よくある異世界転生ナーロッパもの。
死因は、真夏にケモノ系画像を汗だくで探した挙句の熱中症。
ズキズキしていた頭が急に楽になって、死因と享年が浮かんで来る。
…漠然とした感覚だが、死んでしまった、という事実が頭の中で抵抗なく受け入れられた。
(ああ、これから私は……)
死んだのならば、意識など無くなるものだと思っていた。しかれども、今の私は死んだと理解できている様に意識を保っている。
そのように死んでも意識が残る異常事態を疑問に感じていると、ふと思いつく事があった。
それは…
(私は、まさかナーロッパに行くのか…?)
ナーロッパ行き、俗に言う、異世界転生だ。
己の成せなかった事を成せるセカンドチャンス溢れる世界、誰もが行きたがる場所…しかし私にはとある懸念があった。
(獣人は、いるのか?いたとしてマズルはあるのか?ケモセーフは、対応する動物の種類は、どうなるんだ…!?チクショウ、こんな事ならケチらずにクーラーつければ良かった……)
それは、転生先に好みのケモノがいるかどうかだ。
万が一転生を果たせたとしても、ケモミミだけを付けたような舐めたケモノなどを出されては最悪の結果になる。
と言うのも、画力も文章力も無い私には、そのような世界で欲求を満たす事が事実上不可能であり…
即ち、典型的なナーロッパよりも、私の好みに合うケモノを描き出してくれるクリエーターの方々がいらっしゃる現実世界の方が遥かに良い世界になるのだ。
そう考えた途端、私の思考は後悔を導き出した。
なぜならば、友にも家族にも癖を伝えられず孤独であった現実世界であれども、私は欲求を満たす素晴らしい生活が出来た。
しかし、私は死んでしまったので…欲望を満たすためには、万が一の転生を果たし、尚且つ望み通りの異世界を億が一の確率で引き当てなければならなくなったからだ。
(チクショォォォ……)
そんな後悔に苛まれていたが…
(ん?)
(あなたは…まさか、神?)
突如として目の前に現れた神々しい犬のような何か、それを見た途端に全ての後悔は吹き飛んだ
「ワンワンンワンンンンワンンンワワンンンワワワワワンワンンンワワンワワンワンワワワワワワワンンンワワンワワワワンワンワンンンワンワンンワワンンワンワワンワンンンワワンワンワワワワワンンワンワワンワンワワンンワンン、ワンワンンワワワワンンワンンンワワワワンワンワワンンワワンンワンンンンンワンワン」
(言葉は全然分かんないけど…この犬の神様なら、もしかすると素晴らしいケモノの世界に導いてくれるんじゃあないか…!!)
(お願いします、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします……どうか、どうか、この卑しき私めを素晴らしいケモノの世界へとお導き下さい……)
故に信仰心など無い私であったが、全力で目の前の神に祈りを捧げた。
もはや自分の存在すら忘れるほどに祈り、祈った末に
「ワワンワン?ンワワンンワンンンンワンンンワワンンンワワワワワンンワワンンワワンワンワンワンンワワワワンワンワワンワンンンワワンワワンワンワワンワンワンンワンワワンンワンワワワワワワンワンワワンワンンンワワンンンン?」
光に包まれ始め…やがて、意識すら白く染まっていった
「ワンワンンワワワワンンワンンンワワワワンワンワワンンワワンンワンンンンンワンワンワワンワワワワワワンンワワンンワンワワン…ワンワワンワンワワンンンワワンワンンンン!」
「ワワンワワワワンワンワンンワンワンンンン、ワワワワンンワワンワワワンワンンワワンワンワンワンワワンンンワンワワンワンンンワワンワワンワンワワワワワワワンワンワンンワンワワンンワンンンワンンンンンワンワワンワンワンワンワンンワワンワンンワンワワワワンワンワンンンワワワンワン」
で、転生したってわけ。
紺色のローブに身を包んでカラスのようなマスクを着けた不審者が、教会にて"ワワンワワ=ワンンンン=ワワンンン"様の像の前で跪き両手を握りしめている…これは、私だ。
今日で異世界に来てから15年。"問題"こそあるが…私は、この素晴らしき世界に転生させてくれた神へと感謝を捧げる為に、よっぽどのことがない限りは毎日祈っている。
(本当に、本当にありがとうございます……私は愚かな行為で命を無駄にしながらも、貴方様に救われたのです)
この世界に生まれて来て、幼い頃から欠かさなかった祈り。染みついた習慣であるからか、祈っていると昔の事が頭の中に浮かび上がって来た。
この世界に転生した時、私は生まれたてホヤホヤの赤ん坊だった。ただボンヤリとした聴覚と視覚では何も分からず、もどかしい思いをしたものだ。
しかし私の視界は直ぐにハッキリして周りを見られる様になり、自分を呼ぶ"ウルペス"という名前もわかる様になり…それらと合わせて歩けるようにもなった。
そして、目が見える様になった時に両親と自分自身を見て、私はこの世界への評価を10段階中9まで引き上げた。
何故ならば、優しさたっぷりで私を育て上げてくれた両親は、癖にガッツリ刺さる狐の獣人であったからだ。
耳と尻尾とマズルは当然のようにあり、足は逆関節で、体表はケモセーフがかけられるほどにモフモフ。加えて母はスレンダー系で父はガッチリ系…そして例に漏れず、私もまた可愛らしい狐のショタケモであったのだ!
…勿論、今世の親であるわけだから情欲を抱いた訳ではない、単純に好きな見た目であったと言うだけだ。
そして、彼らに連れられて外に出た時、評価は限界突破して100になった。
何故か…これも答えは簡単、見事と言えるほど私の癖に刺さる沢山のケモノが外を歩いていたからだ。
スレンダーなメスケモ…良し、少し太めなメスケモ…良し、ガッチリ系のオスケモ…良し、可愛い系のショタ/ロリケモ…良し。
強いて問題をあげるのだとすれば…私の生まれ故郷は、狐族と呼ばれる狐の獣人が主体であるコミュニティであり、ケモノの種類が狐だけであった事ぐらいだろう。
それからは、ひたすらに世界を探究しようとした。私の今世の実家となった小さい丸太小屋の中では沢山の事を両親から学び、本を読むために村の老狐に頼み込んで読み書きも必死に学んだ。
両親からは、狩りの手法や狐族の秘術(なんかカッコいい魔法みたいなやつ)、そしてサバイバル術など…とにかく生きる為に必要な事を片っ端から叩き込まれた。
老狐からは読み書きだけで無く、基礎的な狐語や共通言語から…使う者が少ない古代語や他種族の言語まで頭に捩じ込まれた。
故郷を離れても未だに続けているコレらの学びは、前世の私には出来ないほどに過酷なものであった。
しかし、本を通して見えてきた世界の全容が…そして広く感じた世界を前に抱いた夢が、過酷な努力を乗り越えられる程に私の背を強く押してくれたのだ。
その夢とは、多くのケモノと仲良し(意味深)する事。
この夢を叶える為に、故郷の外でも生き延びられる能力と他種族と対話できる能力は必須であった。
だから、ひたすらに頑張った。体と頭に鞭打って全ての術と知識をこの身に染み込ませようとした。
そして……
「こんにちは、ウルペスさん」
「…!シグナス神父、いたのですね…こんにちは」
懐かしい記憶も中盤に差し掛かろうかと言った時、優しげな声に話しかけられて慌てて現実へと戻る。
声の主へと視線を向けると、そこにはシグナス神父…白鳥族の獣人がいた。全身を純白の羽毛で覆われており、その上から神父の黒いローブを着込んでいる彼、いつも通り白と黒のコントラストが美しい。
また、背中で組んでも反対側にはみ出る程の大きな翼の腕に、私を簡単に見下ろせる程の体格、そして戦士のものと相違ない恵体は、彼に一種の若々しさを与えており老鳥という印象を完全に打ち消していた。
「毎日欠かさずに祈りに来る、そんなあなたは本当に敬虔なお方だ」
「勿論、その心は素晴らしいですが…そろそろお昼になります。狐族の貴方は何かを食べた方が良いですよ」
そう言い残すと、神父は嘴を撫でながら教会の奥の方へと戻っていく。彼の言葉を聞いて外に出てみれば、太陽は正しく私の真上にあった。
(…あの人、狐族の習慣とか知っていたのか…)
狐族の様に夜目がきく種族は真夜中まで活動することが多い為、エネルギー補給のために昼食の習慣があったりする。
しかし、そもそも狐族を見かけることは稀であり、そんな習慣を知る機会は滅多に無いはずだ。
彼とは二年前にこの街に来てからの付き合いであり、その知恵に助けられる事があったが…まさか今になって彼の博識さに驚くとは思わなかった
「…神父の言う通りだな。そろそろ、何か食べるか」
彼の助言は大抵の場合聞くべきものだ。故に、祈りを切り上げて街へ繰り出す。
街へ繰り出した後は、街の中央へと向かった。
この街の中央には広場があるが、ただの広場では無い。
と言うのも…現在、私が滞在している街"ファーリー"は交易が盛んな街であり、特に中央の広場は様々な物が売られている大規模なマーケットになっているのだ。
周りの店よりも安いと喧伝する大声に、値切り交渉の声、そして何処かで起こった喧嘩の罵倒…いつも通りの喧騒に満ち溢れた市場を練り歩き、時には癖にささるケモノをマスク越しに凝視しながら美味しそうな料理がないかと探す。
しばらく歩いて悩んだ末…最終的にはボリュームのある干しワームの切り身を6つ買い上げた。
切り身であろうと、自分の太ももと同じくらいの大きさである干しワーム。
実家の食卓で初めて出された時には、そのゲテモノ具合にドン引きしたものだが、獣人になってから強まった食欲には敵わず…今や慣れた。
前世の人間よりも優れた身体能力のせいか、獣人の食欲は本当に凄いのだと、この身を持って実感していた。とは言え、割と小柄な部類に入る狐族の私なら干しワームを一切れ食べれば十分である。
残りの5つは、これから向かう場所にいる友人と親方への土産として持って行くのだ。
(アイツ…毛繕いどころか、食事まで抜くことあるからなぁ……)
紐で括った今日の昼飯を肩にかけ、壊滅的な生活習慣の友を頭に思い浮かべながら広場を離れた。
金属を溶かす音に、ガンガンと響く金床の音、そしてそれらに負けない程に大きな声を出す職人達…
この騒がしい場所の名前は"ヒグマ工房"
金属製の看板に刻まれた文字を見ながら、全くもって変わらない様子に安心感さえ覚える。そう、ここは俗に言う鍛冶屋だ。
「おっ、ウルペスの坊主か!!久しぶりじゃねぇか!」
「取り敢えず、こっち来い!!…おいテメェら!!間違っても蹴っ飛ばすんじゃあねえぞ!!!」
工房に入れば更に周りの雑音が大きくなるが…それらを簡単に上回る様な大声が工房の奥から聞こえてきた。
(相変わらずのデカい声だな…)
年を取ろうと全くもって衰えない大音声。時折頭を撫でようとしてくる熊族の職人達の手をやんわりと断りながら進んでいけば、そこに彼はいた。
「ヒグマ親方、お久しぶりです。相変わらず元気な様で何よりです。今日は…」
「おいおい!!そんなかしこまった言い方すんじゃねぇよぉ、もっと…こう、ヒグマおじさん、って呼んでくれても良いんだぜ!!」
作業の為に椅子へと腰掛けていながらも私を軽く見下ろせる様な巨体、声がなかったら上辺に二つの半円がついた茶色い壁だと見紛う事間違いなしだ。
そんな彼の名はヒグマ、この工房の中で声も体も一番大きい熊族であり、職人達をまとめる親方でもある。
「なんてな!…用件は分かってる、アイツは例のブツを最後まで弄り回すために自室に引き篭もっているぞ」
「またですか?うーん…まぁ、受け取るついでに色々としておきます。あっコレ土産です、3つどうぞ」
「すまねぇな、どうもアイツは…と、あんがとな」
「それと、今回の製作費は…」
「金はいらん。少なくともお前さんから金を取るほど俺は恩知らずじゃあねぇ」
「ですが…」
「そのクソ真面目は変わんねえなぁ…じゃあ、この昼飯が今回の代金だと言う事にしとけ」
ヒグマさんと私の出会いは、意外にも私が彼に手を貸す様な形であった。とは言え…それはそれ、コレはコレである。今回こそは仕事への対価をしっかりと払おうと思っていたが、敢えなく突っぱねられてしまった。
(依頼の品が特殊だから他の所じゃ受けてもらえないし…どうするかなぁ…)
結局、いつも通りに友人の作業部屋へと向かう。
干しワームを渡して荷物は軽くなった筈なのに、罪悪感を感じるからか背中が少し重くなった気がした。
目の前には分厚い鉄で出来たドア。この先の部屋こそが今回の目的地であり、友人が引き篭もっている場所でもある。
ノックを3回。
そして、2回。
「おぉーい、入るぞ」
入室前の形式的な所作を終えて、早速ドアを開く。
中を見れば、部屋の奥にある椅子の上でモゾモゾ動いている黒い球体があった。
「例のものは出来たか?」
その球体は声をかけても反応せず、私の存在を気にしていない。ここまで無視をされてしまうと、まるで私が無機物に話しかける狂人である様だが…この球体はあくまでも生き物である。
「おい…おい!返事くらいしないか」
そう、生物なのだ。
作業机の上にある物に集中し切って背中を丸めたが為に、ただの黒い球体に見えるソイツ。
この"熊族"の名は…
「ツキノワ!!」
「 もうすこし、まって」
"ツキノワ"だ。
「んぐ…またせて、ごめん。それとコレおいしい」
目の前で干しワームを齧りながら、眠たげな声で私に話しかけてくるツキノワ。
私よりも遥かに大きい体を持っていながら、驚くべき事に熊族全体で見れば小さい部類に入る彼女は、日常生活どころか人付き合いすら壊滅的な根っからの職人気質である。
「お前のそういう部分は承知しているんだが…まあいい。ただな、飯を抜くのと徹夜だけはやめてくれ」
「…努力する」
「うーん……」
ツキノワの気質に由来する不精さに関しては、父親であるヒグマ親方も手を焼いている様で、何回か私に助けを求められた事もある。
だが、私であっても解決はできなかった。
……ツキノワは、ボボボン・ボン・ボボボボンと称せる程のグラマラスな体だけで無く、頭の上にちょこんと乗せた様な小さい耳や少女の様に純真な目を備え付けた可愛らしい顔も併せ持つ。
そして、そんな彼女によって私の癖はドンピシャリと刺されてしまった。
それ故に私も強く叱ることが出来ず、それどころか周りの世話をしてしまった結果、彼女の悪癖は未だに健在なのだ。
「まぁ、いいだろう。だがな、もう一つ…お前、毛繕いをサボったな?」
「うっ」
「一応お前も年頃の女性なんだ。10歳以上歳が離れている私に手間をかけさせるなよ…ブラッシングするから、こっちに背を向けろ」
「……うん」
注文の品の出来栄えだとか何だとか、聞くべきことは幾らかあったが…それよりも彼女のトレードマークでもある、胸の白い三日月模様が乱れている事が気になって仕方がない。
私の中にある癖の囁きもあり…綺麗に整理された作業道具とは違い床に放り捨ててあった鉄の櫛を拾って、先に彼女の毛並みを整える事にした。
熊族の毛は例外なく強靭であり、櫛を通すだけでも大変だ。そして、ただでさえ大変なのに、今回の彼女は特に酷い状態であった。
コレまでに何回もブラッシングをしてきて、大分慣れてきてはいたのだが…今回の毛並みの荒れ具合は、その慣れを打ち消す程の規模だ。
「「…………」」
彼女は口数が少なく、私はブラッシングに精一杯。
それ故にブラッシングの最中に話すことは無く、作業時の音を出さない為の防音壁に囲まれたこの部屋では、毛並みが揺れる音だけが静かに響いた。
(大変だ……けど、懐かしいな……)
こうやってブラッシングに苦戦していると、なぜか懐かしさを感じてきた。
そして、懐かしさと共に昔の思い出が再び浮かび上がってくる。
12歳の時に両親と老狐から、外で何とか生きていけるだけの知識と技術を身につけた、というお墨付きを貰った。そしてこの時から、更なる学びと成長の為に旅に出ると言って、私は旅に出たのだ。
旅の目的地としたのは、今現在私がいるこの街"ファーリー"。
ファーリーは故郷に最も近い交易都市であり、尚且つ多種類の獣人が集まる場所でもある。その様な情報を本の情報から導き出した幼い頃から、ずっと行きたいと思っていた。
最も近い…とは言え、狐族のコミュニティの例に漏れず私の故郷も辺境の地にあった為に旅は長く困難に溢れたものであった。
とは言えども身を覆う毛皮のお陰で、環境的な要素は大した問題にならなかった。それに、秘術を利用する事で道中の町において路銀も稼げた。
一番の問題は、私に襲いかかってくる存在だった。
この世界には、ナーロッパによく出るゴブリンやスライムの様な魔物は存在しない。その代わりに、途轍もなくデカい虫が私達を襲ってくるのだ。
目に見えない糸で罠を張る蜘蛛、デカいのに大群を形成する蟻、この世界で呼称されているドラゴンという名前に相応しい強さの蜻蛉、毒ガスと言っても良い様な鱗粉を撒き散らす蛾……
旅の中では、何度も巨大な虫たちに追いかけ回されて殺されかけた。必死すぎて詳細は覚えていないが、故郷で身につけていた秘術やサバイバル術がなければ死んでいた事だけは確かだ。
半年にもわたる長く困難な旅。時には他の旅人を助け、時には助けられ…なんとか苦難を乗り越えて、私は遂に理想郷へと辿り着き同時に越えられない壁にぶつかった。
「……よし、後ろは終わりだ。次はこっち向いてくれ」
「うん」
無心で続けたブラッシング、気づけば背中の部分は終わっていた。しかし…ここからが本番なのである。
(でっか……あと蒸れた獣臭と雌臭が凄い……)
次は、腹側のトリミングである。しかし、コチラにはケモセーフなモフモフも合わさった豊満な胸と、何日も体を洗っていない事による香ばしい匂いがあるのだ。
初めてブラッシングをした時、こちら側だけはツキノワ本人にやって貰おうとしたが、当然の如く彼女が自分自身でブラッシングをする事はなく…今に至る
(触りたい…!揉みたい…!!でも我慢、我慢…!!!!)
きっと、今の私の目は血走っている事であろう。顔がマスクで隠されている事に感謝をしつつ、気を紛らわせる為に過去の回想へと意識を追いやった。
故郷からの苦難の旅を乗り越え、遂にファーリーに辿り着いた私は…街の中に広がる光景を前にした。
オオカミ、イヌ、ネコ、ライオン、タヌキ、クマ、イタチ、テン、ワシ、カラス、ハト、ヘビ、スズメ……!!
…あらゆる種類のケモノ達が、前世では空想のものだと諦めていた真の理想が、そこにはあった。
そして、この街に住み続ける為の努力がその日から始まったのだ。
老狐から叩き込まれた言語能力を用いて、多くの戦士や偵察者との関係を築いただけでなく、時に代筆もする事で稼ぎを更に加速させた。
時には古代語で書かれた書物の解読まで行って、偵察者組合に名前を覚えられたどころか教会との縁まで持った。
この様にして、ファーリーにおける社会的な立場を盤石なものしていったのだ。
何もかもが順調に進んでくれるのだと、初めはそう思っていた。
しかれども、私の中に潜む問題はゆっくりと進行していたのだ。
その問題とは、この街に来てから鼻水の量が増え体に痒みが出てきた事。
初めは一時的な不調だと思っていたが、街に滞在する期間が延びるにつれて症状は更に悪化していった。
鼻水はとめど無く出てくる様になり、粘膜が傷ついたのか血まで出る様になった。
痒みは看過できないものとなり、掻きむしる事を辞められないほどに酷くなった結果…私の毛並みはボロボロになるどころか、その下の皮膚から滲む血によって赤くなって行った。
こんな姿では、社会的にまずい。
そう思って全身をローブで隠す様になったが、それでも事態は悪化して行く一方だった。
当然ながら原因を探ろうとしたが…何も、分からなかった。
治すことができない最悪の病。そんな結論が頭に浮かび…やがて、体だけでなく心までもがボロボロになっていった。
やがて限界を迎えた私は、遂に他者に頼る事を決意し、教会へ赴いてシグナス神父に全てを打ち明けた。
幸いにも博識な彼は、この時の状態が何によって引き起こされているのかを知っていた。
そして彼は、これがアレルギーによるものだと語った。花粉症だとかアナフィラキシーショックだとか、そう言った類のものである。
しかし、最悪な事実は…その後に語られた。
それは、私のアレルギーが他種族に対するものである事。
…即ち、好みのケモノ達と凡ゆる意味での仲良しが出来ない事を、私の夢が叶わない事を示していた。
それは、確かに残酷な真実ではあった。けれども、彼は偽り無き優しさをもって誠実に答えてくれたのだ。
故に、その時の私は彼の言葉を受け止め切り失意と共に故郷に帰ろうとした。
そして故郷に帰る為に、偵察者組合から任されていた読解の仕事を終えようと資料室に入った時、
私は、初めてツキノワに出会ったのだ。
彼女はある物を探しており、資料を片端から漁っていた。けれども、古代語に疎かった彼女に読み取れる資料の数は少なく…
アレルギーのせいで他者を気にかける余裕が消え失せかけていたが、しかし多種類のケモノと関わる最後の機会だと思って、私は彼女に協力し始めたのだ。
その後、私は熊語や古代語、その他種族の言語を駆使する事で彼女が探していた物の所在を突き止めて、彼女に伝えた。
そして、その結果…見事に彼女の悩みは解消されたのだ。
もっとも、その探し物は虫共の巣の中枢にあり後々の事はヒグマ工房の職人達が解決した為、私の役割は大した者では無かったのだが。
彼女の手助けを終えてからは、何事もなく依頼されていた仕事も終わり、いよいよ故郷へ帰ろうとしたところで…またもやツキノワに出会った。
(………終わったっ!ブラッシング、終了!!!)
「ツキノワ、終わったぞ」
過去に追いやった意識が戻ってきたかと思えば、いつの間にかブラッシングは終わっていた。
ブラッシング終わりの彼女は、さっきまでの彼女とは全く違う。
ボサボサだった毛並みは光沢を帯びて綺麗に輝いており、その毛並みの下に隠されていた可愛さが飛び出しているばかりか、毛並みの美しさと合わさる事で更に強まっている。
「ん、ん〜…ありがとう」
「じゃあ、作ったやつ今から出すね」
なんとも心地よさそうに背伸びをした彼女。しばらくはそうしていたが急に切り替えて、注文の品を取り出した
「おお…!!コレは、また…」
「すごいでしょ。私、がんばった」
「今着ているやつ。ソレでアレルギーはぜんぜん起こらなくなったって聞いたから、今度は関節部の耐久性とか可動性を中心に改良したよ」
「もちろん、これで終わりじゃない。だけど、実地試験は君にしか出来ないから今のところはコレ使ってみて」
目の前で直立しているものは"防護服"だ。
見た目は、かの有名なペスト医師の装束のようである。視界を確保する為のレンズを付けられている嘴の様な白いフルフェイスマスクに、顔以外の全てを覆う黒い生地…中身を一切確認できないソレには誰かが入ってても気づかないだろう
「ドラゴンの複眼を使ったレンズに、ワームのなめした革で出来た生地、そしてマスクを構成するピクノゴニダの外骨格…基本的な部分は変わってないから見た目は余り変わらない」
「けれど、裏打ちしている生地とか構造にはかなり手を入れたよ。例えば膝の部分には、最近開発出来た薬品で処理した幼体マントディアの革をー」
職業柄か、専門用語たっぷりの説明を始めたツキノワを横目にしながら目の前にある防護服を改めて眺める。
ツキノワが作った防護服には、やはりカッコいいという感想が湧いて来て…先ほどから頭に浮かんでくる記憶の最後の部分が浮かんできた。
見ているだけで浮かんでくる記憶…その理由は、きっとこの防護服こそが私の人生における大黒柱であると言えるからなのだろう。
私が全ての仕事を終えて故郷へ戻ろうとした時、戻る事はできなかった。
それはこの街を去ろうとした時、ツキノワからまだ礼をしていないと引き止められてヒグマ工房に引き摺り込まれたからだ。
引き摺り込まれた先の工房では、何故かガチムチな熊族達からハグやら何やらを貰い、盛大に歓迎された。
天国の様な状況ではあったのだが、アレルギーの症状が酷かったこの時は幸福感よりも苦しさの方が上回り…私を連れ込んだツキノワにだけ事情を説明して工房を去ろうとした時、
またもや、彼女に引き止められた。
彼女は私を引き止め、そしてある約束をせがんだのだ。
その約束とは、私のアレルギーへの解決策を編み出すから一ヶ月間待ってほしい、というもの。
痒みや鼻水がとんでもなかった私は一刻も早く街を出たかったはずなのだが…その時の余りにも必死な様子に絆されたのか、滞在期間を延ばすことを決めた。
そして約束通りに彼女が作り上げたものこそが、初代防護服。体全体の露出を無くし、アレルギーの元となる毛やフケを除外してくれる特別なフィルターを仕込んだマスクを備えたソレは、見事に私のアレルギーを抑えて日常生活を取り戻し…
私は、今でもファーリーに滞在できているのだ。
まさしく、この防護服は私とツキノワが出会った結果であると言えよう。
加えて、ソレは今尚メンテナンスの必要性から私と彼女の関係を続けてくれる物でもあり…アレルギーがあろうとも、多種族のケモノと触れ合うことと言う私の理想を維持出来た唯一の理由でもある。
故に、この防護服は私の人生の大黒柱だと言っても過言ではない。
「ーという感じ。じゃあ、着替えて」
「分かっていると思うけど、この部屋には私の毛が舞っているから、そっちの着替用のスペースで着てね」
過去の回想が終わったのと同時に、ツキノワの難解な話も終わった様だ。早速、今着ている防護服から改良された防護服に着替え始める。
新しい防護服の着心地は前の物と比べて大差無い。
しかし、関節部の生地が柔軟かつ丈夫になったからだろう。彼女の言っていた通り、膝や膝などが動かしやすくなっており…それだけでは無く、グローブの生地まで変わったお陰で、一々グローブを外さなくても正確に文字を書ける様になった。
「ーという感じだ。ありがとうな…それと代金は」
「いらない。お父さんにも言われたでしょ」
「取り敢えず、今からはソレで生活してみて。一週間ぐらいしたら、状態を見たいから、また戻って来てね」
既に以前の防護服を確認し始めたツキノワに感想を伝え、ついでに金を払おうとして断られ…最終的には集中している彼女を邪魔しない様に工房を出た。
新しい防護服で身を包んで新鮮な気分になりながら、頼まれていた書類仕事を終えるために偵察者組合へと向かう。
資料室にて、様々な種族の言語で書かれた調査書を共通語に翻訳してまとめて行き…粗方終わった頃に外へと出てみれば、既に夕日が顔を隠しそうになっている。
教会で祈り、友人の工房にて注文した品を受け取り、そして今日の分の仕事を終えた。
一日の内にやるべき事は全て終わっており、後は家に帰るだけなのだが、今日は久しぶりに酒場へと向かう事にした。
夜が近づくにつれて闇が街を覆い始めるが、しかし静かになるわけでは無く…寧ろ酒場に近づくにつれて騒がしくなり始める。
騒がしさと共に行き交う獣人の数も増えて行き…遂にその喧騒が最高潮に達した時、酒場の目の前にたどり着いた。
"アイラグ"それこそが、この酒場の名前。
空いている席に座ってからミルクを頼んで一息つき、周りを見渡す。
力自慢の熊族や獅子族の様な連中が腕相撲を始め、周りから双方を応援する声が響き渡る。
周りの獣人を巻き込んで飲み比べをしていた蛇族が、ただ一人酔い潰れずに訳のわからない言葉を言いながらも尚飲み続けている。
カード勝負で賭けをしていた連中の勝負が決まり、勝った奴が酔いのままに奢りを宣言し、負けた奴が失った稼ぎを嘆き始める。
…この酒場は夜の暗さを打ち消す程の活気に満ち溢れていた、2年前からずっと変わらない。
そんな光景を懐かしんで楽しみながら、運ばれて来たミルクを飲んでいると
先ほど賭けに負けて金を取られた鼬族の少年がやって来た。
「先輩、久しぶりっす!見事に負けて金ないんで何か奢って下さい!」
「奢らないからな」
「そんな…!!薄情にも程があるっすよ…!」
「………一つだけだぞ」
「ウッス!!ありがとうございますっ!!!」
一度は突っぱねたが、しかしショタケモの可愛らしいおねだり顔をされては敵わず…結局は違ってしまった。
「うめっ、うめえっす。ありがたいっす」
「喉に詰まらせるなよ」
私を先輩だと慕いながら図々しくも奢りを要求した鼬族の少年、彼の名前は"テン"という。
良くも悪くも後先考えない奴だが、今も奢った事を後悔させないほど美味しく食べている様に、彼は何だかんだ憎めない性格をしている。
「今日はアイツと一緒に、東の方にある森の調査に行ったんですけどね。そこで凄いことがあったんですよ。というのもですねー」
目の前で今日の仕事の成果を自慢げに語り始めた彼を見ていても、懐かしさは湧いてこない。
彼と先輩だと呼ばれて関わる様になったのは、ここ最近の事であるからだ。
「そこで、先輩に教えて貰った事を思い出してー」
そんなテンの話を微笑ましく思っていると、ふと思いついたことがあった。
昔の私を知らずとも後輩になった彼は…防護服を着込んで奇妙な姿をする様になった今の私でも、他種族と上手くやっていける事の証であるという事だ。
そう思うと、急に彼のことが愛おしく感じられる。
「ーで…って、先輩!?急にどうしたんですか?」
今日一日の中では過去を振り返り、懐かしさに浸っていたが…テンを抱きしめている今はこれからの事に思いを馳せたくなった。
私は、これから先もずっと防護服を着続けるのだろうが…しかし夢を叶えることはできないのだろう。
なぜならば、結局のところ防護服が無ければアレルギーの症状自体は出てくるため…それを脱ぐ必要がある仲良し(意味深)は出来ないからだ。
けれども、そんな未来を前にしようとも不思議な事に私の心に不満は一つもない。
それはきっとテンが防護服を着込んだ私を慕って後輩になり、今こうして私が彼を抱きしめている様に、仲良し(字義)は出来るからだ。
それに、防護服の存在は私とツキノワの友情の証でもある。
「テン…まだ足りないだろう?」
「えっ…は、はい!!」
この素晴らしき世界に生まれて夢を抱き、そしてアレルギーによって阻まれた。
しかれども、そのアレルギー故にツキノワと友達になり、アレルギーがあろうともテンの様な可愛い後輩もできた。
順風満帆で無くとも、しかし何だかんだ幸せを手に入れられた今に感謝して、確かな幸せを実感した私は…
一人だけ幸せを感じるのも、忍びなく思い
「もっと頼んで良いぞ。今日は特別だ」
「ありがとうございますっ!!」
今日は奮発して、テンにもっと奢る事にした。
神よ、私をこの世界に転生させてくれた神よ。
本当に、ありがとうございます。
ここまで読んで頂きありがとうございます
最近、ケモノ要素が不足していたので書きました。