと映った事が理由だった。
「くそ! どこ行った!?」
「お、おい。やべーよ。通りに出ちまった……」
不良生徒達が少し遅れて通りに出てくるが処置官たちは彼女たちに気づいたようで視線を向けてくる。感情のこもっていない恐怖すら感じる無表情な視線を向けられた不良生徒達は顔を青くして出てきた路地裏へと引っ込んでいく。
処置官たちはそんな彼女たちが去っていった路地裏をしばらく眺めていたがやがて興味を失ったのか巡回へと戻っていく。ヒフミが隠れる物陰に処置官たちの足音が何度もこだまする。
「(は、早くどっかに言ってくださいぃぃぃ!!!)」
気配を押し殺し、涙目になりながら処置官たちが去るのを心の中で祈り続けた。そして、その祈りが通じたのか処置官たちはヒフミに気づくことなく通り過ぎていった。そして、完全に足音が聞こえなくなり、恐る恐る通りを確認したヒフミは大きく安堵の息を吐いた。額には汗がびっしょりと流れており、足は恐怖でガクガクと震えていた。
一か八かの賭けだっとはいえ二度とやりたくはないとヒフミは感じた。少なくとも次からは治安維持部隊に引き合わせる方が良いかなと思いながら服の乱れを治すと不良生徒が去っていった方向とは反対方向に向けて歩き出した。
目指すはブラックマーケット限定販売のペロロ様グッズを手に入れるために。
阿慈谷ヒフミ。モモフレンズのペロロ様の為なら危険地帯のブラックマーケットでも、ヴァルグレア統制学院の処置官だろうと相手に出来てしまう自称“平凡な少女”である。
「いやはや、まさかセイア様が殺されるなんて思いもしませんでしたよ」
ティーパーティーのホスト代行を担っている桐藤ナギサはそう言ってヘラヘラと笑う少女の言葉にどの口が、と吐き捨てたくなる衝動をグッと堪えていた。
彼女は暗殺された百合園セイアに代わる形で選出されたサンクトゥス分派のリーダーであった。元は副リーダーとしてセイアを支えてきた人物であり、ナギサも彼女の事をよく知っていた。
そう、良く知っていた為に彼女が選出された事に納得がいっていなかったのだ。
「ナギサさん、そう怖い顔をしないでください。私が選ばれたのは分派内での会議で決まった正当な事実です。流石のナギサさんにそのことをとやかく言われる筋合いはありませんよ?」
「私は別に、何も言っておりませんが?」
ついつい不機嫌な声色になってしまうのを自覚しつつ、ナギサは心を落ち着かせるために紅茶を口に運ぶ。そんなナギサを少女はにやにやと厭らしい笑みを浮かべていた。
正直に言ってしまえば彼女は無能だ。副リーダーになったのもセイアの従姉妹という立場を利用してセイアに強請ったためであり、本人はその地位に就くには不十分な実力しか持っていない。現に、セイアは彼女に対して重要な案件を回すことはなく、事実上のお飾りとしていた。セイアに何もなければ彼女はお飾りのままトリニティを卒業する事になっていただろうがセイアが暗殺された事で何もかもが狂ってしまった。
どういった事を行ったのかは不明だが彼女はサンクトゥス内で大きな支持を得てティーパーティー代行の地位を手に入れていたのだ。それもきちんとした権限を有した本物の地位を。経緯は分からないがこれにはナギサもサンクトゥス分派に文句を言いたくなってしまう。貴方達は馬鹿なのですか? 何もできない無能に権力を持たせる事の危険性を理解していないのか。と。
「これはもう決まった事ですから。ホストの地位まで寄こせとは言いませんから。流石の私もその辺は理解していますよ」
「……そうでないと困ります」
無能だと分かっている代行にトリニティのトップを任せるはずがない。彼女が強請ったとしたらどんな手を使ってでも阻止するつもりでいた。それをしなくて済むのは多少なりとは言え無駄な労力を使わずに済むだろう。
「それじゃ今日は顔合わせだけのつもりだったのでこの辺で失礼させてもらうよ。セイアが死んだせいでやらないといけない事がいっぱいあるからね」
「……」
言葉の割に嬉しそうな様子の彼女が去っていくのを視線だけで見送る。ここにミカがいなくて良かったとナギサは感じていた。いくらそりが合わずに反発していたとはいえ彼女の態度を見ればミカとて何をしでかすか分かったものじゃないからだ。ミカが用事があるからと参加しなくて良かったとナギサはため息を吐いた。
トリニティ内部の混乱は未だ収束を見せていない。レクス分派は今日も高らかにエデン条約反対のデモを起こしている。彼女の言葉に賛同する生徒は日に日に増え続けており、最近ではティーパーティーの批判をする生徒まで現れ始める始末だ。それらの対応にナギサは終われ、疲労が溜まりつつあった。
「やはり私だけではどうしようもありませんね」
ひょんなことから得られた縁。ミカからの推薦もあり、ナギサは自分の忙しさからその縁を使う事を本気で考え始めていた。既に先方には話を伝えており、後は両者の細かい日程を調整するだけで良い段階まで来ている。噂通りであるならば不都合もないだろうとナギサは予想していた。
「なんとしても、トリニティの未来を守るために」
ナギサはそう覚悟を決めつつ、空になった紅茶のお代わりの為にお付きの生徒を呼び出すのだった。