かつて凡人だった男の成り上がり生活   作:飢堕天

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プロローグ 2話

「んん…」

 

——瞼越しに光が差し込み、徐々に意識が覚醒する。

 

「んん……ん?」

 

——朝、か?

 

眩しい光を遮るために手を光に翳す。そう、自分の手を翳した、はずだ。翳された手は20代である自分の手にしては異様に小さく、まるで赤ん坊の手のようだった。

 

「…んぁ?」

 

——何だこの手は?俺の手、だよな。

 

そう思い、自分の意思の下動かしてみると、目の前の手は自分が意識した通りに動く。

うん、やっぱり自分の手だ。・・・どういうことだ?

 

——落ち着け。いったん状況を整理しよう。

俺は今目が覚めた。ということは先ほどまでは眠っていたということだ。

なら、眠る前は何をしていた?

 

眠る前は何を・・・

 

眠る・・・前・・・は...

 

——そうだ、確か俺は自殺をしたはずだ。

包丁で自身の手首を切って、それで大量出血によって意識を無くしたはず。

だが、今は完全に意識がある。ということは一命をとりとめたということか?いや、あの出血量ならまずありえない。

そもそも、目が覚めたら自分の手が赤ん坊のようになっているなどおかしい。

ということは・・・

 

——まさか、てんせ―

 

「なんだこいつ、急に泣き止みやがったぞ」

 

——転生したのか、そう思った矢先、傍で男の声が聞こえた。

その声の元に目を向けると、そこにいたのはいかにもチャラそうな見た目の男だった。

 

——誰だこいつ?

俺は、見たこともない男に対し、訝し気な視線を向けた。すると男は・・・

 

「なんだその目は?」

 

そう言いながらこちらを睨んできた。

 

どうやら俺の視線が気に入らなかったようだ。

 

あなたは誰ですか。

目の前のチャラそうな男にそう問いかけようと声に出すが・・・

 

「あぁああ……ん?」

 

——喋ろうとしたが上手く喋ることができない。

そういえば…と思い、自分の手を眼前に持ってくると、やはりあったのは自分の手であろう赤ん坊の手だった。

 

これだけ条件が揃えば、行きつく答えは一つだ。

 

——そう、俺は転生したのだ。それも、前世の記憶を保持した状態で。

 

そう思うと、まずは転生という、前世の頃、大好きだった漫画やアニメの主人公たちと同じシチュエーションに嬉しさが込み上げてきた。なにしろ、これはただの転生ではない。記憶を保った状態での転生だ。漫画やアニメに精通している者ならば一度は夢見たであろう、記憶を保持した状態での転生、このことに対して言い表せぬ高揚感が俺の胸中を支配する。

 

——しかし、すぐに冷静になって今の状況に目を向ける。

 

目の前にいるチャラ男、俺はこいつの言葉を正確に理解している。

なぜなら、こいつが発した言語は日本語だったからだ。

——そう、日本語。つまり、ここは・・・

 

どうやら俺は、地球(このせかい)から抜け出せないらしい。

先ほどまであった高揚感は、ものの数秒で鳴りを潜めた。

 

「おい、無視してんじゃねーよ」

 

今の状況に落胆している俺に対し、声がかけられる。

 

チャラ男だ。俺は、チャラ男を一瞥し、そして改めて周囲を確認してみると・・・

 

「ちょっとあんた、無視してんじゃないわよ」

 

——と、横から今度は女の声が聞こえてきた。

そちらに振り向いてみると、これまたいかにもギャルといった風貌の女が横たわりながらこちらを睨んできていた。

 

チャラ男にギャル女、ね

——なるほど。

赤ん坊に転生した俺、チャラ男、ギャル女。

 

なるほどなるほど…

 

つまりは、この2人が俺の新しい父親と母親ってことか?

 

 

——まじかよ…

 

 

 

 

 

 

 

 

——転生

そういったジャンルに精通のある人間ならば、誰もが憧れるであろう状況。

俺自身、最初は不安要素満載な、両親であろうチャラ男とギャル女に加え、転生した先が地球だったことに対して落胆したものの、それでも『転生』という状況はやはり心燻ぶられるわけで、今世はもしかしたら前世よりも楽しい人生を歩めるのではないか、そう思っていた。

 

——だが、そんな期待は一瞬で崩れ去ることになる。

 

俺の両親は、いわゆる『毒親』だった。

父親も母親も事あるごとに俺に当たってくる。

まだ年端もいかない、それも自分の子供に対して容赦なく、拳を振り下ろし、蹴りを入れる。

その度に身体には痣ができ、その痛みに耐える日々が続く。

 

——そうして、暴力を振るわれる日々を耐え続け、3歳になった頃、父親が新しい女を作って家を出ていった。

当然、母親は苛立ち、その矛先を俺に向ける。

そこからは、これまで以上の暴力に曝されることとなった。

 

ある日は、拳で腹を殴られた。

俺はそのあまりの痛さに苦痛に顔を顰め、蹲る。

だが、そんな俺の様子を気にも留めずに、更なる暴力の雨に見舞われる。

 

ある日は、タオルで首を絞められた。

大人である母親に対して、子どもである俺では大した抵抗もできず、タオルによって首を締め付けられ、息ができない。

目の奥がチカチカしてくる。

視界の端が暗く染まり、徐々に世界が暗転していく。

脳が酸素不足を訴えてくるが、自分ではどうしようもない。

自殺の次は他殺か、そう思った矢先、ようやく解放された。

 

ある日は、物を投げつけられた。

理由は、食事中に物音を立てたから。とはいえ、音を立てたと言ってもスプーンが食器に当たった音であり、対して不快にはならないであろう音ではあったが、どうやら母親は違ったらしい。

母親から、箸を投げられ、フォークを投げられる。不幸なことに、投げつけられたフォークが頬を掠め、そこから微かに血が滴り落ちる。

されど、母親はお構いなしに鬱憤を俺にぶつける。

 

ある日は、洗面台に張られた水の中に、頭を押し込まれた。

力の限り抵抗するが、それがかえって母親の力を増すことになる。

ぐい、と更なる圧力によって頭が沈む。

呼吸ができない。

徐々に胸が苦しくなってくる。肺が空気を欲しているのがわかる。

だが、抵抗は無意味なためなんとか耐え忍ぶ。

だが、やがて肺が限界を迎え、酸素を欲して口を開く。

だが、そこはまだ水中であったため、酸素ではなく、水が流れ込んでくる。

——溺れる

そう思った矢先に頭上から圧力が消え、それに従い俺は頭を水中から出す。

器官に入った水を吐き出し、息を吸う。

何度も咳き込み、嗚咽を漏らす。

だが、数度の呼吸を終えると、また頭を水中に押し込まれる。

それを何度か繰り返すと、ようやく解放される。

 

ある日、母親は男を連れて帰ってきた。

いつも連れてくる男とは違ったため、新しい男だろう。

母親は、その男を家に招き、対して俺は家から追い出される。

これからはじめる情事に俺が邪魔だからだろう。

——季節は冬。それも気温が0度近くにも下がっている真冬だ。

そんな状態の外に、防寒具も無しで放り出される。

まだ幼い俺の身体は、この寒さに耐え忍ぶことはできない。

だから、俺は近くの図書館に向かった。

 

図書館に着いた俺は、靴を脱いで下駄箱にしまい、代わりにスリッパをはいて、内部につながる自動ドアを潜る。

 

図書館の中は暖房が効いており、冷え切った身体が徐々に熱と取り戻す。

 

暖房の熱の心地良さに気分を良くしながら、受付前を通ると・・・

 

「おはよう、てんちゃん」

 

——いつもの挨拶が受付先から聞こえてくる。

俺はそちらに顔を向ける。

そこには、30代くらいの受付のお姉さんこちらに微笑みを向けていた。

 

「おはようございます」

 

受付のお姉さんに対し、俺もいつも通りに挨拶を返す。

 

「今日は何を読むの?」

 

受付お姉さんが俺に訊ねてくる。

 

「今日は医学書を読もうと思ってます」

 

受付のお姉さんに対し、俺は素直に答える。

俺の返答に対し、受付のお姉さんは、驚きと呆れの混ざった表情で、

 

「君、確かまだ10歳だったわよね」

「そのくらいの年なら普通は漫画やもう少し読みやすい本を見るものだけど…」

 

と苦笑交じりに言ってくる。

 

確かに、10歳である俺が医学書を読んでいるのは異様だろう。

医学書とは、つまり専門書だ。

専門書ともなれば、専門用語が盛りだくさんであり、その分漢字の難易度は高い。

そんな本を10歳児が読もうとしているのだから呆れたくもなる。

 

「僕も漫画や小説は読みますよ」

「でも、今は医療知識が必要なので、医学書を読みたいんです」

 

呆れ果てている受付のお姉さんに対して、俺は素直に答える。

そんな俺に対して、

 

「医療知識が必要?」

「どこか怪我でもしたの?

もしそうなら、病院に行った方がいいわ」

 

と、表情と瞳に心配の色を込めて俺に優しく言ってくる。

 

——俺なんかに気をかけてくれる

あの母親は、俺を心配する気配すら見せたことがないが、この女性は心から心配してくれている、と思いたい。

 

「怪我はしていません」

「ただ、今後怪我をした際に必要だと思いまして、こういったことは早めに知識として持っていた方がいいでしょ?」

 

俺は、受付のお姉さんに対して抱く“灰色の感情”を押し消し、半分事実で半分噓の言葉で返す。

事実というのは、今後必要になるということ。

嘘というのは、怪我をしていないということと、今後に限らず現在進行形で必要だということ。

そんな俺の言葉に対し、受付のお姉さんは安堵の表情を浮かべながら

 

「そう、ならよかったわ」

「でも、医療行為は間違った手順でしたら、悪化してしまうこともあるから、怪我をしたときは病院に行ってしっかりと見てもらうのよ?」

 

と、こちらを気にかけてくれる言葉を送ってくる。

 

「わかりました」

 

受付のお姉さんの言葉に対し、俺は素直に理解の言葉を示した。

そうして、受付のお姉さんとの会話を終えた俺は、医学書が置かれているコーナーへと赴いた。

 

いくつかの医学書を手に取り、図書館に配置されている椅子に座ると、俺はさっそく持ってきた数冊の医学書の一冊を開き、その本に記されている情報の本流へと意識を没入した。

 

 

「…ゃん…」

 

「…ん…ゃん…」

 

「てん…ゃん…」

 

「てんちゃんっ!!」

 

ビクッ

 

——ん?

俺を呼ぶ大きな声に身体がびくりと反応し、声のした方へ目を向けると

 

「お姉さん?」

 

そこには、呆れと少し憤怒の混じった表情の受付のお姉さんが、こちらに睨みを利かしながら、いかにも『私怒ってます!』みたいな風を装って言葉を投げかけてきた。

 

「もう閉める時間よっ」

 

そう言われた俺は、周囲を見渡す。

すると、そこには俺以外の来訪者の姿はなく、窓からは夕暮れを知らせる茜色の日差しが差し込まれていた。

 

もうそんな時間がたっていたのか。

本に没入しすぎて気付かなかった。

 

「すみません、気付きませんでした」

 

とりあえず、俺は素直に謝る。

 

「君、いつもそう言ってるじゃない」

「どれだけ本に夢中になっていたのよ」

 

俺の謝罪に対し、受付のお姉さんは怒ることなく、呆れながらそんなことを言ってくる。

 

——そう、俺はこの図書館に通い始めてからいつも閉館ぎりぎりまで本を読んでいるため、毎回受付のお姉さんに声を掛けられる。

俺と受付のお姉さんが仲良くなったのはおそらくはこれが要因だろう。

 

とはいえ、一度本を読むと、本の虫となってしまうのは仕方がないと思う。

なにしろ、今世の俺の脳みそは記憶力が良いため、一度見たことは大抵その一度で記憶できてしまう。さらには、集中力に関しても、前世を遥かに超える集中力を発揮できる。

よって、本の虫になるのはもはや必然であると言える。

とはいえ、さすがに受付のお姉さんに迷惑だろうし、

 

「すみません、次から気を付けます」

 

-と、形式上の謝罪をする。

 

「君、それ毎回言ってるよね?」

 

そんな俺に対し、受付のお姉さんはこちらに信用ならない目を向けてくる。

 

まぁ、たしかに毎回言ってはいるな。

そもそも俺は直す気はないし、向こうもそれは理解しているだろう。

だから、これは形式上の一種のコミュニケーションだ。

 

「ははは…」

「それじゃ、僕は本のなおして帰りますね」

 

俺は、受付のお姉さんに対して毎回恒例の帰りの挨拶をする。

 

「わかったわ、気をつけて帰るのよ」

 

受付のお姉さんもまた、俺に対して毎回恒例の返答をする。

 

そうして、俺は本を元あった場所になおして、帰路に着いた。

 

 

 

俺が住んでいるのは、小さなアパートの一部屋だ。

俺は、いつも通り部屋の前まで来ると、ドアに耳を当て、中の音を確認する。

すると、中からは女と男の声が聞こえる。

どうやら、まだ男はかえってないようだ。

 

 

「はぁ…」

 

まだ、部屋に入ることのできない憂鬱さに思わずため息が出る。

 

どうして、10歳である俺が30近くである母親に気を使わなくてはならないんだ。

精神年齢は、前世と合算すると俺の方が上だが、それでも今の俺は10歳だ。

よって、この状況に文句を垂れても仕方がないだろう。

 

「しかし、どうするか」

 

日が沈むと同時に、気温は一気に下がり、俺の幼い身体を容赦なく冷やしていく。

このままここにいるのは危険すぎる。

 

そう思った俺は、近くの暖房が効いた店で時間を潰そうと身を翻すと・・・

 

「こんばんは、そらくん」

 

——そこには、20代の大学生風の男性がおり、俺に声を掛けてきた。

 

「こんばんは、お兄さん」

 

その男性に対し、俺は慣れ親しんだように返答する。

 

「今からどこか行くのかい?」

 

お兄さんは俺に対し、心配の色を表情と声に乗せながら、そう問いかけてくる。

 

「うん、今うちにお客さんが来てて、入ることができないんだ。だから、暖のとれる店に行こうと思って」

 

俺は、何でもない風に、いつも通りの回答をお兄さんにする。

すると、お兄さんはうちの部屋のドアを一瞥した後、こちらに向き直って、お兄さんもまたいつも通りの言葉を俺に投げかけてくる。

 

「なら、そのお客さんが帰るまで僕の部屋に居とくかい?」

 

その問いかけに対し、俺は頷いた。

 

そうして、俺は今日もお兄さんの部屋で時間を費やす。

 

 

お兄さんは、現在大学3回生の学生である。

今は、このアパートで独り暮らしをしているらしい。

そんなお兄さんの部屋には漫画やラノベが数多く揃えられている。

俺は、お兄さんの部屋に上がった際には、いつも本棚に揃えられている漫画やラノベを読んでいる。

今日もまた、いつも通り漫画を読んでいると、お兄さんから声を掛けられる。

 

「そらくん、最近は大丈夫かい?」

 

何が、なんて野暮なことは聞かない。

お兄さんは俺が母親から虐待されていることを知っている。

大丈夫か?というのはそういうことだ。

 

「大丈夫だよ。最近は上手く対応しているから痛みもそこまでない」

 

俺はこの10年間独学でトレーニングを行っている。

体力づくりはもちろんのこと、肉体づくりや武術に関する教本等を読んで、そこで得た知識を基に独学で技術を習得している。

故に、最近は母親からの暴力も上手く対応できているのだ。

しかし、上手く対応できているのはトレーニングの成果だけではない。

 

俺は目がいい。

これは視力という意味だけではない。

例えば、動体視力なんかも含まれる。

俺が目がいいのは先天的なものだろう。しかし、これまでの経験の中で、その能力がさらに向上したと考えている。

母親に殴られるとき、蹴られるとき、物を投げつけられるとき、そういったいろいろな状況下で、被害を最小限にするためにひたすらに自分に害をなす存在を視続けた。

その結果、俺の目の性能が向上したのだと考察できる。

そういった理由もあって、現在は肉体的被害は幼少期と比べれば小さいと言える。

 

「そっか。でも、本当に警察に言わなくていいのかい?言えば、確実に助けてくれると思うけど」

 

俺が大丈夫だと言っても、どうやらお兄さんは心配らしい。

俺に対して、警察に相談するべきだと諭してくる。

確かに、警察に相談すれば、おそらく母親は捕まるだろう。そうなれば、俺は今の地獄からは解放される。だが、それは同時に別の地獄が訪れるということでもある。

なぜか、理由は簡単だ。

——逮捕される。それは、その者が罪を犯したからだ。つまりは犯罪者。

そして、母親が逮捕されるということは、俺は『犯罪者である母親の息子』ということになる。

犯罪者の息子というレッテル。これがどういう結果を齎すかは言わずともわかるだろう。

 

今の段階で、俺は小学校でいじめを受けている。

理由は、俺の髪の色が白髪、いわゆる『アルビノ』というものだ。これにより、普通とは異なっている俺を普通とは違うというだけでいじめの対象とする。

また、俺は同級生の中で、運動も勉強もともにトップである。

そんな、普通とは違う癖に自分よりもできる人間である俺のことが気に食わない連中が俺にちょっかいを掛けてくる。

現段階でも、面倒くさい状況に置かれているというのに、これ以上事を荒立てたくはない。

 

——だから、俺は警察には頼らない。

 

「本当に俺は大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、お兄さん」

 

そう言って、内心を隠して俺はお兄さんに微笑む。

 

お兄さんは、そんな俺を見て、諦めたのか溜息を吐きながらこちらに苦笑を向ける。

 

「そらくんがそういうなら僕はこれ以上言わないよ。でも、何かあればすぐに相談してね」

 

わかった、俺はお兄さんにそう返事をした後、再び漫画の世界へ飛び立った。

 

 

 

——13歳になった。

現在、俺は中学2年。季節は冬。

明日から冬休みのため、今日は終業式を終えて、現在帰宅中。

いつも通りの帰路に着いて、アパートに到着。

カギを使って開錠し、ドアを開けると、部屋の中に母親はいなかった。

風俗嬢である母親は、この時間帯はいつも家にいるのだが、玄関に母親の靴がないため、外に出かけたのだろう。

 

母親がいないことに気分を良くして、俺はリビングへと向かった。

リビングに着いた俺は、鞄を部屋の片隅に置いた後、鞄から取り出した冬休みの宿題を机に並べ、1つずつ取り掛かった。

 

——凝った背筋を伸ばすため、背伸びをする。

そうして俺は、現在の時刻を確認するために時計に目をやる。

そこには、短針が6と7の間を指し、長針が丁度6を指していた。

現在の時刻は、18時30分。

どうやら、俺は6時間以上も宿題に取り組んでいたらしい。

 

——しかし、おかしい。

何がおかしいのかと言えば、母親が帰ってきた気配がない。

もしかして、一度も帰らずに直で職場に行ったのか?

そう思いながら、俺はとりあえず母親の部屋へと赴いた。

 

母親の部屋の扉を開いた俺は、中を見て思わず固まってしまった。

なぜなら・・・

部屋には物一つなく、もぬけの殻と化していたからだ。

 

「…は?」

 

俺は思わず、そんな声を漏らしてしまう。

 

——どういうことだ?

一番初めに考え付いた答えは泥棒だ。

だが、その可能性が限りなく低いとすぐに否定する。

なぜなら、母親の部屋には物が1つもないからだ。

仮に、泥棒が母親のストーカーであったとしても、さすがに部屋の物品を1つ残らず盗むのは物理的に無理だ。

つまり、この状態は泥棒によるものではない。

 

なら、次に考えられる可能性。

それは・・・

 

——失踪

つまり、あの女は俺を置いてこの部屋から出ていった、ということだ。

仮にその場合、あの女の現在の居場所はこの家に連れ込んだ男の誰かの家だろう。

だが、そんなことはどうでもいい。

 

——重要なのは、あの女が俺を捨てたということだ。

 

俺を捨てた。

俺はあの女に捨てられた。

——つまり、俺は母親に捨てられたのだ。

 

そう思った時、もうそれ以上言葉が出てくることはなかった。

 

——ただ、胸の胸中にあったのは、母親から解放されたことに対する喜びよりも、母親に捨てられたことに対する悲しみの方が強かった。そして、それ以上にほんの少しでも母親に期待していた自分に対する自己嫌悪が胸中を占めていた。

 

 

——それから少しばかりの時間が経過して、現在の時間は22時15分。

あの後、俺は何もせずただ、ぼーっと床に座り込んでいた。

だが、さすがに腹が空いたため、何かを食べようと冷蔵庫を見るが何もない。

 

仕方がないため、俺は自分の財布を持って近くのコンビニへと向かった。

 

部屋を出ると、天気は今の俺の胸中と同期しているかのように悪天候と化していた。

 

ゴロゴロォォ

 

雷鳴が絶え間なく鳴り響き、ここ数分で何度か落ちる音がした。

 

「これはまずいかもな」

 

俺はそう呟き、足早にコンビニへと向かう。

 

——しかし、その道中・・・

 

ゾクッ

 

言い知れぬ悪寒を上から感じ、思わず顔を上げる。

 

顔を上げた先には・・・

——夜を照らす光が眼前に広がっていた

 

それは、暗闇を照らす一条の光

ではなく・・・

 

——気付いたときには意識が反転し、その最中に落雷の音が聴覚を支配し・・・

 

そうして俺が認識していた世界は再び静かに幕を閉じた——

 

 

 

 

 

 

——何かを感じる。

視覚も聴覚も味覚も機能していない。

だが、触覚だけは微かに機能しているのか、何かを感じ取る。

 

——それは、不快な何かではない。

むしろ、とても暖かく、心地の良いものだ。

 

身体中に得体のしれないナニカが流れ込んでくるような、そんな感覚に支配される。

——だが、不思議とそのナニカに拒絶反応を示すことはなく、むしろ本能的にそのナニカを受け入れている。

 

——あたたかい

 

——とても気分がいい

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・

 

・・

 

 

「きみ、大丈夫かいっ?」

 

 

・・

 

——なんだ?誰かの声が聞こえる。

 

 

「これはっ、もしかしてさっきの雷に打たれてのかっ」

 

・・・

 

——声が聞こえる。女性の声だ。

どこかで聞いたことのあるような声…

 

・・・・・・

 

「外傷は見当たらない。でも衣類が焼け焦げているし、所々に微かな火傷痕がある。ということは、間違いなくさっきのドでかい落雷に打たれたんだろうけど…」

 

・・・・・・・

 

——落雷に…打たれた?

そういえば…あの光…

あれは…雷か…

 

・・・・・・・・・・・・

「う~ん、ボクには医療に関する知識がないからな~。とりあえず、この子を中に運んでミアハに診てもらおう」

 

・・・・・・・・・

 

——ミアハ?どっかで聞いたことがあるような…

どこだったか…まずい…意識…が…

 

・・・・

 

「大丈夫っ!君はボクが必ず助けるからっ!」

 

・・・

 

——そう…か…

なら、まぁ…期待せずに…待ってるよ…

 

・・

 

そこで、意識は完全に途切れた——

 

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