ひとつ、溜め息を吐く。
目の前にある華やかさなど目に入っていなかった。
府中。東京レース場のスタンドからはどっと大歓声があがって。
長く果てしない直線を、夢や想いを胸に駆け抜けていく。
その場に僕の担当ウマ娘などいない。
というか、そもそも未だ担当を持てていない僕には無縁の大舞台ではあるか。
「……やっぱ、ダービーっていいよな」
快活そうな黒髪のウマ娘が外から抜け出していく瞬間に感嘆する。
続くのは芦毛のふんわりしたウマ娘と、小さいけれど負けん気の強そうなウマ娘。
彼女らも負けじと黒髪のウマ娘に食らいついている。誇りや激情を背に。
だが、この長い直線を制したのは、ダービー勝利が夢だと以前から口にしていた黒髪のウマ娘。
生涯たった一度、ただ一度だけ出走できるダービーを、彼女は掴んでみせたのだ。
栄冠に輝いたウマ娘を目にして、自然と拍手していた。
このダービーに、その出走者たちに。
「凄かったよなヒロ! 今日の日本ダービーさぁ!」
早々にレース場をあとにし、トレセン学園に戻って開口一番、同期のトレーナーからこの一言。
拳を握りしめ、涙を流すチャラ男に、俺は顔を引きつらせることしかできなかった。
「最後の! あの直線! BNWの三強争い! だけど最後は、チケットの想いが通じたように! ダービー! いいよなぁ! やっぱ!」
「お……おう。わかったからとりあえずぐちゃぐちゃの顔なんとかしろ」
おうおう泣くチャラい同期を尻目に、自販機からペットボトルを取り出す。
「ほい、水。奢りな」
「ありがとうううううううううっ!」
「だからそのぐちゃぐちゃ顔で近づくなって! あっ、抱きしめようとするなってお前!」
……気持ちはわからなくもない。
もし担当ウマ娘がこういう大舞台を勝ったなら、それはトレーナー冥利に尽きるというものだろう。
だからといって、このチャラ男は感情の振れ幅が相当な気もするが。
「俺もウマ娘みたいにあのダービー走りてぇよおおおおおおっ!」
訂正。
このチャラ男はトレーナーというより競技者側かもしれない。
「羨ましいぞぉ! なぁ!? 森ィ! なぁ!?」
「そんなんだから担当いねぇんだよ!? 落ち着け! わかったから落ち着けって!」
「誰がウマ娘ちゃんをナンパしてそうなチャラ男だコノヤロオオオオオオっ!」
「流石にそれは言ってねぇよ!?」
面倒くさい同期とちょっとした揉み合いになりながらも。
こいつをどうしばきあげようかと考える。
「……あのー、今OK?」
そんな時だった。
目の前にやたらでかい赤髪のウマ娘が現れたのは。
身長は170台後半、いや180台はあるだろうし、スタイルもよく整っている。
翡翠色の瞳からは、困惑……よりも興味が映っていたように見えた。
「あらま綺麗な姉ちゃんじゃん。でもごめんね。今からこの金髪ぶっ飛ばすから」
「お前も金髪だろ!? というか発端はお前からじゃん!」
「なにを! お前が俺にウマ娘ちゃんを唆してそうな悪いチャラ男だって言わなければこんなことには!」
「だから言ってねぇって!? あとちょっと内容変わってないか!?」
「おふたり、仲良し、デスね」
「へ?」
「え?」
話しかけてきたウマ娘からそんな言葉が聞こえてきて、思わず素っ頓狂な声が漏れる。
「オゥ、スミマセンね! 微笑ましい、いいなって」
「……そう?」
「YES!」
「親指立てるほどなの!? あとあなた誰!?」
「オゥ、忘れてマシタ。ナマエ、ネームですね」
ウマ娘は誇らしげに胸を張って、答えてくれるようだ。
「……ジムインってネーム、です! ジャパンだと、こう言われてる、カナ?」
「……ジムイン? ジムインって事務員のこと?」
「よくわかりまセン! けどアタシ、ナマエ、ジャパニーズ風、こうなるみタイ!」
横目に立っているチャラ同期がなにやらその名前とやらを反芻しながら、顔を真っ青にしていたが、たぶん問題はないはずだ。あとで水でもかけておけば。
「……んで、どうしたの? 僕たちになにか?」
「YES! ジャパントレセンスクール、広い! わからない! だからトイレ、聞きたい!」
「トイレかーい!?」
「オゥ、YES! それ、それ!」
「えーっと、トイレは……」
ここからのトイレはこう行けばこう着けると説明するとウマ娘は、
「助かりマシタ! ありがとうございマス!」
と、その方向へ駆け出していった。
が、突き当りで止まると、
「そういえばアナタがた、トレーナー?」
「え、気づいてなかったの」
「Sorry! あとでレース、あるらしいデス! だから見に来てクダサイ!」
そう告げると、ウマ娘はトイレの方向へ速歩きで去っていった。
「なんか独特だったな、あの娘。……おい同期よ、フリーズしてるぞ。どうした?」
「おいおい……まさか、な……」
そうぶつぶつ呟きながら、これも足早に去っていったから、この場にはぽつんと僕だけとなる。
「……みんな嵐みたいだな」
後頭部をぽりぽりと掻きながら、運動場へ向かう。
あのウマ娘が話していたレースとは、大方模擬レースのこと。
せっかくだし、足を運ぶとしよう。誘われたし。
僕は未だ、担当ウマ娘がいない。
このトレセン学園で何人かにアドバイスしたことだけはあるが、そこまで。
僕はそこから、まだ進めていない。
怖いんだ。
担当ウマ娘を持つことが。
担当ウマ娘と親しくなることが。
担当ウマ娘を導くことが。
模擬レースには足を運ぶけど、それまで。
スカウトには積極的になれないし、
僕は彼女らを、ネームドウマ娘を導けやしない。
コースがある運動場に着くと、そこにはやはり、多数のウマ娘がアップしている。
その中をよく見てみると、赤くてでかいウマ娘がいるではないか。
そう、さっきトイレを探していた彼女だ。
というか、背がずば抜けて高いからどうしても目立ちまくっている。
と、そんな彼女を凝視しているトレーナーたちが六、七人ほど。
もしや彼女、注目株か?
出会った印象にはなかったので、少し意外に思ってしまう。
「あのー、突然すみません」
「ん? どうしたんや?」
彼女を凝視しているトレーナーのひとりに適当に声をかけ、彼女がなんなのか聞いてみることに。
「あの娘、注目株なんです?」
「なに言ってんだ、そらそうだろ。アメリカの名門出身だしな」
「えっ」
「お前知らんのか。ま、そんなんだから注目されてるってわけだ」
「ジムインちゃんって、そんなに凄そうなウマ娘だったんですね……」
「ジムイン? ジムインって、あれがか?」
「えっ」
「あれはジムインって名前なんかじゃねぇぞ」
「はあああっ!?」
「あれはな――っておい! ちょっと待てって! ……まあ、いいか」
あのウマ娘がいるコースの前に転げ落ちながら下りて、
「そこの赤いの! そこのジムイン!」
そう声を荒げるようにすると、
「名前! ジムインじゃないってマジかよ!?」
「オゥ、Sorry! ジャパンだとそういう意味、らしいから!」
「ごめん、やっぱモヤるから名前! 本当の名前教えて! 突然でごめんだけど!」
「――名前、デスか」
彼女は口角を上げ、親指を自身に突き出すと、
「――
にっと笑ってみせて、彼女は告げる。
「レースが終わってから、少しお話、しましょう?」